第298話 冬支度を始めましょう
ぬくぬくのお布団で僕は目を覚ます。
すうと息を吸うと冷たい空気が肺に入り込み、ほんの少しだけ眠気を覚まそうとする。そうはさせじと布団により深くもぐりこみたくなるのは、きっと誰しもが同じ思いをしているだろう。いっそのこと冬眠する動物なら良かったのに、なんて思う。そうしたら目覚めたときは春なのに。
ここ東京にも本格的な冬が来た。
うっすらと目を開くとカーテンの隙間には鼠色の空が見えており、それは12月らしい冷え冷えとした色彩だった。
暖冬だ異常気象だと例年ではよく耳にするけれど、さて、今年はどんな冬になるだろう……などと思うのは大きな間違いだったかもしれない。例年とは大きく異なり、とても珍しい人が我が家には住んでいるのだ。
もぞりと布団のなかで動く気配がある。
綿毛のように白くなめらかな髪しか見えないけれど、その子はいかにも寝ぼけた様子であり、温もりを求めて身体をすり寄せてくる。
やわらかくて温かくて、もぞもぞ動くのは小動物のようで可愛らしい。けれど直後に太ももを乗せてきて、しっかと胸元を掴まれてしまった。
「マリー、お寝坊をしてしまうのかな?」
「…………」
問いかけると瞳がかすかに開かれる。
とても綺麗な薄紫色をしており、長いまつ毛に縁どられた瞳はいかにも眠たげだ。
先の言葉も耳に届いているのかいないのか。すっと伸びた長耳は良く聞こえるはずなのに、なんとなくまだちゃんと働いていない気がした。
もぞりと長耳まで布団にもぐりこむ。
もしかしたらこの長い耳は寒さに弱いのかもしれない。僕らだって冷たい時期には耳が赤くなるのだし、これだけ長いとさらに外気に触れやすい。
きっとそうだと思うくらい、少女は深々とお布団に潜り込んでいた。
ぽんと背中に触れながら思う。
なぜ一介のサラリーマンである僕が、可愛らしい少女と暮らすことになったのか。それも決してこの世界にはいない希少で美しい半妖精エルフ族と。
こう見えて実は僕にもひとつだけ秘密がある。それは眠りについたときに限り、夢の世界を旅できるというものだ。
地平線の向こうでのたうつ巨大蛇。
人を見かけたらスナック感覚で食べようとする巨人族。
そんな恐ろしくも幻想的な世界を、幼少のころからずっと旅している。
恐ろしいからこそ美しい。怖いからこそ見たくなる。うまく口にできないけれど、そんな魅力ある光景が夢の世界には広がっているのだ。
「気づいたらマリーといつも一緒に冒険をしているね。あれ、遊んでばかりだったかな?」
その言葉はマリーに届かない。わずかに長耳を震わせて、すう、すう、と寝息に近しい呼吸が響く。
それは僕の眠気を誘うリズムと体温をしており、放っておいたらすとんと夢の世界に落ちてしまいそうだった。
きっとこのまま眠ったらすごく気持ち良いだろう。夢の世界でさらなる冒険を楽しめるかもしれない。しかし残念ながら朝食の支度が待っている。仕方なく身を起こそうとしたときに、ぽつっと少女は呟いた。
「布団をどかしたら許さないわ」
どうやらエルフ族というのはお布団に対する執着心がとても強い種族だったらしい。仕方ないと思うのは、彼女が寒さにとても弱いからだ。暑いのも寒いのも大の苦手であり、そのぶんお風呂などの文化をこよなく愛している。
お腹まで密着しているのは僕が愛されているから……などではなく、たぶん湯たんぽのように思われているのだろう。だからかかとを引っかけて逃がさないようにしている。
さて、どうやってこの難攻不落な拘束から逃れるべきか。
答えは簡単。とても良く聞こえるはずの耳にこう囁けばいい。
「さて、朝食当番のじゃんけんをする時間だね」
「……心から応援しているわ、一廣さん」
とても嫌そうな顔を一瞬だけ見せて、ぱっとその手を離された。ほんの少し寂しい思いはするけれど、こうして湯たんぽの役目は降ろされたわけだ。
