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第263話 階層主と王子の愛馬

 ぴんぴんと耳を揺すり、それから軍馬は辺りを眺める。

 この掘り出した石を使ってやや粗雑に組まれた建物は、もうずっと昔からあるように彼の目からは見えた。


 過酷な砂漠地帯を駆け続けた身としては、オアシスから届く水気たっぷりの空気は心地よい。おまけに鞍やあぶみは既に外されているので、身の軽さにぶるると身体を震わせる。


 と、そのとき明るい髪をした小柄な女性が、ひょいと建物を覗き込んできた。青空色の瞳をぱちぱちと瞬きさせて、見つめ合うことしばし。

 やがて現れたときと同じくらい唐突に、彼女は壁の向こうへ消えてしまう。仲間の馬たちと「なんだったの?」と顔を見合わせた。


 この石造りの建物は広さが足りておらず、集められているのも5頭程度だ。四角い窓の向こうでは他の仲間たちも異なる建物へ運ばれてゆく様子がうかがえる。そして遠目でも皆の表情が落ち着いているように彼からは見えた。


 馬の面倒を見る者たちは、誰しもが口を揃えて「頭の良い生物だ」と褒めたたえる。

 それはきっと感じ取れるものが他の動物よりもずっと多いからに違いない。


 自然の変化だけでなく、仲間の様子、そして長い共同生活によって人間の表情まで読み取れるようになった。

 だから大きな鼻で匂いを吸うと、乗り手の知性や品性まで嗅ぎ取れる。


 そしてこのとき嗅ぎ取れたのは、周囲の馬たちがこの連日の緊張から解放されつつあるということだ。

 南から届く禍々しい気配は、どこか他人ごとのような空気に変わった。だから耳を震わせて、顔なじみの仲間と一緒に安堵の息を漏らすようにぶるると喉を震わせた。


 と、もうひとつ嗅ぎ取れるものがある。

 それはオアシスからの風に混じって届くもので、思わず尻尾を高く揺らすほど懐かしく感じる草の香りだ。


 やがて皆で注目をしている戸口には山盛りの草が現れる。色鮮やかな緑色を木製のバケツに入れて、それを手にした女性の身体は「よとと」と斜めに傾げてゆく。


 なんか山盛りのすごいのが来た!

 そう馬たちは大興奮をし、早く早くと前脚で地面を掻いて催促をした。


 この砂漠地帯で草食の馬を扱うのは、なかなかに手間がかかる。耐熱に関しては魔術があるのでどうとでもなるのだが、新鮮な草を常に用意するのは非常に難しいのだ。

 そのため頭数は少ないし、餌も代用品を扱う場合が多い。当然のこと寿命も極端に短くなる。


 だから、どさりと空っぽの餌台に入れられた青草に彼らは歓喜した。鼻先を突っこんだままの姿勢で、もりもりと凄まじい勢いで草を食んでゆく。

 いくら食べても青空色の瞳をした彼女は「おかわり」を持ってきてくれるし、手が空いたら嬉々として身体をブラッシングしてくれる。


 これがまた上手い。

 ちょうど痒かったところなどお見通しで、ごしごしされると軍馬としての誇りなど忘れて目がとろんとしてしまう。


 桶に入れられた水も、つい先ほど汲みあげた清水かと思うほど冷たくて、生き返るーと言うように馬の瞳は閉じられてゆく。


 気がついたら、ぽけーっとするほど満ち足りていた。


 なにここ、天国なの?


