第39話 秩父めぐり旅情編⑥
楽しい時間というのはあっという間だな……。
赤焼けの空を見上げ、ふとそう思う。
山間のせいでカーブは多く、ゆっくりと車を走らせながら感慨にひたる。
僕にとって日本というのは退屈な所だと思っていた。なのに今ではしっかりと堪能しており、次はどこに行こうかとさえ思っているのは不思議だ。
いや、たぶんそれはこの可愛らしい子の反応を見たい、というのが大半かもしれない。ちらりと横を見れば、くうくうと眠りについたマリアーベルがいた。
まいったな、寝息を立てる唇を見るだけで頬が熱くなるなんて。あのとき「気恥ずかしい思いをしなさい」と言われたけれど、しっかりと僕に伝わってしまったようだ。
「ああ、ウリドラ。悪いけれどそっちにある膝掛けを取ってくれないかな」
「ふむ? おお、これの事かのう……」
ありがとうと礼を言って受け取り、赤信号のあいだに少女へとかける。春とはいえまだ夜は冷えるのだし、ドライブというのは空気が乾燥しやすいものだ。
エルフというのを僕は詳しく知らないけれど、風邪をひいたりしないかと心配をしてしまうよ。
「ふむん、甲斐甲斐しいのう。わしの知っている人間というのは、みな女が男の面倒を見るものであった。しかしぬしはどうも特殊である」
「ええ、そんなに変なことかな。今の時代、ごく普通のことだと思うよ」
そう言いつつも、まだ日本は女性を優しくすることに慣れていないと感じている。たぶんそのあたりは紳士の国たる西洋こそが本場なのだろう。
などと考えていると、すぐ近くへウリドラの寄る気配が伝わってくる。少しだけ座椅子が揺れ、彼女からの視線が突き刺さる。たぶんジトっとした目を向けられているのだろう。
「それにしては視界にマリーしか入っておらぬのではないか? うん?」
「そ、そんなことは……無いと思うけど?」
少々うわずった声が出たのは妙に迫力のある声と、そして彼女から肩を握られたせいだ。僕の言葉を吟味するよう竜は首をかしげ、それから少しだけ怒気を含んだ声をだす。
「たわけ、ソワソワと待っていたわしが寂しい思いをしていることにさえ気づいておらぬだろう」
「え、待っていた? どういう意味かな?」
ほれ見ろとバックミラー越しに睨まれてしまった。
艶のある美しい女性から睨まれるというのは妙な迫力があるものだ。紅のついた唇をむっすりと歪め、いかにも不機嫌そうな顔へと変わる。
「普通ならば、わしを迷宮とやらに誘うじゃろう。てっきりそれが目的かと思っておったら、ぬしらは遊ぶことしか考えておらぬではないか」
「……え? ああ、地下迷宮のこと? だってウリドラも誘われたら困るよね?」
すっかりと忘れていたどころか誘うことなど考えてもいなかった。
だってほら、ねえ、竜をパーティーに誘うだなんて聞いたことも無いよ。それ以前に地下迷宮という存在を彼女も知っていたことに驚かされる。
「のけもの、か……。おかしいのう、目から鼻水が出るとは」
「ええっ!? だ、だって……ひょっとして一緒に行きたいの?」
びっくりした、ほんとに泣いてるんだけど!
