第245.1話 この秋はエルフ族と日光へ⑦
ぽーん、という不思議な音のあとに、聞きなれない言語が頭上で響く。
それを聞き、なぜかあたしの胸は高鳴ってしまう。
言葉や文字はどれも意味の分からないものだらけだし、普通ならば緊張してしまうはずだ。
しかし、ずっと前に訪れたグリムランドでの興奮が蘇ったかのように、かたんと鳴り、スペーシアスなるものが走り始めたとき、そして窓の外に景色が流れ始めたとき、つい「ヤバ」と呻くほど、あたしの胸は高鳴った。
「んやぁ~~っ、広い! 明るい! 座り心地も最高! 普通の電車とは比べものにならない豪華さだわ」
異なる世界から来たという、ある意味で田舎者だからそう感じるのかもしれないと思っていた。
しかし、向かい合う席に座るマリーまでもがそう言い、備えつけのクッションを抱きしめながら両足をぱたぱたと揺らすほど興奮していた。
あれを見て、という少女の言葉につられて外に目をやる。
すると後方に向かって流れてゆく景色のなかに、まっすぐの真上に建つ塔が見えた。
綺麗な青空が広がっているものだから、きらりきらりと反射するそれをあたしはまぶしいとさえ思う。
「うわあ、やっぱり大きい。スカイツリーっていう塔だっけ?」
つい先ほど、バスなるものから降りたあたしは驚愕した。
すぐ近くで見ると、本当にビビる。言葉が出てこないほど圧倒的なまでのスケールがあり、嘘や誇張などではなく、雲まで届くのではと思ってしまったのだ。
なんていうか、信じられないほど発展している世界だけどさ、こうして見る景色は綺麗だなと思う。もしかしたら景観までちゃんと計算して建てているのかもしれないね。
ぴっと指さして、あたしよりもずっと頭が良いであろう二人に問いかける。
「すごい大きいけど、あれってなんのためにあるの?」
「電波塔ね。あなたも見たことのあるテレビの映像は、あそこから流されているのよ」
「うむ、わしが使っている映像化魔法も似たようなものじゃぞ。なにをかくそう、あれを元にしておる」
え、あのアニメが流れるやつでしょ? すごいじゃん。
そう思い、しみじみとあたしは感心しながらつぶやいた。
「すごいね、アニメのために建てるなんて。うん、でもすごく面白かったし、あれだけ大きくなるのも納得しちゃうかな」
「……違うわよ。確かにここはアニメ大国だけど、そのためだけにあそこまでのものは建てられないわ」
「つくづくアホ属性じゃのう、おぬしは」
呆れたようにやれやれと身振りされると、さすがのあたしも腹が立つ。
なにも知らないからって好き勝手に言い過ぎじゃんか。
だから、むっすと頬を膨らませてしまったのだが、マリーの隣に腰掛けている彼からこう言われた途端、ぱっと怒りが霧散した。
「今度、良かったら一緒に行く?」
「「「絶対に行くっ!!」」」
あたしたち三人がまったく同時にそう言うものだから、はたと目を合わせて、それからつい周囲の人たちが振り返るほど大きな声で笑ってしまった。
ことんと目の前に置かれたのは、なんだろう、紙でできたコップなのかな。珍しいね。
黒い液体が入っていて、ほんのりと良い香りが漂う。それに目を奪われていたとき、彼が笑いかけてきた。
「僕も行ったことがないんだ。こういう旅行だって実はほとんどしたことない。マリーもウリドラもそうで、だから僕らはちょっとずつこの国のことを覚えているところなんだよ」
そう言い、彼も窓の向こうに目をやった。
大きな川の向こうには、だんだん遠ざかってゆくスカイツリーがわずかに見える。
ちょうどいい時間なのか陽光によって雲が輝いており、なんだか綺麗だし、そういう暮らしが羨ましいなとあたしは思った。
ただし、目の前にお弁当が広げられてしまうと、綺麗な景色なんて後回しになっちゃう!
