第245.4話 江戸には高嶺の花が咲く③
カズ君とマリーの仲はとても良い。
あたしは恋愛にうといところがあるけどさ、それくらいなら分かるかな。
お互いの波長が近いのか、いつでもどこでも一緒にいる。それでどうして喧嘩しないんだろうと少しだけ不思議に思う。
だけど当人たちにとっては当たり前のことだから、尋ねてもきっと「さあ?」と言い、喧嘩しない秘訣を教えてくれることはないだろう。
そんな二人を遠くから眺めていて、もうひとつ不思議に思うことがある。それはお姫様、そして薬売りの格好をしていることだ。
ただの衣装とはいえ、身分の差がはなはだしく思う。だけどやはり二人は気にもせず、あれやこれやと会話を膨らませているようだ。
昨夜は雨が降ったのだろう。川の流れは早く、そこを屋根つきの船がどんぶらこと櫂を漕いで進む。
河川に面した休憩所で二人は腰掛けて、のんびりと過ごしている様子だ。
恋人同士特有の甘ったるい気配をあまり感じないところも不思議かな。
手をつないでいるわけじゃないし、こうして遠くから見ると、仲の良い学生同士という風にしか見えない。
「ふむ」
そう漏らして、私に近づいてきたのはウリドラだった。
手にした皿には数種類の団子があり、黒、茶、緑、そしてピンクと驚くほど色彩豊かだ。えーと、醤油と言ったかな……ごくっと喉が鳴りそうなすごくいい匂いを漂わせているものもあった。
「ほれ、好きなものを取るがよい」
「くれるの!? うわー、ありがと! こっちに来てからずっと美味しいものを食べてばかりだなぁ。最高が過ぎる!」
やー、この国の食事はマジで美味しいからさ、ついつい子供みたいな笑みを浮かべちゃうな。
つられたようにウリドラは笑い、脇差を外すと私の隣に腰掛ける。その女剣士らしい自然な所作が少しだけ格好良かったからさ、刀も覚えてみたいなーと私は思った。
とはいえ花より団子というべきか、はぐっと噛んだ瞬間に私は刀のことなどすっかり忘れてしまった。
真ん丸のお団子には焼き色がついており、そこにたっぷりの醤油だれが染みているんだなぁ、これが。
ツンとした独特の匂いそうなんだけど、妙に食欲をそそるし、もっちもちの噛み応えが私にとってはちょっと新鮮。
うわー、これがお団子かぁと唸る間もなく、じゅわっとお醤油の優しい味わいがさぁ、舌に広がるんだぁ! んーっ、やばいねこれ! 超お子様向けって感じ!
もちろんあたしは立派な大人だけどさ、思わず「ふふっ」と笑っちゃう。なんだろう。うまく言えないけど、クセになる美味しさというのかな。風味がすごく強いんだ。
串に残ったお餅がもったいなくて、かじかじと噛んでいたときに、ふと気づく。離れたところにいる二人を、ウリドラがじっと眺めていることに。
お団子の量を考えると、たぶんマリーたちにも分ける気だったんじゃないかな。だけどウリドラなりに空気を察したのか、彼女らに近づく様子はなかった。
「あの二人ってさ、可愛いよねー。なんだか子供みたいな雰囲気があるし」
もくもくとお団子を食みながらそう口にしたのだが、なぜかウリドラは意味ありげに「ふむ」と漏らす。
「そうじゃな。確かにあの二人はお子様のようなものじゃろう。互いにそばにいるのが普通であり、かたときも離れようとしない。じゃが、もう一人はまったく違う心境だとわしは思うがのう」
「ん? もう一人って……あっ!!」
脳裏に浮かんだのは、多目的トイレでぺこぺこと頭を下げてきた女性だ。
蜂蜜色の髪と、青空のような色をした瞳の持ち主は、なんとカズ君に憑りついているという変わった状況らしい。
「なんだ。ウリドラもシャーリーのこと知ってたんだ」
「まあのう。わしらが日本旅行の話をするときに、あやつはそわそわとせわしなかった。当然、こうなることは予想もつく」
ふむふむ。となると、この場でシャーリーがいることに気づいていないのはマリーだけなのか。
指先で串をいじりつつ、私はそんなことを思った。
びょう、と強い風が吹く。
それと同時にウリドラは「あっ」と驚きの声を漏らしていた。
秋の風というのは、無色透明だと感じる者もいるらしい。草木が色彩を失い、虫や動物たちはどんどん静かになってゆく。だから一抹のわびしさを感じ取ってしまうのかもしれない。
しかし、その風がきっかけとなったのだろうか。マリアーベルの頬はみるみるうちに赤く染まる。うつむき、ちらりと上目遣いで彼を見つめる様子は、どこか先ほどと大きく変わったように思う。
北瀬が「どうしたの?」と問うと、少女は「分からない」と答えて、首を横に振っていた。
