第270話 半妖精エルフ族との出会い⑧
短い手足、太っちょなお腹、そしてゴマ粒のような瞳をした火とかげは、この森において最も重宝されている精霊だ。
彼が呼び出されるとき、そこでは敵を焼くなんて野蛮なことはせず、大抵の場合はご飯やお茶を作る場となる。
今朝もそうであり、召喚された先は新緑に囲まれた森のなかであり、少女らの語り合う場であった。
エルフ族の文化に朝食というものはない。しかし、辺りには甘い香りがほんのり漂っており、おやつという文化ならあるのだと告げていた。
「信じられないわ。私の家に人間族の男がいるだなんて」
そう不機嫌そうな顔つきで、ノランと呼ばれる殻つきの実を棒でつつく。うっすらと白い煙に包まれており、ときおり蜜が垂れて鉄板でジュウと焼かれてゆく。
これはそのまま食べると渋いだけの実なのだが、火を通すと蜜のようにトロリとし、ほどよい甘さだけが残る。
それを食べるために集まった仲間たちへ、マリーは賛同を求めるような視線を向ける。すると彼女と負けず劣らず大きな瞳をした少女らは、ぱっと明るい表情をして見せた。
ただしそれは賛同を得るというよりは、この退屈で平和な森にホットなニュースが届いたと分かる表情だ。
「うっそ、同じ屋根の下で男と住んでるって噂、本当だったの!?」
そう驚いた顔をする子はパメラという名だ。背は低いけれど弓の才能があり、最近では大人たちと混じって狩りを習っている。その躍動感を示すように赤髪をぴんぴんと奔放に跳ねさせており、また身体を覆う衣服は少ない。
「だーかーらー、違いますー。お父様が勝手に決めただけで……」
「つまり許嫁? マリーちゃんは、もう大人になってしまったということ?」
蜂蜜色の髪の毛をおかっぱにさせた子はニケと言い、おっとりした顔つきと口調ながらもたまに毒を吐く。
このように朝や夕方などのお手伝いを終えた時刻になると、思い思いの食材と一緒に彼女たちは集まる。そうしてとりとめのない会話を楽しむのが日課だった。
「まさか、あの初心なマリーだよ。きっと無意味にちょっかいを出して、それを見かねた親から躾の意味で面倒を見せられてんじゃない?」
「あはは、おかしー。すごくリアルに想像できちゃう」
一言ごとに、ぐさっぐさっと胸を刺されたような顔をする様子へ、やっぱりそうだったかと2人はケラケラと楽しそうに笑った。
ひとしきり笑い終えると、そろそろ焼けたかなとノランの実をひょいと拾う。ぐっすり眠っていても火とかげは食欲旺盛らしく、殻を放るとしっかり両手でキャッチをする。
香木が彼の好物なのだが、匂いがあるなら大体なんでも良いらしい。アバウトなのだ。
この時期、焼きたてのノランは数少ない甘食でもある。栗に似た素朴な甘い香りが漂い、そして蜜がたらりと垂れてゆく。小さな口で頬張ると、ほっくりとした食感、そして素朴な甘さがあって2人は瞳を細めた。
「おいしーねー。渋みがあるからたくさん食べると胸やけしちゃうけど」
「まーな、あたしが選んで拾ったんだし。ところでニケ、あの件どうなった? フクロウが生んだ卵の件」
「それねー、お父さんがもっと高いところに巣を運んであげて……」
マリーはギョッとした。
人間族がいるというのに、卵なんかの話題で会話が流されてしまいそうなことに。しかもフクロウなんて珍しくもないし、ちょっと可愛いなと思うくらいだ。
「ちょ、ちょっとあなたたち! 人間よ! あの野蛮で粗野で教養のかけらもない欲望まみれの種族がこの森にいて、本当に何とも思わないの!?」
きょとんと2人は瞳を丸くする。それから互いに視線を合わせて、不思議そうに問いかけてきた。
「人間がいるという以外に、何か変わったことがあったのか? 例えば暴れまわったりとか襲われたりとか」
「へ? いや、別にそういうのは無いけれど……」
どちらかというと暴れたのはマリー、そして母親のシャルシャくらいだった。彼自身は必死にかわしていたくらいで、反撃もしなければ文句を言われた記憶もない。
昨日、差し伸べられた手は仲直りの意味だったのか、つい握手をしてしまったことをマリーは思い出す。
そのとき伝わってきたのは彼の体温と、まだ若いのに剣士だと分かる手のひら。
ごく普通の幼い少年だと、そのときは思った。
「あの子……お化けじゃなかったのかしら」
そう色づいた唇で小さく呟く。
眉のあいだに皺を刻み、マリアーベルの表情はいぶかしげなものに変わってゆく。
彼女はつい先日、おかしな光景を見た。それはあの少年が絶命をし、ひょっこりと再び姿を現すというものだ。
精霊をけしかけたのは己なのだし、それも一度ではなく何度も行っている。だから似た人だったなどという間違えなんてしない。
じっと考え込み始めたマリーに、なんのこっちゃと友達たちは不思議そうな顔をした。
「じゃあすごく格好良い人だったとか?」
「う、ううん、すぐに忘れちゃいそうな、とても眠そうな顔をした子よ」
ふーん、と2人は生返事をして、顔を向けあってからコクンとひとつ頷きあう。
「じゃあもう聞くこと無いや。それで、フクロウの巣はちゃんとした場所に移せたのか?」
「そうそう、それが森に見たこともないくらい大きな動物がいたらしくて、お父さんが明日にしようって……」
