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第285話 第三階層の開拓計画②


 ぽいぽいぽいっと椅子やテーブルに放られていくのは、大量のお洋服であり、それらは冬の弱々しい陽光に照らされていく。

 あの、ちょっと、とシャーリーは戸惑うように空中で手を握っているのだが、それを運んでいる肝心の少女はというと洋服の組み合わせに思案しており、まったく長耳に入っていないようだった。

 エルフ族は耳が良いというのは単なる通説に過ぎないのかも、などと思いながら僕はお皿を洗っていく。


「そこのカズヒホさん」


 かと思ったら唐突に名前を呼ばれて肩を跳ね上げた。慌てず騒がず水切りカゴにお皿を置いて振り返ると、まだネグリジェ姿の彼女はこちらに歩いてくるところだった。

 戸惑うシャーリーを置き去りにして、そっと内緒話をするように唇を寄せてくる。


「ねえ、あそこにある大人しい服に青のワンポイントを入れたものと、白コートに網タイツの組み合わせ、どちらがいいと思うかしら? 一度くらい網タイツを履かせてみたいけれど、やりすぎかもしれないの。あなたの意見を聞かせて頂戴」


 ど、どっちでもいいかな、それは。

 しかしそう答えるのは早計であり、女の子にとても嫌われてしまう回答だと僕は長年の経験により知っている。というのも「夕飯は何を食べたい?」と聞かれたときと同様に、どっちつかずの回答を女性はなぜかとても嫌うのだ。その理由はいまだに分からない。


「うん、シャーリーに聞いてみよう。僕はどちらでも似合うと思うよ」

「そうね、そうしましょう。シャーリー」


 振り返りながらそう呼びかけると、ひゃい!と悲鳴をあげるように今度は彼女の肩が跳ね上がった。近づいていくマリーは完全に目標をロックオンしており、また僕はというと難題をまともに答えることなくお皿洗いに集中できる。願ったり叶ったりだ。




 ひゃああ、という悲鳴が聞こえてきそうな顔だった。

 そんなこんなでお出かけの服装が決まったシャーリーはというと、黒タイツによって太ももの形を露わにさせており、また薄地の白いコートで腰までを覆っている。そこから先は巻きスカートがかろうじて覆い隠している状態であり、これは階段を上るときは注意が必要そうだぞと他人ごとのように思う。


 なるほど、やりすぎかもしれないというのはこういう意味だったのか。もっと深く考えておくべきだったかもしれないと、必死にスカートをずり下げようとするシャーリーを眺めながら思う。

 まったく同じことを悩んでいたのか、おとがいに指を置いてしばらく眺めていたマリーは「うん」と納得してから唇を開いた。


「この世界ではね、それくらいの服装が普通なのよ。そのタイツというものはズボンと同じ認識をされているから素足とはぜんぜん違うの。最初は少し恥ずかしいかもしれないけれど、きっとすぐに慣れるわ」


 絶対? 本当に本当? そう言いたそうに涙を浮かばせた青空色の瞳を向けられて、しばし時間を置いてからマリーはこっくりとうなずく。

 付き合いの長い僕だから分かるけれど、たぶん嘘だと思う。というのも少し前に買った黒タイツを試しに履いてみたところ、彼女は「あー、無理無理、絶対にこんなの無理だわ。恥ずかしい」と顔を真っ赤にさせていたのだ。


 彼女の洋服好きは出会ったころからなにも変わらず、そして魔導竜という「わしに作れぬものはない」と言い張る強力な存在がいるため、我が家のクローゼットは常にパンパンだ。

 しかし当のシャーリーはというと、ぐしゅっと鼻を鳴らしながら「本当かなぁ」と疑うように己の身体を前後から見下ろしていた。

 きっと僕にも意見を求めてくるぞと察知して、すかさず「靴ひもを結ばなきゃ」とつぶやきながらしゃがみこんで事なきを得る。


 あ、いや、無理だった。

 かすかな迫力を感じて見あげると、そこには珍しく眉をちょっぴり逆立たせて不満そうな顔をするシャーリーがいたんだ。

 蜂蜜色の髪を左右にまとめており、エルフさんと同じ服を着こなせるくらい身長も近しい。

 しかし僕が凍りついたのはその表情だけでなく、現代の服装に慣れておらず警戒心の乏しい彼女が下着をかすかに覗かせていたことだった。


 ま、マズい。

 じとーっとした瞳で見下ろされているけれど、当人はまるで気づいていない。すぐ隣からも「どうせお出かけ先は同じマンションだし問題ないわ」という会話を始めており、この難題をどうすべきかと悩むことになった。