「やりおった」
「え? なにが?」
ぼそりとつぶやかれた言葉の意味が分からず、あたしはウリドラを見つめる。しかし彼女はまったく意に介さず、たっぷりの餡がついた団子に手を伸ばす。
あんぐとそれを口に入れて、ゆっくりと咀嚼しながらまた二人を見つめていた。
「意図的か、そうではないのか。恐らく後者じゃろう。ちょっとした憧れを抱いたに過ぎぬだろうが、己が神と同格になろうとしておることを忘れてはならぬぞ。願えばそれは叶ってしまう可能性がある」
えー、どうしよう。ウリドラの言っていることがひとつも理解できない。
彼女の視線を追ってみると、しどろもどろになり、うつむいてしまうマリーが見えた。
具合が悪いのかと心配するように北瀬が顔を近づけると、少女の肩はびくんっと跳ねる。
ちかっ、近いっ! 近いですっ! とマリアーベルは内心で悲鳴を上げている風であり、その頬は赤く染まった。
許容量がオーバーしたのかもしれない。
急にぼうっとした目つきとなり、彼のことを真っすぐ見つめて、そしてゆっくりと腰を浮かす。
休憩場に備えられている朱色の傘に隠れてしまい、まともに見ることはできなかったが、二人がいまどのようなことをしているのかは丸わかりだった。
ひええええ、と私は内心で悲鳴を上げる。
お子様だなんてとんでもない。あたしよりもずっとずっと大人だし、ご結婚おめでとうございますという意味の分からないことまで考えていた。
「えー、やば。びっくりした!」
団子のことさえ忘れてしまうほど衝撃的だったのだが、隣からはくつくつと愉快そうな笑い声が響く。
てっきり「甘い空気を出しおって! みたらし団子よりも甘いわ!」と激怒するとばかり思っていたのに、ウリドラはなぜか愉快げだ。
「ふ、ふ、わしもだぞ。びっくりした」
気さくなその言いかたがおかしくってさ、あたしは思わず吹き出しちゃった。
二人の邪魔をしちゃいけないから大笑いできないし、こらえたぶん、なかなか笑いが収まらない。ぴくぴくお腹が震えてしまうという、すごく変な笑いかたになっちゃった。
「あー、苦しくて死ぬかと思った。ほら、あの二人を見てよ。お姫様と薬売りっていう身分の差があるせいでさ、なおさらおかしかったんだ」
「さて、あそこにある問題が身分の差だけなのか、わしは知らぬがな」
そう意味ありげに言われたが、なんのこっちゃ。
気がつけばマリーは、浮かしていた腰をまた椅子に下ろす。どちらかというと腰が抜けてしまったかのように、どすっと落ちてしまったという表現が近い。
お酒で酩酊したように身体から力が失われてしまい、それを心配したのだろう。近づいたカズ君にまたも少女はびっくりする。
元がかなりの色白だから、頬はもう林檎のようだと思えるほど真っ赤に感じられた。
あれぇ? マリーってあんなに純真だった?
あたしのイメージとしてはさ、大人しそうに見えて、実は自分からアクションを起こすタイプなんだよね。
見た目通りの子じゃないと思っていたのに「いや、あの、その」としどろもどろな様子は、どうもあたしの考えていた人物像と大きく異なる。
「んーー……?」
なんだろう、この違和感。
胸の奥がもやもやして仕方ないし、すぐそこに答えがあるような気がするんだ。
ヒントはもう揃っていて、あとはあたしが答えを見つけるだけのような……。
「あっ」
うわーっ、気づいちゃった!
あれってさ、もしかしてシャーリーの仕業なんじゃない? カズ君からマリーに移って、そのぉ、キスぅ? しちゃったとか?
えー、ちょっとこれ、大丈夫なの? まずいんじゃないの?
などとあたしが慌てふためいたときに、ウリドラが横目でじっと見つめてきた。
「気づきおったか。じゃが、それは己の胸にしまっておいたほうがよいぞ」
「うっそ、マジなの? かなりマズいと思うんだけど、あれって大丈夫?」
「大丈夫かどうかと問われれば、大丈夫じゃと答える他あるまい」
んー? どういう意味だろう。あたしから見たらマズさが百点満点の限界突破しちゃってるんだけど。
そう疑問に思っていると、ウリドラの唇に綺麗な笑みが浮かぶ。
「真実を知っておるのはわしとおぬしだけじゃ。黙っておれば、それで済む。それに、見たところ乗っ取られているというよりは、シャーリーの純真さにマリーが当てられておるだけのようじゃからな」
う、うん、無事に済むのかなぁ。
やー、しかしこれはマズイね。おしどり夫婦に大波乱が起こりそうで、あたしとしては非常に……なんだか知らないけどワクワクしちゃう!
