第291話 ウォルス王子の思惑②
がろん、と薪が地面に落ちる。
それを拾い上げるのはずんぐりとした大きな手であり、その腕には硬い鱗が生えている。
冷たい空気を吸い、吐き出すと白く染まった。
ふむ、と彼――オゾと呼ばれるリザードマンは感慨深げな声を漏らす。
大気がオオオと風を鳴らしており、どこか荒々しくも生命力に満ちた匂いを嗅ぎ取れる。
背後からギャイギャイと響く声は「夜食にしようぜ」と呼び掛けている仲間たちであり、片手を上げて応えてから月明かりの照らす世界をまた眺める。
野菜たっぷりの鍋はとても魅力的だけど、いまはまだちょっと風の匂いを嗅いでいたい。
スン、スンスン、と鼻腔を鳴らす。
懐かしい。そう、懐かしさを覚える。
太古のころと同じ風を感じ取れるからだろうか。脈々と受け継がれる血によって、祖先たちの歩んできた世界に降り立ったような錯覚を起こす。
まだ何もないがらんとした空間だけど、それを気のいい仲間や子供たちと一緒に開拓する。きっとまた第二階層のように賑やかな土地になるだろう。そう思うとワクワクするし、なぜか楽しみで仕方なくなり目を細めてしまう。
「それもきっと脈々と培われる血なのだろう。わずかなりとも竜の血を残している眷属たちは、恐らくずっと昔から楽しい時間を過ごしてきた」
「おお、焔天竜様、こんな時間に」
振り返ると同じように目を細める男性がいた。執事然とした服装をしているものの、腕にはブランケットに巻いた赤子が二人。どうやら夜泣きをしたらしく、あやしついでに立ち寄ったという風だ。
起こしてしまいませんかね、という視線を向けると「私の子だぞ」と言うように笑みを深めてきた。仮に起きてしまったとしても竜の子はたくましい。きっとオゾを見て、いつものように遊んでくれと小さな手を伸ばしてくるだろう。
「今夜はだいぶ騒がしいようですね。人間どもがいつまで経っても帰ってこない」
「本来なら第四層は人の手に余るからな。見ろ、地熱で靄が立っている。下層ではかなりの死者が出ているようだ」
あごで示された先には、うっすらと青みがかった靄があり、ずっと遠くは灰色にかすみつつある。
竜の感覚というものは分からないが、彼がそう言うならばそうなのだろう。まさに太古の時代から生き続けている存在こそが焔天竜であり、木っ端な魔物にとって理解など遠く及ばない。
「ム、ここでそれほどの被害が出るのは初めてですね。皆が無事に帰ってこれるか心配です」
「身を案じてくれるのは嬉しいが、犠牲者は外から来た人間ばかりだ。そしてウリドラ様が望んでいることでもある……が、ああ見えてとても優しい竜だから心配だ」
そう、人のことが好きな竜というのは変わっている。かつて己に刃を向けてきた相手に対し、まあまあ過去のことはいいじゃないかと笑って言える竜はほとんどいない。多くが恨みを抱えており、また焔天竜もそのうちの一人であった。
国神を得た人類種というのは強い。
かつては無尽蔵の力を有する者もいたと聞く。たとえ強大な魔物や竜が相手であろうとも、地に伏して亡骸となった者の力をそのまま国神は利用して、再び襲いかかるように命じてしまう。
「だからこの古代迷宮という仕組み、そして人々の祀る国神はどこか酷似している。果ての無い戦いを片方が仕掛け、そしてもう片方が応じた。故に古代から続く戦いはまだ終わっていない」
歌うような言葉には真実味があり、オゾは半分も理解できぬまま声をじっと聞く。なぜか貴重なことに感じられたのだ。
「あなたは古代を懐かしむとき雄弁になりますね」
「ああ、違いない。実は私もおしゃべりでな、誰も聞いていないときは子供たちにずっと話しかけている」
内緒だぞ、と笑いかけられてリザードマンは目を線になるまで細めた。可愛い親もいたものだ、と思いながら。
「夜食にどうかと思い、ちょうどいい仕上がり具合の腸詰肉を持って来た。ん、お前たちは香辛料を苦手にしていたか?」
「ハハ、もう慣れましたよ。喉がずっとヒリヒリしますけど、酒で洗い流すと逆にすっきりして美味しいと感じます。そこから先は、ずっとお腹があったかい」
ずんぐりとした体格のリザードマンが、ごくんと喉を鳴らしながらそう答えた。
はやく来いと呼びかけてくる仲間たちも二人分の席を空けてくれている。そこから美味しそうな香りを漂わせていては、そそくさと足早に歩み寄るしかないだろう。