もうひとつ、離れようとする僕の耳に、こしょりと彼女はこう囁いてきた。
「目玉焼きとトースト、それにお味噌汁もあると嬉しいわ」
どうも最近はお味噌汁がお気に入りらしい。ほっとするからという理由らしいけど、エルフ族にも日本のソウルフードが通じるのは不思議だな。
はいはいと呆れながら身を起こそうとする間際、グイと彼女の手に引かれて驚く。油断を突かれて僕は体勢を崩し、そうして眠いとき特有の体温を唇に伝えてきた。
うっ、と思わずうめく。
両手に頭を抱えられており、こちらは押しつぶさないように手をついているせいでまったく抵抗ができない。そのあいだも舌先が触れ合っており、鼻腔は女の子の甘い香りを否応なく嗅いでしまう。
ぐらりと視界が揺れるほどの誘惑をした少女はというと、悪戯好きの猫みたいな瞳で見つめてきた。
「つーかまえたっ! たまにはあなたもお寝坊なさい」
「なに――っ!?」
隙ありとばかりに抱きつかれて……なんということだろう、またもお布団空間に引きずり込まれてしまうとは。
もすもすとお布団でしばらく暴れることになったけど、僕が諦めてしまうのはすぐだった。泣く子にはかなわないし、笑う子にもかなわない。それもこれも幸福度の極めて高いお布団さんが悪い。だから僕の意思が弱いせいじゃないんだよ。
「えへへ、あったか――い」
にまーっと笑って少女は勝ち誇る。腕を枕にされてしまっては、やすやすと逃れることはできないだろう。
でもなんでかな、わがままな子ってすごく可愛いよね。僕だけなのかは分からないけど。
そんな彼女と結婚の約束をした。
決死の告白だったにもかかわらず、あっさりと了承してくれたのだ。まるで待ち構えていたかのように。
式の準備、そして僕らの実家である青森やエルフの里への報告と、今年の冬はきっと忙しくなるだろう。
さらには夢の世界においての拠点、古代迷宮は立派な国となるまで発展してしまった。これからきっと優秀な人材確保をしなければならないし、人類未踏の地である第四層の攻略もあるだろう。もちろん戦争中というのも忘れてはならない。
だから多少の寝坊くらいはきっと許されるに違いない。うん。
寒い日は何かとおっくうになる。
今朝のようにお布団から出るときもそうだし、お出かけをしてお買物するのだって普段よりしんどい。
テーブル席に座るマリーは、ひざ掛け毛布とスリッパを装備して、温かいココアを飲むことでようやく一息つけたようだった。
「いけないわ。せっかくのお休みなのに寝坊してしまうだなんて。今度からお互い気をつけましょ」
「う、うん。本当にマリーは寒いのが苦手だね。エルフの里はもっと自然と密接な暮らしをしているはずなのに」
「あなたの言う通りね。火とかげの精霊を抱っこして眠ったり、氷妖精に冷やしてもらったり、とても自然と近しい生活だったと思うわ」
おや、その一言で台無しだ。厳しい自然に囲まれているという印象は、ぬくぬくの温室のような暮らしへとイメージが変わってしまった。
と、そのとき近くをたまたま歩いていた黒猫は、ひょいと少女に捕まってしまう。そして先ほど言っていた火とかげの代わりなのか、ひざ掛け毛布の上に黒猫をデンと置く。にーうと文句を言っても逃げ出したりしないのがウリドラの良いところだ。
「だからこっちでも寒さ対策を考えましょう。外が寒いのは諦めるとしても、帰ってきて部屋まで寒かったら辛いし悲しいわ。私が寒がりなのとは関係なく」
「普通にエアコンを強くしたら済むんじゃないの?」
などと素朴な疑問を投げかけてみると、ふむと少女は息をひとつ漏らす。そしてテーブルの下で足を動かすと、ひやっとした冷たい感触が伝わってきた。どうやら足を乗せてきたらしい。
「あったかーい……じゃなくって、どうしても足元が冷えてしまうの。向こうだと温泉に入ったり暖炉があったりで気にならないんだけど。これだとのんびり読書も楽しめないわ」
