【番外編】続・サッカーの世界へようこそエルフさん
とあるマンションの一室で、少しだけ不思議な光景があった。それは丑三つ時だというのに、ご機嫌そうに尻尾の先端を揺らし、テレビを眺める黒猫だ。
まだ子猫らしく、にううと鳴く声は甲高い。しかし妙に貫禄があり、細めた瞳もなぜか竜を思わせる。
もうひとつ不思議なのは、黒猫がベッドを占有しており、飼い主の姿はどこにも見当たらないことだろう。
にううー。
もう一度、子猫らしい好奇心いっぱいの声が、マンションの一室で響いた。
お昼を過ぎた3時ともなると、食堂に人は少ない。ここはウリドラが商機を見出して増設をした食事処で、洋風の小洒落た造りをしている。
商機というのは単純にお金を稼ぐことであり、他の施設と比べて高級感がある。よく磨かれた床と、壁には明るい色をしたレンガ、そして趣味の良い花たちが飾っていた。
巧妙な点は、無闇に席を増やさない点だろう。
一席ごとにスペースを多く取り、また清潔感のある厨房から調理をするコックの姿まで楽しめる。
当たり前のようにお値段は高いのだが、もしも事情を知れば「安すぎる!」と叫ぶんじゃないかな。
ただの使用人とは思えない顔立ちをしたコックは、最強種とも呼ばれる古代竜なのだから。
食材もまた最高級だ。大陸中のみならず異世界である日本からも仕入れている店は他にあるだろうか。
その厨房主である彼から流暢なエルフ語で「どうぞお好きなご注文を」と声をかけられて、僕らの鑑賞会は始まった。
「いやぁー、まさかサッカー観戦を夢の中で観れるとは驚きだね」
「くふふ、わしを誰だと思うておる。わしじゃぞ? 日本の映像を流すなど造作もない」
などと椅子に背を預けるウリドラは、皆から拍手を受けて上機嫌さを隠しもしない。
壁に映された映像は、青一色のサポーターたちであり、まるで大決戦を迎えるように、どん、どどん、と賑やかな音を立てている。
心踊るのか、ぱたぱたと足を揺らすエルフさんも、青いワンピースを選んでおり応援する気満々だ。
「ああ、どうしましょ、高級感があってまるでお金持ちになったみたい。やっぱり夢の世界って素敵ね! 私はカフェオレとチーズケーキを頼もうかしら」
「あたしはコーラね! あとポテトとハンバーガーと……」
マリアーベルの手にしたお品書きへ、ダークエルフのイブは覗き込みながら次々と注文をしてゆく。
それを手早くメモしてゆく者は、こちらも整った顔立ちをしたかつての勇者候補なる男性だ。
「イブ、ご要望通りパティとチーズをダブルにする調理法を覚えたぞ」
「やった! じゃあそれでお願い!」
愛する女性から満面の笑みを向けられては、仕事中であろうと口角に笑みを浮かべるのは仕方ない。
と、僕の目の前にお品書きが現れた。ほっそりとした腕を追ってゆくと、青空色の瞳が待っていた。
女神様だというのに「スイートポテトパイ」を懸命に指さしているのは、僕を笑わそうとしているんだな。
声を出せないシャーリーに代わって注文をし、僕も一緒にコーヒーなどを頼む。かつて彼とは死闘を繰り広げたというのに「なんだ、それだけで良いのか。窯焼きピザなんて声が出てしまうほど最高だぞ」「じゃあそれもお願い」などと会話をする仲になるとはね。
そして国歌を詠唱している中で、ペンはスラスラと注文を書き写し「ではお楽しみください」と彼も厨房へ戻ってゆく。
くるんとこちらへ顔を向けてきたのは、大きな瞳をしたマリアーベルだ。真っ白い髪に飾った、素朴な花たちが実に可愛らしい。
「日本の国歌は響きに品があって素敵ね。神秘的な感じがするわ」
「半音と言うのだったかな。海外でも珍しいらしくて、たまに話題になるらしいよ」
とはいえ今日は歌合戦などではない。ふつふつと闘志を見せる選手たちは、戦いのことで頭がいっぱいだろう。
どお、と観客たちは湧き、決勝トーナメントへ勝ち残った日本選手を祝福した。
騒々しいスタジアムを背景に、上質なワインを片手にした女性が、黒い瞳をこちらへ向ける。
「流石に今日は勝てぬじゃろうなぁ。ベルギーの選手はどれも質がひとつ飛び抜けておる」
「そ、そんなの分からないじゃない。日本だって凄く実力のあるチームだし、きっと点を取ってくれるわ」
反論したエルフさんの声も、どこか尻すぼみになるのは仕方ないだろう。次元が違うという表現は、勝負を諦めているようで好きじゃない。だけどそう口に出してしまいたくなるほど、彼らのチームは黄金期を迎えている。
数多くのタレントを抱えた彼らは、間違いなく優勝候補だろう。
などと思っていたら、むにっと頬を摘まれてしまう。恐る恐る視線を向けると、紫水晶色の瞳がアップで迫っていた。
「日本だって黄金期です。これ以上のチームなんて考えられないもの」
あれぇ、いま僕は口に出していたっけ?