 そんな瞳を周囲に向けても、仲間たちもまた呆けた顔つきをしている。ただ思うのは、あの良い香りがする女性とこれからお友達になりたいなということだ。


 がさつな男たちの世話には飽き飽きだったし、あの禍々しい南の方向になど帰りたくない。

 と、目の前に立った女性は、思い出したようにポッケからひょいと何かを取り出す。それは赤く色づいた林檎であり、ぷうんと酸味のある甘い匂いが辺りに漂う。


 ごっくと喉が鳴るようなものを見せられたら、栄えある軍馬であろうと必ずこう感じてしまう。

 やだやだ、ずっとここにいたい、と。

 そのように王子専属の従馬は、蜜でいっぱいの林檎をかじりながら思うのだ。


 さて、馬というのは実は女性があまり嫌いではない。いたずらをすると面白い反応をしてくれるし、気が弱いからこちらの我がままを聞いてくれるからだ。


 それと同じように、やんちゃな馬が後ろからこっそりと彼女の金髪を齧ろうとしたとき、思いがけないことが起きた。ブルルと鼻先を近づけて、仲間が横から邪魔をしたのだ。


 栗色で身体の大きな彼は、群れでもリーダー格に近しい雄だ。判断力に優れており、戦時中においても仲間の危機をたびたび救っている。

 その彼が、まるで「俺の主人をからかうな」と言うように睨みつけ、先ほどの者は不安げに耳をぱたぱたと揺する。


 振り返った金髪の彼女は、しょげた仲間をじっと見上げ、それから慰めるように首の後ろを掻き始める。たったそれだけでみるみるうちに彼の機嫌は良くなった。


 人間の表情を読むことに長けていた彼らだったが、ここに来て、読むまでもなく理解し合える存在が現れてしまった。

 たったのひと目で彼らが何を欲しがっているか当てられたし、良い匂いがするから近づきたくなる。


 だから女性が「よいしょ」と取り出した分厚い一冊の本に、皆の視線は吸い寄せられて行った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ウォルス王子は面食らっていた。

 それは想像だにしていなかった光景を見てのものだ。なだらかに下る坂道の向こう、木々の隙間からは、わずかに光を反射をする水面が見えている。


 その彼の様子をハカムは観察するように覗き込む。

 表情を見る限り驚いてはいる。迷宮に潜っていたはずが、このような光景が突如として現れては当然だ。

 しかし冷え冷えとした青い目は周囲のあちこちを眺め始め、そしてしゃがみこんで朝露に濡れた葉を触る。

 しばらくそのまま動かない様子に、ハカムは背後から声をかけた。


「いかがされましたか、ウォルス王子」


 辺りは深い林であり、見あげれば樹木の向こうに青空が見える。だが差し込む朝陽は先ほど地上で浴びたものよりも優しい。

 ちぎり取った葉を指で潰し、ひとつ匂いを嗅いでから彼はようやく返事をした。


「……いや、幻術などの類でも無いようだ。するとこれが第二階層の今の姿なのだな?」


 そう言って振り向く彼の表情からは、先ほどの驚きの感情は薄れていた。同時にハカムは、これが王族の持つ特性かと思い知る。


 決して公にはされないが、王族らのごく限られた者だけが扱う魔術があるらしい。


 レベルなど個々の持つ能力を数字で測り、戦場や政治において相手よりも優位に立てるように調整を行う。統治をし、周囲を効率的に動かすことが求められる彼らにとって、国内の者であれば情報開示の許可などを得るまでもなく全てが見える。

 そう、あまねく観察眼こそが彼らの武器なのだ。


 ――すると今の短時間で座標や草木の成分まで確認したのだろうか。


 普通であれば驚愕すべき能力だが、なぜかハカムはさほど動揺をしなかった。それが何故なのか己のことながら分からず、不思議に思いながらも再び声をかける。


「この変化については全てご報告を致しておりますが、魔導士のアジャが言うには階層主を封じたことで変質をもたらしたとのことです」

「変質……? おい、今すぐに階層主を封じた場所とやらに案内をしろ。お前たちはこの場で待機だ」


 立ち上がりながらそう近衛兵に命じると、金属鎧を鳴らして背筋を正し「はっ!」と鋭い返事をする。それから彼らは即座に盾を並べて円陣を組み始めた。


 荷物と馬の管理のため二百の兵をアオシスに残しており、残り三百の精鋭らは言いつけ通り自陣を築き始めてゆく。


 それはまるで迷宮攻略時と同じような物々しさであり、周囲の者らはぽかんと見つめてしまう。危険な敵などいない平和な土地ではあるが、それは暮らしている彼らだけが思うことだったらしい。


