第64話 エルフと竜のおさんぽ
夢の世界で長く過ごせば、そのぶんたっぷり眠った清々しい目覚めが日本で待っている。
疲れ果てていた身体は新品同様に生まれ変わり、そして布団をどけて黒髪の美女が眠たげな素顔を見せた。
くあり……。
すぐ目の前で唇を開き、そのように心地よさそうな欠伸をされる。
美しい顔立ちへ見とれ、のそりと裸体を起こす様子に慌てて瞳を閉じた。遅れてマリーの手が瞳を覆うと、視界はまたも暗闇へ戻る。
「ふぁ……、やはり、こちらの目覚めはたまらぬのうー……。んんーーっ」
「ウリドラ、そんな格好で伸びをしないでちょうだい。あといい加減、パジャマを着たらどうかしら」
「ふ、ふ、寝るときは嫌じゃあ。締め付けられた状態では快眠できぬからのう」
などという2人の会話だけが耳に響く。
やはりウリドラが来ると賑やかだと思える。マリーも言葉使いこそ怒っているようだけど、どことなく声色は明るく感じられた。
「分かった分かった。ほれ、この服で良かろう。おー、日本じゃあ。だいぶ晴れておるのう」
どうやら長く降り注いだ雨はあがってくれたらしい。手をどかされると同時にカーテンはじゃっと開かれ、すがすがしい朝の光に部屋は包まれた。
カチチチ……。
ぼっとコンロに火をつけて、手鍋の水を温める。そのあいだ2人はベッドへ腰掛け、ぼんやりと朝の天気予報を眺めていた。手近の茶葉を手に取り朝の用意をしていると、ベッドルームから少女の嬉しげな声が響く
「明日も晴れるってーー」
ふむ、明日はゴールデンウィーク初日であり、また彼女と新幹線へ乗ることになるので良かった。できれば東北までの景色を楽しんで欲しいからね。
などと思いながら振り返ると、ウリドラは鼻歌混じりでなにやら作っている。いや、ここからではよく見えないけれど編み物をしているとでも言えば良いのか。
「ふむん、内緒じゃぞー」
「え、まだ何も言ってないのに……。それで何を作っているの?」
にこりとした笑みだけを返されるが、その純粋な笑顔には嫌な予感しかしない。まあウリドラがその気になれば大抵のことは出来るだろうし、とやかく考えても仕方ないか。一般市民である僕は、諦めて朝食でも作っていましょうかね。
「カズヒホは平日はお仕事に行くの。だから昼間のあいだ私たちはお留守番よ」
「ふうむ、あれでも真面目に働いておるのか。夢の中では遊んでばかりに見えるがのう」
そうかなあ、夢の世界でも働いている気がするけれど。ま、会社とは違って「喜んで」だけど。
などという会話を背に「そうだ、アレを作ってみようか」などと考えながら冷蔵庫を開ける。朝にしてはカロリーが高いけれど、あれほど激しい戦いをした後だしね。
「私は大抵ここで勉強しているけれどウリドラは退屈でしょう。どこかへ2人で出かけても良いのよ」
「ああ、ウリドラが一緒なら安心……でも無いか。変な事件とか起こさないでね」
「たわけ、わしのことよりも仕事中に居眠りせぬよう気をつけよ。……そうじゃな、のんびり散歩でもしてみたいと思うておったところじゃ」
うん、変な人に絡まれないか心配かな……その人の身の安全とかがね。
とはいえ日中にマリーを1人きりにさせてしまうのは密かに心配なところがあった。しかし彼女が一緒にいてくれるとだいぶ安心できる。2人はどこか姉妹のように仲が良いと思えるからね。
卵黄をボールへ入れ、湯煎をしながらかき混ぜてゆく。
初めて作る料理というのはときめくのと同時に、失敗したら目も当てられないという緊張感もある。もったりとした感触になったところで引き上げ、今度は溶かしたバターを混ぜてゆく。
「ならお奨めの小道があるの。わたしの秘密のお散歩コースには、とても可愛い子が待っているのよ」
ふうん、というウリドラの不思議そうな声が響く。
たぶんいつもの子猫を彼女へ紹介してあげるのだろう。向こうの世界に猫族はいても猫はいないから驚かれなければ良いけれど。
そのようにマリーの好きな場所が江東区に広がってくれると良いと思う。図書館やレンタル屋、スーパーなどなじみの場が増えると共に、日本がエルフを迎えてくれる気がするのだ。
焼いたトーストへとベーコン、目玉焼き、そして塩胡椒などを混ぜたソースをたっぷりかけると、黄金色のゴージャスな朝食「エッグベネディクト…もどき」は出来上がる。せめて見た目を良くするべく乾燥パセリをかけてからテーブルへと運ぶ。
「2人とも、運ぶのを手伝ってくれるかい。出かけるなら朝食をしっかり食べてからだよ」
わっと2人は立ち上がり、ナイフとフォーク、それに茶を運んでくれる。こういうとき、手伝ってくれると楽で良いね。おまけに食器を洗ってくれるだなんて。ちらりと時計を見ると、まだ7時前だった。
「わあ、なにかしら。すごく見た目が良いし……んーっ、卵の良い香りっ」
