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第269話 半妖精エルフ族との出会い⑦

 チチ、チ、というさえずりの声が聞こえてくる。


 なぜか鳥というのは、まぶたや耳たぶを噛むのが好きらしい。ほどよく薄く、歯ごたえがあり、また温かいため噛むと気持ちが良いらしい。

 向こうはそれで楽しくとも、こちらはとてもくすぐったい。ちょんと唇に乗られてしまっては尚更だ。


 うっすらと目をあけると「あ、起きちゃった」と言う風に、目の前でカラフルな鳥がトサカの毛を逆立てる。それからケッケッと鳴いてから羽ばたいてゆく。土壁に枠をつけただけのシンプルな窓から、今日の朝食を得るために消えてゆく様子をぼんやりと眺めた。


 誰もいなくなった部屋で、うーんと両手を突き上げる。

 それで残っていた眠気はぜんぶ消えて、よく磨かれた石畳を歩いてゆく。窓枠の向こうには夏休みを彷彿ほうふつとさせる青空があり、常緑樹を舞う鳥たちの姿が見えた。


「やあ良かった、ちゃんと夢の続きだ。もしも違う場所で目覚めていたら、とてもがっかりしていたよ」


 普段は野宿ばかりだけれど、今夜はありがたいことに寝具を与えられている。それもエルフの里という貴重な場所で。


 小学校に行っている間も、ここで過ごせる時間が楽しみで楽しみで仕方なかった。おかげで授業にはまるで集中できなかったし、よそ見をするなと二度ほど先生から怒られてしまった。

 そのため夕食をいただいてから早々に布団へもぐりこみ、夢の時間を楽しむことにしている。


「んーー、清々しい森の香りだ。こんなのは青森でもあまり楽しめないぞ……おや?」


 ふと目に入ったのは、兎耳のように真っ白い髪を束ねた少女の頭だった。腕や背中まで露わにした格好で、早朝のためか昨日よりも飾りつけが少ない。

 くあーっと彼女もまた欠伸をしており、面倒くさそうな表情で近くに生えたツル科からプチプチと何かを摘んでいた。


 薄手の服装でも気にしていないのは、警戒心の無さによるものだろうか。などと思っていると彼女もこちらに気づき、すごく嫌そうな顔を見せる。もしも言い表すなら「うげっ」という言葉が一番近いのかな?


 この家は斜面に埋まっている形なので、窓の向こう側には高さがある。ずんずん大股で彼女が歩いてくると、窓からは足しか見えなくなる。

 そこにしゃがみこみ、真っ白い太腿を見せつけながら少女の顔が覗きこんできた。


 脇へかかえたカゴには真緑の豆っぽい何かが入っており、お人形のような可愛らしい顔を台無しにするほど頬を膨らしている。いや、もちろんこれはこれで可愛いなと思うけど。


 じとっとした半目で睨まれ、それから何か文句を言っているみたいだけど僕にエルフ語は分からない。だから悪口として成立しないので、僕の笑顔もまた崩せない。


 そう、言葉が伝わらないのは無視をされているのと同じであり、感情をぶつけることもできずにイライラするものだ。でも、たったひとつだけ解決法があると知ったらどうかな?


「さて、マリアーベル。僕に文句を言いたいのなら、その前に乗り越えるべき物がある。それが何かは分かるかな?」


 もちろん今の言葉だって伝わらない。でも卓上に置かれた本、共通語とエルフ語の教材を手にして見せれば意味だけは通じるだろう。この共通語でしか僕に悪口は伝わらないよ、と告げたのだ。

 薄紫色の瞳をさらに細めて、じぃーっと睨まれることしばし。


 可愛い子が窓の外でしゃがみこんだ姿勢をしているのは、なんだかちょっと変だなぁ。そう思っていると少女は立ち上がり、踵を返して去ってゆく。


 長老様から聞いていた通り、やはり気難しい子らしい。

 べえ、と舌を出したあと、半妖精エルフ族のマリアーベルはそのまま森に消えてしまったのだ。

 ふうむ、と一人取り残された僕はため息を漏らす。

 互いに言語を教え合うという勉強会は、なかなかの前途多難だね、などと思いながら。



 ぎぃ、と扉を開く。

 薄暗い廊下は、まるで西洋に古くからある下水路のようだ。

 とはいえ曲がり角には壁に穴を開けられており、外からの光を取り込んでいる。おかげで身体をぶつけることなく歩いてゆくと、周囲よりも明るい場所に辿り着く。

 そこは台所らしく、窓からたくさんの陽が入り込んでいた。


「オン、カズヒホ?」


 くるっと振り返ってきたのは黒髪の女性、シャルシャさんだ。彼女もまたエルフ族であり、にまっと笑みを浮かべる左右には長耳が覗いている。


「おはようございます、シャルシャさん」


 昨夜はベッドを貸してもらった恩もある。ぺこんと頭を下げて挨拶をすると、椅子にあぐらをかいていた彼女はしばし考える素振りを見せ「グニロム・ドゥー」とこちらが聞き取りやすい発音をする。


