【番外編】はじめての漫画
コミカライズ第2巻発売カウントダウン企画中です。
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発売日まであと『1日』!
猫に似ているのかな、と思うときがある。
窓辺の明るい席で本を読み、物憂げな瞳は紫水晶のよう。中学生になりたてのようにも見えるし、反面、目鼻立ちが美しく、また身体の線が細いため大人っぽさを併せ持つ。
ストローでアイスティーをひとくち飲み、こくんと喉を鳴らす。冷たさが心地よかったのかわずかに瞳を細めて、それからまた本の世界に戻ってゆく。
以前、創作の世界が好きだと聞いたことがある。
想像によって生み出された世界。ここにはない世界。そんなありはしない光景を想像して、夢想して、主人公たちのあとをついてゆく。なにかを生み出すわけじゃないけど、満ち足りた時間だと感じるだろう。
猫に似ていると思うのは、容姿ではなくその行動だ。
ふと寂しくなるのか、本とアイスティーを手に近づいて来たりする。大きなクッションを占有していた僕は、さりげなく場所を空ける。するとビーズの音を響かせて、すぐ隣にマリアーベルは腰かけた。
頭もクッションに乗せてから、ちらりと見あげてくる。
大きな瞳にじーっと見つめられるのは、僕でなくとも気になるだろう。思わず見返すと少女は白く長い髪を存分にほつれさせており、窓から差し込む陽が太ももをまぶしく照らす。
「このクッションが羨ましくなったのかな?」
「ええ、こうやって押したら、邪魔なカズヒホをどかせられないかなあって思って」
ぐい、ぐい、と遠慮なしに肩で押されたら、きっと僕でなくても吹き出してしまう。本の世界は面白いけれど、より面白いものもある。しおりを挟んでしばしお別れをする時間だ。
もう少しだけ場所を空けると、そのぶん少女は近づいてくる。枕代わりらしく僕の腕に頭を乗せて、すらりとした脚を組む。と、重力に引かれて脚の根元までスカートが滑り落ちそうになり……きゃっと悲鳴をあげてマリーは危うく手で押さえた。
「はあ、びっくりしたわ。やっぱり部屋着で過ごしたほうが楽ね」
そう言いながらちらりと僕を見あげてくる。
観察するような視線は、もしかしたら探っているのかもしれない。いつだって僕はマリーに魅了されていて、そんな心の動揺を女の子というのはすぐに見抜く。本能的に。
ぴったりと太ももを閉じており、手で押さえてぎりぎりスカートを残している姿というのは否応なく僕の胸を高鳴らせる。逸らしていた視線を戻すと、大きな瞳は僕をじっと見ているままだった。
その責めるような視線が、ふとほころぶ。
「もう、あなたってすごく可愛い。ずるいわ」
もう片方の手でお腹を押さえながら、たまらなそうな声でそう言われてしまった。てっきり非難されるとばかり思っていたのに。
なぜ笑われたのか分からないけど、こうして好きなように翻弄されるのを実は僕も楽しんでもいる。もしかしたらだけど、猫を飼っている人も同じ気持ちなのかもしれない。
マリアーベルという女性。
半妖精エルフ族であり、たまたまこの日本にやって来た女性。
子供っぽいのか大人っぽいのか、たまに分からなくなるときがある。気ままな猫のようだと思うときもあるし、一人でがんばり過ぎて路地裏で泣いてしまうこともある。
ずっと一緒にいて欲しいと願うのは、彼女も同じ気持ちだったらいいのに。エルフ族である彼女にとって、たとえわずかな時間に過ぎなくても。
そのとき、ふと視界に入ったのは彼女が手にする本だった。
「あれ、漫画を読んでいたの?」
「ええ、このあいだ薫子さんに借りたの。すっごく面白いわよ」
ほら、と見せてくれた表紙は「恋する2人の幼なじみ」という、いかにもな少女漫画のイラストだった。学生たちの織り成す恋愛物であり、三角関係による甘酸っぱさを楽しむものだと伝わってくる。
