第248話 幻想世界の祝勝会③
じゃあん、と弦楽器が空気を震わせる。
指先で弦を弾き、何度か音を確かめると男はにやりと笑い、それから音楽を奏で始めた。
震える弦の音色は耳に優しく、それを大きな身体で弾いているのだからまるで似合わない。しかし名門サウザンド家の息子であるゼラは、バラバラとした拍手を受けながら笑みをより深めた。
きっと男はこのような時間が好きなのだ。
指先で弦を弾き、じっくりと音楽へ入り込むのを好んでいるだろう。いざ戦場に立てば起死回生の一撃を、喉元を食いちぎる力を持ち合わせている。しかし、そうとは思えぬ繊細な響きが肌を震わせ、それが人々をゆっくりと会場へ集わせつつあった。
湖畔のふちにある演奏場は、半円形ホールのようでもある。水気のある風がそこから吹いてきて、傾きつつある太陽が湖に反射をする。
心安らかな調べではあるが、一部の場所で驚きと歓声が起こった。なんだなんだと周囲の者たちも目を向けると、人々の間から一人の女性が颯爽と歩いてくる。
燃えるような赤髪をしたドゥーラ。彼女はほとんどしない口紅をひき、うっすらと笑みを浮かべている。身体の線さえ見える白色のドレスはこぼれそうな胸元を見せ、髪には幾つもの花が飾りたてている。
「ドゥーラ隊長ぉぉぉ!!」
「マジかぁーーー!!」
即席の会場は、どっと沸く。
意思の強そうな眉の持ち主は、何度となく戦士たちを駆り立てた主人でもある。戦場で導き、勝利をもたらした人物でもある。
その彼女が魅惑的な唇を開くと、ゼラの奏でる調べに乗って、高く高く澄んだ歌声を響き渡らせた。
湖畔には幾つかの集い場があり、食事どころや釣り、昼寝を楽しむ者たちもいる。しかしこの時ばかりは普段決して見れない歌姫の姿を一目見ようと集いつつあった。
それは午後どきらしい明るい響きをした歌だった。
るんるんと鼻歌をするようで、どこか脚が浮き立つような曲だった。
耳に響くドゥーラの歌声は心地よく、これが戦地では聖歌として戦士たちの魂を燃え上がらせているのだから信じられないと、観衆たちは目配せをしあう。
さて、耳にした彼らもここまで本格的だとは思っていなかったらしい。
高音と低音を織り交ぜて、細かく肌を刺激してくるのは弦楽器の持つ魅力だろう。細かい波のように肌へ触れ、「もっと楽しもうぜ」と誘いかけてくるのだ。
おお、とうめき声に似た歓声が響き、またそれを利用して音楽はより厚みを増す。手拍子や足踏みを誘えたら演奏会としてはまずまずだ。
気分を高揚させ、楽しませ、そして身体を動かさずにはいられないように仕向ける。そこまで出来て、初めて音楽というのは成り立つらしい。
やがて歌声を終わらせるその時まで、彼らは身体の芯まで聞きほれた。その後に響くアンコールへ赤髪の彼女はにっこりと笑い、リクエストに応えたものだった。
ばらばらとした拍手を背に受けながら、弦楽器を気に入ったらしいゼラはそれを眺めながら口を開く。
「こいつはいいな。どこで仕入れたんだ?」
「喜んでいただけて何よりです。食事を仕入れている海沿いの村では観光業も盛んで、このような娯楽の品を譲っていただきました」
手渡す先には執事姿をする男性がおり、彼も満足したらしい笑みを浮かべている。つい先日、ここで働くことになったらしいがどのような経緯なのかは誰も知らない。
身のこなしを見れば只者ではないと分かる。しかしゼラにとっては「あのウリドラさんが連れてきたんだから当たり前だろ」程度にしか思わない。実際には想像するよりも遙か彼方の格上であり、伝説そのものであるのだが……この祝勝会では気にする方が野暮だろう。
それを知ってか知らずか、スーツを脱ぎながらゼラはにやりと笑いかけた。
「うちには聖歌隊もいるからなぁ。音楽好きな連中が多いから楽器も喜ぶだろう。おいドゥーラ、一緒に酒でも飲みに行かないか?」
「いいわね、行きましょう。こういうのは久しぶりだから緊張しちゃって、少し落ち着きたいわ」
そうぱたぱたと仰ぎながら、上気した顔のドゥーラがやってくる。自然とゼラの腕を取り、それを周囲の隊員たちは冷やかす。ひゅうひゅうと。
馬鹿ねと言うように彼女は手を払うと、振り返ることなく湖畔の小道を歩み始めた。
一方、そのような催し物とまったく縁のない者もいる。
あんまりね、こういう事はしないと思うんだ。
分かっているよ。今日は特別な日であって、それを祝ってあげたい気持ちは僕にもある。
だけどね、いつもこれを求められたりしたら、僕はいつの日か眠りにつくことを恐れるようになるかもしないよ。
