第286話 第三階層の開拓計画③
創作料理だ、とまずは己に言い聞かせる。
そして傍らに並べた長いフォークやヘラ、細身の包丁などを指で触れてゆく。たったのそれだけで一級品だと分かった。
灯りによって美しい光沢を見せており、なめらかに整えられた調理器具はつい惚れ惚れしてしまう。
男のくせに料理など、と笑われることもある。
しかし食材の味を活かしきるという料理の持つ奥深さ、真髄というものは、なぜかほとんどの者が理解をしていない。
それが不思議でならず、ふうと息を吐いてから創作料理に手をかけた。
シャウ!と心地よい音を立てて、新鮮な鹿肉が鉄板の上で焼けてゆく。
赤身のもも肉には余分な脂が少なく、これは岩塩を振りかけてから寝かせておいたものだ。こちらも手間をかけて臭みを抜いた肉なのだと香りから分かり、ふっと唇の端に笑みを浮かべてから調理をしていく。
ゆったりした動きをしておきながら、余分な時間は一切ない。
慌てず騒がず、そして料理人として動きは的確に。
まずは溢れてきた油を別に集め、そこで買いつけておいたニンニクを焼いてゆく。実に食欲をそそる香りが溢れてくるのを楽しみながら、数枚のパンを取り出して、こちらも円を描くように油を吸わせてから鉄板に置いておく。
きのこ、青ネギ、河原で摘んできた大量のクレソン。
そして買いつけたばかりのバターと、どれもこれも笑みがこぼれるほど上質な具材だ。よほどこの屋敷の主は味へのこだわりが強いらしい。
焼き加減に気をつけて、酒をふりかけてからフランベをする。こうしてしっとりとした舌ざわりを失わずに奥まで火を通すことができる。
そのあいだにベリーとワイン、そしてバターを使ってソースを作り始めていたときに、ふと誰かの視線に気がついた。
シェフである彼は知らなかった。
この上質なバター、そして傍らに置かれているチーズもまた、実はリザードマンたちがこっそり作っていることを。
作ることに喜びを得た種族、それこそがリザードマンだ。
この第二階層が作られてからというもの、本来あるべき使命、主を守るということを魔導竜はすっかりと忘れさせたのだ。
それを命じた女性はというと、向かいの席に腰かけて、魅惑的な赤い唇でにこりと笑みを浮かべている。
「ウリドラ様、仕事を見にきましたか?」
「うむ、おぬしの違う顔を見にきた。敬語は……ふむ、しばらくはその口調でいたほうがおぬしにとっても良いじゃろう」
怪訝な顔を浮かべることなく、彼……ザリーシュは頷いた。
裏切り続けてきた彼にとって、堅固な主従関係こそが周囲の者たちに安心を与えると分かっているのだろう。
普段の戦いぶりとは異なり、いまは真新しいエプロンを身につけており、少々お待ちをと指を立ててからローストしたばかりの鹿肉を切り分けていく。
押して引くという動きだけで刃はなめらかに肉を通り、盛りつけに水滴のついた瑞々しいクレソン、ほっくりと焼けた山菜、たくさんのニンニクと共にベリーソースがかけられる。
作り手であるシェフもまた調理の一部である。
そう悟っているようにザリーシュは「召し上がれ」などと口にせず、静かに調理具をタオルで拭き始めていた。
第二階層のみならず、この世界で料理の見た目を気にする者はめずらしい。ローストされた肉には鮮やかな赤さを見せており、今が食べごろだと香りが教えてくれている。
それをフォークで刺すと、あーんとウリドラの色気ある唇が開かれた。
「ずるーい! あたしもあたしも!」
そんなときに、どすんと隣に腰かける女性がいた。
よく焼けた肌をしており、たくさん働いて疲れているのか長耳の先端はしょげている。
無視して食べてしまおうとウリドラはまた唇を開いたが、すぐ隣から泣きそうな顔をされて、また唇の端にきらりと光るものが浮いていては、ブフッと吹き出すしか無いだろう。
「仕方のない奴め。では試食第一号は恋人であるイブに与えてやろう」
