第265話 半妖精エルフ族との出会い③
さて、どうしたものだろう、と僕は悩む。
人影が見えたので元気よく飛び出したまでは良かったものの、藪を抜けた先には年端もいかぬ子がうずくまっていたのだ。
僕と大して年が変わらない女の子であり、恐ろしいものを見たのか肩を抱いてガタガタ震えているが……一体どうしたのだろう。
しかしそう悠長にはしていられない。少女が腰を抜かしたまま這ってゆく先には川があり、先日の嵐の影響で流れは速い。
「あの子、怪我でもしたのかな」
ぽいと手作りの石斧を投げ捨てて、僕は駆けてゆく。
現実世界とは違い、今は夢を見ている最中なので判断は早い。だってどうせ何かあっても青森で目を覚ますだけだから。
などと気楽に考えていたのも失敗だった。振り返った少女の顔は恐怖に引きつっており「んやああーーっ!」と、けたたましい悲鳴をあげたのだ。
あれっ、もしかして昨日の夢で見た子かな。薄紫色の瞳をしているし……いや、それよりも彼女の怯えようは、まるで近くにモンスターがいるみたいじゃないか。
「そうか、きっと魔物に襲われていたんだな!」
先ほど石斧を捨てたことをわずかに後悔しながら、ざざっと背後へ少女を庇うように片膝をつく。だけど視界には何もおらず、きょろりと周囲を眺めた。
「……あれぇ、なにもいない?」
いや、違う。遠くから何かの気配を感じた。それは明確な殺気であり、僕に向けられたものだと感じ取る。
ギャアと鳴いて鳥たちは飛び立ち、釣られて滝の上に視線を向ける。その瞬間、鈴の音とよく似た美しい声がすぐ背後から響いた。
「******っ!」
いや、今のはエルフ語の詠唱だったかもしれない。
とぷんという魚が跳ねるような音がひとつ。視線を向けると群青色の半透明な魚がそこにおり、尾びれで宙を蹴って泳ぎだす。
そんな不可思議な光景に目を奪われていたら、とぷん、とぷんと、まったく同じ音が周囲から幾つも響いた。
「あ、マズいや」
こういうときの勘ってよく当たるよね。ははは。
なんて思う間もなく、昨夜と同じようにズババと全身を穴だらけにされて僕は死んだ。
いや、うん、やっぱりなとも思ったよ。だってこんな格好だし、よくよく考えなくてもエルフ族から見たら怪しかったろうしさ。
血しぶきの舞う光景というのは、これまで何度体験したかも分からない。今夜もまた悪夢に近しい目に合わされて、だらんと力ない己の手足を眺めながら意識を途絶えさせた。
ハー、ハー、と荒い呼吸が辺りに響く。
エルフの住む川べりには、サンダルで地面を一生懸命に蹴りながら、遺体から身を遠ざけようとするエルフ族がいた。
荒い息をしながら少女が凝視しているうちに、やがて視界には変化が生じた。それは地面に広がる血だけでなく遺体まで半透明に透き通ってゆく光景であり、不可思議な光がチカチカと輝く。
そのまま、消えた。
ふっと吹き消された蝋燭のように。あっさりと。
残された少女はもう顔面蒼白だ。
見てはいけないものを見てしまったと思ったらしく、ぞおっと血の気が失せた表情で駆けてゆく。わあわあと悲鳴をあげながら。
やがて神聖な滝には静寂が舞い戻る。
流れる水の音だけをただ響かせて、水滴を浴びた苔やシダ科の葉が鮮やかな緑色を見せていた。
その葉が、ずしんと踏みつぶされる。
丸太のような太い脚には剛毛が生えており、それからコフーと動物的に鼻を鳴らす。クン、クンクンと辺りを嗅ぐ様子もまたひどく動物に酷似していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
がばっと布団から起き上がった。
辺りは暗い寝室で、今夜は月明かりがあるのか障子はぼんやりと輝いている。荒い息を繰り返す僕の首筋に、たくさんの汗が流れ落ちてゆくのを感じた。
畳の匂いを嗅ぎながら、はーー、と安堵の息を吐く。
「そうか、夢から起きたところか……」
ここは東京から移り住んだ青森の実家だ。
祖父と祖母から挟まれて僕は眠りについていたのだが、先ほどちょっとした恐ろしい夢を見て飛び起きたらしい。
