第35話 秩父めぐり旅情編②
ざうっ、ざうっ、と車外からは追い越してゆく車の音が響く。
すでに新青梅街道へ入っており、2車線になったり3車線になったりと忙しい。ここを真っ直ぐ進み、途中で国道299に入ったら秩父へたどり着けるはずだ。
「んーー、だいぶ遅いが何もしないで済むのは実に楽である」
「良かった。てっきり退屈すると思っていたから安心しました」
後部座席で伸びをしている黒髪美女こそ、夢の世界において王者に近しい魔導竜さんだ。
本体の推定レベルは優に千を越え、書物によると十世紀以上も生きているらしい。僕みたいな一般人が観光案内をして良いのか悩まされるが、本人はゆったりくつろいでいるし気にしないで良さそうだ。
「まさかまさか、このビルとやらを眺めるだけで楽しめておるぞ。いやはや人の成すことには限りが無いのう」
「この辺りはだいぶ発展してますからね。魔導竜さんでもやはり驚く光景でしたか」
東京都新宿区ともなるとビルや派手な店構えも多く、彼女はそれが珍しいらしく窓から見上げていた。
「ああ、その名では呼びづらいじゃろ。二人ともわしのことはウリドラと呼ぶが良い」
「ウリドラさん、ですね。マリーとも話してたのですが、本名が気になってたんです。イメージにぴったりな感じがしますね」
そう返すとミラー越しにウリドラからにっこりと微笑まれる。
Aラインの黒ワンピース、そしてヒール付きの靴とシンプルな服装ではある。
しかし腰まで真っ直ぐの髪と、モデルじみたスラリとした脚をしているため誰もが見惚れるほど大人の魅力に満ちている。
はっきりとした目鼻立ちと相まって、夜色の瞳と髪をしていても日本人からかけ離れている印象だ。
助手席にはエルフの少女がおり、いつものように帽子で長耳を隠している。妖精とさえ錯覚する紫色の瞳を後ろへ向けると、興味津々の表情でウリドラに話しかけた。
「ねえ、ウリドラさんはどうして車や道に驚かないのです? 私なんてずっと悲鳴を上げていたのに」
「車とやらの構造は凡そ把握したからのう。ふむ、マリーよ。言葉遣いも気にしなくて良いぞ。今日はお遊びの旅行なのじゃろう? ならばわしも肩の力を抜いて現の世界を楽しみたいのだ」
そう言われ、きょとりと少女は僕を見つめてくる。
伝説の存在を相手に、そんな無礼をして大丈夫なのかしら……などと思っているのだろう。その問いには「良い」と自信をもって答えられる。
こほんと咳払いをすると僕は口を開いた。
「分かりまし……分かった、ウリドラ。窮屈だろうけどたどり着いたら温泉が待っているから楽しみにしていて」
「うむ、実に楽しみじゃあ。んーー、何の責任も無いなんて堪らぬのうーー」
だらしなく緩ませた表情に僕とマリーは大きな声で笑った。彼女は威厳の割には感情表現が分かりやすく、僕らとしても安心して接することのできる人だ。
それに伝説の竜であろうとも、今は一緒に遊ぶ友人に過ぎない。ならば気兼ねなく話すべきだろう。少女にも意図は通じたらしく、それからはマリーも肩の力を抜いて接してくれた。
さて、快調に懐メロを響かせ、僕らの自動車は新青梅街道をひた走る。高速料金をケチりはしたものの、ちょうど良い時間帯なのか渋滞はそれほど発生していない。
「音楽もそうだけど、日本語というのは表現が豊かねぇ。最近では向こうの言葉で言い表せないことがあって。つい日本語で考えることがあるの」
「あ、それはあるね。こういうのを何て伝えれば良いのかな……って悩む事が多いよ」
分かる分かると少女は嬉しそうな顔をし、僕の腕を叩いてくる。このあたりは外国語を覚えているときのあるあるネタだよね。
「こういうしっとりした曲もそうね。感情豊かで情景まで思い浮かびそうだわ」
「ふうむ、吟遊詩人に近いが楽器が多いのう。わしにもまだ歌詞の意味までは分からぬがな。むう、マリーはニホン語を勉強しておったのか」
もちろん、と少女は得意気に振り返る。
「こっちに来たときは驚いたけど、本当にすごく楽しいことばかりなの。本も映画もたくさんあって、お洋服の種類は数えきれないわ。堪能したいのなら日本語まで覚えないと、もう私としては許せないレベルかしら」
