第290話 ウォルス王子の思惑①
闇の広がる巨大な通路。
真っ直ぐに、ただひたすらに直進するこの巨大な通路が古代迷宮第四層におけるほぼ全ての光景だ。
広間も無く、隠し扉も無く、魔物は正面からのみ襲いかかる。
振り返った姿勢でそれを眺めていたのはウォルス王子だった。くすんだ金髪を風になびかせており、松明の灯りに照らし出された横顔はどこか険しい。
彼は王族のなかでも若輩者に入り、これまでの実績の差によって周囲からさほど期待されていない。生まれたときからずっとだ。以来、鬱屈した感情をそのままに成長して、友と言える者もいない生き方を選んでいる。
分析に長けており、敵勢力の把握をする能力は抜きん出ている。しかし圧倒的な魔物の物量に対して、決定的とも言える戦力が揃っていないという結論を、今宵の戦場で長いこと否定し続けてきた。
故に戦力の3割を失い、まさに壊走させられている。
はなから分かっていたのだ。勝てはしないのだと。
人には限界がある。そんなこと誰でも知っている。あのような魔物の軍勢を見れば子供にだって分かる。だが、そんなものじゃないだろう、とも思うのだ。
ググ、と人知れず王子は手を握りしめてゆく。
それだけではないはずだ。
分析だけが全てじゃないと誰かに言って欲しかった。ずっと、ずっとだ。そんな数字だけで決まる世界なら、私が生き続けてきたことに意味が無かったことになる。そう、生まれの序列によって全て決められているなど、そのようなことが……!
「……殿下、ウォルス殿下」
傍らから響く声により、深い思考から彼は戻る。そして振り返った青い目は感情をまるで示していなかった。
「ハカムか、早かったな」
戦場というのは死と密接しているものであり、たとえ安全地帯にいても頬がこけるほどの疲労を伴う。そうすると面の皮さえも薄くなり、人物の持つ本質というものを知ることもできる。
しかし彼の心をわずかにも知ることができず、ハカムは内心で眉をしかめながら口を開いた。
「遅いくらいです、殿下」
その返答に礼を言うことも頷くことも逃げることもなく、王子は闇の向こうをじっと見つめる。そこから吹いてくる風には濃い血の匂いが混じっており、誰であろうと不快に感じるものだった。
「この地のことをどう思う、ハカム」
いまだ肉体の衰えを見せぬ熊のような男は、ため息混じりにぐるりと戦況を見渡す。列を成し、続々と戦地から離れてゆく正規兵を眺めながら乾いた唇を開く。
「非常に厳しい場所です。常人には耐えられぬほどに」
「常人には、か」
そうハカムは言う。驕り高ぶった声ではなく、ただ真実として伝えようとする声だった。それを聞くウォルス王子もまた、珍しくわずかにうなずいて見せた。
いや、もしかしたら今宵の厳しい戦いが王子をわずかなりとも変えたのだろうか。能面のように無表情な顔をしているが、以前見かけたような張り付いた笑みが消えていたことに気づく。
「絶望のなかには必ずや希望がある。おとぎ話に近しいことだが、今宵、私はそれを確かめに来た」
「……希望、ですか?」
「あいにくと私は希望を見たことがない。だからどのようなものかは知らぬ」
側近のいなくなったウォルスは、こういう男だったのかとハカムは思う。頼るものもなく頼られたこともなく生きてきたと告げる背中をしており、また迷宮統括者はじっくりとその表情を眺める。
――さて、肝心のウォルス王子の狙いは何だ?
そう内心でひっそりとハカムは考える。
このような地に駐留することを本国にも知らせず、魔の領域たる第四層に留まり続ける。死の可能性さえも見ただろうに、あの横顔を見る限りはまだまだ続ける気だろう。
では、なんのために?
それを知るために今宵は援軍を投じている。そして彼にしかできないこと、王子の思惑を知るためにハカムは接触した。
古代迷宮に固執してみせるその理由は?
撤退の最中であろうと目の色を変えぬ理由は?
