【番外編】はじめてのお祭り
コミカライズ第2巻発売カウントダウン企画中です。
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本日3/27(金)発売です☆
ぽん、ぽぽん、と音がする。
ふと窓の外を眺めてみると、夜空がわずかに輝いた。
間接照明だけをつけた薄暗い部屋だ。不規則に部屋を染める様子に「もうそんな時期か」と呟いた。
「マリー、マリー、花火をやっているよ」
そう声をかけたのだが、ベッドで横になっている少女は、すうすうと気持ちよさそうな寝息を立てている。つい先ほど彼女の大好きな肩甲骨マッサージをしたからであり、よほど気持ち良かったのかころんとあっけなく眠りについてしまった。
せっかくの東京二大花火なのに。
そう思いはしても人混みの嫌いなマリーを無理に起こして、これから連れて行くのも難しい。汗ばみやすく、なかなか寝つけない夜でもあるのだ。
ふわんと視界の端で踊るものがある。
ふわん、ふわん、と漂う不可思議なものは氷の精霊だ。
とはいえ幻想的な姿などではなく、半透明なクラゲとよく似た姿形をしている。子供のころは精霊を見ることに憧れてエルフ語を覚えたけれど、まさかあんな姿だったとはね。
彼を呼び出した精霊魔術師は深い眠りについている。使役から解放されたのだから、きっともう間もなく見えなくなる。この快適な室温のうちに、僕もまた眠りにつくべきだろう。
そう思い、薄手の布団を開けると彼女の隣にもぐりこむ。
氷精霊は気温を下げてくれる非常にありがたい存在で、もちろん僕らのお財布に対しても極めて優しい。
ふわん、ふわん、と精霊は舞う。
明かりに引かれてかランプの辺りを漂い、それをなにげなく目で追っているうちに一冊のノートが視界に入る。
――いつぞやに、あれを読んだことがある。
春のことだったかなと思いながら手にすると、やはり半妖精エルフ族の記したあの日記だった。
もしかしたら彼もご主人の過去が気になったのかもしれない。僕の頭の辺りに近づいてじっと漂い続けるのは、秘密の日記を読みたがっている風だった。
「黙ってこれを読んだら怒られてしまうんだよ?」
へーきへーき、怒られるのは君だもん。
そう言っているように思えたのは、たぶん僕の気のせいだ。しかし、ふわんと漂って、その風で日記が開かれたのも単なる偶然だろうか。
「ん、これは夏祭りのときか」
いけないことだと分かりつつ、まだつたない文字を目で追ってゆく。
すうすうと気持ちよさそうな寝息、そして遠くから響く花火の音を聞きながら僕はゆっくりと当時のことを思い出してゆく。彼女との思い出は決して色あせないのは不思議だな、と思いながら。
§
ぽん、と背中を押されてマリアーベルは一歩進む。
背を押したのは魔導竜ウリドラで、にっこりと僕らに笑いかけてくる。
「ほれ、せっかく着付けたのじゃ。恥ずかしがらずに歩くが良い」
「そ、そうだけど、足元がとても窮屈なのよ。それにちょっと……恥ずかしいわ」
ちらりと僕を見あげながら、そんなことを少女は言う。
紅を差した唇は色あざやかで、浴衣姿もまた新鮮だ。ほつれた横髪を指先ですくい、耳にかける仕草にも普段と異なる色気があった。
「ど、どうかしら?」
ちらりと視線を向けながら問いかけられる。
頬はわずかに赤く、珍しく化粧をしているものだから僕のほうにまでドギマギが感染しそうだった。
「うん、とてもきれ……」
かーっ、ぺっ! という仕草をされて僕らは凍りつく。
視線を向けると腰に手を当てて心底嫌そうな顔をするウリドラがいた。驚くほど綺麗な人なのに、そんな仕草を平然とやってのける。
「北瀬よ、そういうことは玄関を閉めてからにしたらどうじゃ? わしが楽しみにしておる屋台の味まで甘くする気か? そのようなことは許さんぞ? ほれ、わしらは後から向かうから、砂糖どもはさっさと手をつないで行くが良い」
しっしっと手で払われて、バタンとドアを閉じられた。
しばらくまばたきを繰り返していた僕らだけど、視線を合わせると互いに笑みをふっと浮かべて、いつもの調子で歩き出す。
「やあ、似合っているね。驚いたよ。桜模様、それに花の髪飾りとは手がこんでいる。半妖精エルフ族らしい華やかな浴衣だ」
