第245.1話 この秋はエルフ族と日光へ⑧
紺色のベストを着こんだ店員さんが、笑顔をひとつ見せてくる。この世界ではだれでも化粧をするものらしく、口元の変化がとても分かりやすい。
そして金色に輝く蛇口らしきものが捻られると、シュッという音と共にラガーが注がれてゆく。それはとても綺麗な黄金色だった。
ふぅーん、いいじゃん。
そうあたしが思うのは、店員の佇まいだけでなく、きめ細かな泡を立たせる様子までお客さんに楽しませていることだ。
ビールサーバーの注ぎ口は綺麗な金色で、なかなかの豪華さを覚える。この設備はぜひとも屋敷に欲しいなと考えていたところ、すぐ隣にいたウリドラも考え込んでいる様子に気づく。
「む、わしと同じことを考えておったようじゃな」
あたしよりも高い目線から話しかけてくるウリドラは、朱色がかったタートルネックと茶色いスカートという秋らしい服装で、いつもよりちょっとだけ大人っぽいと感じる。
だけど刻まれた皺が胸の質量をこれでもかと強調するものだから、同性の目から見ても「大人っぽい」の範疇には収まらない。どちらかというと「怪獣」だ。
「あの設備さあ、ウリドラの力でどうにか再現できないわけ?」
「うむ、できると言えばできる」
「? どういう意味?」
「まったく同じものは用意できるが、問題は中身じゃ。ほれ、見てみい。あのように複数の注ぎ口があるのはなぜじゃと思う」
ぴっと指差されたところをあたしは見る。彼女の言う通り、エールの注ぎ口が複数あるようだが……。あたしは眉をひそめて、クイと小首も傾げた。
「? どういう意味?」
「……少しは己で考えたらどうじゃ。マリー、おぬしはどう思う」
名指しされて「はいっ」と手を挙げたのは優等生のマリア―ベルだ。彼女も秋らしい色を取り込んだファッションであり、首にかけたネクタイがまたいい感じに優等生らしく見える。
「ずばり、飲みものが複数あるからよ。ああやって注ぎ口を分けているのは、飲みものが混ざらないようにしているからだと思うわ」
おおーっ、とあたしは感心しつつ拍手した。えっへんとマリーは満足そうに胸を反らす。
「じゃからエールやクラフトビール、ラガーなどといった中身をそれぞれ用意せねばならぬ。いくら見た目が良くとも、それをうまく使わないのであれば、ただのたわけ者じゃ」
あー、なるほどね。だったら最初っからそう言ってくれたら良かったのに。などと考えていたとき、ふと彼の姿に気づく。
「ん? だったらカズ君が運べばいいんじゃないの? 確か飲食物だけは運べるって言ってたよね」
「それはちょと嫌かな。お金がかかる」
いつも優しい彼だが、このときばかりはきっぱりとした口調で断られた。
向こうの人たちは底抜けに酒を飲むのだし、よほどの富豪でなければ成り立たないということだろう。
うむむ、とあたしは唸った。
「なら酒蔵先を用意できないの? ウリドラはお金があるし、遠く離れた場所にも行ける。だったら、こっちの世界にあるお酒の元になるようなものを運べたら?」
ぬっ、あっ、と女性二人の声が上がる。
あたしに難しいことは分からないけれどさ、なんとなくの案を投げるだけで二人がちゃんと考えてくれる。それなりに付き合いも長いので、扱いかたをだいぶ覚えた気がするかな。
こほん、と響く咳払いにあたしたちはハッとした。
「お客様、こちらご注文の品でございます」
もちろん日本語は分からないけれど、あたしは慌てて先ほど覚えたばかりの「アリガトウゴザイマス」という言葉をたどたどしく口にするのだった。あー、恥ずかしい。
特急車両が加速してゆく。
左右、そして正面に設けられた大きな窓には、なだらかに広がる田園地帯が望めるのだから、酒気混じりの「ふう」という息を吐く時間さえもどこか優雅に感じられた。
徒歩や馬などとは比較にならない速度であり、ここまでとなると飛竜くらいしか味わったことのない景色かもしれない。
そう考えていたとき、彼が席からすっくと立ち上がる。そして荷物からブランケットを取り出すと、窓辺で眠りこけるマリーにそれをかけていた。
なんでもない態度だったし、またすぐに彼も腰かけたけど、なぜか「いいなぁ」とあたしは思った。
それで興味を抱いたのだろう。普段とは違うことを彼に聞いてみたくなった。
「ねえ、カズ君っていつも女性に優しいの?」
「うーん、どうなんだろう。おせっかいと言ったほうがいい気がするよ。あるいは心配性なだけかもしれない」
えー、いいじゃん。あたしは心配されたり、世話を焼かれたりするほうが好きかな。あんまりちやほやされるのは嫌だけど、彼みたいなさりげない感じならいいと思う。