などと話している最中も少女の足は離れない。それどころか本能的にぬくもりを求めてか、裾からゆっくりと内側に入り込んでくる。反対側の足まで援軍として加わると、部屋の気温が数度ほど下がったように感じた。
「火とかげを召喚できれば解決なんだけどね」
「あーあ、あの子が恋しくてたまらないわ。でも好奇心が強いから、あっちこっちに歩き回って火事になるかもしれないし……世の中ってうまくいかないものね」
そう言って、ふうと溜息をする。
いつもなら人肌くらいまでの体温調整ができるらしい。だけど日本の精霊とはまだ触れ合っている段階なので、精霊使いとしての不安があるらしい。
火災保険のお世話にはなりたくないし、マンションの住人に迷惑をかけたくない僕としても頷くのは難しい。
「そっか、なら他の対策を考えたいな。寒さへの強さは幼少のころの環境に左右されると聞くし、がんばってどうにかできるわけじゃないからね」
「ええ、そうしましょ。聞くところによると日本の冬はまだまだ寒くなるらしいわ。となるとあまり猶予があるとは思えないの」
う、うん、まるで階層主を対策するように真剣な顔つきだけど、ただ冬を迎えただけだからね。
「僕は青森の出身だから、いまひとつ寒さには鈍いのかもしれない。うん、もちろん暮らしやすくなるように協力するよ。それじゃあ防寒対策の基本、お洋服と家電のお店に行ってみようか」
「やった、お買物っ! ふふーっ、楽しみね!」
そう喜ぶマリーと一緒に、がたんと席を立つ。
外はどんよりと暗い空模様だけど、こんな笑顔の子と一緒なら楽しそうだと感じるのはなぜだろう。早く早くと袖を引かれたのは、きっとお寝坊をしたタイムロスの影響だけではないと思う。
§
てててーと黒猫が歩いてゆくのを僕らは追う。
部屋にいるときは防寒グッズに近しいポジションだけど、お外に出たら話は別だ。振り返って「おそーい」と言うように鳴いてくる。
対するマリーはというと、寒いがゆえに歩みもにぶい。エレベーターを降りた直後から、先ほどの笑顔はどこに消えたのやら無表情と化していた。
「……もういっそのこと火とかげを日本でも解禁しようかしら」
「火事になる心配があるんじゃなかったの? ほら、気難しいからってさっき言っていたよね」
そうだけど、と唇をとがらせながらブツブツと言っていた。もしかしたらお布団にこもっていたときが最も上機嫌だったかもしれない。
とても寒いらしく、マフラーをしていてもまだ足りないようだった。確かに今日は風が冷たいけれど、この調子だと1月2月はもっと大変そうだ。
(あれ? 冬のど真ん中の青森に行って平気なのかな? 年末年始くらいしか旅行できないのに)
などと一抹の不安を覚えながらも駐車場へ向かってゆく。雨の予報もあるし、こんなに寒い日は車がいいよね。
バタンとドアを閉めると冷たい風が止み、ふうと少女は安堵の息を吐いていた。この国に来て最初のころは車に怯えていたなんて、いまではまったく信じられない。
「それじゃあ行こうか。途中で温かい飲み物を買ってもいいね」
「あら嬉しい。あなたは知っているかしら。実は最近のコンビニでは挽きたての珈琲やカフェラテを扱っているの。あれはとっても美味しいのよ」
その秘密を特別に教えてくれたような表情に、つい口元がほころんでしまう。ふふ、びっくりするくらい可愛い子だね。
どうやらすっかりと日本の暮らしにも慣れたらしい。暖房をかけたばかりでまだ空気は冷たいけれど、膝に黒猫を抱えるエルフさんはちょっとだけ機嫌を直してくれたかな。
ざりざりと砂利の音を響かせて、曇天のなか僕らを乗せた車はゆっくりと走り出す。部屋を暖かくするグッズを求めて。
最終章、冬の章を開始いたします。
またイブちゃん主人公の新作「ゲームも知らない女子高生による迷宮攻略生活」を始めましたので、ご興味がありましたらお読みくださいませ。