はー、びっくりした。
いや、あの子もすごいな。裸だったとはいえ、僕はレベル16なのでそれなりの生命力があったのに。それが2度連続の瞬殺だ。
はてさて、あの威力はどうやって生み出しているのだろう。などと思いながら、祖父たちの睡眠の邪魔をしないよう、慣れた動きで布団から抜け出す。
死んで目覚めることには慣れているけど、心臓の鼓動が激しいのですぐには寝つけない。素足のまま廊下を歩いてゆくと、お勝手には蛇口から垂れる水滴の音が響いていた。
コップを手にし、冷蔵庫を開く。目が痛くなるほど眩しかったので、目当ての林檎ジュースの瓶を手にしてからそそくさと閉じた。
「はー、喉がからからだ。おじいさんに買っておいてもらって良かった」
ごくりと飲む。身体が熱していたので、冷たい林檎ジュースが喉を通ってゆくのは心地よい。ほどよい甘さと酸っぱさは癖になりそうだ。
それからコップを手にしたまま廊下に戻って行くと、寝室ではなく隣の戸をからりと開けて縁側に座った。
夏なので青森の夜でもそう肌寒くはない。蚊が本格的に活動をするには、あと半月は必要だろう。
ぽっかりと丸く切り取ったように明るいお月様を見あげ、ふすーと長い息を吐く。
「見間違えかもと思ったけれど、あれはやっぱり精霊を複数操っていたんだな。すごいなー、半妖精エルフ族って」
エルフ族には強力な精霊使いがいるという噂話をたびたび耳にしている。しかし夢のなかで長い旅をしていたにも関わらず、出会ったのは昨晩が初めてだ。まだ胸がドキドキしているのは、たぶん恐怖心だけでは無い。
「まるで宝石みたいな子だったな。僕と同い年くらいに見えたけど、実際はどうなんだろう。エルフ族ってものすごく長命だと聞くから分からないや」
どこの家も明かりを消しているので、お月様がすごく眩しい。昼間の太陽に負けないくらい、澄んだ夜空に降りそそいでいる。
これは都会にいたときには決して見れなかった光景だ。素足をぶらぶらと揺すりながら、気分が落ち着いてゆくのを感じる。
「だけど、あの子を怖がらせちゃったかな。次もまた同じ夢が見れたとしたらちゃんと謝らないと」
おっと、謝る前に大きな問題があったぞ。彼女が何を言っていたのかさえ、僕にはまるで分からなかったのだ。
「おとぎ話に近しいエルフ語か。初めて聞いたけれど、すごく綺麗な響きだったなぁ」
まるで歌声のようだったからつい聞き惚れてしまい、それが死因に繋がったのだろう。
うーん、僕も覚えたい。エルフ語を覚えたいぞ。
また服を作るところから始めないといけないし、今度は身だしなみもちゃんと整えないといけない。
うーん、忙しくなってきたし楽しみだ。
伸びをひとつしてから、最後に残っていた林檎ジュースをごくりと飲む。やはりすっきりとした甘さで美味しかった。
だけど、このころの僕はやっぱり子供であり、考えはとても浅い。だから何度倒れようとも復活をし、迫られることへの恐怖心など微塵にも考えなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
はっ、はっ、はっ……。
手足を一生懸命に振って、ごくんと唾を飲みこんで、マリアーベルは駆けてゆく。
地面にはたくさんの葉が積もり重なっており、サンダルで踏むとふかふかしている。だからいつもより早く走れずに気ばかりが焦り、今にも転んでしまいそうだった。
「あっ!」
駆けながら背後を振り返ったとき、やっぱりエルフの子は転ぶ。
身体がどふっと土ぼこりをあげて、ふた房に結んだ真っ白い髪は少女を追い越して地面に落ちる。
そこは大樹の途切れた陽だまりで、マリアーベルは腹ばいのまま荒い呼吸を繰り返す。
いつも長老様の貯蔵されている本を読んでばかりいる彼女は、他の者よりずっと足が遅くて体力も乏しい。それでも身体を起こして、だいぶ明るくなってきた空を見上げる。
ずっと遠くのほうから木漏れ日が注ぎ込むこの場所には、陽だまりを独占するような果樹がある。そのラギと呼ばれる水滴型の果実がぷうんと甘い香りを漂わせていた。