「当然よ、この日のために時間をかけてデザインしたんですもの。ほら、振袖がひらひらしていて素敵でしょ。可愛いって百回言っても構わないのよ」
そういえば洋服作りが趣味だったんだっけ。エルフの里ではたくさんの洋服を披露してくれたけど、立派な精霊魔術師になってからはそうはいかないからね。灰色のローブは嫌だと何度も文句を言っていたっけ。
しかし、ここまで楽しみにしていたとは誤算だった。たらりと汗を流しながらエレベータのボタンを押す。
ご近所のお祭りだから「ちょっと覗いてみようか」くらいの気軽さで誘ったつもりなんだけど……。
「どうしたのよ、急に変な顔をして? 忘れ物?」
「いや……、先に言っておきたいことがあって……」
「言いたいこと? もしかして浴衣が似合っていないのかしら?」
いやいやまさか、似合っていないわけがない。まるで花が咲いたように華やかだし、近くにいるだけで嬉しい気持ちになる。言いたいのはそんなことじゃなくって……。
ウィーンとエレベーターを降りながら、僕は重たい口をどうにか開く。
「その、謝りたいことがあるんだ……!」
「謝りたい、こと?」
かくんと頭を斜めにしながら、とても不思議そうな顔をされたとき、チンと音が鳴って一階にたどり着く。戸が開かれたとき、驚くほどの騒々しい声が溢れた。
わっしょい、わっしょい、という威勢の良い掛け声と、遠慮なしにばしゃばしゃ撒き散らされる大量の水、水、ウォーター。
ぽかんとして立ち尽くすマリーに、そっと僕は囁きかける。
「ここのお祭りは独特なんだ。江戸三大祭として歴史あるお祭りではあるけど、見ての通りとても騒々しくてね」
「え、えぇ――……?」
道行く人々は法被姿、あるいは私服の人が大半だ。それもそのはず、あそこに行って水をぶっかけられるのだから当然の服装だろう。
もちろんマリーも僕の袖をぎゅっと握りながら「嘘でしょう!?」と悲鳴混じりの声をあげていた。
はっ、ほいっ、ほっ!
そんな声を軽快に響かせながら、マリーは懸命に水を避ける……というか主に僕の影に隠れてやりすごしている。もちろんこちらは水滴が垂れるほど濡れてしまうけれど、こればっかりは仕方ない。
「うん、いい感じ! 今日はあなたが盾役なんだから、しっかり守って頂戴ね」
「任せて、と言いたいけれど盾役なんて初体験だから自信はない……おぶっ!」
ばしゃあと顔から水をかけられて、てん、てん、てん、と水滴が垂れる。よほどその表情が面白かったのか、お腹を抱えて少女は楽しそうに笑う。
「あっははは! 身を挺して精霊魔術師を守る。うん、見事な連携だわ。あいにくと私は魔力切れだから何もできないけど」
「うーん、回復もしてもらえないとは大変だ。これにこりて、夢の世界で盾役になることを諦めてしまうかもしれない」
回復という意味なのか、ぎゅっと腕を抱えてくる。
わずかに漂う品のある香水と、朱色の趣ある浴衣姿。横髪を残して結わいた姿はやはり華やかだ。
しかしそんな仕草さえも罠だったのか、見とれているあいだに背後を神輿が通り過ぎて行き、またも大量の水が飛び交った。こんなときに言えるとしたら、この一言しかない。
「逃げよう」
きゃああ、という楽しげな悲鳴を響かせて、僕らは路地裏に逃げ込んだ。からからと下駄の音を響かせながら。
街角にあるお社の階段に座り、遠くの喧騒を僕らは眺める。
わっしょいわっしょいと騒々しく、また水の飛び交う様子は普段見慣れた東京とはまるで異なる。まさに下町という感じだ。
ラムネの瓶を傾けて、しゅわりとした炭酸を楽しんでいると少女の声が響いた。
「不思議ね、日本は勤勉な人たちばかりと思っていたのに、お祭りのときはあんなにはしゃぐだなんて」
「飲んで踊って春の到来を祝う、というのが普通だからね。今年は3年に一度だけ行われる本祭りだ。見ての通り道路を全て封鎖しているし、今日だけは神様が認める歩行者天国なんだろうね」
たくさんの人が道を行き交い、お神輿を運ぶというのは不思議に見えるだろう。青空には入道雲が広がっており、夏の風物詩としては印象深い。
しかし、気がかりな点がひとつだけある。
「がっかりさせちゃったかな?」
