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第245.1話 この秋はエルフ族と日光へ⑤

 さすさすとお尻をさする。


 ぬーんと唸り、複雑そうな表情を浮かべてしまうのは、運動神経抜群であるこのあたしが人前で尻もちをついてしまったからだ。


 彼から教わったけれど、さっきの大きな乗り物はスペーシアスではなく、ただのバスとのことである。ただのバスってなにさ。


 それはまだいい。ちょっとびっくりしただけだし。

 問題は、近くにいたおばあちゃんが「あらあら大変」と言い、起き上がるのを助けてくれたことなのよね。


 あれは正直ものすごく恥ずかしかった。

 けれど、この国には優しい人が多いんだなと感心したものだ。普通ならお財布をかすめ取られかねないしね。


 ただ、あのような恥ずかしい思いはもうしたくない。尻もちは二度とつくまいとあたしは心に固く誓った。


 などとそのようなことを考えているあたしの目の前に「はいこれ」となにかが差し出された。

 目を向けるとそれは一枚の紙だった。

 

 オレンジ色がかっていて、この国の文字らしきものが書かれている。ぺらっと引っくり返してみると、裏側は真っ黒に塗られているというなんとも不思議な紙だ。

 くんくんと匂いを嗅いでみたが、やはりよくわからなかった。


「これはなに?」

「切符といって、あそこの改札を通るためのものよ」


 マリーの声は可愛い。

 前からそれは知っていたけれど、私の知っている彼女はもっと優等生っぽい感じだった。

 しかし、この国に来てから大きく変わったように思うのは気のせいだろうか。そわそわとしており、どこか浮かれているようにも見えた。


 はて、この浮かれる姿はどこかで見た覚えがあるような?

 どこだったかなぁ。なかなか思い出せないけれど、こういう表情をいつも目にしていたような?


 しかし思い出す前に「ほら、あれよ」とエルフ族の少女は言い、指先を向けてくる。

 つられて目をやると、金属の箱みたいなもののあいだを人々が通り抜けてゆく光景が待っていた。


「お、すごいね。手で触るたびにピッって鳴るよ」

「ええ、そうなの。この世界では当たり前のことだけど、人ではなくて、機械というものが乗車券のチェックをしているのよ」


 キカイ? 奇怪?

 なんのこっちゃと思うけれど、長くこの国に住んでおり、あたしよりもずっと頭のいいマリーがそう言うのであれば間違いないのだろう。


「ふうん、この切符がなかったらどうなるわけ? ほら、小さいから失くしちゃうかもしれないじゃん」

「それはもう口にできないほど恐ろしいことが起こるわ。あなたはこの駅にずうっと閉じ込められてしまうのよ」


 そんな大げさな、とあたしは笑う。

 見たところ金属製の箱は腰までの高さしかないし、ぴょんとジャンプするだけで乗り越えられる。そうでなくても通路は開いたままなのだから、さっと通り抜けられるに違いない。


 そういう風に考えていたから「切符をここに入れるのよ」とマリーが丁寧に教えてくれたときも、あたしはちゃんと聞いていなかった。


 よし、切符とやらを入れずに行ってみよう。

 びゅんっと駆け抜けてしまおう。


 そう思ってしまったのは、ちょっとした好奇心と負けん気のせいだと思う。

 前からよく「落ち着きがない」と叱られることが多かったけれど、あたしはどうしても試したいという欲を抑えきれないのだ。

 よし、つべこべ考えずにやってみよう!


 すたすたすたと歩く。

 切符の投入口とやらは教わったけれど、それは完全にスルーする。ひょいと入れたフリだけをして、なにくわぬ顔で歩く。うーん、完璧。


 あとは、さっと通り抜けるだけ……と思っていたところでキンコンと不思議な音が響き、ゲートみたいなのでシュッと閉じられて、わけのわからない言語でわめかれる。どう聞いても人間の発したものじゃない響きの声が。


 もうね、びっくりした。

 びっくりしたし、ひええって悲鳴も上げたし、すてんっと尻もちまでついた。ついさっき、二度と尻もちはつかないと誓ったばかりなのに!


 だって、子供たちが通っているから安全そうだなって思っていたのに、突如として牙を剥くんだもん。


 こんなのあたしじゃなくてもびっくりするって!

 ただ切符を入れなかっただけなのに!