「初めて作ったから味は期待しないで欲しいな。前にネットで見たことがあって……ま、とにかくいただこうか」
皆が席につくと、いただきますと挨拶をする。
2人ともそわそわした顔をし、口数が少ないのは朝食へ集中したいためだろう。ナイフで切ると黄身のソース、それに目玉焼きの黄身がとろりと混じる。明るい黄色と濃い黄色が混じる様子もなかなか良い。
ソースをたっぷり絡ませて、たらたらと黄身の零れるトーストぱくりと食す。そして2人とも瞳を真ん丸にして見合わせた。ぱちっぱちっと瞬きをしあっている様子が姉妹のようで可愛らしいね。
カロリーと引き換えに、このたっぷりコクがある豪華なソースは出来上がる。卵黄とバターを合わせることで卵の甘さは強調され、そしてパンとベーコンへ絡みついた味わいと歯ごたえを楽しめる。
「うむんっ! これが卵料理であるかっ! いや、知らぬぞ。わしらの世界にも鳥はおるが、このような味は知らぬっ!」
「んっ! チーズみたいっ、ふんわりした味わいっ……んふーっ、たっぷりのコクが癖になりそうっ」
唇へと黄身をつけ、笑みを浮かべたままモグモグと食される。とはいえ彼女が言うようなチーズは入っておらず、コクがあり過ぎてそのように感じてしまうらしい。……などと僕も食べてみてから初めて分かる。
ズズと茶を飲んでから、うっとりとした表情でマリーは呟いた。
「ああ、日本は地震さえ無ければ、本当に素晴らしいところなのに」
「ふむん、そういえば小刻みによく揺れるのう。人には感じ取れないくらいじゃろうが」
あんぐと豪快にパンを頬張りながらウリドラはそのように答える。つううと黄身が唇から伝い落ちてゆく光景も、どこか竜らしい食事の仕方だと思わせる。
と、マリーは何かを思いついたよう瞳を見開いた。
「あっ、地震といえば構造強化術式! ほら、ほら、覚えてる?」
などと言いながらにぎにぎと僕の手を握ってくる。まるで何かを大発見したような様子だけれど……。
「え、そんなのあったかなあ。いつのことかい?」
「ずっと前のことよ。ウリドラの遺跡へいったとき、そこの術式を一緒に見たじゃない」
ぺしぺしと僕の手を叩きつつ、少女は思い出して欲しそうに見上げてくる。ただ、そのようにアメシスト色の瞳を真ん丸にされても「可愛いなぁ」と思ってしまうけれど。もぐもぐと何度か噛んでいるうち、ようやく頭が働き出したのか当時のことを思い出す。
「ああ、あの時かな。確か遺跡を探検していたときに、そんな術式を見たような気がするね」
「そうそう、それよ。近いうちまた同じところへ行きましょう。今の私の魔術へ応用できる気がするの」
少女の話を聞くとつまりこういう事らしい。
マリーは石壁を操るという独自魔術を生み出しつつある。しかしこれには問題があり、強度を維持するため単純な構造しか作れないそうだ。
「あ、そこで構造強化術式か。今でも十分だと思うけどなあ」
「今は平気でも、いざってときに手が打てないのは嫌なの。だいたい昨夜の悪魔との一騎打ちだって、あれほどの閉鎖空間なら爆破魔法を使われていたらおしまいだったのよ」
あ、そう言われてみれば確かにそうだ。
今回戦った悪魔は鋼糸を操るという性質だったが、そうでなければ一瞬で終わっていた可能性もある。そのあたり、どうも僕はボンヤリとしているね。きっと死んでも日本で目覚めるだけと考えているせいだろう。
「なら一度戻っても良いかもしれないね。古代迷宮の今の地域は安全になったようだし」
「そうしましょ。急がば回れと言うでしょう」
どうも僕らは回ってばかりの気がするけどね。たぶんそれは誰一人として急いでいないせいだろう。まあ、その筆頭が僕なのだから仕方ない。
「しかし強度を維持したまま複雑な形状にするのか……。うまく想像できないな」
「そうねえ、もしも術を強化できるなら、まず実験をしてみましょう。試す価値はあると私が保証するから」
ふむ、マリーがそう言うのなら試さない手は無い。にまりと互いに笑ったのは、これからの方針について同意をしたという意味だ。僕らはにぎにぎと手を握り合った。
その様子を眺めていたウリドラは、フォークを咥えながら頷いて来る。
「ふうむ、日本では遊んでばかりと思うておったが、案外とぬしらにとっては役立っておるようじゃな」
どういう意味だろう、とマリーと一緒に小首を傾げてしまう。
盾役であり師匠であり、太古から強大な存在である竜は、ぴっとフォークをこちらへ向けてきた。
「ほれ、その相談ごとである。普通ならば眠れば夢を見るだけじゃ。しかし、ぬしらはそうして策を練り、息を合わせてしまう。昨夜のような大規模な連携も、ほぼ初めての試みじゃったというのに」
「あら、そう言われると……。でもそうね、あなたとの連携はすごく楽よ。望むとおりピタリと動いてくれるの」