先ほどまで物憂げな表情で読んでいたから、てっきり文芸作品とばかり思っていたのに。
「あら、意外そうな顔をするなんて。漫画の世界を案内したのは、どこの眠そうな顔の人だったかしら?」
「案内、したんだっけ? 僕が?」
そうよ、と言いながら彼女は身を起こして、なにかを取ろうと腕を伸ばす。それが僕の背中側に伸ばしているものだから、薄手のシャツに包まれた胸元が目前に迫り、また僕をどぎまぎさせる。
さっきもそうだけど、こういう無防備なところが一番困るんだ。そう内心で文句を言っていたときに、じゃんっと少女はノートを広げた。
「ほら、ここにちゃーんと証拠が書いてあるわ」
「ん、このあいだのかな。日記には新しい発見があるって聞いたけど、まさか証拠として突きつけられるとは夢にも思わなかった」
そうよ、観念なさい、と言って彼女はほがらかに笑う。
はためくカーテンは週末らしい青空を覗かせており、入り込む風にも眠気を誘う陽気がある。
そうして僕とマリーは読みかけの本を遠ざけて、のんびりと一冊の日記を読み始める。僕を真犯人として暴くために。
§
うず高く積まれた本の山。
本棚にきちんとしまわれており、背表紙にすっかり囲まれたマリーは薄紫色の瞳を真ん丸にした。360度、ありとあらゆる方向に漫画があるというのは、百年以上生きてきたエルフ族にとっても驚きだろう。夢かと思ったかもしれない。
両手の指先をピンと伸ばして、あんぐりと見上げている後ろ姿からも驚きが伝わってくる。だけど長耳を隠しているニットがいまにも落ちてしまいそうで、見守っている僕はとてもハラハラしているよ。
短めのスカートを揺らして、ぱっと少女は振り返る。陽光を浴びる太ももはまぶしいけれど、それよりもっと明るい笑顔を見せてくれた。
「漫画!」
その両手を伸ばした愛らしい姿には、数多の男性が魅了される。ここ漫画喫茶にたまたま訪れた客たちは、ぽけっとした表情で見つめていた。もしかしたら僕も似たような表情だったかもしれない。
「うん、漫画喫茶だからね。読み書きの勉強にもなるし、今日はここで過ごそうか」
「そうね、勉強のためだから仕方ないわね。どれから読もうか困ってしまうわ」
そわそわそわ、と好奇心たっぷりの表情であちこちを眺めるのは「仕方ない」という言葉と大きく矛盾する。ベレー帽のなかで長耳が小刻みに揺れているし、カラフルな表紙に好奇心を刺激されているようだ。
「その前に席を取ろう。鞄も置きたいし」
「ええ、いいわ。あっちの方に過ごしやすそうな場所があったの。取られる前に早く行きましょう」
そう言って、エルフさんを先頭に、木の香りのするフローリングを歩いてゆく。
最近できたこの漫画喫茶は、観葉植物があったり天井で空調ファンが回っていたりと明るい雰囲気だ。向こうにある個室でのんびりするのもいいけど、今日は天気がいい。窓際の明るい席で楽しむのも良さそうだ。
「ほら、ここ。窓からの眺めもいいし、読書をするのにもってこいでしょう?」
「じゃあ今日一日、ここは僕らのものだ。占領しよう」
やった、と拍手するマリーに笑いかけながら、どさりと鞄を置く。
機動力こそ占領戦において最も重要なのだよ。そんな下らないことを思いながら、店内をぐるりと見回す。
どうやら機能よりも過ごしやすさを優先させたお店らしく、落ち着いた木製のテーブルとしっかりしたソファーは、長時間の読書にも向いていそうだ。最近だとこういう漫画喫茶もあるんだなと感心しつつ、マリーの背中に追いつく。
「そういえば、もう漫画のことを知っていたんだね」
「ええ、薫子さんの家へお邪魔したときに。そのときはウリドラがハマって、なにを言っても聞いてくれなかったのよ」
しゅっしゅっ、と拳を振りながら笑いかけられたけど、いったいどんな内容の漫画だったんだろう。そういえば魔装カルティナを素手で破壊したときがあったけど……まさかね、まさか。古代から生きる最強種、魔導竜ウリドラ様が、漫画の影響を受けるだなんてありえないよね。