「楽しそうじゃな、イブ」
「えー、そう? ウリドラだって、まんざらでもなさそうじゃん」
「あほう。わしにゴシップ趣味などはない。じゃが、この手の刺激を楽しみながら食う団子は実に美味い」
ぶはっとあたしはたまらず吹き出す。そして甘味たっぷりなお団子に手を伸ばすことにした。
山間に建てられたこのアトラクションには、都会で見かけることのない野鳥が訪れる。
翌年の春を見据えて、なわばりと番の目星をつけるために鳥たちはさえずり、そして羽ばたくらしい。
こてんと彼の肩に頭を預けるマリーも、似たような心境だったのだろうか。
冷やかす気にもならないほど幸せな空気が辺りに漂っており、ついついイブの口元は緩んでしまう。
そしてウリドラのお勧め通り、あんぐと喰むお団子は甘く、頬っぺが落ちそうになるほど美味だったという。
§
空調が効いている車内には、たくさんの眠気で溢れている。
この時期はきっと紅葉狩りを楽しむ者が多いのだろう。
都心に戻ろうとする客たちの多くは行楽帰りだと分かる服装であり、すやすやと眠りにつく者が多かった。
幻想世界の者たちから見れば新幹線というのは信じがたいほどの速度だが、大して振動を感じないおかげか怖くはないらしい。
エルフ族の少女も窓からの木漏れ日を浴びながら、周囲と同じように寝息を漏らしていた。
窓から入り込む木漏れ日は暖かい。
ぐっすり眠れば気持ち良いことだろう。
しかし窓際に座るイブはというと、お土産の品を見つめており、その瞳は爛々と輝いている。寝つくことはむずかしそうだった。
わあいわあい、手裏剣を買ってもらっちゃった!
くふーっ、ずしっとした重さがたまらないぞ~。
最初はさ、我慢しようとしたんだ。もう立派な大人だしね。
けどさ、お土産屋さんで子供たちがやいのやいの大騒ぎしていてさ、それでめちゃくちゃ欲しくなっちゃったの!
ごめんね、ごめんねカズ君!
お店の前から一歩も動けなくなって本当にごめん!
泣きそうになっちゃったけど、本当に泣いたわけではないから大人としての尊厳はぎりぎり守れたんじゃないかな。
その彼は反対側の席に腰掛けており、のんびりとスマホを眺めている。
眠そうな顔つきだけど、こういう移動中は絶対に眠らないようにしているんだって。
視線に気づいたらしく、あたしに「ん?」と言ってくる。肩にマリーの頭がのっており、微動だにできないだろうけど、まったく苦もなさそうな自然体だった。
「あ、これ、買ってくれてありがとうね。向こうの世界に運べないし、無駄遣いかもしれないけど嬉しかった!」
そう言うと彼は納得したように「ああ」と言う。
「いやいや、欲しいものをお土産にするのが一番だよ。まあ、ウリドラが欲しがった刀はさすがに無理だけどね。僕にも予算的な都合があるし……」
「ふん、けちくさい雄じゃのう。まあ、わしの手にかかれば、恐ろしいまでの切れ味を持つ妖刀を生み出すことも可能じゃがな」
ほら、やっぱり買わなくて正解じゃん。
そうカズ君とあたしは声に出すことなく表情で抗議した。あえて口から出さないのは、機嫌を損ねたウリドラに手裏剣を取り上げられそうな気がしたからだ。
そんな心配をよそに、ウリドラは「ふむ」と漏らす。
「ときに北瀬よ。この旅をシャーリーは楽しんでおるか?」
「え? あ、やっぱりウリドラは気づいていたのか。もちろん彼女も楽しんでくれて……」
いる、と言い終える前に、なぜか彼は怪訝そうな表情となる。
そして己の胸を触り、眉間に皺を寄せているのは軽い違和感というか、シャーリーの気配を感じられなかったのかもしれない。
彼はその原因に気づけないようだったが、私とウリドラは勘づいた。
ちらっと開かれたマリーの瞳が、あたしたちの目の錯覚かもしれないけれど青空色に見えたのだ。
「う、うむ、ならば問題ない。おぬしは気にせずとも構わぬのだぞ」
さすがのウリドラも歯切れが悪い。
もちろんあたしだって複雑な気分だ。
すこー、すこー、とぎこちない寝息を漏らすマリー……いや、シャーリーは冷や汗まで垂らしているし、いくらひいき目に見ても確信犯なのだから。
じーっと注がれるあたしたちの視線が気になるらしく、困り果てたような汗が彼女の頬を伝い落ちてゆく。
しかし、あいも変わらず彼にぴとりと寄り添ったままだし、絡み合った指を離す気もないらしい。
季節は冬に向かいつつあるけれど、ふわふわと漂う幸せそうな空気はどこか春を感じさせるものだった。
そしてあたしとウリドラはというと、互いに「忘れよう」と己に言い聞かせていた。
ひどいことをしたわけではなく、あくまであたしたちは気づいていなかっただけなのだ。うんうん。間違いない。
ぷあーっと響く汽笛を耳にしつつ、あたしは窓の外へと視線を移す。
見事なまで色づいた紅葉は、やはりとても美しかった。
日光江戸村編はこれで終了です。
次回から本編に戻らせていただきますね!




