第245.1話 この秋はエルフ族と日光へ②
「はーあ、参った。浮かれているときのウリドラには近づかないようにしよう。でないとまたひどい目に遭う」
ぶつぶつと愚痴を漏らしながら僕は歩く。
まあ、いたずら対策はそれくらいしかできないよね。吠えそうな犬には近づかない、みたいな感じだ。
ん、向こうから近づいてきたらどうするかって? もちろん諦めるよ。だって相手は魔導竜だしさ、どうしようもないでしょ。近づいた時点で、負け確定の負けイベントなんだ。
あ、ちなみにいま着ているこの服は、離れにある僕らの部屋から取ってきたものだ。
いやー、だれの目にも留まらないように、素っ裸で進まなければならないのは軽い生き地獄だったね。率直に言って、もう二度とあんな目には遭いたくない。
そう思いつつ屋敷を歩いていると、廊下の端っこになにかがいた。
「ん? 白い人形の置物?」
表面は陶器のようにつるりとしており、両手両足がついているから人型といえば人型だ。とはいえ全体的に丸くって、顔のあたりだけ黒い。わざわざ飾っておくような代物だろうか。
それを見つめながら横を通り過ぎようとしたとき、ぱちっという音と共に顔のあたりに丸い光がふたつ灯る。ぱちぱちという音をまた繰り返して、置物かなと思っていたものがグイと顔を持ち上げてきた。
「うわ、動いた!」
じーっと僕を見つめてきたそいつは、口元に手を当てながら目らしきものをまばたかせる。首がないずんぐりした体型ではあるものの、廊下が薄暗いからちょっとだけ怖い。
「初めまして、私は竜骨座と言います。私を見て驚いているあなたはだれですか?」
意外なことに女性の声だ。すこし話しかたが機械的で冷たい感じがするけれど、頭を斜めにさせて見上げてくる動きは実にユーモアだ。
おっと、相手が挨拶してくれたのだから僕も返事をしないと。遊んでばかり寝てばかりの僕だし、見た目がとても不思議な相手だけど、社会人として正しい態度をしなければ。
「こんにちは、僕はこの世界でカズヒホと呼ばれているよ」
「この世界で? ふふ、変わった言いかたですね。まるで複数の世界を知っているかのようです。あなたにとって、ここは素敵な世界ですか?」
目を山なりにカーブさせたのは、たぶん笑みを表しているのだと思う。
最初は得体の知れない相手だと思ったけれど、意外や意外、見た目に反してだいぶ話しやすい気がする。口調が丁寧で優しいせいかもしれない。
「うん、まるで夢のように素敵な世界だ。君もそう思う?」
「はい、もちろんです。あなたも私と同じ気持ちで嬉しいです」
ちっちゃなジャンプを幾度かして竜骨座はそう言う。
愛らしいユーモアたっぷりの動きだけれど、彼女はどこから来たのだろう。いや、だれが連れてきたのかと考えるべきか。勝手に来たとは思いづらい。
「それで、竜骨座はここでだれかを待っているの?」
「いいえ、呼ばれるのをずっと待っているのです。とても大事な任務です。きちんと自己紹介できなければ、私は嫌われてしまうかもしれません」
「え、君を嫌うような人なんているのかな」
「分かりません。私はまだ生まれて間もないのです。話したのもあなたが二人めで、だから自信はまったくありません」
あらら、うつむいちゃって。
首がなくて、頭と胴がくっついる感じの体型だから、そんな様子もなんだか可愛い。そう思っていると、唐突に彼女は顔をグイと上げた。
「ただ、あなたと話したことで、少し気が楽になりました。過大評価でなければ好感を得られたと思いますし、なんと私の名を覚えていただけました。これはとても素晴らしいことです」
「ん、自信になったようで良かった。こう言って失礼になったら申しわけないけれど、君はとても愛らしいよ。きっと誰からも好かれると思う」
そう言うと竜骨座はしばし動きを止めたあと、指のない丸い手を胸のあたりまで持ち上げる。そして、グッと握りしめるような動きをした。
フンと鼻息らしきものまで吐いているし、よく分からないけれど喜ばれたということでいいのかな?
