第26話 エルフさんのお着替え
うーん、とマリーは唸っている。
明るい日差し……などという表現は生易しいか。
空には灼熱の太陽が空にあり、ぐるりと周囲を見渡せば砂漠地帯を過ごしやすくする工夫を町のあちこちに見ることができる。
例えばこの背の高い植物。いたるところに植えられており、直射日光に触れないようにしているのだと分かる。
もしも王族などの上流層であれば、水路と植物に囲まれた快適な生活を送れるだろう。しかしここは下層であり、そのような環境とは雲泥の差があるようだ。
しかし川に面した立地もあり、朝であれば涼しい時を全ての国民が楽しめる。
人々側の工夫としては、通気性の良い服を選ぶ、こまめにお茶を飲む、日差しが厳しい時間には昼寝をして過ごす……などといった努力をしているようだ。
とはいえ、そのような事は日常に溶け込んでおり、努力とは呼べないかもしれない。
僕らの周囲にもお昼時を終え、やや過ごしやすい広場で横になる市民も多い。ただいつもと少しだけ異なるのは、エルフの少女の指先に液体が浮かんでいることだろう。
それは人の頭ほどの大きさでふわふわと宙に漂い、透明な球体を揺らしている。
水の精霊ウンディーネ。少女の呼びかけに応じて具現化し、何度となくエルフは囁きかけている。どうやら複雑なお願いをしているようで、水の精霊が理解するまでには数分ほどかかることになる。
そしてようやく相談は終わったらしい。
ぴっと細い指を立てると、求めに応じて水の精霊は動き出す。細かな霧を周囲へと撒き散らし、少ししてから周囲の皆は明るい声を漏らした。
「うわ、涼しいーっ! できたじゃない、マリー」
「んふっ、できちゃったわ、気化熱。あなたとオアシスに行ったときから考えていたけれど、この地域でなら活躍できそう」
しゅわしゅわと霧状の液体が撒かれると、周囲は格段に過ごしやすいものへ変わる。
日本でも度々テレビに登場する気化熱というのは、気温よりも冷たい霧状のミストを撒くことで周囲を快適にしてくれるものだ。
気温を下げ、そして水が蒸発すると共に熱を吸い出してくれる。
庭園などの一部であれば過ごしやすいが、このあたりの区画は一般市民が多い。物珍しさに子供たちも駆けてきて、わあわあと水滴に群がってくるほどだ。
微笑を浮かべる少女は、ちゃぷりと水滴へ指で触れ、精霊へと追加のお願いをする。
「それじゃあ、このまま皆を涼しませてあげて」
分かった、という風に透明な球体はだぷんと揺れた。
きゃあーという子どもたちの声を背に、僕らはゆっくりと階段を降りてゆく。
「うーん、あれなら暑くても平気だけど、問題はどれだけ水を確保できるかね」
「砂漠で水は貴重だからね。それにしてもいつの間にかマリーは精霊の扱いが上手になったんじゃない?」
「ええ、日本で意志疎通ができないぶん、ありがたみを知ったの。以前よりも友達になれている気がするわ」
ふふん、と得意気に少女は鼻を鳴らした。エルフとはいえ日本だとレベル1に近しいらしく、精霊との意思疎通はなかなか苦戦しているらしい。
「ただ少しだけ歩み寄れてはいるから、時間をかければ大丈夫な気もするわ。あまり期待しないでちょうだいね」
「うん、別に意志疎通できなくても問題無いしね。ゆっくり試してみるといいよ」
「いいえ、私が気になるの。いつも出来ることが出来ないと背中がムズムズするものよ」
ふむ、そういうものなのか。
そのあたりは彼女にお任せしたい所だ。ただ、あの気化熱ができれば3ヶ月後にやってくる日本の猛暑も過ごしやすそうな気がする。
さて、さらに下層へ進んでゆくと建物が密集し、すっぽりと日陰へと入ることが出来る。少しだけ汗は引いてくれるものの、中央からこの辺りまで離れると実に過ごしづらい環境だ。
「せめてそのローブは着替えたらどう? ほら、みんな涼し気な格好をしているじゃない」
コツコツと石階段を降りていると、ちょうど洋服屋があり、そんな事を言ってしまった。
見れば店先には色鮮やかな服が並べられ、どれも涼し気な布地と思わせる。目的地はまだ先だけど、釣られるように少女の足もぴたりと止まってしまった。
「見てごらん、涼しそうな服だね。アラビア風って言うのかな。マリーには何色が合うかよく考えるんだけど、こういう瞳の色に似た布地がとても合うと思うんだ」
「やめてちょうだい、こんなローブを着ているとおり私は魔術師なの。それなのにヒラヒラとした服なんて……」
「ああ、でもシンプルな白も合うね。ほら、髪とよく似合う」
店員さんが「どうぞ」と身振りをしてくれたので、一つを手に取り、ふわりと少女にかけてみるとやはり良く似合っていた。瞳の色はより強調され、宝石以上の魅力を覚えるほどだ。