ご一緒にどうですと尋ねたものの、焔天竜は肩をすくめて「私はこれだから失礼するよ」と赤子たちを示してくる。ならば無理には誘えまい。
皆はぶんぶんと大きく手を振って、それから楽しい楽しい夜食の席につく。
「では、第三階層の繁栄を願って」
「かんぱーーい!」
なみなみと注がれた酒を飲みほして、獣人らはハハハと笑う。きっと明日も楽しい思いをするだろうなと思いながら。
爬虫類は体温調整が苦手なので、ほくほくの野菜が美味しくて仕方ない。味の染みた大根の、なんとまろやかな味わいか。
「ンまーーい!」
第三層の開拓は始まったばかりで、まだ形にさえなっていない。しかし皆は出来上がるのをとても楽しみにしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どどん、どおお、と連続的に古代迷宮は揺れる。
発生源は巨大通路の奥で繰り広げられている魔物同士の戦いによるものだ。
また発せられる熱量は、ジュワアアと白煙と共に傷をふさごうとする巨大獣の自然治癒術によるものであり、辺りの視界はすこぶる悪い。
名もなき四足の魔物は大量の唾を垂らしつつ、とうに潰れた大きな目玉で敵の捕捉を急いでいた。
だがもう捕捉する必要は無い。無いのだ。
焼け焦げたマントをたなびかせて、がしゃんと甲冑を鳴らし、これまでずっと探し求めていた強敵が姿を現す。はるかに小柄なその相手は、どうやら正面での戦いを求めてきたらしい。
口と全身から湯気をあげているのは互いに変わらないものの、片や一歩退き、もう片方はそのぶん進む。
魔物の怯えを感じ取り、もはや戦いの体を成していないと悟ったのか、鎧姿の女は金属音を鳴らして汗の流れる顔面をさらけ出す。
ヘアバンドのような布で濡れた髪を束ねており、頭頂部から後方にかけて茶色から黒色に変わる。肩までの髪を指先ですくって耳にかけ、魔族を示す白黒を反転させた瞳を向ける。
「――――………」
その呼びかけの言葉は、ガロゴロと焼け崩れる石材によって掻き消される。誰にも聞こえないまま提案を耳にして、それから躊躇いつつも両手で抱えられそうなほど大きな鼻先を女に向けてきた。
スンスンと汗の匂いをたくさん吸い込んで、そうして頭を垂れてゆく。まるで服従を示すかのように。
獣の動きはだんだんと緩慢になり、呼吸で揺らぐ剛毛もまた静かになってゆく。
それを見守るのは地面に腰を下ろす攻略隊たちであり、深夜帯とあってあくびを漏らす者までいた。
既に戦いは1時間近くまで及んでいる。
援護すべき正規軍はほぼほぼ撤収を終えており、しかし命令に従わず戦場に留まる者たちも数多い。
見ろ、とそのうちの薄汚れた一人の兵士が指をさす。
示す先には蜂蜜色の髪を奔放になびかせる女性がいた。手にした本は大きくて、揺らいだ布から輝かしいほどの素肌を覗かせる。
気がつけば、魔物の名を示す「狂獣イガルタ」という頭上の赤文字も揺らぎつつある。
この場に残った正規兵らは胸をジンと熱くさせるものを確かに感じており、せめてもう一度だけあの名も知らぬ女性の姿を目にしたかった。さすさすと大きな鼻を撫でているあの女性を。
死の境界線の向こう側に放り出されていたはずが、つい先ほど一人ずつ彼女が歩み寄り、そして癒してくれた。
青空色の瞳がとても印象的な人で、にこりと笑みを浮かべられただけで男たちは言葉を失う。
厚い鎧を忘れるほどの黄金色の熱風に包まれて、生命力そのものの世界に包まれて、かつての母を相手にするようにすがりつきたくなった。
集った者たちは、そのときの激情という名の熱風をまだ忘れられないのかもしれない。
そうして見つめられるなか、ビシリと狂獣は音を立てる。
ビシリ、ビシリ、というひび割れの音は尚も続き、やがて一切の動きを止めた。
まるで凍りつくようだ。凶悪だった全身の色素は失われてゆき、がしゃんと砕け散るのもまた酷似している。
と、大量に落ちてゆく氷の破片のなか、一瞬だけぴょんぴょんと身軽に跳ねる白い犬のようなものが見える。片目を潰したその犬は、ハッハッと白い息を吐きながらも軽快な足取りでジャンプをし、自ら大きな本に吸い込まれる。
この日からなぜか第二階層を元気に走り回る犬が現れて、大人たちの手によって犬小屋を作ることになるのだが、考えうる限り最強の番犬が生まれたことを誰一人として理解する者はいなかった。