 まずは落ち着いて、靴ひもを解こう。

 そしてちゃんと結び直して心を整えよう。


 そのあいだに玄関の戸が開けられて、陽光が差し込んでくる。さっさと離れて行く2人の様子に、ほうっと安堵の息を吐いたのは初めてだ。

 幻想世界の人たちが遊びにきてくれて困るのは、あの無警戒さだと思う。あちらの世界には魔物がいるのだから警戒心が高いはずなんだけど、その反動というべきか、日本にやってくると肩の力を抜き過ぎてしまう。そんな気がした。


 では僕もそろそろ腰をあげますか。

 そう思いながら視線を戻すと、そこにはお尻を向けるシャーリーが革靴の踵に指を入れて履いている最中であり、ぎょっと身がすくんだ。慌てて逸らしたけれど、その純白さにしばし頭を抱えることになった。


 女神候補さま、お願いですからもうちょっとだけ警戒してください。

 青空色の瞳を大きくまばたきさせながら、シャーリーは不思議そうな顔をして振り返った。




 がちゃっと開かれた玄関から、眼鏡をかけた女性が現れる。そして僕らを眺めたあとに、きゃあと彼女は喜びの声をあげた。


「わ、わ、今日はシャーリーさんまで! みなさんいらっしゃい! 散らかってますけど、どうぞあがってください」


 室内着姿の彼女は、表札に書かれているとおり徹さんと婚姻を結んでいる。そしてまた僕らの事情を知っている数少ない知人であり、実際に幾度となく幻想世界にお招きをしている。

 なぜかはまだ分からないけれど、僕は眠ることで日本と幻想世界を往復できる。その秘密を伝えたわけは、とある事件……いや、事故? ともかく一条夫妻が離婚の危機を迎えるほどの大騒動によるものだけど、今となっては完全に笑い話だ。

 その彼女はもう一度振り返ると、小首を傾げたままのシャーリーをじっと眺める。


「あ、分かりませんか? そういえば一度お店に行っただけで、こちらの世界でちゃんと挨拶をしたことがありませんでしたね」


 そう言いながら眼鏡を外して、肩までの黒髪を揺らしながらあどけなくにこりと笑う。そして歩み寄ると、ためらうことなく彼女の手をにぎった。


「私、薫子です。いつも古代語のお勉強を手伝っていただいてありがとうございます」


 わあ、と青空色の瞳は見開かれた。

 魂の循環という役目のある彼女であっても、今まで接していた人を見抜けなかったらしい。思い出してみると、僕がこの世界で初めて会ったときもそうだった。顔を洗っていたときに、ぼうっとした不思議そうな顔で眺められていたことを思い出す。


「えーと、はじめましてオーテム・オ・エンセ、シャーリーさん」


 おっと、古代語であいさつをするなんて洒落ているなぁ。

 図書館勤めをしており、良妻であり、頭の良い彼女は実は魔法使いになりたがっている。そんな薫子さんにためらいもなくシャーリーは抱きついて、ぽんぽんと背を叩いた。

 それは背が伸びて成長した弟子を喜ぶようであり、しかし対称的に凍りついた薫子さんの表情は、この僕になら分かるよ。

 透けるような肌と、精巧なお人形かと思えるほど整った顔。そして女神候補に選ばれてからというもの輝くような雰囲気を身にまとっている。彼女らにとってはそれが当たり前だとしても、日本人の僕らにはすこしばかり刺激が強すぎる。


