第267話 半妖精エルフ族との出会い⑤
山の天気は変わりやすい。
そう昔から聞いているし、今は青森で山のふもとに住んでいるため普段から体感しやすい。
けれどそれは地形によるものだけでは無いと思う。この空まで覆いつくそうとする樹木によって視界が遮られてしまい、天候の変化にすぐ気づけないのだ。
空はどこか寒々しい色に変わりつつあり、くんと嗅げばどこか雨の匂いが混ざっていた。
「雨が近いのかな。ついさっきまで晴れていたのに」
そう呟く僕だけど、今は腰みのだけしか身につけていないので、寒いと感じて当たり前だった。そして「くしゅっ」とくしゃみをした僕を見つめてくる薄紫色の瞳もまた凍てつくように冷たい。
「********」
振り返りながら発せられた少女の言葉はエルフ族のものなので、何を言われているかは分からない。
表情だけを見るとたぶん「そんな恰好をしているからよ」あるいは「もしも人間族の病を私にうつすなんてしたら絶対に許さないわよ」と言われているんじゃないかな。
そんな恨みがましい顔を前に向けて、歩いてゆく少女はマリアーベルという名らしい。そう教えてくれたのは目の前の少女ではなく、エルフ族の長老であり彼女の父親だ。
振り返ると深い木々に遮られ、先ほど話をしていた遺跡はもう見えない。辺りは濃い緑色に包まれており、その代わりに蝶たちが舞い降りてゆく姿が見えた。
倒れた古木は苔むしていて、小さな花を咲かせている。その蜜を吸っているのだろう。蝶たちはストローのように口先を伸ばし、次々と止まって羽を休めていた。
そっと覗き込み、僕は息を飲む。
水たまりの透明度は高くて、差し込んだ陽光によりずうっと奥まで見通せることに驚いたんだ。
木々の根っこに覆われた装飾付きの石壁があり、それがかなりの深さまで続いている。水面を挟んだ先はまったくの別世界であり、思わず「わあー」という声が喉から出た。
すごい、エルフの里ってすごい。どこにでも妖精がいそうだぞ。
長老も言っていたけれど、普段であれば里は閉ざされているらしい。文献に残されるほどエルフの里に入れることは滅多にない出来事なのだ。
先日、嵐があって祭壇が壊されたらしいけど、その不幸を今ばかりは喜ぶほか無い。
などと思っていたら、冷たい視線が向けられていることにようやく気づいた。ずっと向こうからマリアーベルから三白眼で睨まれており「ちょうど良いわ、そのままはぐれて頂戴」と言うように背を向けて歩き出してしまう。
「わ、待って待って!」
ああ、いけない。こういう幻想的な光景についつい見とれてしまうのは僕の悪い癖だ。何年経ってもまるで変わらないので、ひょっとしたら大人になってもこのままかもしれない。
それはそれで楽しそうだなと思うけど。
せかせかと早足で歩くマリアーベルだけど、やはり体力が乏しいらしくてすぐに追いついた。
真っ白く、長い髪を揺らして彼女は振り返る。
大きな宝石のような瞳は色彩に満ち満ちており、肌は驚くほど白く透き通っている。まるで彼女こそが妖精であると告げているように。
惜しむらくは不機嫌そうな表情によって美しさを損ねていることか。
こんな森で暮らしているというのに、どうしてすぐに息を切らしてしまうのだろう。
先ほどは非難めいたことをたくさん言われた気もする。だけどいくら言われても僕にエルフ語は分からないし、そんな彼女へ「互いに言葉を教えあえ」と命じたのはエルフ族の長老、オズベル様本人だ。
だから少女は諦めたようにぷいと顔を逸らし、背を向けて歩いてゆく。
ひょっとして少女の服は手作りなのだろうか。
胸元を覆う布は肩ひもで吊るされており、ピンクに近しい素朴な染色をされている。
きれいな背筋を見せつけていて、その下に付いている毛玉は兎の尻尾を模しているのかもしれない。怒りを示す歩調と一緒に、ぴょこぴょこ左右へ揺れるものだから可愛らしいなと僕は思う。
その尻尾を眺めているうちに、マリアーベルの住まいらしい場所に辿り着く。
ふっと辺りに影が落ちた。木のうろに入ったからだ。
周囲はかさかさに乾いた樹木なのに、そのなかにぽつんと取っ手つきの扉があるのは少しだけ不思議に思う。
入口の脇には腰までの高さのキノコがあって……え、なんだこれ。見たことないくらい大きいし、まるで家具みたいにごく自然と生えているぞ。
思わず指でつつこうとしたら、ペチンと手を叩かれた。
「ティト! チッチ・ト、オノド!」
怒られた、のかな?
