第28話 猫族ミュイと竜の血②
さて、お偉いさんが帰ると僕らの肩の力は一気に抜ける。
ふいーと3人そろって息を吐き、それからようやく工房の様子をゆっくりと眺めることができた。
窓からの日差しは樹木にさえぎられ室内を明るく染めている。
以前にも誰かが使用していたのか錬金術師を思わせる器材が並んでいるものの、壁も天井も綺麗なものだ。
「こじんまりとしているけれど明るくて綺麗な工房をいただいたわね。ランチにもぴったりだし、とても暮らしやすそうだわ」
「はい、こんな立派なお家をいただけるなんて驚いてばかりデス。本当にカズヒホ様にはお世話になりまし……ゴロゴロ……」
僕の目をじっと見てお礼を言いかけていたのだが、首の後ろのあたりを少女からグリグリされるともう駄目だ。澄んだ瞳は閉じられて、小さなピンク色の鼻をぴくぴくさせている。
「いや、無事に済んで良かったよ。ここなら護衛もいるし、もう狙われるような事も無いだろうね。あ、ランチといえばお昼はもう済ませたの?」
そう尋ねると、窓際にあるバスケットをミュイはちらりと見る。布の隙間には黒いパンが覗いており、めくってみると香辛料入りの赤いスープが入っていた。
「ボク、辛いの駄目なんデス……。だからパンばかりで……」
ふむふむ、獣族はほとんど調理をしないから舌が刺激に弱いのかもしれない。ちょうど僕らはフレンチでお腹はまだ空いていないし、お弁当もあるのだから一緒に食べようか。
ぱかりとお弁当を開くと、少々地味な色合いのいなり寿司が現れる。
獣人の目から見れば風変わりな料理だろうけれど、ほんのりと香る甘い香りにミュイはひくひくと鼻を揺らしている。
あ、そういえば猫って米を食べても平気なのかな?
たしか穀物はあまりたくさんあげると良くないと聞いたけれど、まあそれはパンだって同じことだと思い直す。それよりも問題は味付けか。
ひょいとマリーはいなり寿司を手に持ち、ミュイの口元へと寄せる。
「はい、あーん」
「これでもボクはフォークくらい持てるのデスよ。多少は滑って危ないかもしれませんが……んぐんぐ……むほおっ!」
ぱちーんとミュイの瞳は見開かれ、悲鳴じみた声を漏らした、
汁だくおいなりさんは、咀嚼をするたびに甘じょっぱい味が染み出し、飲み込んだそのときにはゴマの香りがぷうんと鼻を抜けてゆく。
そのひどく優しい味付けは幸いなことに猫族の舌にも合うらしく、こちらを見上げるミュイの瞳は……何というか「いいんですか!?」という表情をしていた。
もちろん僕としても一緒に食べて欲しいので「いいんですよ」と頷くと、ミュイの瞳は先ほどの魔石のようにキラキラと輝く。
それから肉球のついた両手でマリーの指をはっしと掴み、はぐはぐっ!という凄い勢いで食べ始めた。猫族もたまらなかったろうが、もっとたまらないのは汁のついた指をペロペロと舐められたエルフだろう。
こちらを振り向いたマリーは何というか……「きゃわいいっ!」というキラキラした瞳をしていたので「良かったね」と頷いてあげる。まあ、僕から見たらどちらも可愛いんだけどね。
数分後……半分近くを食したミュイは、ぱんぱんに膨れたおなかをさらけ出し、エルフの膝の上で夢見心地の顔へと変わり果てていた。
ぐーるぐーると鳴いている猫族とともに、僕らの遅い昼食は進められてゆく。
お茶を飲んで落ち着いているころには、僕とマリーは共用語について議論をすることになった。
ああ、いや、議論というよりは言い合いに近いのかな。ぱちりと昼寝から目を覚ましたミュイは、そんな僕らのやり取りを不思議そうに見上げていた。
「もう一度言うけれど、語尾に『にゃん』をつけるべきだと思うの。そのほうが言葉がたどたどしくても気にならないでしょう? むしろとっても可愛いと感じられるわ」
「う、うん、でも可愛い言葉使いが良いかは本人次第だよ。ねえミュイ、語尾に『にゃん』って付けたいかな?」