「……ここは既に攻略済みで危険はありません。我々の拠点はまだ先ですし、まずは移動を済まされても宜しいのではありませんか?」

「無用だ。ハカム、私に二度も言わせるな。今すぐに階層主を封じた場所に案内をしろ」


 冷ややかな視線を向けられて、仕方なく魔導士アジャ、案内役としてドゥーラを呼び寄せる。それとウリドラに視線を向けたが「勝手にするが良い」と顔を背けられたので、仕方なく王子の近衛兵と同数の兵士を従える。


 それと女性隊員の多いダイヤモンド隊から「館に戻って宜しいですか?」という意味の視線を向けられたので「構わん、歓迎の準備をしてくれ」と無言でうなずき返す。


 本来であれば食事や温泉などを堪能してもらい、好印象を持ってもらう手はずだったのだが、当のウォルス王子は他に気になることがあるらしい。

 仕方なく探索隊を組んで、ふんと溜息をひとつしてから森に向かうこととなった。




 早朝とあって、鬱蒼と茂る森からは朝もやが起きていた。太陽の光が差し込んで、カーテンのように頭上を染める。

 しかし目覚めた鳥たちが鳴く声さえ、王子らは気にもせず歩く。彼が連れているのは甲冑に身を包み、整った顔立ちをした騎士、それと6名の部下たちだった。あれが王族らの抱えている懐刀、親衛隊ロイヤルガードだろう。


 会話らしい会話もせずに、ドゥーラの先導に従って一同は進む。

 やがて頭上まで枝に覆われて、自然の生み出したトンネルを長いこと歩き続けて当の階層主を封じた地に辿り着いた。


 それは複数の樹木がくっついたようにずんぐりとしており、樹齢何百年――いや千年を越えていてもおかしくないほどの大木だった。

 この場所で何があったのかをドゥーラは説明しかけたが、どけと言うように王子は先に進む。

 そして躊躇せず樹木の皮を剥ぎ取り、ぶちぶちとツタを千切ってゆく様子に一同は目を剥いた。


「まっ、お待ちくださいウォルス王子! ここは我々の第二階層を支えているいわば心臓です。手荒な真似はおやめいただきたい!」


 言い寄る彼だったが、親衛隊が両側から肩を押さえつけてくる。そして王子はというと聞く耳も持たずに懐から手帳を取り出し、樹木の奥にあった石造りの人工物を覗き込む。


「ふむ、これが変質か。面白い、まるで神にでもなりたがっているようだ。すると……おい、そいつらを私に近づかせるな。階層主と共に変質させられた可能性があるからな」

「何を言っておられるのですか! 王子!」


 慌ててそう言い寄ると、ウォルスはようやく振り向いた。口元にあざけりの皺を浮かべ、目だけが笑っていない。そんな表情で。


「ハカム、私もこの地に興味を持った。本国からの連絡が無い限り、しばらく滞在させてもらおう。それと我々を歓迎をしてくれる予定だと聞くが、どのような食事かも分からぬ。私は辞退をしておこう」


 にいと笑みをより深め、王子はそのような言葉を伝えた。

 アリライの王族らがどのようなものを見ているのか、ハカムには計り知れぬものがある。

 しかしなぜかやはり大して恐ろしいとは思えず、彼は胸中で首を傾げた。



 さて、一同が帰路についていたときのことだ。

 ウォルス王子は第二階層主について考えふけっていたらしく、森が切れて肥沃な草原が広がっても気にも留めなかった。


 そのなだらかな傾斜から、一人の女性が現れる。

 たくさんの人がいて驚いた表情をひとつし、手が滑ったのかバケツをがらんと落としてしまう。それから慌てて懐の刺繍入りの布を取り出して顔を覆う。


 耳まで真っ赤にしながら通り過ぎても一瞥もせず、彼女の後を追う動物がいてもそれは同様だった。

 栗色の動物は器用にも木製のバケツを口にくわえ、その中には色とりどりの野菜が覗いている。


 そのまま数歩ほど王子は歩み、そしてくるりと振り返る。

 そこには草原を駆けてゆく己の愛馬がいて、人差し指を向けながらしばし言葉を失った。


 また同時にハカムも「こんな子らが周りにいたら、王族の能力ぐらいでは驚かなくなるか」とひとつの答えを出していた。


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