「あれ、マリーの場合は食事のほうが嬉しいんじゃないかな?」
そう言うと思い出したように少女は瞳を輝かせ、助手席の頭に抱きつく格好になる。
「そうそう、もうほんっっと凄いわよ、この国の食事は。私でさえ一人で部屋を転げまわったほどなの。きっとウリドラも驚いて腰を抜かしてしまうわよ」
「ふ、ふ、ふ、それが本当なら凄いのう。その時には魔導竜の腰を抜かしたと宣伝文句に使っても構わぬぞ」
部屋を、転げまわったの……? どおりでオーブン料理にあれほど興味を持ったはずだ。何度かレシピを聞かれたし、そのうち自分でも作るのかもしれない。
ああそうだ、今の会話で思い出したけどおにぎりを用意してあるんだった。大して時間のかからないドライブだけど、朝御飯をまだ食べていないからね。
マリーに準備をお願いすると、カバンから包みと水筒を取り出してくれる。
くしゃくしゃのアルミホイルを開けば、閉じ込められていた香りがぷうんと車内を漂った。食欲をそそるらしく「くう」「ぐう」と二人の腹から音が響き、まるで姉妹のように見えて微笑ましい。
「黒いが……なんじゃこの三角形は。ふうむ、匂いは良いのう」
「そのままガブリと食べて平気だよ。おにぎりと言う軽食で……まあ、向こうのパンに近いポジションと思う」
どうやらウリドラはツナマヨを、そしてマリーはおかかを選んだらしい。
こちらは運転をする身なのでお先にどうぞと伝えると、二人同時にパクリと食す。まだ温かさの残るおにぎりは、ぷうんと海苔の香りが鼻を抜け、そして噛むほどにお米ならではの甘みが口に広がる。
どこかほっとする味に安心していると、今度は具材がやってきて味をひっくり返してくる。しょっぱさと甘さが混じり、その途端に魔導竜は瞳を見開いた。
ツナとマヨネーズが絡むとお米は一気にクリーミーな味わいへと変わり、もぐもぐもぐと二人の咀嚼するあいだ車内は静かなものだった。
「あ、少し窓を開け……」
「んまあいっ! こ、この溶けるような味わいがツナマヨ、じゃとっ!? いかん、このようなものを幼子が食しては将来が心配になる……これとこれはわしの物だ、決して手を付けてはならぬぞ!」
「んーーっ、おかか美味しいっ。これが猫ちゃんの好きなご飯なのね。お米の一粒まで味が付いているわ」
「はああー……っ! ちょっ、ちょっとそれをわしのツナマヨと交換せぬか?」
う、うん、おにぎりが竜殺しの称号を獲得するんじゃないかとドキドキしたよ。相変わらず味へのハードルが低いなあ、ウリドラは。
ただ、お米を美味しいと言ってくれるのは僕としても嬉しい。なんとなくイメージとしては肉食だったし、日本ではお米を楽しめないと辛いだろうからね。
意外だったのは温かいお茶に驚かれたことか。
「あったかい! なによこれ、淹れたてみたいだし……魔法よね?」
「え、ちがうよ。これは魔法瓶って言って……」
「魔法陣!? やっぱり魔法じゃない! あの塔もそうだけど、日本には大魔道士がいるの。私はそう断言するわ」
などという説明のしづらい事態になってしまった。
ちなみに塔というのは僕らの住んでいる所から見えるスカイツリーなんだけど、そのうち実際に連れていかないと納得してくれなさそうだ。
さて、国道299に入ると道はだいぶ落ち着いてくれる。
都内のほうは割り込みと急ブレーキをするタクシーが特に怖くてね、あまりのんびりしてられないんだ。
ずいぶんと周囲には畑地が増えてきて、遠くには山々が広がっている。おかげでドライブをする身としても楽しめる時間になったようだ。
少しだけ車内が騒がしいのは、先ほどから女性2人が曲に合わせて歌っているからだ。確か最初は日本語の勉強のためと言っていたかな。それが今ではちょっとしたカラオケに変わっている。
驚かされるのは覚えの早さだろう。
マリーは日本語にだいぶ慣れてきているので分かるが、ウリドラは初めて触れた言語だというのに吸収がとにかく早い。ひょっとしたら何かの技能でも持ち込んでいるのでは、などと思うほどだ。