しばし考え、ミュイは「別に思わないデス」と首を横にぷんぷんと振る。その反応に、マリーは口を「へ」の字にし、妙にきりっとした表情で猫族を見つめた。
「ごめんなさい、それだけは譲れないわ。あなたは猫族として誇りを持って語尾に『にゃん』をつけるべきなの。少なくとも私はそう思うわ」
「えぇー……そんな誇り、あるのかなぁ……」
ミュイの瞳は「無いデス」と語っているが……あ、ひょっとしたら毎晩読んで聞かせている絵本が影響しているのかな。あるいは単なる趣味なのかもしれないけれど、僕らにはよく分からない。
とはいえ男性というのは女性に振り回される生き物である。二人揃ってコクコクと実にぎこちなく頷くことしかできなかった。
ま、まあ本人が了承するなら構わないか。
それに彼女が言うことも微妙に一理あって、言葉尻を元気にすると好印象に変わったりもするしね。
食べ終わったお弁当をカバンにしまいながら、そのように考える。
そのとき何かがお弁当箱に当たり、ゴツンと硬質な音を立てる。
ああ、もう何日も放り込んだままですっかり忘れていたけれど魔導竜のアイテムか。
「そうだ、せっかくだしこれも見てくれないかな。魔導竜からもらったもので、竜の鱗、それから竜の血って言うアイテムなんだ」
「はあ? まどーりゅう? よく分かりマセンが、見るくらいならもちろん構いマセンよ」
魔石とは異なる存在だけど、もしかしたら精製できるかもしれない。ゴシゴシとミュイがそれらを触れている間、マリーは簡単な説明をしてくれる。
「魔力触媒というのはね、さっき言った通り素人でも魔法を使える物なの。高名な魔術師であれば、さらに先へ進めることも出来るそうよ」
「さらに先? 精製しておしまいじゃないの?」
「ええ、簡単に言うと魔力のついた装備品ね。元の素材、それに術者の腕に大きく左右されるから市場にはあまり出回らないの。……あとミュイちゃん、語尾は『にゃん』よ。分かったかしら?」
ああー、魔法装備か。
そういうのはゲームでは見かけるけど、この世界にはてっきり無いものかと思っていたよ。まあ一度くらいは見てみたいけど、さすがにミュイには無理じゃないかな?
「そ、そこまでは出来ませ……んにゃん。せーせーだって良く分かって無いですにゃん」
あ、真面目な子だなー、律儀に猫語を使ってるなんて。
涙まじりで訴えるもマリーはほっこりとした顔を返し、ぐりぐりと頭の後ろを撫でている。どうやら言葉は通じなくても語尾くらいは伝わるらしい。
猫族はいかにも気持ちよさそうに目を細めつつ、こちらを見上げてくる。
「カズヒホ様、これ凄いですにゃん。内側から溢れるような力があって、せーせーまで進まないにゃん」
ふむ、そういえば竜は「落ちている魔力切れの鱗などではなく、いま生えているものをやろう」と言っていた。そして少女は魔導竜は呼吸をするだけで魔力を生むと。
そう考えると存在するだけで、一定期間は魔力が生まれるのかもしれない。
「いえ、それだけではなくて、許可? 契約? 変な文字が浮かんでいて……たぶん今も繋がってますにゃん」
「え、繋がってるって……何と?」
そう尋ねはしたが、顔を見合わせる僕とマリーは答えを導き出している。どうやら驚くことに魔導竜という存在とこのアイテムはまだ関係性があるらしい。
「まどーりゅうから今も力を注がれてますにゃん。これ、本当にただのアイテムにゃん? それにしては密接すぎて……」
そう言って猫族は僕らへと竜の血が染み込んだ石を示す。
わずかな明滅はまるで早い鼓動のようであり、今にも消えてしまいそうな灯火だ。
「ねえ、気のせいか弱っている感じがしないかしら。もしも繋がっているのなら、彼女に何かがあったんじゃ……?」
「うん、気になるね。どうせ今日は帰る予定だったし、様子を見に行ってみようか」
まあ、推定レベル1000を超える魔導竜をどうこうできる相手など想像できないけどね。
こくりと少女もうなずいてくれたので、予定を変更して魔導竜の安息の地、ナズルナズル遺跡へ向かうことにした。