「だからあなたたち、フクロウの件はもう良いの! それよりも一緒に人間を追い出す方法を考えましょう! このままでは人間の使う言葉を覚えさせられてしまうわ」
わっと威勢よく言われはしたが、言葉を教えてもらえるのは良いことなんじゃない? という表情をされてしまう。
パメラは理解しづらい様子で赤髪を掻きながらあぐらを解き、眩しい素足を陽光にさらした。
「つってもさ、族長様が人間族との交流を勧めてるじゃん。マリーだって、もっと書物を読みたいって言ってただろ? せっかくだから言葉を覚えちゃえばいいじゃん」
「確かに本を読むのは好きだけれど、人間の書いたものまで読みたいなんて思わないわ」
「ふーん、族長様の書庫には魔術の本もあるのに」
ぴくんとマリーの長耳が揺れる。
彼女の場合、その果てしない知識欲が生まれているのはいつも魔術がらみだ。
汚らわしい文化を持つ人間族をこれまでずっと遠ざけていたのだが、古代に生み出された魔術という代物は別だろう。
あやふやな世界から呼び出された火とかげのように、精霊術とは言ってみれば「なんとなく」扱える代物だ。
しかし父親から聞く限り、魔術とは理路整然とした法則の上で成り立っている。土台を作り、熱量を高めるため段階的に強化をし、そして発動させるのだとか。
そう眠りにつくときに聞かされて、好奇心をくすぐられたのは本人も認める。まったく分からないものほど、好奇心をたくさん刺激するのだから。
だけど、と否定をするようにうんうんと唸る様子を見かねて、おかっぱ頭の子が囁きかけた。
「マリーちゃんは、どうしてそこまで人間族が嫌いなの?」
「どうしてって、だってそれは……」
その後、おっとりした口調で告げられた言葉によって、薄紫色の瞳は見開かれた。
気がつけば朝もやは消えており、朝方の時刻は終わろうとしている。さあと流れ込んでくる風もどこか暖かい。
口数の少なくなったマリアーベルは、やがて火とかげを還すと友人らから離れていった。
もしかしたらだけど、嫌いっていうのは、興味があるっていうことの裏返しじゃないかな?
そんな友人からの言葉が耳に残り、しばらくマリアーベルは小道を歩き続けていた。
嵐が去ったばかりとあって、辺りには折れた樹木なども見かけられる。深い森のおかげでエルフ族たちは平穏に暮らせるが、守っている側はごく小さな傷を負っていた。
先ほど友達から投げかけられた言葉は、なかなか頭から離れない。否定する間もなく、すとんと胸に落ちてきたからだ。
そんな馬鹿なと思いつつ、道端の草に触れながら少女は歩く。兎を模した尻尾も髪型も、どこかいつもより元気がない。
散歩というよりは、この疑問を解くために歩き続けているように傍目からは見えた。
「興味があるから気になってしまう?」
これまで人間族への反応に乏しい仲間たちへ、ずっと腹を立ててきた。しかし、先ほどの疑問を合わせると意味が大きく変わってしまう。
彼らは鈍感などではなかった。
興味が無かったから、大した反応もしなかったのだ。
もしも里に襲いかかるような者であれば正反対の顔をしただろう。それこそ「汚らわしい人間族」への正しい対処として。
彼らは現実的であり、そして彼女、マリアーベルとはまったく異なる反応だった。
「なぜ私はこんなに苛立つのかしら」
見晴らしの良い林に入ると、いつもここにいた鹿の姿も見えない。あの純粋な瞳を見たい気分だったのにと、少女は少し残念に思う。
さああ、という風とはまた異なる音が長耳に届く。空気もどこか水っぽく、朝方の清らかな香りがする。
もう少し歩けば、あの滝が待っている。
不可思議な少年が現れた、あの滝が。
そう意識が向いたとき、誰かの視線に気がついた。
振り返るとそこには黒髪の少年がいた。
「っ! あなた、私の後をつけていたのね!」
「…………!」
しかし彼は理解できぬ言語を投げかけて、これまでとは異なる荒々しい歩調で近づいてくる。
眠そうな顔はどこか引き締まって見え、わずかにマリアーベルは足がすくむ。
「な、なによ! そんな顔をしたって私は怖がらないわ! 人間族なんて汚らわしいし、私の森から出て行って欲しいと思っているの!」
そのエルフ族の使う言葉は、彼に伝わらないはずだった。
しかし近寄ってきた少年は両腕を伸ばして、どんっと身体を押してきた。小さな外見とは思えない力があって、やっぱりこいつは敵なんだと思いながらマリアーベルは体勢を崩す。
お尻が地面を打ち、転げないよう腕で支えたけれど尖った小石が手のひらを切る。
「痛っ! なんてひどい男! 女性をこんな目に合わせるだなんて!」
気丈にも痛みをこらえ、キッと睨みつける少女だったが、その光景を見て言葉を失った。
ぎゃりりっ! という金属音と共に、火花を散らしたその光景に。
陽光を遮るほどの巨体は、もはや熊などとは呼べない。
獰猛な目玉の片方には短剣が突き刺さっており、だらだらこぼれる涎には殺意の塊であることを示している。
振り下ろされた杭のようにとがった腕。
それを少年はナイフで受け止めて、刃先には火花が舞っていた。
ずずん!と地面を震わせて穿つそれ。
そこはつい先ほど、マリアーベルが立っていた場所だった。