「やたっ! あーーんっ!」
伸ばされたフォークにとまどうことなくパクンッとダークエルフ族であるイブは食らいつく。
見た目の良さやお行儀など気にもせず、そして瞳を「んんーっ♡」と輝かせてシェフに無言の讃辞を送っていた。
「はあ、本当におぬしらは水と油のように真逆じゃのう。よくそれでつき合うていられるな」
などと口にしたところでウリドラは気づいた。
ダークエルフ族は礼節を重んじず、教養も乏しく、がさつである。本来であれば身を遠ざけられる要因になるだろう。
しかし全身で喜びを表して、わずかに頬を染めながら美味しそうな顔をしてくれるのは、あの男にとって魅力的に映るのかもしれない、と。
そしてごくんとダークエルフは飲みこんだ。
「美味しいーーっ! ザリーシュってさ、前から知ってたけどお料理大好きだよね。ねえねえ、どこで覚えたの?」
「あ、ああ、以前から知識として知っていたが、実践したのはお前と旅を始めてからだ」
にっこにっこと笑いかけられて、珍しくこの感情の乏しい男まで笑みを浮かべる。つられ笑いというもので、しかしその表情を見るに、彼にとっては喜ばれたことがたまらなく嬉しいのだとも分かる。
ことりと目の前に追加の食事を置かれて、なるほど、こういう意味でお似合いだったのかとウリドラは胸中で思った。
水と油のように見えて、実は互いに必要な相手だと感じている。
向こうの席についている二人もまたそうだ。
魔導竜が瞳を向けた先には、だいぶ人の減った食堂がある。
そして頬杖をつきながら赤髪のドゥーラはじっと映像を眺めていた。
自由に過ごしていい休息の時間ではあるものの、指揮官としての瞳をまだ残しているらしい。
彼女の睨む先は王族らが夜戦をしている映像があり、またこれはウリドラが特別に術を使って見せているものだ。
そしてまだお酒を飲み足りない連中は、徐々に盛り上がり始めてゆく。
お、お、おおおーー! という期待する声が広間に響く。
リアルタイムで映し出されるそこには、円を描くように動く魔物らの群れ、そして瞬く間に本陣が分離されてゆく光景があった。
「孤立した! やばいやばい、やばいぞ王立正規軍! 大丈夫かー!」
そうはやしたてるのは大男のゼラであり、味方である本軍が危機を迎えている割には片手にお酒、片手に骨つき肉、そして椅子にリラックスして腰かけており、まるで娯楽映画を眺めているような体勢だ。
アリライ国に仕える身として、その態度はいかがなものか。そう思いはするものの、面白いものは面白いのだから仕方ない。
さて、いかに連携面で優れている正規軍であろうと、多大なる物量に押し流されて陣形を崩されてしまった。
敵の狙いは明白だ。本陣をこのまますりつぶすように破壊して、壊走したところを後ろから根こそぎ仕留める腹だろう。
真っすぐの巨大通路という第四層は、進むことが容易であるぶん、逃げきることが極めて難しい場所なのだ。
「そしてまた入り口に逆戻り、と。あの中央にいる奴が魔物の指揮をとってるな。それで、お前ならどうするんだ、ドゥーラ?」
「ここでマリアーベルを使うのはもったいないわね。それ以外の方法を探しているけど……一番楽なのは、前後を壁でふさぐことよ」
あー、とゼラは天井を見あげながら唸った。
強固な壁によって通路の前後を塞ぎ、閉じ込めたそこを矢で射抜くなり、ダイヤモンド隊の抱える魔術師によって毒を与えたり、それでなくともマリアーベルお得意の設置型魔術まである。きっと火の海になるだろう。
「夢が無い。なんてつまらない戦闘だ」
「ええ、だけど効率的よ。ただしあの王子には決して見せたくないわね」
ポリ、と酢漬けの野菜をかじりながら赤毛のドゥーラは囁いた。
そのつまらないと切って捨てた戦いは、いままさに最高潮を迎えようとしている。バツバツと青白い雷光が食堂を染めてゆくのは、まさに映画のような展開だろう。
