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第273話 暗雲うずまく第二階層

 和洋折衷を基礎ベースとしたこの館は、玄関のある表側を純和風の庭としており、また反対面は洋風の庭となっている。

 小道を散歩すればたくさんの花を楽しめるし、季節が変わればまた異なる種類が咲き誇る。

 貴族であろうともこの地を訪れた多くの者が「見事だ」と褒めたたえることだろう。


 しかし、これは最初からそうだったわけではない。

 建てる際に屋敷の居間、そして客間から見える景色だけを整えており、それ以外は未計画だった。だけどその余白を従業員やリザードマン、最近だとシャーリーのお友達などの手によって日々埋められてゆく。


 そもそも幻想世界においては自然を楽しむという文化は乏しい。緑など当たり前に生えているのだし、景観など雑草を抜くだけで充分なのだ。

 一番最初のときなんてリザードマンや他の者たちは、何をしているのか己でも良く分からなかった。小道の整理はまあ分かる。しかし食べれもしない草を育てるという行為が分からない。

 だが、季節がひとつ回ったころにようやく彼らは理解をした。


 寂しいと思っていたはずの庭が、ある日を境にぽつぽつと色づいてゆく。草たちは芽を膨らませて、ぱっと鮮やかな色を咲かせたのだ。

 見事に群生をした様子は、最初からこの完成形を目指していたのだと蜥蜴みたいな頭でもすぐに分かる。その時期には、ほうと感心をし、頑丈な顎をさすりながら足を止めて眺める者たちも数多かった。

 そして散りゆく姿を見てこう思うのだ。来年もまた見たいなぁ、と。


 さて、住み込みで働いている精鋭たち、かのダイヤモンド隊はどうしただろう。肥沃な土はいくらでもあり、好きなだけ遊んで良いと言われたら?

 その答えのひとつが裏庭に並んでいる素焼きの鉢だった。


 統主マスタープセリは黒薔薇の屋敷で良く伸びた枝を選び、芽吹く場所を避けてパチンパチンとはさみで切り落とす。それから水につけて、しばらく寝かせ、力強い根を張るために原生の薔薇種を河川で探し……などという手間を挟んで、ようやく幾枚かの葉を広げるに至った。


 病気に弱い種だし、うまく育つかはまだ分からない。

 だけど上手くいけば来年の春には新しい芽を出して、すくすくと成長をするだろう。根を強くするために来年は蕾を落とさなければならないが、その次の年にはきっと……などという想いのもと洋風のテラスが用意されており、憩いの場が完成される日を今か今かと待っている。

 並んでいる素焼きの鉢には、そんな未来設計があった。


 屋上からその鉢をじっと見つめているのは青色の鮮やかな瞳だった。

 すさんでいたころは濁りきっていたものだが、近ごろの彼女……ダークエルフ族のイヴリンは日々輝きを増している。

 健康的に日焼けをした肌と、野生の鹿を思わせる生命力に満ちた身体。肉づきはよく、駆けまわってしたたらせた汗からも雌としての美しさを嗅ぎ取れる。


 ただ歩くだけで周囲の目を惹きつける姿には、もはや忌み嫌われたダークエルフ族としての面影はない。

 その彼女の瞳がゆっくりと庭から常緑樹の林に移されてゆく。

 ずっと向こうにはなだらかな丘が広がり、そこには着々と布張りのテントが建てられてゆく光景があった。


「むーん、何か嫌な感じ」


 そう屋根の上で女性は不満げにつぶやいた。

 使用人の服装にしては手足を露わにし過ぎており、それはきっと無意識に己の魅力を理解しているのだろう。いや、彼女の場合は単に「動きやすいから」という目的だったかもしれない。

 柄の長いホウキを持ち、逆の手で陽射しを遮りながら、その褐色の肌をした女性は尚も睨みつける。


 視界の中で、王族の来訪者は主に3つの動きを見せていた。


 ひとつは草原で馬を追い回している数名の者たち。

 馬は逃げているが、遠目でも弄ばれていると分かる動きだ。馬は何頭かで囮の役割をしており、他の者らは新鮮な草をゆっくりと食んでいる。


 もうひとつはテントを組み立てる者たち。

 宿泊用の道具をわざわざ後続隊から取り寄せて、日当たりと眺めの良い場所を陣取った。無論、そこは手間をかけて作った畑地であり、これまでの手間を考えるとあまり良い思いはしない。