皮を剥いたばかりの玉ねぎを、不機嫌そうな顔でちらりと見る。
すぐさま「五重定義の過負荷」を発動すると、手にした包丁は輝きを増す。この技能には幾つかの特性があって、そのうちの一つが「設定した行動を実行できる」という物だ。
結果、ぞぱぱん!と手ごたえを残し、それはみじん切り――いや、みじん斬りと言うべきか――へと変わり、油を敷いた大鍋へと落ちてゆく。
たまたま通りがかった人が足を止め、じっと眺めていても気にしない。今の僕は料理人なのだから。
料理の基本は愛情だ。それもちゃんと理解をしている。
しかし、この場合はどうなのだろうか。火にかけられた幾つものフライパンを次々と、ぼぼぼ!と転移をし、一斉に調理をするというのは。これでは愛情が薄くなってしまうじゃないか。
おまけにフライパンをあげるたびに、寝ころんだ火とかげがゴマ粒みたいな目をパチパチしてくる。非常にやる気が削がれるのはなぜだろう。
そのように自問自答をしつつ、頃合を見て次の段階へ移ることにする。
飴色に透けた玉ねぎたちが、一斉に「ジャッ!」と宙を舞った。それを見て、「マジかぁー」と呻く者や、喝采する者、酒のツマミを心待ちにしている者、そしてお腹をかかえて爆笑をするダークエルフなどがいたりする。
この野外へ設置をした調理場には「危ないから近づいてはいけません」の立て看板があって、ちょっとした「カズヒホのワンマンショー」になりつつあった。それがとても悲しい。
最近になり、湖の周辺にはキャンプ場などが出来つつある。第二階層広間は着々とレジャー地としての姿になりつつあるらしい。
本日は第三階層突破記念であり、魔軍撃退記念であり、そしてウリドラが旦那を叩きのめした記念日でもある。皆は思い思いに酒を飲み、食事をし、手にした財宝の数もあってか表情は明るい。
だけどね、ちょっとだけ考えて欲しい。
肉や野菜というのは切るパターンがとても多いんだ。それを全て「五重定義の過負荷」に記録させてゆくと、みるみるうちに領域がお料理だらけに変わってゆくんだよ。ほんの少しだけ悲しくなるのを理解して欲しい。
あとね、さっきから調理技能がバリバリ上昇しているけれど……何かを掴めそうな感覚があるんだ。
煮詰めてゆくスープのように、己のなかで何かが形成されてゆくようなこの感覚は――まさかだけど、固有技能に目覚めたりしないよね!?
うわあ、もしそうなったら最悪だぞ。
とてもとても貴重な技能枠に「お料理」という項目が追加されたりしたら、僕はしばらくふさぎこむと思う。目覚めるなよ、絶対に目覚めるなよ、と内心でお笑い芸人のように念じつつ、僕はお料理作りに没頭をしてゆくのだった。
「大変そうだなぁ、攻略の立役者だっつーのにさ」
「あれ、ダーシャさん。料理ができあがるまでもう少しありますよ?」
そこにはメイド服を袖まくりにしている女性がいた。ダイヤモンド隊において前衛にあたり、巨大な斧を易々と担ぐ姿を戦場で見かけたこともある。長身でがっしりとした身体をしており、料理を運ぶだけでなく力仕事を得意としていそうな雰囲気だ。
「手が空いたし、ちょっと休もうと思ってな。カズヒホ、そこの酒をくれ。祭りだってのに、ぜんぜん飲んでねーんだわ」
近くの椅子にどっかと座り、ダーシャは汗の浮いた肌をぬぐう。体中に古傷があり、筋肉質ではあるけれど顔が小さいせいか、あるいは腰が細いせいかメイド服も似合っている。
ワインを瓶ごと手渡すと、栓を抜いてそのまま飲み始める。多少の行儀の悪さはあるけれど、キッチンドランカーとはまた異なるのだし今日は特別な日だからね。
ぷうっと彼女は息を吐き、男勝りで頼もしい笑みを向けてくる。
「階層主戦のときは助かったぜ。ほら、頭に血がのぼったプセリが特攻したときだよ」
「ああ、ありましたね。だけど僕は通り過ぎただけで何もしてませんけど」
あのときは階層主を引き連れて、彼女らが担当している魔物にぶつけた記憶が戻ってきた。うん、確かに何もしていない。
そう伝えると弾けるようにプハッと笑われた。酔うにはまだ早そうだけど、ダーシャさんはスカート姿なのに胡坐をかいて、ちょっと楽しそうな顔をしていた。
「今度さ、手合わせしようぜ。おまえだと本気で戦えそうだし」
「やめといた方が良いよ、ダーシャ。絶対に」
おや、と僕らが視線を向けると、そこにはダークエルフのイブがいた。なぜか頭には王冠を、手には錫杖、肩には赤いマントと……本当にどうしたの、その恰好は?
