第47話 エルフさんとシフォンケーキ
小袋を振ると、ざくざく音がする。
これは先ほど購入をした入浴剤で、お試しサイズをそれぞれ1袋ずつ選んでいる。
ウリドラは秋田の乳頭温泉を、マリーは可愛らしいキャラクターが描かれたものを、そして僕はぐっすりと安眠できるアロマ的なものを選んだ。
じろりと黒髪の女性は恨みがましくこちらを見つめてくる。
「……裏切り者め。温泉の素を選ぼうという趣旨じゃったろうに」
「仕方ないでしょう。ほら、見てちょうだい。二人してバンザイをしているの。これはもう選ばないわけにはいかないわ」
ずい、とバスルームでそれぞれの入浴剤を押し当てている光景は、なんだかちょっと変だ。
まだ明るい時間だけど、今はお風呂にお湯を張っている最中である。勝手に湯が溜まってゆくのは珍しいらしく、ウリドラはたびたび浴槽へと手を突っ込んでいた。
「まあまあ、一番風呂はウリドラなんだし、今日はゆっくり温泉気分を味わおうよ」
「そういうおぬしこそ何じゃあ、安眠用とはのう。いつでもぐっすり眠っておるじゃろが」
「ほら、いつもより気持ちよく眠れるかも……まあ確かに、いつでも僕は気持ちよく寝ているね」
二人からじいーっと見られているうちに、ついつい自白してしまったよ。寝つきが良いのは別に悪いことじゃないのに。
「日をあけてマリーのを、そして最後は僕の入浴剤だね。終わったらどれが一番良かったか決めようか」
「ふ、ふ、勝負から逃げた奴らになど負ける気がせぬのう」
「あら、私こそ負ける気がしないわ。こちらのは緑色で樹木の香りがするのよ。絵の可愛さでも一番に決まっているの」
あれ、二人とも勝負事に弱いのかな。
またもぐりぐりと小袋を押しつけ合い、ちょっとしたバトルをしているような光景だ。
うん、2人とも僕のことはまるで眼中に無いんだね。できれば混ぜて欲しいなあ。などと小袋を持ってウズウズする僕だった。
こうしてよく分からない趣旨のまま、入浴剤バトルは幕を開けたのだ。
などと言いつつも、実に平和な休日の過ごし方というのは変わらない。
先ほどからマリーは身体の洗い方などをウリドラに教えている。その間に僕はというと、やる事も無いのでおやつを用意している最中だ。
やがてガラリと戸を引いて少女が戻ってくる。
「やっぱり着替えはいらないそうよ。魔導竜は便利ねぇ、洋服を簡単に作れるだなんて」
ベッド脇には横開きのドアがあり、入ると脱衣所兼洗面所、向かって右がバスルーム、そして左はトイレになっている。一人のときは気にしなかったけど、誰かがお風呂のときは入らないよう気をつけないといけない。
「へえ、マリーも着たい服があれば試着させてもらうと良いかもね」
かしゃかしゃとボウルで卵白を泡立てながら言うと、あら、と少女の瞳は輝いた。
とっくに知ってたけれどマリーは洋服が好きらしい。ただ僕の収入には限りがあるので、それとなく気を使ってくれているのだ。
ずりずりと椅子を運び、少女はすぐ隣へと腰掛ける。背もたれへ頬杖をつき、そして薄紫色の瞳で見上げてきた。
「後でウリドラに頼んでみましょうっと。ねえ、図書館に洋服の本なんてあるかしら?」
「んー、どうだろう。あっても型紙の本とかになるんじゃないかな」
あ、ファッション誌くらいなら同じマンションに住む一条さんも持っているかな。スマホで聞いてみたいが、今日はウリドラもいるのだし説明がややこしそうだ。
十分に卵白はふんわりと泡立ち、つんとした角が出来上がる。その様子をエルフは膝立ちになり覗き込んできた。
「これもオーブン料理で、電気代はともかく安上がりだよ」
「ふうん、やっぱりオーブンって便利ねぇ。ほら、あっちにも石窯はあるけれど手間も時間もかかるし、大抵はパン作りをしているじゃない」
うーん、その辺りの事情までは僕も詳しく無いんだ。あまり人里には近寄らなかったし、そもそも食事はお弁当で済んでいたからさ。
「まあ、こちらの世界では一家に一台……とまでは行かないか……かなり普及をしているほうだよ」
などと日本の家庭事情を伝えつつ、卵白へ先ほど混ぜていた卵黄を合わせる。ついでに砕いた紅茶の葉を加え、ゆっくりと丁寧に混ぜ込んだ。