 王族らを刺激をしないようにリザードマンや魔物の血を引く者を遠くに離しているが、戻ってきたらきっと怒るだろう。美味しい野菜がたくさん採れる場所だったのに、と。


 最後のひとつは、離れた場所に立つ人物だ。

 測量するための道具を置いて、周囲の景色を観察してから部下に何かを記させている。

 ダークエルフは戦場で同じ景色を見たことがあった。それはお偉いさんが戦略的に土地を観察するもので、地形を削って着々と陣地を築いてゆく動きとよく似ている。

 だからこそ先ほど彼女は嫌な予感を嗅ぎ取ったのだ。


「どうです、イブ。おかしな動きはありまして?」


 振り返ると木造の屋根にもう一人の女性が立っていた。

 己と同じ使用人の服装をしており、ざあと横からの風によって宵闇色の長い髪がたなびく。剣呑な瞳をしているのは、イブからの返事を半ば予想しているのかもしれない。


「んー、テントを楽しそうに作ってるよ。ま、あたしらの招待にも応じないってことは、かなり嫌われているんだろうケドさ」

「ウォルス王子は気難しい御仁ですわ。滅多なことでは顔を出さないし、あまり人を信用しないタイプですわね」


 たとえ嫌な相手だろうと招待に応じるのは上に立つ者として義務だ。断ったところで得をすることが何もないし、互いの亀裂しか生まない。だが王族らはいずれも彼と近しい気質をしているため、下の者たちとの亀裂が生じやすい。そして亀裂は力づくで埋められる。

 宵闇色の瞳を相変わらず鋭くさせている女性に、ぴゅうとイブは口笛を吹いた。


「さっすがは王族と千日戦い続けたブラックローズ家の統主。言葉に重みがあるねぇ」

「それは二百年も前の出来事ですわ。私が同じ道をたどる道理などありません」


 ふんと呆れた口調と共にヒールを鳴らし、木造の屋根を歩いて来た。

 イブとは違って肌の露出を控えており、歴史ある名家らしいお嬢様然としている。個性といえばヘアバンドや生地に黒薔薇を模した飾りをつけているくらいだ。


 しかし彼女もまた独特の気配がある。統治していた国を王族から追われ、自害して果てた先祖がいたからだろうか。普段の穏やかなときとは異なり、どこか死を思わせる香りが漂ってくる。

 しかし二百年前といえばこの遙か頭上、ウジャーピーク遺跡が崩壊をした時期に近しい。それは果たして偶然なのだろうかとイブは頭の隅で考えた。


「ご覧なさい、イブ」


 隣に立ったプセリの腕がたおやかに伸ばされて、遙か彼方のウォルス王子に向けられた。


「彼の隣に立っている2人こそが懐刀ふところがたなと呼ばれた親衛隊、万能官エージェント雷光の騎士ライトニング・ナイトですわ」

「へぇー……そうなんだ。それがどうしたの?」


 反応が乏しいダークエルフに、かくんとプセリの肩が落ちる。

 あらゆる仕事を万全にこなす万能官エージェント、そして神速の攻撃手段を持つ雷光の騎士ライトニング・ナイトは聞くものが聞けば驚愕するほど強力な存在だというのに。

 じいっと恨みがましい宵闇色の瞳を向けられて、褐色の肌をした女性は「な、なにその目? あたしバカじゃないよ!」とたじろぐ。


「まあ良いですわ。イブ、貴女には彼らの監視を命じます。決して気取られないように努めなさい。敵からも味方からも」

「うん、いーよ。言われなくてもそうするつもりだったし」


 重い任務を命じたはずが軽く口調でうなずかれてしまい、プセリは意外そうな表情を見せた。そんなぱちくりと瞬きをする彼女にダークエルフは笑いかける。


「だってうちの隊の半分くらいは魔族の血が混じってるからさ。プセリもそれが心配だったんじゃないの? そんなに気にする相手じゃないと思うけどさ」


 ずばり言い当てられてしまい、思わずという風に彼女はこくんと頷いた。

 そう、王族らが来ると聞き、危惧をしていたのは魔族の血だった。ゲドヴァーとの戦争が長引くに従って、魔族の血を持つ者たちは悲壮なまでに差別をされるだろう。統主プセリはそんな暗い未来を思い浮かべて黒薔薇の館に戻らず、この屋敷で生活をすると決めていたのだ。

 しかし内緒で決めたはずなのに、とても簡単に言い当てられてしまった。


「……あなた、意外と鋭いですわね」

「そりゃあ、ね。これでも厳しい人生――エルフ生?――まあいいや、小さいときから放浪してたし、泥水もすすったし 、けっこーギリギリな生き方をしてきたからさ。こういう匂いには敏感なんだ、あたし」