「ううん、ぜんぜん。確かに最初はびっくりしたけど、優秀な盾役のおかげで水属性攻撃もちゃんとかわせたもの」
髪の毛に水滴をつけたマリーは、にこりとやさしく笑う。
出会った最初のころなんて、つんつんしていて無視ばかりされていたのに不思議なものだ。
その彼女は、かちんとラムネの瓶を合わせてきた。
「それに私、このラムネが好き。夏っていう感じがするわ」
真珠のように白い歯を覗かせて、あの青空とよく似合う笑顔を見せてくれる。だったら僕も祭りの楽しさを伝えないといけないね。
残っていたラムネを飲みきると、よいしょと言いながら立ち上がる。遠くから届く美味しそうな香りは、これもまた祭りの風物詩と言えるだろう。
いったん家に帰って休憩を挟むと、辺りはすっかり暗くなった。
夜になっても相変わらず人はたくさんいるけれど、浴衣姿の人も目立つ。きっとこのあとに盆踊りがあるからだろう。
それを眺めるマリーは「良かった」と素直に漏らしていた。まあね、あの状況で着ていくような服装じゃなかったよね。
夜になり、にぎやかさはまた異なるものに変わる。
じゅわあっと白煙をあげる鉄板と、あちこちから届く美味しそうな香り。ここは深川神社のそばで、所狭しと屋台通りが連なっている場所だ。
「うーん、雰囲気があるわね。こういう独特な感じ、私は好き」
「一人だとほとんど来ないけど、確かに変わっているかもね」
たくさんの提灯に照らされる光景は、アジアの気配が色濃い。
昼間にあれだけ水を撒いたせいか湿度に満ちており、むあっとした暑さがある。はぐれないように自然と手を繋ぎ合い、そんな屋台通りを歩いてゆく。
「右よ、右。美味しそうな香りがそっちからするわ」
背の低さのせいでお店が見えないマリーだけど、くんくんと匂いを嗅いで抜け目なく僕を誘導してくれる。だんだんソースの香りが強くなってきて、辿り着いた先には一軒の焼きそば屋さんがあった。
「ぷあっ、やっと着いた! おじさん、焼きそばをふたつ!」
「らっしゃい……って、ああ、あのときのお嬢ちゃん!」
一瞬ぽかんとしたあとに、薄紫色の瞳は真ん丸になった。
「あっ、りんご飴のおじさん!? わっ、ここでもお店を開いていたんですね!」
「ははは! そうそう、りんご飴をあげたっけな。どうだった、美味しく食べれたか?」
しわがれた声に「はうっ」とマリーは呻く。
そうそう、美味しく食べようと大事にしていたのに、うっかり地熱で溶かしてしまったんだっけ。ぺしょぺしょと悲しそうに食べていた表情はいまでも忘れられないな。
と、そんな昔話をしていたとき、おじさんは青のりをかけながら僕らをじっと見つめていた。それは手をつないだままであり、また以前よりもずっと近しい距離で話をしている二人の様子だ。
ふむと顎をさすりながら年配の彼は言葉を漏らす。
「驚いたよ、日本語がすっかり上手になっていて。やっぱり外国の人にとっては大変だったかい、勉強は」
はいよ、とビニール袋を手渡しながらそう言われて、マリーはまばたきをぱちぱちとする。それから華やかな浴衣によく似合う笑みを浮かべた。
「いいえ、ちっとも。確かに最初は大変でしたけど、映画を観たり絵本を読んだりしているうちに気づいたら話せるようになっていました」
お金を手渡しながら「日記だって書いているんですよ」と内緒話のように囁きかける。するとシワだらけの顔へ、さらに深いシワが刻まれた。
「ふふ、かっこいい彼氏がいたら覚えるのも早いだろうな。それで、やっぱり二人は付き合い始めたのかい?」
マリーは驚いた顔をひとつして、そっと僕を見あげてくる。提灯に照らされた横顔は、気のせいか頬がだいぶ赤い気がした。
そっか、と僕は思う。驚いたり慌てたりしてしまうのは、たぶん他の人から交際について初めて尋ねられたからだろう。だけど後ろめたいことなんてひとつもないので、ふっと僕は肩の力を抜いた。
「「はい」」
正面を向き、二人一緒にそう返事をすると、おじさんはとても嬉しそうに笑った。そうかそうかと孫を見るような目をして、しかしなぜかちょいちょいと指先で僕を招いてきた。
(かっこいい彼氏なら、お嬢ちゃんが好きなのを買ってやらないとダメだろう?)
