【番外編】そうだ、サウナで遊ぼう
僕はあまり驚いたりしないほうだと思う。
周囲に比べて落ち着いているけれど、それが性格によるものなのか、はたまた社会人経験のおかげかは分からない。
しかし本日の僕はというと、鞄をドサリと落とすほど驚いた。帰宅するなり突如として「ぐわーははは!」という大きな笑い声が浴室から聞こえてきたからだ。
「あら、お帰りなさーい」
しかしさらに驚くべきことが重なる。
帰宅に気づいたらしく、がらりと開かれた浴室からあられもない水着姿のマリーが現れたのだ。なぜかその手に水鉄砲を持ちながら。
「どど、どうしたのマリー?」
ドモった。
いや、この場合は仕方ない。全身の肌に水滴がついており、いつぞやに購入した水着もぐっしょりと染まっている。
少女の笑みは清純さと純朴さを感じ取れるが、しかし首から下は別だろう。
柔肌に食い込んだ紐は危なっかしく、見られていることを意識してかさりげなく手で覆い隠す。しかし隠しきることなどできず、丸みのある太ももとおへそについ目が向いてしまう。
鎖骨から流れ落ちてゆく汗は、どこか少女特有の甘い香りを発している気がした。
食い込んだ水着を指先でクイと整える仕草さえ、仕事を終えたばかりの僕にとっては眩しい光景だ。
その太ももから汗がしたたり落ち、浴室のタイルに流れてゆく。と、その爪先の向こう側に見慣れている者がいた。
「ん、どうして火とかげとお風呂場で遊んでいるのかな?」
「あら、別に遊んでいたわけじゃないわ。第二階層に新しい目玉が欲しいってウリドラが言うから、真面目に二人で考えていたのよ」
そう言いながら、つんつんと金タライに浸かった者をお行儀悪くも爪先でつつく。お腹をさらしてデンと寝そべる彼は、言わずと知れた火をつかさどる精霊、つまりは火とかげである。
精霊のなかで危険度は高く、火事になりかねないという理由から使役を禁じた街もあるという。
彼女の言う新しい目玉というのは恐らく娯楽のことだろう。
というのも第二階層の主な収入源は歓待を通じた支払いであり、新たな娯楽を増やせば財源に繋がる。そのお金でさらに食材や建築材を他国から仕入れて……と、ちょっとした商店街経営レベルのことを魔導竜たちはこなしている。
「それで、火とかげをお風呂場に入れることがどんな娯楽になるのかな?」
そう問いかけるとマリーは何かを答えかけてから、くしゅっとくしゃみをする。どうやら冬の冷たい空気で冷えてしまったらしく、呆れるような声が浴室の奥から投げかけられた。
「北瀬、おぬしもこの遊びに加わるか、一人寂しく向こうの部屋で寝転がるかを選ぶが良い。戸を開けていてはせっかくの蒸気が逃げてしまうじゃろう」
「蒸気? ああ、なるほど。サウナにしてみたのか。すると第二階層に取り入れたいと思っているのは……」
「ええ、ずばりサウナよ。工夫すれば岩盤浴にもできるでしょうし、きっと向こうの世界でも流行るだろうなと思って」
ははあ、そういうことだったのか。
この国で数多くの娯楽を紹介したけれど、本当に研究熱心というか、幻想世界の住人は遊びに対して決して手を抜かないね。
「そういうことなら僕も参加するよ。しかし人間よりも娯楽を愛する竜がいるなんて、ちょっと不思議な感じだね」
「ふ、ふ、おぬしにとってもまんざらではあるまい。そういつまでも不思議そうな顔をしておらずに、さっさと着替えて来るが良い」
にんまりと笑われながら、浴室の戸はぴしゃりと閉じられた。
さて、いまの表情はなんだろうか。含みのある感じがしたし、僕の知らない未来を予見しているような……いやいや、考えすぎだ。
「単に僕をからかって遊んでいるだけだな、きっと」
背広を脱ぎながらそう漏らす。
確かにね、このときの僕は少し……いやだいぶ油断していたのかもしれない。たぶんそれが平和ボケした日本人というものなのだろう。
さて、楽しい会話には欠かせない物がある。特に今夜のようにお喋りをたくさんするときは。
両手にグラスを持って入室すると「いらっしゃーい!」という明るい声と共に歓迎された。
「相変わらず気の利く小僧じゃな。ありがたくいただこう」
たおやかに腕を伸ばされて、氷入りの水滴をつけたグラスが掴まれる。
それは普段と何ら変わらぬ仕草ではあるけれど、黒のビキニがゆさりと揺れて、綺麗な脇の下へと視線を吸い寄せられそうになり……おっといかん!