「ぐにろむ……?」

「ンーン、 グニロム・ドゥー」


 どうやらエルフ語での朝の挨拶を教えてくれるらしい。

 ぱっと顔を明るくさせてから、豆の皮むきをしている彼女の前に腰かける。

 これは昨日もたくさん剥いたスネビという食材だ。きっとマリアーベルは先ほど詰んだ豆をあそこの窓から手渡し、そのまま遊びに行ったのだろう。


「グニロム・ドゥー、シャルシャ」

「トリッグ!  グニロム・ドゥー、カズヒホ」


 ぱっと花を咲かせるような笑顔を見せてから、僕の手伝う意思も通じたのかカゴの位置を互いの脚の間に置いてくれる。

 昨日はドレス姿だったけれど、今は眩しいくらいの太ももを露わにさせている。朝方なのでたぶんこれが彼女にとっての寝巻姿なのだろう。


 昨日は恐ろしいとさえ感じたのに、たくさんの陽光を受けながら微笑む彼女はまったくの別人だ。それは母性を宿した表情であり、しばし僕は見惚れた。

 驚いた。エルフ族は笑うと本当に可愛いな。もしもマリアーベルが笑ってくれたら、どれくらい可愛いのだろうか。


 一緒に皮を剥きながら、身の回りのあちこちにある物を教えてもらいながら、僕はそんなことを考えた。

 ちなみにエルフ族は朝食をとらないらしく、スネビの味を知るのはまだ先のことだった。



 ドンドンドン!


 楽しいエルフ語の授業は、けたたましく扉を叩かれる音で中断された。

 何かを嗅ぎ取ったのか、シャルシャさんはピリッと厳しい顔つきに変えて立ち上がる。

 近くの戸だなから衣服を取り出すと、手早く身にまといながら階段をあがってゆく。


 脚が長い彼女の後を追うと、ぎいっと扉が開かれる。外からの日差しが入り込み、階段の闇は消え失せた。


 そこには目深に帽子をかぶった人物がおり、背には大型の弓を担いでいる。昨日、長老様の隣にいた人物だ。身なりからして狩人レンジャーだろうか。


 ぼそり、とその男が何かを告げると、シャルシャさんの息を飲む気配が伝わってくる。

 会話の内容は分からなくても、緊迫した気配なら分かる。いまこの平和なはずのエルフの里に、何かが起きているのかもしれない。

 勝手に僕の心臓がどきんどきんと鳴り始めるのを感じた。


 ひとことふたこと会話を交わし、それから2人は背を向けあう。

 素早い身のこなしでシャルシャさんは階段を駆け下り、戸口に隠してある場所から鋼色の武器を取り出す。腰の後ろに2本、中型の弓を肩にかついでゆく姿に唖然とした。


 武器を手にした?

 すると何かが近くに現れたのか?


 そしてこの危機迫る雰囲気を、僕は知っている。マリアーベルの危険を察知し、襲い掛かってきたときの彼女とまったく同じものだ。

 ただし、昨日はただの勘違いであり、誤解を解くことで柔らかい雰囲気に戻ってくれた。

 革製の黒いベルトで全身を覆ってゆく姿を身かね、僕は声をかける。


「シャルシャさん、僕も手伝います。マリアーベルが危険なのですね?」

「…………」


 振り返るその瞳は、たいまつの炎のような琥珀色をしており思わず息を飲む。じいと見つめてくる瞳はこちらを観察しているようにも見えるし、言葉の意味を吟味しているようにも見える。

 先ほど僕が発したのは共通語だ。伝わるはずも無い。

 しかし彼女は戦闘面において優秀な人物だと思う。そのような者は誰しも勘が鋭く、ときに言語よりも意思を疎通しやすい。


 言葉の代わりに隠し戸から、ずしりと重い短刀を僕は手にした。柄には動物の牙が使われているらしく、肌にしっくりとなじむ。手首から肘までの、ちょうど扱いやすい部類のダガーだ。


 こう見えて、僕は使えますよ。

 モンスター相手なら経験をかなり積んでいます。


 そう伝わるように、ひゅんひゅんと手の甲で躍らせる。

 映画とかで、こういう演出を見たことが無いかな。手品のようにナイフが滑り、ヒュヒュヒュと空気を切り裂きながら陽に輝く光景を。


 身体の一部のように扱う姿がとても恰好良くて、一人旅をしているときにずっと練習をしていたものだ。ほら、僕は眠そうな顔をしてばかりだから侮られやすいんだよ。


 その練習の成果がいま、シャルシャさんの瞳の色を変えた。

 ぐっと頷いて、それから「動くな」と言うように人差し指を向けてくる。何をするのだろうと思っていると、心臓のある位置に彼女の唇が押し当てられた。


 ふうう、と吹きかけられる吐息。

 それには彼女のどこか甘い匂いが感じられて、驚いた僕は胸を高鳴らせる。

 きっと精霊語なのだろう。触れたまま唇は言葉をつむいでおり、熱い吐息で肺いっぱいに満たされそうになる。


 この儀式に何の意味があるのかは僕には分からない。だけどたぶん彼女が知っていれば良いのだろう。

 始まったときと同様に動物的な身のこなしで彼女は離れ、そして準備は整った。


「デタァーツ・ニーテッ!」


 そんな鋭い彼女の声と共に、マリアーベルの捜索は始まった。後で聞いた話しによると、今の言葉には「では、始めようか」という意味があったらしい。


 ニッと笑いかけてくる彼女は、不覚にも美しい女性だと見惚れるほどの迫力があった。

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