ふんすという鼻息に負けて、僕は小刻みに頷く。
そんな僕らを置いて、画面からはピーーという笛が鳴り響いた。ついに試合が始まったのだ。
しかしこの賑やかさは格別だ。
応援団に後押しをされ、青色の戦士たちが前へと進む。しかしやはりと言うべきか、身長や体格で大きく見劣りをしており、戦術や技術でもかなわない。
序盤こそパスを回せていたが、劣勢へと追い込まれてゆくのはすぐだった。
「んんーー、苦しいのう。せめて反撃を持っておれば相手も腰が引けるのじゃが」
「そうね。でもチームとしての連携が日本の持ち味よ。少人数で組み立てる反撃が苦手なのは仕方ないわ」
おっと、魔導竜様もいつの間にかサッカーに詳しくなってきたな。そして戦術を学びつつあるせいかマリアーベルの目も鋭い。
世界中の国で争いあうこの試合は、サッカーの集大成と言って良いと思う。もちろんリーグ戦などはよりチームとしての質が高いけれど、同じ人種同士が持つ団結力というのは侮れない。
逆にいえば団結できないチームは早々に落ちやすい。
団結力という言葉なら、日本は一二を争うほど優れている。しかし今回は相手が非常に悪い。
波状攻撃に耐え、苦しい中でのパスが通らず、また苦しい展開へ持ち込まれてしまう。
それもそのはず、決勝トーナメントなんかに進出をした日本は、相手にしてみれば幸運としか思えない巡り合わせだ。戦いをスキップしたような心境だろう。
また強烈なシュートを打たれ、悲鳴じみた声が食堂に響く。どうも今日の試合は心臓に宜しくないようだ。
黒い瞳は再び僕を見る。そして「思うていることを言うてみい」と声をかけてきた。
「たぶん相手の国は、さっさと点を入れたいだろうね。前半に2点を取り、次の試合に備えて主要選手を休ませたいんじゃないかな」
パワープレイに弱いという印象を日本は持たれている。背が低く、体格でも負けているぶん尚更だろう。
ならば早めに試合を決めて、次に当たる強豪国への準備をしたいと思うに違いない。
「そんなの……ひどいわ。弱いと決めてかかるだなんて。今に見てなさい」
もう悲鳴じみた声を何度もあげていたマリーだ。額に汗を浮かせ、不機嫌そうな瞳を向けてくる。
しかし試合というのはなかなかに予想をしきれないスポーツでもある。
その理由のひとつが……。
「あっ、行け、行け、行きなさい!」
するすると進むボールは、極めて鋭角なパスだった。それは相手選手が伸ばした足をかすめるもので、受け取った小柄な選手はトップスピードに乗り、一気に前線へと切り込んだ。
オッ!とスタジアムが、そして僕らの席も湧く。おそらく数える程しかない好機は、あと3秒とかからずに結果が出るだろう。
そして軽いフェイントをかけた彼は、完璧な仕事をやり終える。それはボール1個分しかない穴へ通し、ギリギリのサイドネットへ突き刺さる一撃だ。
ドドオオオ!