さりげなく深呼吸をする僕に、黒髪美女はにまりと思わせぶりな笑みを浮かべる。
少女と同じく黒髪を後ろに束ねており、グラスに唇をつけると喉を鳴らす。
果実入りジュースの心地よい冷たさに瞳を細めており、すぐ下ではしたたる汗が谷間に吸い込まれてゆく。その光景には視線を吸い寄せる魔力がかけられているのでは、と疑うほどだった。
はあ、いつもふざけている竜だけど、こういうときは大人だと強制的に意識させられるな。
んんっ、と咳ばらいをしてから僕は口を開く。
「まさか真冬に氷入りのジュースを用意するとは思わなかったけどね」
「ふむ、それも良い。氷というのは砂漠地帯のアリライでは価値がある。くっくっく、このような甘さを楽しめるのならば財布の紐はさらに緩まるじゃろうなぁ」
はあ、相変わらずがめついな。そんな呆れるような視線をマリーと交わし合うが、野暮な突っ込みはしない。
魔導竜は善良で、得たお金を無闇に貯め込んだりしない。新たな歓待のために費やして僕らに還元してくれるからだ。
おいでと手を振りながら少女は横にずれて、座るための場所を空けてくれた。
お風呂のふたを閉じて、そこにタオルを何枚か重ねている。どうやらここに座って蒸気を楽しむという場らしい。
ふむふむと感心しながら周囲を眺める。
金たらいの上にデンと座った火とかげは、すっとぼけた顔をしておきながら実は火力があるらしい。むあっとした熱気に包まれており、冬の季節であることを忘れてしまいそうだった。
蒸気の充満した室内を見回しながら湿ったタオルの上に腰を下ろす。すると思わず「熱っ!」という言葉が口から出る。飛びあがった途端に左右から爆笑された。
「うわっははは! 素人はこれじゃからなぁ!」
「あーっはっはっは! あらあらカズヒホちゃん、悲鳴をあげてしまうだなんて情けないわ」
ぴしゃぴしゃと肩や太ももを叩かれて……なんでかな、サウナ場で自称玄人に絡まれる気分だったよ。
しかしふと気づく。ぷるっとした弾むような感触が腕に触れていることを。
うっ、と呻きもする。尚も笑い転げるマリーはまったく気づいておらず、代わりに男子である僕が身をギシリと強張らせることになるとは。
「ふふん、いいかしら。サウナを楽しむコツは、気持ち良くたくさんの汗を流すことよ。熱さなんて忘れて、適度に水分を摂りながら過ごして頂戴」
そう言って彼女もまたグラスを手にする。端に唇をつけると先ほどの言葉の続きなのか、空いているほうの腕でグッとガッツポーズを作る。
危なっかしいと思える紐を柔肌に食い込ませており、汗のしたたる脇の下の光景というのは……なんでかな、目のやり場がすごく困る。
そうやって視線をウロウロと彷徨わせた結果、ごく自然と火とかげと見つめ合う。
ぽかんと開けた口には小さな丸い牙がついていて、よく見たら熱対策なのかレンガのようなものを金たらいの下に敷いている。無駄に手が込んでいるんだなと感心した。
唐突に、ジュワッと蒸発する音が響いて浴室はさらに湿度を増す。びっくりしたけれど、振り向くとそこには水鉄砲を構えたエルフさんがいた。足を組み、えへんと得意げに小さな胸を反らしながら。
「ふふん、びっくりさせてしまったかしら、私の火とかげのパワーに。ここ最近の超レベルアップで、私の精霊使役の力もあなどれないほどになっているわ」
ああ、うん、としか言えないや。あぐらをかいたままじょわああーと蒸気をあげる火とかげという光景は、ものすごく変だったから。
と、反対側からどしんと肩を当てられる。振り向くとそこには黒髪を濡らすウリドラがおり、にこりと白い歯を覗かせた。