どうにも勝手の分からない相手だ。ユーモアな見た目に反して、ぺこりと礼儀正しくお辞儀してくる姿を見てそう思う。
「急に話しかけてすみませんでした。カズヒホ様にとって今日が素晴らしい一日となりますように」
「ううん、声をかけてくれてありがとう、竜骨座。話せて楽しかったし、君の成功を僕は祈っているよ」
ぷんぷん手を振って見送られたけど、けっきょく謎は謎のままだ。彼女は何者だったのだろう。あの見た目だし、声が女性っぽいというだけで男女に分けられていないかもしれないけれど。
まあ、そのうち分かるか。第二階層もそう広いわけじゃないのだし、いつかだれかが教えてくれるだろう。ただ、つい先ほど僕がどんな目に遭っていたか知っていたら、竜骨座は「素晴らしい一日を」と祈りはしなかっただろうね。
ふう、とため息を吐いて、僕は中庭のほうに再び足を向けた。
さて、ようやくテラスに戻ると、やはりみんなは僕の心配などまったくしておらず、ワイワイ盛り上がっていた。まあ、裸になって勝手に飛んでいっただけだし、心配されるわけないか。はは。
きっと先ほど観たアニメの影響だろう。あの忍術をうまいこと再現できないかとか、かっこよくしたいとか、ポーズを決めたいとかそういう話題だ。
ごっこ遊びというのは子供がすることだが、忍者という変わった職業であるイブにとってはあまり他人ごとではないのかもしれない。ピンと立てた己の人差し指を握るという、いわゆる忍者の恰好からまず取り入れようとしていた。本物の忍者はそんなことしないだろうけど。
もうひとつ、きっとウリドラがこしらえたんだろうね。その限界までスリットが入った忍者風の服はなにかな?
紺の着物風なのはいいけれど、お尻から太もも、さらには脇の下までと、側面側の素肌が丸見えなのはさすがにどうなのだろう。きわどいし、本物の忍者が見たらびっくりして腰を抜かすよ。
などなどたくさん突っ込みたいところだが、ある意味でちょうどいいかと僕は考え直す。
ついさっき醜態を晒したばかりだし、空気のように気配を殺して端っこに座ろう。そう考えてゆっくり進む僕だったが、くるんとイブの顔がこっちに向けられた。うわ、相変わらず勘が鋭いな。
さっき醜態をさらしたばかりだ。きっと失笑されるだろう。
そう予想していたのだが、意外にも彼女はプイとそっぽを向く。唇は不機嫌そうな形に変わり、僕に向けて「よっす」と言う声はわずかにうわずっていた。
マリーはもうちょっと顕著で、イブの視線に気づいて振り向くやすぐさま硬直する。そしてみるみるうちに頬が赤く染まって、しゅうと頭から蒸気が出そうだった。
「もしかして、さっき見え……」
「ううん、ぜんぜん! ぜんぜんよ! すごく早く消えちゃったから、ちゃんと見ることなんてできなかったわ! ね、大丈夫だったわよね!?」
だいぶ早口で言われたし、イブはイブでそっぽを向いたままぎこちなく「う、うん」と言ってうなずく。安心したどころか、むしろかなり不安になったというのが僕の正直な気持ちだ。どうしてだろう。急に死にたい気持ちになったのは。
こら、そこの魔導竜さん。口を手で押さえて「ぶふぉ!」と吹き出さないでください。騒ぎの張本人はあなたですよ。
「ふ、ふ、子供の姿で幸いじゃったな。もしも向こうで同じ目に遭わせていたら、ふてくされる程度では済まぬところであった」
え、ふてくされる程度では済まさないよ?
この場では仕返しをするなんて絶対に無理だけど、日本にいるときのウリドラはだいたい黒猫の姿で過ごす。そちらであれば仕返しも無理ではないだろう。
美味しいものを目前で取り上げたり、他にも恐ろしい仕返しまで考えたりしているけれど、ウリドラの仕込み刀が抜かれかけていることに気づき、そっと「復讐は諦めよう」と考えた。うん、平和が一番だ。
「まあ、さっきの件はもういいとして、どうしてアニメ鑑賞することになったの?」
「んむ、日光江戸村の件をイブに伝えたらずいぶん興味津々のようでな、予備知識として観させることにしたのじゃ。ほれ、おぬしもよくやっていることじゃろう」
「ん? よくやっている?」
「ふ、ふ、ワクワクさせようと事前に期待感を煽っておる。わしの目はごまかせんぞ。あれはわざとじゃな」
内緒話をするように、すぐ近くからそう囁かれた。日差しが陰り、黒曜石のように美しい瞳がにんまりと細められて、思わず僕はうなずいた。
気押されたわけでなく、脅されたわけでもなく、ただ素直にうなずいてしまったのは、彼女から不思議な気配が伝わってきたからだ。