陽光は朝もやを払うように森を照らし、見ればチチチと鳴く鳥たちは朝食にありつこうと仲間を呼び寄せている。きっと彼らは朝露に濡れた果実の甘さを楽しめるだろう。
ここは常緑の森、エルフの里。
安息と安寧の日々を生み出している土地であり、生き方も考え方もより精霊に近づけることで独自の世界を生み出している。
だからこそ不安定で危険な人間族が入り込むことは許されていない……はずだった。
息がようやく整ってきたマリアーベルは、新芽をもりもりと食みながら見つめている鹿に気がついた。
ぱっぱっと服の葉っぱを払いながら、気恥ずかしそうに顔を赤くさせて少女は立ち上がる。
汚れてしまった洋服に悲しい思いをしていられる余裕はあんまり無い。やっぱり背後から視線を感じるし、じいっと薄紫色の瞳を凝らすと……木々の隙間に石斧がまず見えた。
それを持つのは腰みのだけの半裸の男であり、ぼそりと「コトバ、オシエテ」という人間族の使う言葉なのか意味の分からないことを言ってくる。
しかし先ほどとは服装が若干異なり、腰みのに幾つかの花をつけているのは……おめかしのつもりなのだろうか。
そのような者からじーっと見つめられているのだから、彼女の恐怖心はさらに高まった。
「~~~っ!」
手元の石を掴み、えいと投げつける。
まるで異なる場所に飛んでしまったし、それを半裸の男と野生の鹿から見つめられて気恥ずかしかったけれど、マリアーベルは再び駆け出した。
目指す先は皆の住む里であり、あと少しだけ走ったら大人たちが待っている。そう思って疲れた身体を奮い立たせる。
少女にはひとつの才能があった。それは精霊と密接に触れ合えること、そして精霊がまるで友達のように協力をしてくれることだ。
万物に存在する精霊は非常にあやふやで、見ようと思えば思うほど水につけた砂糖菓子のように溶けてしまう。本当ならきちんと訓練をしなければ見ることも触れることもできない。
しかし少女は別だった。
背後を見やる薄紫色の瞳には、他の者には見れないものが視認できる。黄金に近しい生命の輝き、そして周囲を取り巻く精霊という存在を。
「あの子、やっぱり人間の子だわ……でも少し変わっている?」
眉間に可愛らしい皺を刻んで、マリアーベルはそう漏らす。
それから足をゆっくりとした歩調に変えた。先ほどもそうだったが、これ以上は近づいて来ないと分かったのだ。
はー、はー、と息を整えながら、再び人間族の子を眺める。
先ほど「変わっている」と感じたのは、どこか彼を取り巻く精霊が他と異なって見えたことが理由だった。てっきりお化けの類かと怯えていたのだが、距離を保てると分かれば観察をする余裕も出てくる。
まずは額の汗をぬぐい、己の里に向かって歩きながら様子をさぐる。
彼はずっと遠くから「コトバ、オシエテ」という聞きなれない単語を繰り返しており、何か伝えたいことがあるのかなと少女は悩む。
「まあ良いわ、人間族が入り込んだのなら長老様がお許しにならないもの。そこのあなた、楽しみになさい。汚らしい人間族にふさわしい最後をきっと迎えるわ」
そう薄紫色の瞳を氷のように冷たくさせながら少女はつぶやいた。
エルフ族に限らず、集落の者というのは外部の者を厳しい目で見ることが多い。それは往々にして良い結果を生まないからだ。
薄汚れた者に食事を与えて良くしてやっても、実は侵略するための偵察兵だったという話もある。
教えは大人から理解しやすいように伝えられ、それを生真面目な彼女は頭っから信じ込んでいた。すなわち人間族は悪しき者であり、災厄を撒き散らす存在であると。
そんなマリアーベルの視界に里の景色が映る。
ようやくこの恐怖が終わってくれるのだと、ほっと安堵の息を漏らしながら足早に進んだ。
きっとこの地を訪れた者は、一面の緑色に驚かされる。
大樹同士を繋げるツタには夜光性の果実が吊るされて、奔放に伸びた枝葉が頭上を埋め尽くす。