ぐすっという音に慌て、すぐ近くの自動販売機がある場所へと車を停めた。
小銭を入れると自動販売機のボタンは一斉に赤くなる。
夜色の長い髪、そしてワンピースを着ているせいで彼女の白い肌はとても目立つ。
車のエンジンを止めると、一斉に世界は静まった。ぽつんと自動販売機の灯りだけがあり、まるで外から切り離された空間かのようだ。
ざざあっと竹林が揺れるなか、どれにしようかなとウリドラの指はゆらゆらと動く。やがて目星をつけたらしく、ビーというボタンを押す電子音が響いた。
「ほう、出てきおったぞ! くっくっ、わしが飲み込んでやろうー」
嬉々として缶を取り出す様子から、先ほど泣いていたのは大したものでは無いと分かって安心した。嘘泣きなどではなく本気だったろうが、どうも人と接することの少ないせいで魔導竜の感情は豊かすぎるようだ。
かがみ込むとお尻が強調され、つい僕は横へと顔を逸らす。
「急に泣くからびっくりしたよ。もう落ち着いたかな?」
「たわけ、竜が泣くわけなかろう。あれは鼻水と言うたはずだ」
目から鼻水は出ないんだよ、魔導竜さん……。
かつかつとヒールを鳴らし、そしてウリドラは車に寄りかかる。背丈はそう変わらないが、すらりとした脚をしているせいでモデルじみた雰囲気がある。
ただ、むすんとした顔でメロンクリームソーダの蓋を開けるのはどこか変だ。
「んぐんぐっ………うーーっ、んまいのうっ♡」
「それで、地下迷宮についてだけど、同行したら子育ての邪魔になったりはしないの?」
「ああ、それは問題ない。わしは竜核と呼ばれる集合体のひとつでのう。根幹は繋がっておるのでストレス解消もできておる。あとは共有をしに戻りさえすれば、子育てのあいだは好きに動けるのだ」
どうにも竜という存在を理解しかねるが、参加することに大きな問題は無さそうだ。
もしあるとすれば……。
「一応危険な場所なんだよ。もしも母親のウリドラを怪我させたら……」
「あーあー、もう分かったのじゃあ。一緒に遊びたいから連れてゆけい! わしにとって盾役なんぞ朝飯前じゃから、お弁当次第で考えてやらんことも無いから連れてゆけえ!」
お、お弁当が目的だったのか……!
それにしても「考えてやらないことも無い」と言いつつも「連れてけ」と言ってくるあたりが、もう一緒に行く気満々じゃないか。
あれ、それにしてもどうして盾役を求めていると知っていたのかな……。
それについては後日、マリーから教えられることになる。
どうやら竜は「竜の血」を通じて僕らの会話を聞いていたらしい。そう考えると僕とマリーの関係について詳しかったのも納得できる。
ただ、気恥ずかしいところはあるかな……。
「ええと、良かったら一緒に行かないかな? あそこには古代の神秘が詰まっていて、きっと楽しめると思うんだ。もちろんお弁当は用意するし、一緒に美味しく食べようよ」
「まったく、最初からそう言えば良いのだ……。さすれば散々しぶり、美味いものをたらふく食べ、最後の最後に『仕方ないのう』と言うてやったというのに」
つーんと顔を反らされたが、そんなことを企んでいたのかー……。
知らぬうち、ちょっとした放置プレイを僕らはしたらしく竜は機嫌を損ねてしまったようだ。
とはいえこれで課題だった盾役は埋まり、少女の身の安全は守られる。それもこれ以上なく安心できる人が相手だ。
さらにはこの世界と夢の世界を行き来できる能力についても、しっかりと秘密を守ってくれるだろう。
「竜を迎えるなんて光栄だよ。まだまだ未熟ですが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」
「うむ、精進するのだぞ人間よ。ぬしのパーティーとやらに加わってやろう」
ニッと竜は男前な笑みを浮かべ、そして握手を交わす。
しっとりとした手ではあるが、どこか竜らしく力強いものを感じさせる。
どこか不思議なのは、魔導竜という伝説を仲間にするにしては、温泉帰りの日暮れどき、さらには隣でエルフがくうくうと幸せそうに眠っている状況ということか。
「……あ、しまった。マリーには事前に相談する約束だった。ごめんねウリドラ、もしもマリーが反対したらこの話は流れるから」
「んがっ!?」
運転席に乗り込みながらそう告げると、ウリドラの瞳はまん丸に見開かれた。
まあね、気持ちはよく分かるけど、僕にとって彼女との約束は大事なものだから仕方ないよね。
「たっ、たっ、たわけーーーー!!」
ウリドラの騒々しい声が辺りに響き、むにゃりと少女は眠たげに瞳を開く。
僕らの車はゆっくりと進み、やがては我が家へとたどり着くだろう。
こうして僕らの初めての小旅行は終わった。