おや、そう評価していただけると嬉しいな。
いままでずっと一人で居たせいで、連携への自信はあまり無かった。それだけに少女の一言にはホッとさせられる。ただ本日は出勤日なので、さほど一緒に居られないのが残念だけれど。
朝食のお皿は綺麗に片付き、それぞれゆったりお茶を飲む。
あいも変わらずウリドラは何かを作っており、それが気になって仕方ない。先ほどは編み物のようだと思えたが、近くで見るとずっと細かいものだと分かる。
黒い魔粒子なるものを緻密に編み、ゆっくりと形になってゆく。何度となく僕とマリーから尋ねても「内緒じゃ」としか答えてくれないのが困りものだ。
仕方なく先ほどまでしていた二人の会話を思い出し、話題を振ることにした。
「それで、今日のところはマリーが江東区案内をするのかな」
「ええ、そうしようと思うの。ねえウリドラ、午後は一緒にアニメでも見ましょう」
「あにめ? 良く分からぬが娯楽であれば何でも構わぬぞ。まあ、人の作った物など大した物では無いじゃろうがなあ」
あ、この世界でそういう発言はフラグって言うんだよ。
明日には青森へ出発するのだし、マリーにとっては日本の田舎暮らしへ憧れているところもある。その予習を兼ねているのだから構わないか。
などと考えていると、エルフの瞳に剣呑なものが宿る。
「あーら、この日本の誇る娯楽というものをまだ知らないようね。いいかしら、アニメというのは一枚一枚、職人が絵を描いて魂を……」
おっと、マリーのアニメ魂に火が付いてしまったようだ。アニメは芸術だとか完成された物語だとか、熱く熱く語っていた。とはいえ見たことのないウリドラにとっては「?」という反応しか出来ないけれど。
「ふうむ、ならばわしが評価をしてくれよう。あらゆる芸術を知るわしの目は厳しいぞ」
「望むところよ、あなたの価値観を破壊して見せるわ!」
などとアニメのパッケージを挟んでゴウ!と炎をあげる様子は……ちょっと変だ。
さて、早めに起きたので時間はまだある。2人へ昼食の作り方を説明しつつ、ジャガイモやレモンを輪切りにし、オーブン用の鉄板へ敷き詰めてゆく。ごろごろとニンニクや鶏肉を乗せ、香草、下味を整えたらほぼ完成だ。
お昼にしては多めだけれど、魔導竜が一緒ならきっと平気だろう。
「あとはオーブンで焼くんだよ。向こうのパンと一緒に食べてね」
「ええ、任せてちょうだい。作り方もしっかり覚えたわ」
ふむふむ、もしかしたらレシピ本を手渡すだけで、もうマリーは作れてしまうかもしれない。そうなると彼女の作りたい料理のためにお買い物をする日も近いか。
「うん、そのときが楽しみだ」
「き、期待しないでちょうだいね。私も手料理くらいは出来るけれど、まだこちらの食材には慣れていないから」
いやいや、それも含めて楽しみだよ。味というのは人によって変わるところがあり、そのような味わいこそが彼女の個性だと思えるからね。
さて、その日を楽しみにしながら連休前の最後の一日を働いてきましょうか。
2人から玄関まで見送ってもらい、いってらっしゃーいと明るく声をかけられる。思えば朝の挨拶をしてもらえることも僕の活力になっている気がするな。
きょとりと小首を傾げるエルフに「なんでも無いよ」と返事をし、それから会社へ出発した。
さて、それから2人はたっぷりとご近所を堪能したらしい。
小道に現れた子猫と戯れ、その可愛さにウリドラはあっという間にデレデレにされる所から一日は始まった。
いつぞやに渡したお小遣いでコンビニのソフトクリームを買い、そして互いに身悶える。小さな公園には明るい笑い声が響き、そのときにナンパらしき者も現れたようだ。とはいえ、竜とエルフは空気のように無視をしているうち退散したらしい。
まあ、2人とも優しくて綺麗な女性だけれど、何気に人を見る目があるからね。
それから図書館へと向かい、薫子さんに友人として紹介をしたそうだ。
以前にもウリドラは彼女の旦那さんへ挨拶をしたことがあり、そのことは夫婦でも話題にしたらしい。ウリドラは派手な容姿であるものの、黒髪と黒い瞳をしているので「日本人とのクォーター」として伝えられた。
「うわ、こんなに大成功な混血だなんて……! あっ、写真! 良ければ一緒に写真を撮りませんか!」
などという会話がされ、SNSを通じて僕の職場まで届けられるだなんて。
うわ、あの真面目な薫子さんがピースしてる。よほどテンションを上げていたんだね。他の職員まで混じえた写真まで送られてくると、流石にもう吹き出さずにはいられない。
まったく、昼食時まで僕の頬を緩めようとするとは。
などと、にまにまとスマホを見つめながらガブリとパンへ食い付いた。こりゃあ午後は長く感じるだろうなと思いながら。