少女は愛らしさを覚える声で、ウリドラは意外にも美声を持ち合わせており、しっとりとした曲も今では女の子達の弾むような歌声へとアレンジされていた。
そして歌い終わると2人して口を大きく開けて笑い、僕の頬まで緩ませてくる。
華やかだなー。女性が2人揃うと元気な感じがしていいね。
だいぶテンションの上がったウリドラは、がしっと運転席のシートに抱きついてきた。すぐ近くから話しかけられると吐息が当たり、少しだけくすぐったい。
「それでカズヒホよ、温泉ということは火山があるのか?」
「ううん、秩父のほうには無いね。今日は様子見だけど、いつか火山活動している本格的な温泉地にも行きたいな」
あ、そうだ。それには大きな問題があるのだった。
エルフである少女は当たり前だけど長耳がついている。だからこそ今日は貸し切り風呂付きの部屋を選んでいたことを思い出す。
「ふうむ? 耳じゃと?」
ぴょいんっとエルフ耳を少女はつまみ、それをウリドラは見つめる。
僕も忘れかけるときはあるけど一応ここは日本であり、人に見られたらどうなるのか正直分からない。いくらお人好しの国でも、かなりのニュースになってマスコミが押し寄せてくるかもしれないのだ。
「ふむ、耳を隠せれば良いだけか?」
「え? ええ、ですが帽子が無ければ隠せませんし、そうしたら温泉には入れないでしょう?」
「どれ、こちらに来るが良い、マリーよ」
きょとんと僕らは瞳を丸くし、そして助手席は少しだけ倒される。しばらく二人でゴソゴソと何かをしている気配はするが、運転する身としては振り向けない。
そうしてようやく助手席が元の位置に戻ると……。
信号が赤となり、ゆっくりと車を停めた。ふと少女からの視線に気がつき、誘われるよう横を見る。するとそこにはニット帽を脱いだマリーがおり少しだけ僕の時間は止まった。
「あっ、耳がないっ? えっ、どうしたの!?」
そこにあるべきエルフ耳は消えており、代わりに編んだ真っ白い髪が耳のあたりを覆っている。ププーと背後からクラクションを鳴らされ、慌てて僕は青信号のなか車を走らせた。
「ふ、ふ、わしの魔粒子でマリーの耳飾りを作ったのじゃ。ほれ、すっぽりと覆っておれば見えるまい」
「えっ、だって髪の毛だったし……って、髪の毛を作ったの!?」
「それだけでは無いぞ。単純な命令として「成れ」「解け」と設定しておる。これでいつでも好きなように外で遊べるじゃろ」
ああー、なるほど!と納得したのは次の赤信号の時だった。
マリーの白い髪を再現して耳全体を覆い、そして後ろへ括っているのだ。これなら耳たぶだけが見えるようになり、もう普通の少女としか思えない。ただし美の付く少女だが。
会話の流れとしてはまるで深夜の通販番組のようだったけれど、実際にこれは凄いと思わせる。信号で止まるたび見たり触れたりしてしまうほどだ。
「んーー、外でも頭が蒸れないだなんて! すごく快適よ、ウリドラ!」
「いやあ凄いよ。現代は発達しているけど同じ物はとても作れない。さすがは魔導竜だね」
「もっと褒めても良いのじゃぞー。くふふ、人の子らは実に可愛げがあって良いのうー」
にっこにっこと上機嫌な顔をするウリドラこそ可愛いと思うんだけどね。
しかしこれは助かるな。日本の猛暑で帽子をかぶらせるのは気がかりだったし、お店で食事するときも気兼ねしなくて良いだなんて。
「じゃあ着いたら露天風呂のほうも楽しめるね。良かったらお礼にそこのパーキングで美味しいものでも買おうか」
「ふ、ふむ、礼ならば仕方無い。受け取るとしよう。わしは礼儀にはうるさいからのう」
これだけの物をもらっておいて、軽食くらいで済むのなら安いものだ。
では魔導竜様から了承を貰ったので、左手にあるパーキングへと乗り入れる。見た感じ田舎のこじんまりとした休憩所といった所か。売店の規模はそれほど大きくないものの取り扱う品は多そうだ。
「日本各地にはご当地グルメっていうのがあってね、ここでも売ってるんじゃないかな」
「ええ、なによそれ。また私の興味を誘って」
ころころと笑う少女は真っ白い綺麗な髪を見せており、心なしかいつもより輝いて見える。
青空の下、僕らの車は静かに停まった。