「こうやって水をかけて蒸気を出させておるのじゃぞ。向こうの第二階層には香木もある。樹木の香りに包まれて、さぞ良い思いができるじゃろう」
そう気楽に話しかけられているが、こちらはより凶悪である。透き通るような白い肌をしておきながらふくよかな谷間の陰影は強く、だぷんという音さえ聞こえそうだと思う。
胸の先端を吊っているかのような黒色のビキニであり、縁を銀色のラインで飾っている。支えが少ないので、いまにも柔肌がこぼれ落ちてしまいそうだった。
と、彼女の表情は気難しそうなものに変わる。
「しかし課題はいくつもある。火事を起こさないように火とかげを管理せねばならぬし、夜間にサウナへ入りたいと言う者もおるじゃろう。毎晩ここへ戻ってしまうマリーには仕事を頼めぬのぅ」
あの、そんなことより腕に当たってしまいそうです……という言葉を僕はゴクンと飲みこむ。これだけ近いと体温が伝わってくるし、先端からしたたる汗が太ももに落ちてくるんだ。
そ、そうだね、とかすれた声をあげながらまたも僕は視線を彷徨わせる。
ふと何かに気づいたようにウリドラは瞬きをする。
まつげに縁どられた美しい瞳で僕を見つめて、なぜか唇の端に笑みを浮かべる。その表情にゾクリと寒気を感じたのはなぜだろう。
と、すべすべの彼女の腕が僕の首に巻きついてきた。
「のう、北瀬。おぬしはどう思う。施設を豪華にしたいのじゃが、いかんせん人手が足りぬ」
濡れた黒髪を指先ですくい、耳にかけながら間近で問いかけてくる。面積の少ない水着ではわずかにしか大人の柔肌を隠せておらず、また横からはお尻が触れている。ドッドッと心臓が鼓動を強めた。
「せ、精霊術の使い手は他にいないんダッケ?」
のしんと肩に柔らかな重みが乗ってきて、最後のあたりは裏返った声となる。
しかしどうしてなのか分からない。なぜマリーも一緒なのにこんな挑発的なことをするのだろう。そしてなぜ笑みをさらに強めているのだろうか。
その疑問はすぐに解消される。ごくごく小さな声で、黒髪美女はこう囁いてきたのだ。
(ふん、いつもの仕返しじゃ。だらしのない顔を晒して、たまにはマリーに嫌われるが良い)
ふぅー、と湿った吐息を当てられながら僕は驚愕する。
なん、だとッ!? 仕返しとはいかなる理由だろうか。彼女に嫌われることをした記憶は無いし、それどころか師として尊敬さえしている。
しかし目を見開いて驚愕する僕とは対照的に、ウリドラは「貴様……いい加減にもぐぞ」と言いたげに瞳を細める。極寒に包まれたようだったし、はっきり言ってブルッと震えるほど怖かった。
信じたくはない、信じたくはないのだが……彼女は本気だった。思わず「調子に乗って済みません」と謝りかけるほどに。
さて、そんな僕らの事情をまったく知らない少女はというと、おとがいに指先を当てて「んー」と悩んでいた。
「そうなのよ、いまの攻略隊には精霊使いってあまりいないのよね。私を除いたら……イブくらいかしら? ね、これで問題もクリアできるんじゃないかしら!」
ピコンと電球が浮かびそうな顔をして、そして半妖精エルフ族はアイデアを褒められたいのか、すべすべの肌で触れてきた。おへそにたまった汗をしたたらせて、腕に触れてくる肌は熱いとさえ思う。
にこーっと間近で笑われると、なぜか少女の場合は破壊力を増す。
いつものように触れ合っているつもりだろうけど……違うんだ。うりうりと指先でつついてくる仕草のあいだも、真っ白な肌をたくさんの汗が流れてゆく。危なっかしい紐を湿らせて、食い込み気味のビキニは……!