うわああーっ、と思わず歓声を上げてしまうのは、お魚、山菜、そしてお肉と、たくさんの種類が詰まっていたことだ。
信じられないことに、この小さなお弁当は間仕切りされており、まったく異なる料理が詰められていたらしい。すごいじゃん。
ついさっきあたしのことをバカにしたウリドラまで「待っておったぞ!」と言い、目を輝かせているのだからおかしなものだ。
とはいえ、彼女に文句を言うのもむずかしい。なぜならば、くんくんくんと、あたしは匂いをたくさん嗅いでいたからだ。
「くっ、はしたないと分かっていても嗅いじゃう!」
「分かるわ。美味しそうでいい匂いだし、私たちエルフ族は野山で暮らしていたでしょう。だから一説によると生存本能によるものらしいわ」
などと言うマリーもさりげなくお弁当を鼻に近づけており、くんくんと嗅いでいるところだった。
そんな生存本能なんて聞いたことないし、やっているエルフ族も見たことないけれど、なんとなく「確かに」と相槌を打っておく。お行儀が悪いわけではないという言いわけのために。
もしかして嘘だったのかな。
そう考えていたら、マリーが人差し指を唇に当てて、しーっと囁いてきた。ふふ、やっぱり嘘だったんだ。
とはいえ豪華だと言われているだけのことはある。
ちょっと小さいかな、生の魚とか信じられないな。
このオレンジ色のやつって、もしかして魚の卵? うげ、信じられない。絶対に無理。端っこにどけちゃおう。
そんな風に考えていたけれど、試しにぱくんと食したその瞬間、あたしは先ほどの意見をくるんと引っくり返すハメになった。
どうやらこの国のお弁当なるものは特殊らしい。
携帯食というのは世界のどこにでもあるけれど、言うまでもなく日持ちの良さと栄養こそが最も重要なポイントとされている。
しかし、このお弁当なるものが日本で大流行してしまった。
一説によると能や歌舞伎なるもので出された、旬の食材をふんだんに使ったお弁当……いわゆる幕の内弁当が火つけ役となってしまったらしい。
味や香りだけではもったいない。
旬を知り、目で楽しみ、舌で味わえるものこそ「粋」である、というように当時の人々は考えるようになる。
この「粋」こそが、ただのお弁当をまったく異なる存在に変えてしまったのだ。世界から浮いてしまうほど異質なものに。
もはやブランドと化した和牛は、甘辛いたれが絡み、あっさり噛み切れるほどやわらかい。
脂身のつるんとした舌ざわりは、野山で過ごしてきたダークエルフの娘にとってまさしく「ごちそう」と呼べる代物だったろう。
ああ、旨い。味つけが優しい。
ほどよくご飯と絡み、煮つけのタマネギがまたいいアクセントになっている。
彼女が慣れない箸をすぐに覚えたのは、この味わいを楽しむためだ。
旨い、美味しい、もっと食べたいなどという強い欲に背を押されてしまい、あっという間に習得した。
屋敷の生活のせいで和の味わいにすっかりハマってしまったし、愛する男性にまで「お願いお願い、あたしの大好物を作って」と言い、頭を下げたことさえある。
だから分かっているのだ。
冷えていようとお構いなしに和牛は旨いということに。
どこか品のある力強い味わいと、ぎゅっと詰まっている肉汁の旨味が、そして鼻を抜けてゆく醤油の香ばしさと相まって、彼女の眉間に小さな皺が浮く。
あたし、めっちゃお米が好きぃ、と呻くのはエルフ族としていかがなものだろうか。
とはいえ他の二人も出汁の染みたお米を食みつつ、うんうんうなずいているのだから問題ないだろう。幻想的かどうかはさて置いて。
問題は、この鮮魚だ。
先ほどイブが「うわぁ」と顔をしかめたものは、マスの塩麹マリネという代物で、これでもかというほど鮮魚の臭みを消している。
とはいえ鮮魚にまったく慣れていない者にとっては、目にしただけで顔をしかめてしまうだろう。
試しにという風に、そーっと彼女はお箸で口に運ぶ。
目の前で少女たちが美味しい美味しいと言っているので、なぜかうらやましく思ってしまったようだ。
そして、ぷつんぷつんという軽やかな歯ごたえと共に、とろんと溢れてくる旨味にイブは驚く。
んっ、と呻き、あの空のように青い瞳は輝いた。
旨味がすごい。
噛めども噛めども味わいが薄れるどころか、米と混じるたびに押し寄せてくる。
塩麹がいい働きをするマリネは、彼女の心配していた臭みなどまるでなかった。
和牛に比べてあっさりとしているのに、どうしてこんな味わい深さがあるのだろう。そのように、まず舌で驚いて、彩り豊かなお弁当にまた彼女は箸を突き刺してゆく。
旨い、美味しい、どんどん食べられる。
見ていて気持ちがいいほどダークエルフの娘はもりもり食べてゆき、ふうとひと息ついたとき、窓の外一面に、青々とした田畑が流れてゆく。
なんだか綺麗だなぁ。
あ、鳥だ。こっちでもたくさんいるんだね。
そんな風に考える自分がいた。
馬にしがみついて飛ばしたときよりもずっと速い。だけどぜんぜん怖くないのはどうしてだろう。
そう考えていると、向かいの席に座っている彼に気づく。
いつものんびりしている彼も外を眺めており、口元には楽しそうな笑みが浮いていた。
ゆっくりと箸で運び、味わいを楽しむように長く噛む。
その様子は、どこか向こうの世界にいる彼とは大きく異なるように思えた。
「……ん?」
視線に気づいたらしく、彼はこちらを向いてきた。慌てる必要はないのだが、つい胸が高鳴った。
「あ、別に用があったわけじゃないけど、なんかいつもと違うね。ゆっくり食べているのは、このお弁当が美味しいから?」
てっきり彼はうなずくものだと思っていたのに、なぜか困ったような表情を浮かべられる。
「うーん、そうだね。たぶん美味しいと思う」
「はあ? 微妙ってこと?」
「そうじゃないんだけど、えーと……、うまく言えないな。ともかく、僕のことは気にしないで、美味しく食べて」
なんだろう。怪しい。
じいっと見つめてみたら、まるで隠しごとがあるみたいに目を逸らされたし、そういえばと思い出すのは、先ほどの駅で怪しい態度をしていた姿だ。
うーん、怪しい。
怪しさがどんどん増してゆく。
隠しごとがあるのは間違いないし、すっごく気になる。
けれど、ウリドラから「ビアを楽しむ時間じゃぞ」と誘われてしまい、じいっと彼を見つめながらあたしは立ち上がった。
ぜったいなにか隠してる!!
あたしにはわかるもん!!