いったいなにを得たがっているのか。宝や魔石などではないだろう。そうであればこれまでに得ている財宝に多少なりとも興味を示している。
大量の塵の舞う巨大通路を眺めながら、王子は「だが」という冷徹な声を漏らした。
「間違えるなよ。貴様らも常人だぞ、ハカム。知らず知らずのうち加護を得ていると気づかないのか?」
「……加護?」
一瞬だけ驚いた顔をするハカムだったが、その髪がぶわりと風に揺れる。その戦場から届く突風はさらに強まり、吹き飛ばされかけながら身体を庇う。
――ドドドドドドオオッ!
そのときハカムが見たものは、戦場で轟々と黒炎をあげる光景であり、またこれまでになく目を輝かせる王子だった。
「ハッ……出たぞ、本物だ!」
突風の中心に立つのは薄手の服を風になびかせる少女であり、しかし背中を向ける彼女は意も介さずに右手を真っ直ぐ天井に向けてみせる。
真っ白な背筋と蜂蜜色の髪が、黒炎を背後に輝かしいほど浮かび上がる。
伸ばした5本の指には軍勢を呼び出す意味があるのだろうか。割れた通路の奥から、たくさんの剣を持つ何者かが姿を現す。
そうして焼けた酸素に喘ぐなか主要攻略隊が加速する。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まず本領を発揮したのはザリーシュだった。人のなかではという意味で。
巨大な黒馬を背後にしながらブ厚い盾を持ち、どろどろと地響きを立てながら突進してきた奴を怖れることなくみじん切りにする。盾に食い止められた者も、接敵しかけた者までも。
特製の剣には切っ先までの真っすぐの線が輝いており、これには微振動で刀身の血を弾き飛ばす機能があるらしい。故に血煙そのものとなって魔物らは爆ぜる。
どん、どん、どどん、という太鼓に似た音を戦場に響かせながら進むダイヤモンド隊。追従するのは一糸乱れぬ動きをするブラッドストーン隊だ。
V字型の陣形を組み、がしゃんと盾の隙間から巻き上げ式のクロスボウを覗かせて、突進してくる魔物らに喰らわせる。ごく自然と十字砲火を浴びせられたのだ。たとえ高レベルな魔物でもたまらない。
最も手薄となる陣形の左右の端は、ガストン率いるルビー隊、先のダイヤモンド隊が埋めているのだから早々にほころびが生じることは無いだろう。
ア、アア、アアアーー―――……!
と、戦場には甲高い聖歌が響き始める。
それは単なる始まりだった。今まで接敵するまでもなく魔物らを駆逐していたのだが、どう、どう、と薪に火を灯したように男たちの勢いが増してゆく。
その歌は戦士たちの血潮をたぎらせて、獣のような目に変える代物だ。めき、みし、と筋肉は膨れ上がり、吐き出した息は真っ白に染まる。
後続として詰める上級聖騎士ドゥーラは、国神の加護を存分に受けながら銀色の刃を振りかざす。
ただ「進め」とだけ命じ、彼らは応える。どう、どう、と雄々しい地響きを立てながら。
そう、違ったのだ。
以前戦ったときの姿とは迫力も何もかもがまるで異なる。はっきり言って彼らは出し惜しみをしていた。十分な戦術、戦略を使うことなく、ごく一般的な戦い方を見せていたのだ。邪魔な王族がいたから。
しかしここは古代迷宮。
教科書通り、お手本通り、などという甘っちょろいことはしていられない。でないとまともに対抗しきれない。
ダイヤモンド隊唯一の魔術師の手によって、いま巨大通路を埋め尽くすほど、あの大量の塵と雪を掻き消すほどの胞子が放たれる。
本能的にヤバいと感じて突進して来てももう遅い。そもそも勇者候補の抱える「音速以下への自動反撃」「領域内の絶対防御」という技能を彼らには崩せなどしないのだ。
じょわあ、とこだまするほど大量の浸食する音がする。皮膚から神経に、神経から血管に、ゆっくりゆっくり染み込んでいく術式だ。もう止まらない、止められない。術者を殺す以外の対抗策などありはしない。
しかし近づけば殺される。近づくことなく殺される。これをどうしろと言うのだ、という焦りさえ感じさせるものだった。
盤石の布陣で進み続ける攻略隊に、ようやく魔物らは二の足を踏むように動きを鈍らせる。
だが、ここ第四層は魔境だ。
迷宮とは深さを増すほどに人智を超えてしまう場所でもある。それは攻略開始のころハカムが口にした通り「三層、もし存在するとしても四層まで」というのが常識的な上限のはずだ。もはや歴史的に見ても最下層まで、人の到達できるギリギリの場所まで彼らは辿り着いてしまっている。
――バヂヂヂヂッ!