足元を流れる水は驚くほど澄んでおり、ぴょんと乗った飛び石もびっしりと苔で覆われていた。
そのような森としか思えない光景がエルフの里だ。
大樹を良く見れば木の皮が屋根の役割を果たしており、ここに誰かが暮らしているのだと分かる。
ふくろうの巣のすぐ下から男の顔がひょいと覗いた。
「どうした、マリアーベル。猪でも出たのか?」
「おじさん、あっちに人間族がいたわ! 見つけたら仕留めて頂戴!」
「そうか、なら人間族の鍋をご馳走してやらなきゃな」
嫌だわ、気持ちが悪い! という表情を眺めることが出来て、男はヒッヒッと楽しそうに笑う。それから立てかけていた弓を手に取り、弦の具合を確かめる。
戸口らしき場所から外に出ると、もうマリアーベルの姿は無い。男は頭を掻きながらぽつりと漏らす。
「人間かぁ……久しぶりだ。すると、このあいだの嵐で古い祭壇が壊されたりしたのか」
ごしりと顎を撫でてから、向かう先を狩人は変えた。少女が指さした先ではなくて、少女が走り去って行った方向に。
「まずはどこの祭壇が壊れたのかを聞かないとな」
皮で作った帽子を目深にかぶり、身体が鍛えられていると分かるしなやかな動きで歩み始めた。あのマリアーベルが逃げられる相手なら、そんなに危険は無いだろうと思ったらしい。
さて、一方のマリアーベルだ。
見かけた大人たちに危険を伝えながら歩いていたのだが、皆の反応は「あらそう」という程度で、拍子抜けするほどあっさりしていた。これなら猪を見たと伝えたほうがまだ驚かれた気がする。
それどころかあの少年が木から姿を現して、こちらに手を振ってくるという挑発まがいのことをされても、里の者たちの表情は何ら変わらない。
「あら本当だ、人間の子だわ。こんな場所に珍しいわねぇ、迷子かしら」
「ふうん、大人しそうだ。母さん、余っていたスネビがあっただろう。喜んで食べるかもしれないぞ」
「あ、あの半裸の姿を見ても動じないなんて……! 見て頂戴、あいつは石斧を持っているの。きっとトロルから取り憑かれているに違いないわ」
ぴっと指さして危険を伝えたのに「石斧かぁ」という微妙な反応だった。まあ確かに冷静になって眺めるとそんなに怖くないかもしれない。
じゃなくって、と言うようにマリアーベルはぶんぶん首を横に振る。
「そんな悠長にしている場合ではないわ! あの子はたぶん普通の人間族じゃないし、この里の場所を知られてしまったの。私、長老様のところに行ってくるわ!」
案内したのはマリーだけど、まあご苦労さんと里の者たちは声をかけ、視線を戻す。
するとそこにいたはずの人間族の姿は消えていた。
安寧な日々を過ごすエルフ族は、どこか危機感が乏しいのかもしれない。そうマリアーベルが思うほど、周囲からの反応は乏しかった。
畑作業をしている若者にも危険を伝えようとしたのだが、座り込んだ彼の隣にいた者を見て愕然とする。
「おーおー、覚えが早いな。そうそう、そうやって皮を取るんだ」
パキパキと音を立てて剥かれてゆく皮は、スネビという名産品だ。よく乾かしてから剥くと香辛料に近しい香りが漂い、スープにしても挽いても良い味が出る。
しかし作業をしているのはあの人間族の子であり、「な、な、な!」とマリアーベルは顔を引きつらせても、にこにことした表情を返してくる。
畑作業をしている男性から怪訝な顔を向けられるのも心外だ。
「ん? どうしたマリー?」
「ど、どうしたもこうしたも……何をしているの。それ、どこから見たって人間族じゃない。どうして怖がらないの?」
口を引きつらせたマリアーベルに、男は「これがぁ?」と返す。こくこく頷く少女に、なるほどなと男もまた神妙な顔で頷いた。
「ずいぶん便利な人間だ。ああ、こっちは違うぞ。逆側から剥かないと実が傷ついちゃう」
「だからぁーーっ!」
ググと溜めてから両手の握りこぶしを振り下ろした。
そんな光景を眺めていた者がいる。真っ白い長髪を清潔に整えた者で、手には立派な杖を持つ。
あれがそうかと隣の狩人に尋ね、それから彼は2人の元に歩み寄った。