出会ったときから彼女は大きく変わった気がする。子供のようなのは相変わらずだが、魔導竜、そして母としての強さを身につけたせいだろうか。
だが、思うこともあるので僕は戸惑いがちに口を開く。
「その件と、さっき僕を裸にしたのは関係ある?」
「阿呆、あるわけがなかろう。あれは単なる遊びじゃ」
頬杖をつき、呆れるようにそう言われて、ですよねーと僕は脱力しつつうなずく。分かってはいたけれど、深い考えなどなかったらしい。
長くて見事な黒髪を風に弄ばせながら、彼女は笑いかけてくる。やや吊り目がちの瞳を細めると、大人っぽさと子供っぽさが同居した雰囲気が漂う。背後にある竜の尾が機嫌良さそうにゆらりと揺れた。
日本ではちょうど紅葉が楽しめる季節だ。仕返しなんて考えるよりも、どんな旅にするか相談したほうがずっと楽しいだろう。そう考えて席に腰掛けると、すぐ隣にエルフ族の愛らしい表情が近づく。
先ほどの騒動のせいで僕と距離を置きたいのか、イブは少女をあいだに挟むようにして椅子の背もたれに両手を乗せる。そして頬を赤くしながらも、どこかそわそわした表情で見つめてきた。
「旅行話をする前に、こんなに騒々しいことになるなんて思わなかったな。それじゃあ、ぼちぼち観光地に招待したいんだけど、ウリドラとイブは算段がついたということでいいの?」
「無論じゃ」
「もちろん!」
おお、二人とも輝くようないい笑顔だね。
イブはともかくウリドラがはっきり言いきるくらいなら問題ないだろうと僕は考えた。
先ほど僕が口にした「算段」というのはつまり、灼天竜、そしてザリーシュの凶悪な性格を押さえつけている特別な指輪の扱いについてだ。
いわば主人である彼女たち二人が日本に旅立ってしまったら、枷が外れた獣のように暴れ狂う可能性があった。
なんの問題もないという態度のウリドラは、自信満々な笑みをさらに深める。そして赤く濡れた唇を開いた。
「その件でお前たちに紹介したい者がおる」
「ん、紹介?」
「あら、ウリドラが紹介したい相手って、いったい誰なのかしら」
目が合ったマリーも不思議に思ったらしく、きょとりと薄紫色の瞳を丸くさせて見つめてくる。くっ、これだけ近くで見ると、神秘的な瞳に視界がくらみそうだ。分かってはいるんだけど、長いまつげに縁どられた瞳で上目遣いされるとね、どうしても……。
なぜかパカンと頭を叩かれた。
「なんで殴るの!?」
「阿呆、このわしに説明させる気か? 貴様はいちいちいちいちエルフの女子に鼻の下を伸ばしおって。マリー、おぬしもそうじゃ。隙あらば誘惑するでない」
「なっ、しっ、していないわよ誘惑なんて! ふん、もししていたとしても、大人の駆け引きみたいなものだわ。これくらい都会ではごく当たり前のことで……こら、私の鼻をつままないで!」
生意気な態度にいら立ったのか、マリーの形の良い鼻がつままれる。しかしウリドラはどこか愉快そうで、ふがふが言っているマリーを見つめている。
気が済んだらしく、ぱっとその手を離した。
「ふ、ふ、まあよい。紹介したいのは私に新しくできた友人じゃ。竜骨座、さあ、こちらに来るがよい」
はい、と聞き覚えのある機械的な声が背後から響く。
振り返るとやはりというか、先ほど廊下に立っていた者がそこにいた。
「あ、君は!」
「ふふ、まさかご紹介される相手がカズヒホ様とは思いませんでした。でも、そうだったらいいなと実は思っていましたよ。すると隣のお美しい女性はマリアーベル様ですね。息を呑むほどお美しく、大変お似合いのお二人だと思います」
ずんぐりむっくりな体型で、えっちらおっちら短い足を使って歩いてくる。ようやく僕らの席までたどり着き、見上げてくる竜骨座は、目らしき光源をにっこりと笑みの形にした。
「改めて自己紹介いたしますね。私は竜骨座と申します。といってもただの端末にすぎませんし、こう見えてウリドラ様から特別に自我が与えられているのですよ。すごいでしょう」
それまでおっかなびっくりしていたマリーは、竜骨座の愛らしい言葉を聞き、つられて笑顔となった。
「あら、あなたってすごいのね。よしよし」
そう言い、初対面なのについつい頭をなでてしまうのは、たぶん竜骨座だからだろう。ユーモアで愛らしい外見、そして丁寧な口調だけど子供みたいなことを言う。
なでられて、ふふーっと得意そうに彼女は笑っていた。