ウェーブがかった金髪をほつれさせ、疲れた顔をするイブは装備品を脱ぎつつため息をひとつする。
「気にしないで……騙されたあたしがバカだったんだ」
「そりゃバカなのは知ってるが、どうしてこいつと戦っちゃだめなんだ?」
むかっとした顔を一瞬だけ見せて、イブもまた椅子に座る。どうやらかなりお疲れらしい。僕らのいないあいだに一体なにがあったのだろう。
そうダーシャさんと顔を合わせていると、イブは言葉の意味を教えてくれた。
「相性が悪いってこと。一廣ってこう見えてけっこー陰険だからさ、弱いトコ弱いトコを突いてくるんだ。いなされ続けてムカムカしたら術中にハマっているっていう合図」
「そ、そうかな……僕は正々堂々のつもりなんだけど」
「あー、よく見たらそうかもな。優しそうに見せておいて、パクッと行くタイプだ。やっぱ手合わせしなくていいや、めんどくさそうだし」
たらりと汗をかきながらも、料理の手は休めない。もしも食材をコゲさせてしまったら、育ててくれたリザードマンたちに申し訳ない。
いつの間にかワインの試飲会になりつつあるけれど、今日は特別な日なので僕も怒ったりなんてしない。切れ込みを入れてから腸詰のソーセージを軽くあぶり、塩と胡椒だけで味付けしたものを皿に乗せる。
スーパーにあるものと違って皮がやぶれやすいので、お湯で熱しておくのがポイントだね。今回は羊の腸を使っているので「ウィンナーソーセージ」という名称が正しい。
「このあいだ男たちが作ってたやつかー! サボってるのにすげー得した気分だぜ!」
「やったあ! いただきまーーす!」
燻製をするための小屋はまだ建造中だけど、ここには魔導竜仕込みの保管施設があるので実はそこまで重要じゃない。
素人なりに作ったものではあるけれど、これには保存目的の塩や香辛料が詰まっている。ここでは良い肉にまったく困らないので、噛んだ瞬間に良質の油が溢れてくる。軽くあぶり、さらにボイルをしたおかげで旨味を閉じ込めているので、ひとくち目の美味さは本当に病みつきものだ。
じゅわっ……と油が溢れて、それが塩と香辛料で味つけされている。頬がきゅっとするほどに美味であり、もぐりと噛めば肉本来の味わいが溢れてくる。たらたらと尚も溢れる油、そして旨味によって彼女らは瞳を輝かす。
「ぐう……ッ!」
「んふぅーーっ!」
そう鼻息だけで美味しさを伝えてくれると嬉しいね。ぷつっと噛み千切れるソーセージを咀嚼するのに忙しく、そしてしっかり噛めたら今度こそワインの出番だ。やや辛口の喉ごしをしており、たまらず二人は瞳をぎゅっと閉じて余韻にひたった。
「っかーー! うまあ……っ! 駄目だもう、今日は完全にサボる。もう無理だわ。だって身体がリラックスモードになったし」
「んんーーッ! やばい、どんどん食べれちゃう! また、作ろう、たくさん作りだめ、しよう!」
食べたり飲んだりしながら話すものだから……あーあー、気品あるメイド服姿が台無しだ。でも怠けたいのならトコトン怠けてもらうのが僕の流儀でもある。はいどうぞとお酒のお替りを渡すと、なかなかの笑顔で受け取ってくれた。
そのように楽しく談笑をしていたとき、ふと辺りが静まり返った気がした。
顔を上げ、周囲を眺めてみると、兵士たちはどこか緊張の表情をしているようだ。彼らの視線を目で追うと、そこには……。
勇者候補ザリーシュ。
彼はシャツから血のにじんだ包帯を覗かせ、湖畔の小道をゆっくりと歩いてくる。
まだ公にはされていないが、彼はゲドヴァー国へ加担をしていた過去がある。さわさわと流れてくる周囲からの会話もそれに近しい内容だった。
イブは慌てて残りのツマミをぺろりと食べ、席を立つ。
それを見て僕もすぐに火を止めることにした。
「やあ、この時をずっと待っていたよ、ザリーシュ」
そう呟きながら僕はエプロンを脱いでゆく。