 えへへ、とゆるんだ表情を見せたあと、僕と目が合った薫子さんはビクンと肩を震わせた。


「んっと、違います! 北瀬さん、誤解です!」

「え、誤解って……?」

「あー、えっとー、これは親睦であって、やましい気持ちなどこれっぽっちもありません! 分かりましたか!」


 は、はい、ぎゅうっと抱き返したまま真っ赤にさせた顔で


 よく分かりましたと、僕とマリーは揃ってコクコク頷いた。よく分かり過ぎてしまって、逆に困っているけれど。

 真っ赤な顔をして、ぎゅうっと抱き返している姿に僕らは冷汗を流した。




 卓上には温かいアリライ産の茶が置かれており、これは幻想世界からのお土産だ。こくりと飲めば花のように爽やかな香りが鼻を抜けてゆくので、自宅にいながら高級感を楽しめる。もちろん対価は向こうのお金なのだから懐はまったく痛まない。

 それを口に含んでから、眼鏡の奥で薫子さんの瞳は輝いた。


「はー、とうとう第三階層にも着手するのですか。それにしても狭い日本と違って広大な場所があるっていうのは羨ましいですね」


 そうソファーに腰かけながら笑みをこぼす。

 不意に横から向けられたのは薄紫色の瞳であり、僕とマリーはそのまま何度かまばたきをした。

 もしかして勘違いをしているのかしら、という表情をしており、それは僕も同感だった。ぽんと太ももを触れられて交渉を促されたので、咳ばらいをしてから僕は口を開いた。


「薫子さん、誤解をしているようですけど、一緒に好きなものを作るんですよ?」

「は? まさか、そんな大事業を私たちだけでできるわけ……」


 そう言いかけて唇をつぐんだ。

 普通に考えたらショベルカーやダンプなどの乗り物、そして工事のための人員が必要だろう。それだけでなく図面や景観のイメージ画なども欠かせない。となると彼女が先ほど言ったように大事業として捉えやすい。

 しかしここには女神候補がいる。

 立体的な地形を生み出せるエルフ族がいる。

 そして両手で抱えて「なうー」と鳴いたウリドラは、あらゆるものを生み出せる魔導竜様だ。


 ごくっと薫子さんは唾を飲みこんで、先ほどまでの「無理」という顔つきを「すぐにできる」というものに変えていった。

 お茶を飲み、呼吸を落ち着けることしばし。

 そのあいだにシャーリーが欲しがって手を伸ばしてきたので黒猫を預けると、ごろにゃんと手のなかで弄び始める。仰向けに寝かされた子猫は、かしっ、かしっ、と宙を引っ掻いてくるので、マリアーベルと一緒になってつついて遊ぶ。

 そんな光景を眺めていたときに、ぽつりと薫子さんは口を開いた。


「もしかして、そういうノリであの二層を生み出したんですか?」

「え? はあ、だいたいそんな感じですかね。もちろんやるからには本気でやるけれど、特にウリドラは凝り性だから、何度も駄目出しをしてきてちょっと大変かもしれない……いてて」


 伸ばされた爪から引っ掻かれたのは、その目つきを見るに「おぬしの顔のように眠そうな階層にしてたまるか」と言いたげであり、たぶん実際にそう思われていたのだろう。

 視線を戻すと薫子さんはまだ呆然とした顔をしていたので、もう一度、僕らと一緒に遊びませんかと呼びかけることにした。


「夢を現実に、というのは言い過ぎかもしれない。だけど思い描いているファンタジー世界の街並みを作れるのは確かです。薫子さん、今日は第三階層の資料集めを手伝っていただけませんか?」


 見あげてきた視線と合わさると、眼鏡の奥では黒い瞳がまたたいている。気後れしていた表情は少しだけ薄れて、ほつれた髪を指先で耳にかけると、こくんと彼女はうなずいた。


「徹さんを援軍に呼びましょう。そのほうが絶対にいいと思います」

「あ、徹さんは頼もしいですね。都市開発の知識もありそうですし」


 そう答えながら、伸ばされた手をがしりと握る。

 有給休暇として得た一日が、第三階層を開発するプロジェクトを決行する日となったのだから不思議なものだ。


 やがて徹さんのSNSに要件を伝えると「ちょっとだけ待ってくれ」という返答があった。

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