目をぱちぱちさせながら、叩かれた手をさする。痛くは無かったけど、びっくりしたんだ。
たぶん触らないでという意味だったと思うけど、「ティト」というのは「ちょっと」とかそういう言葉なのかもしれない。接続詞などにも当たりをつけたいけれど、まだ名詞も分かっていないので覚えなくても良さそうだ。
などと小学生らしくない考えをするのは、僕がこの世界の主要な言葉だけでなく、古代語にまで手を伸ばしているからだろう。
物心のついたときから、ずっとそんな遊びをしてきた。だからちょっと他の子とは違うのかもしれない。
ああ、早く会話できるようになりたい。
おとぎ話に近しいエルフ族とエルフ語で話をする。そんなの想像しただけでうっとりしてしまうし、心の底からわくわくする。
かたことまでなら幾つかの魔物語を覚えていると知ったら彼女は驚いてくれるだろうか。
ぎぃ、と扉は開かれる。
そこには地下へ伸びてゆく階段があって薄暗い。だけど彼女がひとこと囁くと、きらりと輝くものが現れた。粒子を残して妖精のように踊る影、光の精霊だ。
ほんとうなのか、と僕は二度見をした。
いや、早い。早すぎるんだ。精霊を使役する者はこれまでも目にしてきたけれど、精霊というのは気まぐれな存在だと聞いている。たったのひとことで呼び出せる可能性は極めて低いはずなのに。
「リィソムーー!」
驚いている僕を置いて、階段の先へと少女は呼び掛ける。
すると奥側の扉が開かれて、一人の女性が現れた。ひとめで母親なのだと分かるほどマリアーベルと良く似た顔つきをしている人物だ。
ただし髪は正反対の黒色であり、ウェーブがかった曲線を描いて額を露わにさせている。
瞳はたいまつの炎のような琥珀色だった。
彼女はわずかに息を飲み、それから戸口の小物入れから何かを取り出す。すらりと抜き放たれたのは肘までの長さのナイフであり、光の妖精の明かりを受けて輝いた。
気がついたら、ごろごろと草原を転がっていたよ。
だって一息で階段を駆け上がり、元いた場所を切り刻まれたのだからどうしようもない。ヒュカッ、ヒュッ、と尚も斬りつけられて僕は目を白黒とさせた。
「ちょ、ちょっと! マリアーベル、マリアーベル! さっきは何て言ったの!? 僕のことをちゃんと教えてくれた!?」
知らんぷりをして、明後日の方向を眺めている少女の名を何度も呼ぶ。その視界をふさぐようにして目の前でナイフが踊った。刃には先ほどの光の精霊が溶けて、緋色の瞳をより輝かせる。
耳たぶにつけたイヤリングもまた同様の緋色であり、口の端には好戦的な笑みを浮かべていた。
落ち着いて、落ち着いてという仕草を両手でする。
僕は悪いカズヒホじゃないし、敵じゃない。ただ言葉や文化を教えてもらって、面白くて楽しい夢を見たいだけなんだ。
返事は、バヒュッと伸びる爪先の蹴りだった。
高い位置まで切れ込みのあるドレスであり、真っ白い太腿が陽光によって露わにされる。
ヒール付きにも関わらず、野性的な生活で鍛えられた太ももには胴を貫通させられるほどの迫力があった。慌てて地面を転がったけど、こんなのをまともに喰らったら夢から覚めちゃうじゃないか!
もしかしたら武闘派の人なのかもしれない。
族長様はとても知的で落ち着いた方だったし、マリアーベルは運動を苦手としていたので、まったくそんな予想はしていなかった。
彼女は地面についた手を軸にして、かわしたはずの脚が後頭部に迫る。筋肉は膨れ上がり、途中でギュッと加速をさせたのには頭蓋骨さえ叩きつぶされそうな勢いがあった。
息を飲みながらも、どうにか手を突き出して膝に触れる。
それをクッション代わりにしようと思ったけどまるで駄目だった。吸収しきれない衝撃が迫ってきて、無理やり逆上がりみたいに彼女の脚を中心にして回転をする。
どうにか反対側に抜けると、彼女の脚はものすごい速さで離れて行った。
ほっとしたのも束の間、空中で真っ逆さまの体勢だ。
目の前には布に包まれた胸があり、素肌に汗をしたたらせている。むっとする汗の匂いを嗅ぎ取れるほどの距離で、たいまつの炎のような色をした瞳から見下された。
「オーロゥ・チッチ・イヂャウー」
後で聞いた話によると、その言葉には「こんにちは、そして、さようなら」という意味があったらしい。
やっぱりエルフ語を覚えるのは大事だなと、僕は心の底から痛感したよ。伝えたい言葉を伝えられらないと、どうしたって誤解は解けない。そもそも誤解なのかも分からないけれど。
むんずと腰みのを掴まれて、反対側の手に握られたナイフが迫りくる。
それは僕の悲鳴顔さえ映るほどよく研がれた刃であり、心臓めがけて一直線だ。もうまばたきをするくらいの時間しか残されていない。
石斧なんてとっくに捨てているし、さすがに三度寝は勘弁させて欲しい。だからもう何でも良かったし、何なら三度寝をしても構わないので咄嗟に叫んだ。
「~~~ッ! オズベル!」
その名を言うと残虐な笑みをぱちくりとさせ、びたっと直前でナイフが止まる。ぎりっぎりの数ミリくらいの距離で。
心臓を早鐘のように鳴らせている僕だったが、ぐいと片手で持ち上げられると彼女の美しい顔が目の前に迫る。そして訝しげな表情で「オズベル?」と言いながら小首を傾げてきた。
紅を塗らずとも色づいた唇もまた少女とそっくりだ。
そう思いながら僕は何度も頷いて、ただ同じ単語「オズベル」を繰り返す。それを聞いた彼女は眉間に皺を寄せて、視線をマリアーベルに向けた。
やはり言葉というのは大事だ。
他でもない彼女の夫の名であれば、たとえ言葉が分からなくても通じるだろう。そう思って叫んだのだが、今回は功を奏したらしい。
マリアーベルは言い訳をするようにぼそぼそと何かを言っており、今度は母親が顔を険しくしてゆく。
ああ、助かったのかな。
ほっとしたいけど掴まれている腰みのが食い込むし、だんだんズレてゆくしで必死に押さえなければならない。
ああ、言葉を覚えたい。今すぐにでも覚えたい。そうしたら「降ろして!」と伝えることだって許されるのに。
ぶちっと腰みのがちぎれるのと、僕の誤解が解けるのは同時だった。