(え、そこで商売の話をするんですか? 前みたいに贈り物をしたらどうです? きっと喜びますよ)
(あーあ、あんなに可愛い子の彼氏が、まさか老人にたかるような悪党だとは。世も末だ。おっかねえ。仕方ないから告げ口してくるわ)
分かりましたよ、と僕にしては珍しく震えた声で返事をした。
ふんふんと鼻歌を漏らすマリーと一緒に夜道を歩く。暗いけどあちこちにある提灯のおかげで転んだりはしない。
もう間もなく夏の風物詩、盆踊りが始まる時間だ。遠くから聞こえてくる軽やかな音楽は、僕らを誘う音色だろう。
あれから金魚すくいをして「一匹の魚相手に僕らの輪っかを同時に破られる」というハプニングはあったものの、からからと下駄を鳴らすマリーは上機嫌そうだった。きっと先ほど手渡したお菓子のおかげだろう。
「ふふん、あなたは知っているかしら、これのことを」
真っ白いふわふわのお菓子を手にしながら尋ねてくる。もしかして屋台の定番品、わた飴のことを言っているのだろうか。そう疑問を浮かべていると、マリーは得意そうな顔をした。
「これはね、とっても甘くって、なんと食べたら消えてしまうのよ」
「……え? 食べたらそりゃあ消えるんじゃないの?」
そうごく当たり前のことを答えたつもりだったけど、できの悪い生徒を見るような視線に変わる。
「残念ね、知らないだなんて。これはね、こう、えっと、食べたら本当に消えるのよ。まるで魔法のように」
そんなにきりっとした顔で言われましても……。
でもほら、食べたら消えるのは当たり前のことだし、驚くようなことじゃないと思うけど。そう首を傾げながらマリーを見つめ返していたら、どう言ったら伝わるのかと思い悩む顔を浮かべられた。
「んも――、あなたも食べてみなさい! そうしたら私の言っていることが絶対に分かるわ! あーんなさい!」
指でつまんだわた飴を、ずぼーっと勢いよく口に入れられて僕は目を白黒とさせたよ。おまけに「ほら、ほら、おくちで消えたでしょ?」と同意を求めてくるし……。
「ふ、ふ、本当におぬしらは、どこにいても騒々しいのう」
呆れたようなその声に、ぱっと僕らは振り返る。すると見慣れた女性が立っていた。黒髪を朱色の紐で結わいており、黒の生地にはたくさんの桜模様が散りばめられている。
古風ながらも華のある出で立ち。そんな黒髪美女を囲んでいたのは一条夫妻だった。
「徹さん、薫子さん、お二人も遊びに来ていたんですね!」
「うん、本当は昼間もいたんだけど、そっちは役所の仕事でね。やっと抜け出れたというのが正解だよ。ほら、あっちの準備もさ」
指さされた先には、櫓に向けて提灯がずらりと並ぶ。そのオレンジ色に染められた場所には笛や太鼓の拍子が響いており、辺りはよりアジア独特の空気に包まれる。
「ねえ、あれがボンオドリ?」
「そうだよ。本当は供養のためなんだけど、すっかりと夏の風物詩だね。ところでマリーは踊りは好き?」
ううん、ぜんぜん、と言いながら早く早くと少女は僕の手を引いてくる。言葉と行動がまるで合っていないけれど、そんなに楽しそうな顔をされたら、男というのは逆らえないものなんだよ?
太鼓や笛の響きに乗せられてか、マリーの歩みは軽やかだ。
提灯の灯りで髪の毛を桃色に染めながら、振り返る彼女はにっこりと笑った。
§
もぞりとシーツの音を立てて、それから膝の上に彼女の頭が乗る。まだ眠そうな瞳で見あげてきて、その子はふふっと小さく笑った。
「外から花火の音が聞こえてくるわ」
「ごめんね、ちょうど盆踊りの日記を読んでいたんだ」
悪い人、と呟いてから、甘えるようにもぞもぞと太ももに頬をこすりつけてくる。ちょうど良い枕が見つかったのかもしれない。
指で髪の毛をすくと、しっとりとした感触が指のあいだを抜けてゆく。気持ちよさそうに瞳を細めて、それから僕を見つめてきた。
「楽しかったな、盆踊り。だっておかしかったのよ。子供みたいな気持ちになれたから」
「そっか、マリーは踊りが好きだったのかな?」
ううん、ぜんぜん、と言って彼女はにっこりと笑った。
つられて僕まで笑ってしまい、それから麦茶が飲みたいというリクエストに快く応じた。約束を破った罰は、ちゃんと受けないといけないからね。
ちりんとどこからか風鈴の音色が響くなか、僕らは眠りにつくまで静かな時間を過ごした。
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