どうしよう。
右も左もまともに見れないんだけど。
おまけに正面では火とかげがもうもうと蒸気をあげているので、熱くて顔を逸らさざるを得ない。
と、多少は気が済んだのかウリドラは身を離してゆく。
ホッとしたのも束の間、モデルのように長い脚がどしんと僕の太ももの上に乗る。べえっとわずかに舌を見せてから、切れ長の瞳は少女に向けられた。
「あやつはなぁ、術が少々雑じゃからなぁ。まあ良い、相談するだけしてみよう。駄目そうなら時間帯を限定すればそれで済むしのう」
まあ確かにね。イブも精霊術は使えるだろうけど、細かな使役ができるとは思えないし。
まだ脚を乗せられているとはいえ、離れてくれたので多少は気が楽になった。ほうとさりげなく息を吐き、僕も一緒にサウナのことを考えることにした。
ふむふむと思案しながら僕は口を開く。
「でもサウナはいい案だね。露天は気持ちいいけど、冬だとやっぱり湯に浸かるまで寒いから。そういえば館内に温泉は作らないの?」
「考えてはおるが、土台まで変えることになるし景観との折り合いもある。少しばかり時間がかかるのう。その繋ぎにと思うておったのじゃが、そう都合よくポンと出来はせぬようじゃな」
はあー、と深い溜息をしてウリドラは瞳を閉じる。
ただでさえ屋敷の客数は増しており、男女交代制の温泉だけでは足りなくなってきている。知らなかったけど経営というのも大変なんだねぇ、とうなだれる様子を見て思う。
ふうむ、どうにか僕らも手助けできればいいんだけど。
そう思って少女に視線を向けてみる。たぶん考えていることは一緒だろうし、困っている魔導竜を助けてあげたいと思っているはずだ。
小首を傾げるマリーは、やはり僕の意図にすぐ気づいてくれる。ニッと唇の端に笑みを浮かべるのは、まるで「任せて」と言っているかのようだ。
わずかに身を寄せてきて、ほっそりとした指が頬に触れてくる。そして反応する間もなく、むちゅっと唇同士が触れ合う。
瞬間的に僕の頭は真っ白になったし、浴室で崩れ落ちそうになった。
唇さえも熱いと感じる。
わずかに湿っており、動けない僕を見て少女は確かに笑った。指を絡ませ合うのと同時に、かぽりと音を立ててより深くまで触れる。
甘いとさえ感じる唇であり、はあと間近で吐かれた息もまた熱い。やわらかさと甘さに頭をジンと痺れさせている僕を――ぺろりと少女は去り際に舐めた。
それまで薄目で僕を観察していたマリーは、唐突に瞳を真ん丸にする。
あれ、違ったかしら? ウリドラが見てないから、てっきりいまがチャンスだと合図してきたと思って。
そのようにピピッと汗を飛ばしながら身振りで伝えてくる。
「……おう、貴様らいいかげんにせえよ」
妙にドスの効いた声が浴室に響いた。
びっくりした。まさかあんな地の底から響くような声を出せるだなんて。
はい!という僕らの声がそれに続く。ぴしっと背筋を伸ばした姿勢で。
§
珍しいイベントにはさらに珍しいことが起こる。
普段なら絶対に立ち入れない脱衣所で、僕も一緒にバスタオルで身体を拭いていたんだ。もちろん水着のおかげだけど、髪の毛にゴーッとドライヤーを当てられるのは変な感じだ。
「っとに、貴様らは……。おぬしらに足りぬのは常識じゃぞ。分かっておるのか?」
「分かってます! 確かにさっきはやり過ぎたと思ってるケド、謝ったんだからいつまでもブツブツ言わないで。もう、これなら黒猫だったときのほうがまだ可愛げがあったわ」
ぷくっと頬を膨らませながら鏡越しにマリーもやり返す。
しかし常識が足りないのはお互い様だ。
僕とマリーが同時に悲鳴を上げたのは、鏡越しにストンと水着を脱いでいたからだ。真っ白い背筋、そして大ぶりの桃のようなお尻を見せつけられて……。
「きゃあっ、見ちゃ駄目! ウリドラ、はやく服を着て!」
「あああっついッ! マリー、マリー、僕の髪が焦げちゃう! 見ないから! 変な臭いがしてるから!」
えーと、なんだっけ、僕は驚くことが少ないとかなんとか最初に言っていたっけ。
うん、どうやらあれは嘘だったらしい。ただお風呂に入っただけで何度悲鳴をあげたか分からないし、驚いてばかりだったよ。
それとサウナの件だけど、まさか古代から現存するという伝説級の存在、焔天竜に番をやらせるとは思いもしなかった。
確かに精霊使役もお手のものだろうし一人で24時間営業もこなせるだろうけど、いささかハイスペックすぎでは?
いやまったく、世の中は驚きが尽きないね。
そう思いながら薄暗い浴室に残された空のグラスを片付けてゆく。
浴室はがらんとしておりいつも通りの光景に戻っていた。それもまた不思議なものだと僕は感じる。
向こうのリビングから明るい笑い声が聞こえてきたので、いつの間にやらにぎやかな場所はあちらに移っていたらしい。
たくさん驚きはしたものの、にぎやかなリビングに向かう僕の歩調は軽かった。鼻歌も漏らしていたかもしれない。
エルフさん5巻が発売開始です。
ぜひ宜しくお願い致します。