などと一人ごちながら少女のあとを僕は追う。
さて、漫画がずらりと並ぶスペースに再び戻ってきた。
くるんと少女は振り返り、春らしいスカートが軽やかに舞う。ハイソックスに覆われる太ももに、ちらりとでも視線を向けないのは異性として難しい。
「ではお互いに目ぼしいものを探しましょ。えーと、どれにしようかしら……」
選んですぐに読めるところが本屋さんと違うところだろうね。面白そうな表紙を見つけたら、ぱらりとめくって試し読みすることも許される。
とはいえ図書館に通い慣れている少女にとっては、さほど気にならないシステムらしい。腰を据えてじっくり読めるものを探すためか、いくつかのタイトルのうち最初の数冊を選んでいた。
ふうん、初めてきたお店だったけど心配しないで良さそうだ。
そう思い、僕も同じように本を選んでいたときに、ぽんと肩を叩かれる。振り返るとカラフルな表紙をこちらに向けていた。
「ほら、前に見かけた漫画。私みたいに日本へ迷い込んだエルフのお話なんですって。いつの間にか続きが出ていたみたい」
「へえ、珍しい。たまたまだろうけどマリーにそっくりだ」
でしょう、と自慢げに笑われた。
ふむふむ、半妖精エルフ族が興味を持つ漫画か。あとで僕も読んでみよう。彼女を喜ばせるつもりで来たお店だけど、僕まで楽しみができるとは思わなかったな。
そう思いながら、窓際にある特等席へ僕らは戻った。
がぎゅご、と不思議な音を珈琲メーカーは立てる。
それまで間近で覗き込んでいたマリーは驚いて、僕の靴を踏み、さらには背中をどしんと当ててきた。
「あっ、わっ! ごめんなさいっ!」
「へ、平気平気! 驚かせちゃったね」
胸に手を当てて、は――っと少女は息を整える。よほど驚いたらしく、瞳を開けるまでもうしばらくの時間が必要だった。
平気、大丈夫、と僕に手のひらを見せてから、くりんと薄紫色の瞳は傾いた。
「凄いわね、この世界の機械というのは。珈琲って、炒った豆を挽いてお湯を入れる飲み物でしょう? まさかそれを作るための機械まであるなんて思わなかったわ」
「ほら、人間は楽をしたがるから。そのぶん仕事が忙しいんだし、ちょうどいいのかもしれないよ」
「そうそう、気になっていたけれど、あなたたちの労働時間は長すぎるわ。最低でも8時間とか9時間とか、さすがにあり得ないわ」
あ、そういえば向こうの世界だと休憩時間も長いし、6時間ぐらいが普通なんだっけ。とはいえ地域によって差が大きいので何とも言えないけど。
なんて思っていたら、唐突に少女の瞳が見開かれた。シュゴーッと音を立てる珈琲メーカーに驚いたらしい。
「わ、煙が出てる! 大変!」
「大丈夫だよ。そういうもの……」
長耳はよく音を聞くためにあると人から聞いたけど、それは大きな間違いじゃないかなって思うよ。だって僕の足を思い切り踏んで、さらには背中をどしんと当ててきたのだから。
「あ――っ、本当にごめんなさい! 大丈夫? いま思いきり踏んでしまったわ。痛かったでしょう?」
平気平気、と答えるのは男性の性だろうね。
小学生くらいからかな。痛くても痛くないって言い張るのは。もしかしなくても、ちっぽけで可愛らしい見栄だろうけど。
いや、眉をハの字にさせて、心配そうに見上げてくれるのが好きだからかな? どちらにしろこれは「ご褒美」に当たるらしいから、まったく問題ないんだよ。
春らしい木漏れ日を浴びて、黙々と本を読むのは僕らのささやかな楽しみだ。
少女が菓子をかじり「あら、美味しい」という可愛らしい表情を見て、また漫画に視線を落とす。
幸いなことに僕らは好みが合っている。
インドア派というのかな。本があれば外に出なくてもまるで気にならないし、ストレスをため込んだりもしない。だからなのか、喧嘩らしい喧嘩をした記憶もない。
いや、この場合は一応と漫画喫茶にお出かけしているわけだから、半分くらいはアウトドアに入るのかな?