色とりどりの図鑑を眺めて、収集家の血を刺激したのか「むふん」と嬉しそうな鼻息を漏らす。そんなシャーリーの愛らしい表情もまた、立ち込める白煙のおかげで誰にも気づかれずに済んだらしい。
そのとき、穏やかに変わりつつある気流のなか、真相に気づけた者は二人いた。
一人は魔導竜ウリドラ。彼女はいつになく静かな瞳をしており、心の奥底にある感情を決して露わにしないように耐えている。
もう一人はアリライ国王族の末裔ウォルス。
若年でありながら真実を見る眼を授かっており、じいと熱い視線を彼女に向けていた。
ニイと彼の唇はつり上がり、白い息を吐き出す。
「ははは、ようやく確信できたぞ、ハカム! あれが貴様の軍とともにいる理由を洗いざらい吐いてもらう。もはや言い逃れは許さんぞ」
向けられた凶相を見て、統括者ハカムは「やはり」と確信した。
読み通り、彼はあの子を狙っている。女神と思えるほどの奇跡の力を持つあのシャーリーを。
わずかに息を震わせて、視線を逸らすことなく軍師は唸る。
可能性のひとつとして考えており、そのため今宵はシャーリーに助力を求めていた。勘が外れてくれれば良かったが、と思いながら胸中で意思疎通を飛ばす。
『王子は国神を得ようとしているぞ、アジャ!』
『なんじゃと!?』
老人の言葉は裏返っており、しかしこれまでの王子の動向を閃光のように繋げてゆく。
決してこの地を離れまいとする姿。魔の第四階層でも踏みとどまり、魔石や財宝にも目もくれぬ様子。つまりは狙いは最初からそれだった。
『にわかに信じられん。新たな国を興したのは、もう三百年は前のことだ』
意思疎通を使ったごく短い会話で、互いの多くの汗を流す。目まぐるしく思考が加速して、できるのか、できないのか、という絶え間ない問いかけを己に課す。
つまりは新たな国神として祭り上げ、己の国を生み出すこと。そして加護を一身に受けることがウォルス王子の狙いなのだ。
ならば犠牲をいくら出そうとも目の輝きを失うことなど無いだろう。目的のものを手に入れるそのときまでは。
『さて、な。本気なのか狂信なのか俺には分からん。だがそうなると面倒だ。後継者争いを早々に放棄して、この古代迷宮を丸ごと手にいれる腹だろう』
面倒というのはつまり正式に管理下に敷かれるということだ。それも本国からの了解を得ないまま。このままでは反逆者と呼ばれる日が来てしまうかもしれない。
戦場で長年培ってきた勘は、ヒリついた空気からそのような事情を感じ取る。返事もできない様子のハカムに向けて、当の王子は笑みを深いものに変えた。
「あとの杞憂はあの女、ウリドラと言ったか。この地の主人と言い張る者には早々に退席を願うとしよう。貴様らも私に伝えていない後ろめたいことがあったようだからな」
「それは……どういう意味ですか?」
「すぐに分かる。――では退却だ」
赤いマントをたなびかせて去り行く背中を、悩ましい思いでハカムは見つめた。
ドドッ、と第四層の扉から吐き出されたのは5頭の武装した軍馬だった。
それは真っ黒い平原をひた走り、ぽつんと照らし出される野営地に向かって真っすぐ突き進んでゆく。
泡を喰ったのは当のリザードマンらで、主人から「決して見つからぬように」と命じられていたにも関わらず、酔いが回って脚がもつれている。
そんな皆の様子を眺めたオゾは時間稼ぎのために足止めを決意して、ふすーと長い息を吐きながら振り返った。
ドクドクと鳴る胸は、きっと本能が警告しているのだろう。
恐ろしい目に遭うだろうと。
魔物らしい目に遭わされるのだと。
しかしこの場を動くことはどうしてもできなくて、綺麗な夜空を見上げて、あったかい息を吐いた。
彼――オゾは、ほどなくして捕獲された。
そんなことをしなくても逃げやしないと訴えても全身に鉄の杭を何本も打ち込まれ、そして氷のように冷たい平原を馬に引きずられてゆく。
段差のたびに全身に痺れるような痛みが広がり、血もたくさん溢れている。きっともうすぐ死ぬんだろうなと思いながら彼は目を閉じた。
遠く離れた地で、ゆらりと黒髪が舞い上がる。
これまで静かに耐えてきたウリドラは、ふうと古代迷宮の奥底で息を吐き出す。
思えばこれほどまで耐えたのは初めてのことだ。大事なものを土足で踏み荒らされても、文句のひとつさえ言っていない。
「だが、わしのものに手を出した者は許さんぞ」
みしりと彼女の額から音が鳴った。