ちょうど鮮度の高い卵があったので作っているけれど、シフォンは安上がりなおやつだと思う。卵と薄力粉があれば始められるし、混ぜるだけでほとんど出来上がるからね。
これを型に流し込み、とんとんと空気を抜いてから余熱を入れたオーブンへと放り込む。
「すごく簡単そうに見えるけれど……そう見えただけよね?」
「ううん、実際に簡単だよ。まあ後で食べてみて味を確かめると良いよ」
またぁ、と疑うような目で見られてしまった。
そのままなんとなく二人でオーブンを覗き込む。というよりも、興味津々の表情をしたマリーにつられている。
オーブンは熱を与え、ぼんやりと見ている僕らの前でシフォンは膨らみだす。
むく、むく、と膨らんでゆく様子にマリーはこちらを振り返るので、なんとなく人差し指を口元に当てて見せる。するとマリーは「わかったわ」と言うように、こくこくと頷いてきた。
静かに、声を立てないように、覗いているうちシフォンはゆっくりと膨らんでゆく。
ふわんとした甘い香りが漂い始めると、もう少しだけ少女は高揚したようだ。オーブン熱はあるものの顔を近づけ、膨らむ様子と香りを楽しむ。
すると手を振って僕を招いてくる。耳元に手を当て、こしょりと少女から囁かれた。
(ねえ、どこまで膨らむのかしら?)
(あの器からあふれるくらいまでだよ)
交代して耳元へささやくと、くすぐったそうにマリーは身をよじらせる。あふれ出る笑いをこらえきれず、ぶふっとひとつ吹き出した。
もりもりとシフォンは膨らみ、風船のように型から溢れたころに電子音が鳴り響く。これは完成の合図だと少女はすでに知っている。
きらりとした薄紫色の瞳をこちらへ向け、ちょいちょいとオーブンを指差してきた。
(ほら、はやく開けましょう)
にまりと僕も笑い、近くにあったミトンをマリーの手にかぶせてあげる。そうしてオーブンの扉を開くと、こもっていた甘い匂いがあふれ出した。
ふわふわの優しい香りを直に受け、少女の唇は少しだけ半開きにされてしまう。茶葉を加えているので匂いはより豊かだろう。
「さあ、周りは熱いから触らないように。型を持ってゆっくりと取り出すんだよ」
「う、うん、いけないわ、まだお腹いっぱいなのに、よだれが垂れてしまいそう」
見れば口端には少しだけ光るものが見える。まあ、そんな表情も可愛らしいし、僕としては垂れてくれても構わない。
そろそろと両手を入れ、そうっと少女はシフォンを掴む。ゆっくりと大事そうに取り出され、隣のまな板へと運びだす。ずりりと乗せるころ、とうとう耐えかねたのかこちらを見上げてきた。
やはりというべきか、涎はもう本格的に零れそうになっている。
「じっとしてて」
「あっ……!」
指でつるりと唇をぬぐうと、びんっと長耳が揺れた。
ぱくぱくと桜色の口を開かせ、みるみる赤く染まりゆく顔を見て、ようやく僕はやり過ぎたことに気がついた。瞳をまん丸にしている少女に、つられるよう頬が熱くなってしまう。
「うっ、あっ……!」
「ご、ごめん、つい……」
少女はうつむき、もう湯気が出そうなほど頬を赤くさせていた。ちらりと見上げ、瞳が合うたびに長耳は揺れる。
そのときに、脱衣所からガタンという音が響いた。びくん!と二人して硬直したが、どうやらウリドラがお風呂からあがったらしい。
「あっ、ちょっと見てくるわね!」
「う、うん、お願い」
ぱたたと少女は駆け出し、そして戸を開けようとしたのだがミトンの存在をすっかり忘れていたようだ。
つるつると指を滑らせ、そしてこちらへ真っ赤な顔を見せてから、ようやく脱衣所は開かれる。ただし、内側にいるウリドラによってだ。
見送った僕はというと、どすんとキッチンに腰を当て、そのまま崩れ落ちそうなほど動揺していた。
すぐ横を見ればシフォンはホカホカと温かそうな湯気を出しており、ひょっとしたら僕も同じくらいの体温かもしれないと思わせる。
はあ、びっくりした。
子供だと思って接していると、マリーはときどき女の子の顔を見せるときがある。
それが不意打ちとなり、僕は思い切り動揺してしまうのだ。
ぺたりと顔に触れてみると、やはり頬は熱かった。
二人が戻ってくるのは遅れてくれると助かるんだけど。などと僕は考える。