ぺらり、ぺらり、とページをめくる音が響く。
もうひとつ、ふふっとおかしそうに笑う少女の声が加わった。
「どうしたの?」
「ううん、面白いところがあって……ほら、これ。お風呂あがりにパニックを起こして、あははっ、こんなに大騒ぎしているのよ。まったく信じられないわ」
「漫画だからね、多少はオーバーに描いたほうが面白いのかもしれないよ。僕らだって……ん?」
マリーの広げて見せてくれるページに、どこか既視感を感じたが……僕はいつそんな光景を目にしたのだろう。
不思議な思いをして首を傾げていると、少女もまた不思議そうに見つめてくる。正確に言うと視線を向けた先は僕ではなく、この手にした漫画に対してだ。
「あなた、ページがぜんぜん進んでいないのね」
「そうなんだよ。知ってた? これって一話ごとに謎の生物が隠れているんだって。なんだか変わった漫画だよね」
「え、知らないわよ? 隠れているって、いったいどこに……」
あらら、エルフさんまでにらめっこを始めちゃった。
こうなると読書なのか間違い探しなのかも分からなくなってくる。それどころか定期的に「イタワ、ホラ、イタイタ!」という謎の会話をすることになるのだが、そんなことはあまり気にならない。本というのは楽しめればそれでいいのだ。
のはずなんだけど――。
「いない……」
「えっと、僕も手伝おうか?」
「ううん、いいの。意地になっているわけじゃなくって、ただ気になってしまうだけだから。カズヒホ、何も言わないで。探す必要がないってことも、ちゃんと私には分かっているのよ」
黙っていて、という瞳を向けられてしまった。
こう見えてマリーはがんこだからね。てこでも動かないのも知っている僕は、そっと心のなかで応援しながら漫画に視線を戻した。
§
そんな日記を読み終えて、マリーはとても嬉しそうな顔をする。なぜか知らないけれど、この子は僕の弱みを握るのが大好きなんだ。
「ほら、真犯人は誰だったかしら?」
観念なさいと問い詰められて、気分は断崖絶壁に追い詰められた犯人役だ。ざぱあっと日本海の波を感じながら、べらべらと過去のいきさつから動機にいたる全てを語らなければならない。それがお約束ならぬ様式美だ。
参りましたと両手をあげて、ほらやっぱりと僕の胸を叩いてくる。ぽかぽかとくすぐったいくらいの強さで。
「お詫びというわけじゃないけど、今日は暖かいからアイスでも買いにいかない? かじりながら河川敷を歩いたら気持ちいいかもしれないよ」
「あら、いいわね! 帰ったら一緒に続きを読みましょう」
思い立ったらすぐに行動できるのも僕らの強みだ。好みが合うから提案を断られることはほとんどない。
よっこらしょ、とお行儀悪くも足をあげて立ち上がろうとする。その瞬間、春らしい薄手のスカートが重力に引かれて落ちてしまい……にゃああ!という可愛らしい悲鳴が部屋に響く。
好みも合うし、ウマも合う。
だけどこの瞬間、少女のアイスだけは二段重ねにすることが約束された。
コミカライズの詳細は活動報告をお読みくださいませ。