「おおーー、出た! 雷光の騎士!」
しゅうと鎧から白い煙を吐きながら、雷光の騎士は再びその能力を使った。魔物相手に電撃の雨を降らしたのだ。
内部から爆ぜる音、そして白煙が戦場を染めてゆく様子は、まさに奥義と呼んでふさわしい。
しかし、黒コゲとなって転がる大量の魔物を眺めても、大男の口調はさほど変わらなかった。
「やっぱり強いが……うーん、俺とあんまり変わんねーな」
あら、と傍らの女性は赤い瞳を丸くした。
同時に「なるほど」と思うのは、あの万能官が威力を大幅に増幅させているという裏づけがあったからだ。
そう考えると血を媒介させて広範囲を死滅させる技は、彼とそう変わらないかもしれない。
多少は酔っていたのだろう。
彼女は生涯を共にする相手を頼もしく思い、身体を傾けると彼の胸にぽすんと頭を置く。そして彼が赤髪を撫でてくれるのを心地よく感じていた。
どんどん優しくなっていく彼は、いつもドゥーラのことを考えていてくれる。恋人というものを欲しいと願ったことは無いけれど、今となればただ知らなかっただけなのだと眠くなりかけた頭で思う。
こんなに惚れてしまって、なぜか悔しいと感じるのだから不思議だ。
なので嫌味混じりでこう言った。
「派手さと恰好良さでは劣っているわね。ゼラのは血が飛び散って禍々しいし、子供にあまり見せられないわ」
「見た目よりも効果的かどうかだろう? じゃあ、子供に見せるべきかを相談するか、ドゥーラ」
唐突な呼びかけにしばらく黙りこみ、頬を赤く染めながら、こくんと初心な少女のように頷いた。
そして皆が映像に夢中になっているうちに、たくましい首に両腕を絡ませる。そうして人知れずこっそりと抱きあげられたとき、ようやく彼女は指揮官としての兜を脱ぐことに決めたらしい。
通路の向こうに消えてゆくときに、ゆらゆら空中を漂う彼女のつま先が一度だけピンと伸びていたのは、きっと誰にとっても目の毒だ。
第二階層の夜は賑やかであり、華やかであり、そして生命を育むゆりかごとして皆に覚えられてゆく。
もしも楽園がこの世界にあるとしたら、ここにいる皆はきっとこの第二階層を思い浮かべるだろう。
◆◇
ごおお、と風が抜けてゆく。
その風にはたくさんの草の匂いが混ざっていて、どこか子供のころの懐かしさを僕は覚える。
辺りは真っ暗であり、天井がどれくらいの高さをしているのか分からない。シンと静まり返っており、ただ何もない空間に向けて、はあと息を吐き出した。
そのとき空がわずかに明るくなる。
冴え冴えとした三日月が姿を現したのだ。
それはどこか冬の気配を感じさせるものであり、ごしりと指先をこすりながら再び辺りを眺める。
「うん、広いな……」
風で乱れた髪を気にもせず、僕はそう漏らす。
同感だったのか傍らにいた人物もひとつ頷いていた。
彼は僕よりも少しだけ背が高い少年で、その瞳には好奇心をありありと覗かせている。
そして、ニッとわんぱくそうな笑みを浮かべると、彼は前方を指さした。
「本当になにもなくてワクワクするよ、北瀬君。まさかこの年で、蜥蜴と一緒に泥んこ遊びをするとは思わなかったけどさ」
「やあ、これで晴れて有給仲間ですか。お互い変わった趣味を持ってしまうと大変ですね」
本当にな、と彼は笑いながら歩き出す。
辺りに見えるのはぽっかりと何もない空間であり、殺風景なことこの上ない。
だけどそんな僕たちの後方からは、ピクニックかと思えるほど大きなバスケットを持つ少女たちがおり、楽しく会話をしながら近づいていた。
そして向かうべき場所には、ぴょこんと頭を覗かせた蜥蜴もいる。夜目の利く向こうもすぐに気づいたらしく、大きく手を振ってきた。
さて、始めましょうか。
第三階層の開拓を。
そう考えていると、きゃーと笑いながら少女たちが草原を駆けてきた。