しかし布地の間からジトリとした恨みがましい視線を向け、少しだけ不機嫌そうに少女は口元を「へ」の字に歪めている。
「……こんな格好をしていたら、魔術師ギルドから怒られてしまうわ」
「ほら、ここはアリライ国だよ。マリーの国はずっと向こうにあるんだし、誰も見ないんじゃないかな。日本でも部屋で休むときはパジャマを着てたでしょう?」
うぐっ、と少女は困った顔をする。
勘違いしてはいけないが、別にローブを着なければならないという戒律は無い。身体の動き、そして精霊を邪魔しない布地であれば別に問題は無いのだ。後は魔術師としてのモラル次第だろう。
「……もう、あなたはいつも私の興味を誘って。ほら、あなたが言い出したんだから責任を持って一緒に選んでちょうだい」
喜んでと答えると、ふんっと少女は鼻を一つ鳴らし、それから瞳をキラリと輝かす。どうやらエルフさんは女性らしくお洋服選びも好きらしい。
この地域は染料が豊かなのか色とりどりの布が並べられている。生地も薄いものから厚いものまであり品揃えは豊富だ。
「動きやすいよう、こういうパンツ型のほうが良いと思うけどどうかな?」
「あら、腰と足首を縛ってまとめているのね。うん、異国風で素敵だわ。色はやっぱり白か薄紫ね……。ねえねえ、こっちの服はどうかしら。お腹が見えてしまっても気にならない?」
示された服を見てみると、どうやら胸元から手首までを覆う形のようだ。やはり布地は涼しげで、そのぶんお腹が見えてしまうのだろう。
いやー、お人形みたいに可愛い子のおへそが見られるなんて、僕としては嬉しいとしか思えないよ。
「ならこっちのベールも合わせたいね。少し派手かもしれないけど、マリーは肌が綺麗だから似合うと思うんだ」
頭からかけてあげると、どうやらマリーの気分も上がってくれたらしい。にこりと少女は笑い、そして「日差し対策なのだし別に平気ね」などと呟く。
うーん、女性とのお買い物は大変だと聞くけれど、これだけ可愛いとまるで苦にならないものだね。
店員のおばさんも見とれるほどらしく、高いものというよりは少女に一番似合うものをアドバイスしてくれる。更衣室なんて気の利いたものは無いのだが、好意として奥を使わせてもらい……。
そして……。
とん、と靴を鳴らしてエルフの少女が現れると、僕と店員さんはしばし見とれた。
薄紫色の涼しげな布地は腰と足首できゅっとまとめられ、そして肩口から袖までの布には切れ込みがあり白い肌を適度に覗かせている。
どことなく異国の踊り子のようであり、少女としての宝石じみた魅力をより強調するかのようだ。
はあ、という溜め息しか出ない……ああ、店員さんも含めてね。
元から華奢な少女ではあるが、くびれた腰からは色気を感じさせるものがあり、可愛らしいおへそが少しだけちょこんと見えている。
露出は決して多くは無い。しかし要所で肌を覗かせることで、たやすく全身の美しさを想像できる衣装だろう。
「ど、どうかしら。軽すぎてなんだか少し恥ずかしいわ」
白い髪、そしてエルフ耳を飾るベールを揺らしつつ、そう恥ずかしげにマリーは尋ねてくる。
いやいや、とても似合い過ぎていて批判のしようが無いよ。思わず僕と店員さんでパチパチと拍手をし、互いに「すごいものが出来た」という顔を浮かべてしまった。
「またどうぞご贔屓にー!」
ぶんぶんと店員さんは笑顔で手を振り、僕らを送り出してくれた。
日光の下を歩く少女はやはり涼しげで、先程よりずっと過ごしやすそうに見える。とはいえ少女の表情は少しだけ恥ずかしげだ。
「あんなに値引きしてもらって悪いわ。またお買い物をしないと。それにカバンを持ってもらうだなんて……」
「うん、お金が溜まったらまた行こうか。まあ、その服だとカバンは少し似合わないからね」
ありがとう、とはにかむ少女は、周囲が明るくなるほどに可愛らしい。
周りの人々まで見とれているのは、そんな華やかな笑顔に魅了されたのだろう。
あ、そういえば日本でもそろそろ服を揃えないとな。
向こうもだいぶ暖かくなってきたから、春物と夏物のどちらにすべきか悩ましい。などと考えていると少女は薄紫色の瞳で覗きこんでくる。
「それで、ミュイの工房はどこにあるのかしら? たしかいまは国から庇護を受けているのでしょう?」
「うん、この先のはずだよ。あの角を曲がったあたりじゃないかな」
ああー、すっかり忘れかけていた。
さて、寄り道をしてすっかり遅くなってしまったが、魔石精製ができる猫族ミュイに挨拶をしに行こうか。
ローブを入れてだいぶ膨らんだカバンをかつぎ、僕らはその角を曲がった。