「で、どうなんでしょう。プロポーズは考えてます?」
ずいと顔を寄せてそう尋ねてみると、彼の頬がわずかに赤くなり、また眠りこけていたはずのマリーの耳がピクッと動く。
ウリドラが生み出した長耳を隠すアイテムは本当に凄くてさ、自然な髪のようなのに、ちらりとも見えないんだ。不思議だよね。
「……イブ、もしかして酔ってる?」
「えー、どうかなー。というかカズ君、ジュースしか頼んでないじゃん。美味しいよ。飲んでごらん」
そう言って絡むのはどうなのかなと思うけど、ちゃんとした旅って初めてだからあたしは浮かれていたんだ。
だって楽しいじゃん。肩に抱きつき、コップを口につけてあげるとか友達っぽいなって思うし。
――ごくっ。
しかし彼が喉を鳴らした途端、あたしの笑顔は引っ込んだ。
制止しようとした彼の手が、ぶわわっと揺れて、倍くらいに指が増えた。そのあまりのホラー的な光景によって、瞬間的に背筋がゾッとする。ひょっ、とあたしの口から勝手に悲鳴が漏れていた。
続けて彼のこめかみあたりに青い目がぼんやりと浮かんだ瞬間、もう無理だった。腰が抜けたし、大きく開いた口から絶叫が漏れて……しまう直前に、ぱしっと彼の手であたしの唇は覆われた。
「大丈夫、落ち着いて。静かに」
彼は冷や汗を垂らしつつそう言う様子だが、だれに対しての言葉だったのだろう。おかしな光景であった彼の手が、だんだん元に戻ってゆくのをあたしはただ凝視した。
ぺこぺこぺこと頭を下げてくるのは、シャーリーだった。
あれから場所を変えて、人目につかない多目的トイレに移ったのだが、しばらく口をぱくぱくすることしかあたしにはできない。
古風な室内着というのかな。シルクみたいな朱色混じりのガウンを彼女は着ているのだが、注目するのはそこじゃない。
「え、なんでふわふわ浮いて……、半透明だし……」
そう思わず声が震えてしまうあたしに、カズ君はこほんと咳払いした。
「内緒にして悪かったと思うけど、実はシャーリーもお忍びで同行していたんだ」
「ん? お忍び? なんで?」
この世界に来るのは犯罪ではないのだし、あたしみたいに堂々と来ればいいじゃん。そう疑問に思ったのだが、ぽりぽりとカズ君は頬を掻く。
「えっとね、ずっと内緒にしてたんだけど、実はシャーリーはお化けなんだ」
よろしくお願いします! とでも言いそうな感じでシャーリーは思い切り頭を下げてきた。
待って。なんかもういろいろとおかしい。情報の処理がまったく追いつかない。冷や汗まみれのあたしが「んんっ?」としか言えないのは、誰でも共感してくれると思う。
「あと、実は第二階層主だったんだ」
はえっ? という声が勝手に喉から漏れた。
よろしくお願いします! とでも言いそうな感じでシャーリーがまた思い切り頭を下げてきたけど、これはギャグかなにか?
待って待って、マジでぜんぜん理解できないっていうか、第二階層主っていえばあの死神のように恐ろしいシャーリーという魔物で……ああああああ゛~~っ! 完全に名前がおんなじじゃんかよぉぉっ! なんで気づかなかったあたしーっ!!
「な、なんかすんごいことを聞いた気がする。トイレで」
ぺたんと床に座り込んだあたしを、二人は心配そうな表情で見つめてきた。
「あといくつかイブに黙っていることがあるんだけど、内緒のままでいい?」
「うん、もういい。追いつかないというか、まだあんの?」
「えっとね、屋敷でちょっと悪戯というか……。ほら、君を大爆笑させたときに協力をちょっとね」
ぎゅっと両目をつむった。
あれだーっ! ザリーシュを屋敷でとっちめたやつ!
ホラーのような夜であり、とてもじゃないけど軽い感じで「ちょっとね」と言っていいものじゃない。
魔法ってすごいなーって思いながら眺めていたけどさ、まさか裏方として働いていたご本人が「やってやりましたよ」と言わんばかりにガッツポーズしてくるとは……。
やがて、多目的トイレのドアはがちゃりと開かれる。
汗まみれで足腰をがくがく震わせるあたしの姿は、ただごとではない事態が起きたと容易く想像させるだろう。そして背後から近づいた彼に「内緒だよ」と囁かれると、さらなる誤解が生まれかねない。
うん、さすがは日本旅行だ。
あたしの度肝を抜くようなことが次々と起こる。
そう考えつつドアを開くと、窓一面にこれまた息を呑むほど鮮やかな紅葉が広がっていた。
「はあ、やっぱ凄いわ」
そうつぶやいて、先ほどあった動揺のことなど忘れたように、しばし見とれてしまうあたしだった。