「ここに私が呼ばれたということは、なにかのお力になれるのでしょうか。もしそうだったら素晴らしいことです。私、人から感謝されることが夢でしたから」
「竜骨座よ。おぬしは働き者であるし、頭もいい。わしだけでなく、これから多くの者に感謝されるじゃろう。では、本題じゃ」
そう言い、ウリドラは椅子から立ち上がる。そして指につけていた黄金色の指輪をひとつずつ外し始める。
ただの指輪を外しているわけじゃないのは、近くに座っていた僕らにも分かる。指をすり抜けてゆくあいだ、キュウウという不思議な音が響いたのだ。外される間際には、ギギギときしむような音もした。
そのあいだに、竜骨座は白い手袋をきゅぽっとはめて、彼女のすぐ隣に並び立つ。とはいえ指がないから、まるで靴下をはめているみたいだった。
ウリドラの指につままれたものが、無造作に落とされる。竜骨座は両手でそれを受け取り、まじまじと見つめた。
「やはりウリドラ様が手掛けているだけあって、魔力の質も一級品ですね。これほどの高密度だというのに淀みがなく、また過大な負荷もありません。一級品の宝石のような美しさです」
その言葉を聞いたウリドラは、ニッと笑いながら他の指輪も外してゆく。
「これには灼天竜の力を封じておる。しかし凶暴性を完全に排したわけでない。わしが良しとする道を照らして、そこに向かわせるための代物じゃ。道に迷い、過ぎ去った夢にすがりつく愚かな竜はもういない」
「ウリドラ様はいつもお優しいですね。最悪な男と呼んでしかるべき相手だと思いますが」
竜骨座は丁寧な口調なのに、そういう風に悪口を平然と言うらしい。それを意外だと思うが、なぜか彼女らしいとも感じる。機械的で感情を感じとりづらい声のせいだろうか。
僕らが見つめるなか、竜骨座は指輪をケースらしきものにしまい、ぱたんと閉じた。
「……確かに。ご不在のあいだ、責任をもって私が管理いたします。イブ様のものもお預かりしてよろしいでしょうか?」
「え、あたしのも? って、旅行のあいだだけ預かってくれるっていう話だもんね。んー、ずっとつけてたからなんか抵抗があるけど……まあ、しょうがないか。あ、ウリドラの指輪と混ざらないように、あたしの名前とか書いとく? 大丈夫?」
「ええ、なにもつけなくて問題ありません。このような指輪を生み出せるなんて、イブ様もやはり特別なお方ですね。私、イブ様とお話してみたかったのです。絶対に素敵なお方だと分かっていましたから」
そんな賞賛の声を浴びることはあまりなかったのだろう。イブは大きく後ろにのけ反って、たっぷり数秒かけてからまた戻ってきた。がばりと竜骨座に抱きつく形で。
「やだー、めっちゃいい子じゃん! なにこの子、どこで売ってたわけ? あたしもそのお店に行きたい。いつもあたしのそばにいて欲しい!」
「ふふ、非売品ですよ。ウリドラ様が値札をつけなければですが」
ぽこんとイブの頭が叩かれた。もちろんその人は不機嫌そうな顔つきをしたウリドラだ。
「たわけ、売るわけなかろう」
「えぇ、だめ? ちょっとだけでいいし、夜にはちゃんと返すからさ!」
などとわめいているが、二人に挟まれているあいだに竜骨座はしばし戸惑ってから両目らしき光を笑みの形に変える。
その気持ちはよく分かるな。ついさっき廊下で話したとき、彼女はとても不安そうにしていたからね。
きちんと自己紹介できて、また相手に好感を持たれたことが嬉しかったのだろう。そう思っていると、ふと目が合った彼女から笑いかけられた。
竜骨座だけじゃない。他の女性たちからも期待に満ちた瞳を向けられていることに気づいて、そのとき急に僕はわくわくした。
なぜだろう。この騒がしい女性たちと電車に乗り、ごく普通の駅弁を一生懸命になって選ぶ光景が頭をよぎったのは。
「よし、それじゃあ日光旅行を始めよう。みんなの準備はいいかな?」
遠足などの前の日は、そわそわしてなかなか眠りにつけないものだ。
いぇーい、と歓声を上げており、なぜか拍手までしている様子だけれど、それで本当に眠りにつけるのだろうか。
ただ、ひょいと石灯篭の影から顔を覗かせてくる女性には気づけなかった。
青空色の瞳をした彼女は、まだ顔を赤くさせたままであるものの、しばし物思いにふけっているようだった。
10月19日に9巻発売となります!
同じマンションに住む人にカズヒホの正体を知られてしまい、修羅場に発展するお話も含まれております(笑)
皆様にお楽しみいただけると幸いです。