 彼女が言っているのは、ダークエルフに変異をしてから迎えた日々のことだろう。堕ちたエルフ族と称されて、イブは人目を避けて過ごしてきた。

 あっさりとした軽い口調ではあったが、過去を知るプセリにとっては重い言葉として受け止める。


 愛した男の命を助け、その愛した男から首を絞められ、失意のなかで胸を刺されて絶命をした。

 それをギリギリという生易しい表現で済ませられるのか。いや、イブの表情を見れば「済ませられる」のだと分かる。

 どんと豊かな胸を叩いて笑みを浮かべる彼女は、きっと以前よりずっと強いのだ。


「だからプセリも心配なことは相談しなって。あたしのことを人生経験豊かなおねーさんだと思ってさ」

「あら、統主の私に姉がいただなんて。ですがそんな遊びも面白そうですわね、イヴリンお姉さま」


 きゅっと手を握られて、イブの肩はビクンと跳ねあがる。

 ごく自然とプセリの華奢な指が滑り込んできたし、冗談にしてはわずかに頬を染めている。

 そういえばと思い出すのは、ずっと前に仲間から教えられた「彼女はノンケではない」という情報だ。そして本人だけは自覚していないのだとか。


 どっどっと心臓が挙動不審に鳴り始め、その表情をプセリは小首をかしげて不思議そうに見つめてくる。


「? それで先ほど言っていた『気にするような相手じゃない』とはどういう意味ですの?」


 艶のある唇をつい無意識に眺めてしまい、若干キョドりながら大量の冷汗を流す。あたしはノンケだからねと内心で叫びながら。


「あーーっ、はははっ! あれね、いや大したことじゃないってのはさ、プセリに比べたらってこと」


 私と比べて? と、黒薔薇の館の統主はさらに怪訝そうな表情をする。

 だけどそんな反応に、うっそ、自覚無いの、本気で!? とダークエルフは瞳を丸くした。

 お嬢様然としておきながら、いざ敵を迎えたら本性を現す。

 魔物の群れを蹴散らして、強敵だろうと分かっていてもコオオと凍えた息を吐きながら槍を手に突き進む女。


「あれに比べたら大体は怖くなくなっちゃうよ」


 などとケラケラ笑いながら伝えたら、コオ……と凍えそうな息をわずかに吐いており、イブの笑顔と言葉は引っ込んだ。


「まったく下らないことを。私を鬼か悪魔とでも言いたいのですの?」


 その鬼や悪魔を笑いながら引き裂いていたのは一体どこの誰だ。などという言葉も当然のこと口から出せなくて、にぎにぎとプセリの手を握る。

 それから「うーん」と言いながら空を見上げて、ダークエルフは再び笑いかけた。


「あたしが言いたかったのは、王族だからって身構え過ぎなんじゃないのってこと。あたしから見たらプセリのほうがこわ――おほん、立派だしさ。昔のいざこざはあっても、今は立派な統主マスターだってみんな認めてる」


 その言葉で不機嫌そうな眉は元の形に戻り、ほんの少しだけプセリは安堵の表情を見せる。

 しかし考えてみれば確かにそうで、古代迷宮の魔物どもと殺し合いをしておきながら王族に怯える道理はない。


「備えるのは統主マスターとして当然です。しかしあなたが危険をおかしてまで働きたがる理由は分かりません」

「だって、あたしらの場所を荒らされたくないじゃん。もしも向こうの高台を取られちゃったら露天風呂にも入れないしさ」


 そう言いながらイブが指さした先には、小高い丘が見える。普段は客人のために立ち入り禁止としているのだが、ちょうど数名の兵士らが歩いている最中だ。

 それを見て、ぱちんとプセリの瞳は見開かれた。


「あっ、そっ、えっ……!?」

「だけど平気かな、ちょっと裸を見られるくらい。どうせ湯煙があるから少ししか見えないだろうしさ」


 あははと笑う彼女と対称的に、プセリの眉は逆立ってゆく。そして肩をぷるぷる震わせながら振り向いた。


「笑いごとではありませんっ! わ、私の楽しみの場が……っ! イブ、あそこに近づく者たちは悉く息の根を止めなさいっ!」

「えっ、いやそれはちょっと! ど、どうしたのプセリっ、目が本気なんだけどっ!?」


 大自然のなかで楽しむ湯あみは、もうとっくに無くてはならないものとして認識されている。

 一日の疲れがすっかり取れるだけでなく、その後の酒が大変に美味しく感じられてたまらないのだ。もう以前の館に戻らなくても構わないかなと思うほどに。


「なるほど……ブラックローズ家の血が騒いできました」

「騒がなくていいっ、騒がないでいいからあっ! やだやだ、冷たい息を吐かないでっ!!」


 ぎゃんぎゃんと屋根で騒いでいたちょうどそのとき、階下で人の話し声が聞こえてきた。

 覗き込むとそこには、この迷宮攻略を任されているハカム、そして魔導士アジャの姿があった。


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