「イブ、大丈夫?」


 そう言い、後ろから抱き起してくれたのはカズ君だった。

 大人の姿に変わったけれど、眠そうな顔つきはいつものままだ。

 ほっと安心できるっていうのかな。なぜか男に対する危機感がどっかに消えてしまうんだ。


 しかしいつもと違い、今日の彼には落ち着きがあり、どこか大人っぽく感じられる。

 はて、なぜだろう。向こうの世界にいるときは、いつもそわそわしている子供っぽさがあったのに。


 んんーっと唸り、しばし考えたあとに、ふと気づく。


「あっ、分かった! マリーと逆なんだ! 日本にいるときはマリーが、向こうの世界にいるときはカズ君の落ちつきがないんだ!」


 そうそう、口元に笑みを浮かべて、きょろきょろする仕草はもう完璧といっていいほど二人は似ている。というかそっくりだ。


 しかしそんな大発見をしたにも関わらず、すぐ目の前からエルフ族の少女が睨んできた。


「この場で最も落ちついていないのはあなたよ。他の人の邪魔だから、はやく立ちなさい」

「あー、ごめんごめん。でもすごいね、あんたら超お似合いのカップルって感じがする」


 じいと据わった表情で睨んでくるマリーだったけど、ほんのりと頬が赤くなる。

 まったく陽に焼けていないのではと思うほど肌が白いから、わずかな変化でも分かりやすい。女のあたしが言うのもどうかなって思うけど、すっごく可愛かった。


「あ、あらそう。誉め言葉として受け取っておくけれど、急がないといけないわ。人気のお弁当が売り切れてしまうかもしれないの」

「へ? お弁当ってなに? どこかで買うっていうこと?」


 そわそわした様子だし、待たせちゃまずいと思い、先ほどの切符を投入口に入れる。

 すると今度は普通に通れたし、なんと出口のところにシュパッと切符が現れた。まるで瞬間移動みたいな速さだったから、ドキドキする胸を隠すのは大変だった。


 先導する形ですたすた歩いていくマリーを追うと、すぐ隣にいるウリドラから笑いかけられた。


「ふ、ふ、この国では旅に合った食を楽しむのじゃ」

「んー? 旅に合った食? さっきマリーが言っていたお弁当って、つまり携帯食のことだよね」


 地域にもよるが、木で編んだ籠などに腐りにくいものを入れて、持ち運ぶことがある。

 腐りづらさと栄養こそが最も大事なことであり、味に期待するのは間違っているだろう。


「ふーん、よく分からないけど、あたしは一番安いのでいいかな」


 日本にいるあいだは彼のお世話になってしまう。

 だからあまり無駄金は使いたくないし、そもそも弁当というものにはまったく期待していない。だから、そんな結論に至って当然だろう。


 あたしよりちょっとだけ背の高いウリドラは、なぜか意外そうな表情を浮かべる。そして背後にいる彼に振り向いた。


「……などとたわけたことを言うておるぞ」

「まあまあ、実際に見たら気が変わるかもしれないし」


 は? なんであたしが可哀そうな目で見られてんの? 意味が分からないんですけど?


 しかし、たわけているのはあたしだったと数分後に悟る。

 なぜならば、燦然と輝くお弁当箱なるものが目の前に並べられたからだ。


 両手をぎゅっと握りしめて、マリーは薄紫色の瞳をきらっきらに輝かせた。


「きゃあああっ、これが数量限定のスペーシアス特製弁当っ! 見て見て、すごい豪華っ! 私は絶対にこれ! これにします!」


 あれだけ頭のいいマリーが、もう完全に子供と化していることにまた驚く。


 あたしよりも年上だし、古代迷宮において実力を見せつける精霊魔術師の使い手がだよ? ぴょんぴょんジャンプしながら喜んでいるんだから、そりゃあ誰でも驚くよ。


 そして値札を見る限り、このお店で最も安いであろうみすぼらしいパンに、あたしは青ざめるのだった。


 いや、違うのよ。違う。

 あのパンもきっと美味しいのだろう。苺ジャムがついているし。

 だけど見た目のゴージャスさがあまりにも負けているからそう感じるんだ。まさに光と影って感じ。


 しかしなぜか脚はガクガク震えてしまうし、頭のなかで「一番安いのでいい」などというおろかな声が幾たびも反響する。

 だれだ、そんな馬鹿なことを言ったのは!? あたしだ!!


「あっ、あああーーっ!!」

「ちょっ、ちょっとイブ、こんな店先で泣き崩れないで! せっかくの旅なんだから好きなのを選ぼうよ!」


 そう慌ててフォローする彼の背後には、お腹を抱えて大爆笑するウリドラの姿があった。


 おのれ、許さんぞ、ウリドラっ!


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― 新着の感想 ―
[一言] ウリドラ「ぶははははは!!!お茶を買おうと思っとったが、ビールに変更じゃ!良い酒の肴が入ったわwww」(オモチャを見る目)
[良い点] ウリドラ、Nice!
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