故に猛烈な紫電が辺りに撒き散らされて、周辺にいた魔物らは一斉に焼け崩れた。
まるでそれが始まりであったかのように、ズン、と巨大通路全体が震える。
一斉待機を告げ、指揮者ドゥーラにより抑えられてはいるが、こちらもまた爆発寸前だ。もっと魔物をよこせと男たちは闘気を燃やしており、赤髪の女がたらりと汗を流すなか、その魔物は現れる。
――バぐしゃあっ!
真下から突き上げる突進によって通路は一瞬で完全崩壊を起こし、空中に舞い上がった魔物たちさえ飲みこまれる。紫電によって塵と化し、その塵さえも取り込んでゆく存在。
甲高い幾重もの声、声、声。
それは心音よりもずっと早く鳴り響き、重厚であり押しつぶされそうな重苦しい空気を伝えてくる。
そうして地響きを起こして着地しざま、一切の躊躇もなく歩いてくる。
巨大な蹄が通路を砕き、黒い剛毛の中心には紫色の目がひとつだけある。ぐるぐると左右を見回して、たったのそれだけで男たちの身体から「ピピピピピィィーーッ!」という嫌な嫌な音が響く。標的補足だ。
ぞわあっ、と一斉に全身の毛が逆立ってしまうのを止められず、男たちは顔色を変えた。
その巨体が、どおん!と揺れる。
真横にズレた中心では黒炎が燃え上がっており、皆が指さす先には何者かがいた。
「ハハハハハ! キタあああーーーーッ!!」
がばりと獰猛に顎を開き、魔装カルティナもまた瞳を燃え上がらせる。巨大な剣を半ばまで埋め、恐ろしい戦闘音楽を上塗りしてゆくかのように騒音を撒き散らし、背後にあるクロス状の羽を輝かせながら嬉しそうに笑う。
「信じていた、私は信じていたのだぞ、お前のような強敵と出会えることを。でなければこのような強大な剣を手にした意味がない。さあ、運命だ。戦いだ。お前の待ち望んでいた魂を燃やす場だ。では心の底から楽しもう!」
にっこりとした無邪気な笑み、それから「えいえいおー」という動きは少しばかりおかしい。その……、頭が、という意味で。
しかしもしかしたらこの場合は正解だったのかもしれない。魔素で真っ黒になるまで塗られた床の破片が舞い散るこの空間ならば。
大剣を両手に構えて、にこりと乙女のような笑みを見せ、そうして目標補足など出来るはずもない速度となり、砕けた大理石から大理石まで瞬間的に移りながら、ずどん、ずどん、と存分に巨体を抉りだす。
なるほどな、と頷いてからドゥーラは大きく息を吸った。
「皆、下がれ! 後退する!」
つきあってらんないっスね、と言わんばかりに攻略隊は大人しく後退してゆく。巨大怪獣の戦いは昔から人は入り込めないと相場が決まっているのだ。あれをヒーローと呼んで良いのかは誰にも分からないだろうけど。
狂獣同士の戦いは、正直なところ見れたものじゃなかった。
きっと魔軍を率いていたろうし、本来ならば名のある魔物だったに違いない。それなのに「偶然でもいいから当たれ!」と言わんばかりに牙を剥き、尻尾を振り回す。
途中でヤケを起こしたのか両手両足でバンバンと地面を踏み始めたのは、なんというか……コメントを差し控えてあげたくなった。
「カズヒホのとこの隊員が来るとさ、大体ああなるよな」
「ああ、ふざけた感じになる」
むしゃりと肉まんのようなものを頬張り、温かい茶を飲みながら兵士らはそんな言葉を口にした。
遠巻きに眺めていた正規軍にとっては、そんな兵士でさえ魔境そのものの光景として目に映っただろう。