「うおおおーー! でかしたあああーー!」
「きゃあ、きゃあああ! 嘘っ、嘘おおーー!」
優勝候補に与えた一撃は強烈だ。早く点を取り終えたいと考える彼らだったが、ふと脳裏にこんな言葉が響く。
このまま負けるんじゃないか?と。
まさか。まさかまさか。日本なんかに負けるわけがない。
そう考えるのは選手のみならず、観客たちも同様だ。単なる不運に見舞われただけで、良い思い出になったじゃないかと上からの目線で見ているだろう。
「あーー、びっくりしちゃったわ。ふふん、ざまあ見なさい。私たちの国を舐めてかかるからこうなるの」
「ふ、ふ、実に痛快じゃったな。あれはなかなか目にできるものでは無いのう」
散々に攻め立てられてからの逆襲だ。人数のかけられないなかで、カウンターで得たものは大きい。
となるとお酒の出番は増してゆき、味わい深いピザやソーセージといった注文も繰り返される。
「やー、あたしサッカーって詳しくないけどさ、賑やかで楽しいし、おまけにビールがすっごく美味くない? たまたま見かけてラッキーだったよ」
「あらっ? そういえば、いつのまにイブも居たのかしら」
「食堂に入るとき、さっと列に紛れておったぞ。大方わしらを監視していたのじゃろう」
「そもそも呼んでよ! あたしら友達じゃんっ!」
いや、初見のサッカー観戦へ招待するのも、少し気が引けるんだよ。苦手な人は本当に楽しめないスポーツだから。
「しかしあれじゃな、日本というのは実に狡猾な人種じゃな。小さな身体を利用して、他のチームには出来ないボールの奪い方をする」
なるほど、言われてみれば確かにそうだ。
そしてマリーが贔屓にしているトップ下の彼は、前線で右へ左へパスを通す。警戒している選手とあり、マークは厚い。しかしこの日の彼は絶好調だった。
魔法のように空中のボールを受け取り、相手を翻弄しながら裏へ通す。マークを引きつけたぶん周囲は自由になり、そして……これぞまさに「ズドン」だ。相手にとって悪夢としか思えない一撃に、ざあっと優勝候補たちは顔を青くした。
「やった! やった! 嘘でしょ、鳥肌が立っちゃったわ!」
「ぐわははーーっ、ざまあみよ! くふうーー、この顔が実に堪らぬのうー!」
まさか、まさかの追加点だ。
大番狂わせどころではない活躍に、僕らのみならず会場は熱気に包まれる。
そして拍手をするシャーリーの背後には、いつの間にやら厨房の二人が観戦していたようだ。指を向けて何やら話し込んでいるが、いつ仲良くなったのだろう。
こうなると勝利という文字が見えてくる。
苦しいながらも60分以上を耐えてきたのだから、あと30分だけ耐え切って欲しい。
そして対戦国は流れを変えるべく、選手の入れ替えを行った。その選手を見て「おや?」と僕は眉をひそめた。
極めて長身であり、汚いとさえ言われるほどワイルドな選手だ。すると彼らはプレイの質を変えるかもしれないと僕は思う。
実際、この後は日本人には手の出せない領域……つまりは高さとフィジカルの勝負となった。
本来、そのような相手に弱いチームだ。だから守備ではなく攻撃で相手を封じ込めようとする日本は、熱戦の中でも冷静だったと思う。
そして失われた一点は、幸運がこぼれ落ちてゆく様を印象づけるような光景だった。ただ浮いただけの球は運悪く、本当に運悪くネットを揺らす。
そして波状攻撃はなおも続く。
最も恐ろしいセットプレーはやはり高さと強さを示し、食堂に悲鳴を響かせる。これは決して日本に抗えない戦いだ。そしてこの数十年、ずっと願ってやまない戦い方だと思う。
パス回しではなく、ボールを浮かせて頭で落とす。古来からあるシンプルな点の取り方だ。少ないリスクと確実性を持ち合わせている。
しかし流石と感じさせるのは、強いベルギーだと印象づける3点目だろう。鋭く正確なパスは一気にゴールエリアへと迫り、そして仲間を囮にしてこれ以上なく正確なシュートを決めてしまった。
あああーーという悲鳴が、嘆きが胸に響く。痛いくらいに。
誰もが嘘だと叫び、夢にまで見たベスト8という切符はビリビリに切り裂かれてゆく。
この間、わずか30分。
今夜、勝利は日本ではなく彼らにもたらされた。
勝負はどう転ぶか分からない。いつも耳にする言葉だけど、これがそうなのかと僕は心から思い知らされた。
と、そのときマリーは呆然とした顔で振り返る。その表情は、まだ事態を飲み込めていないようだ。
「え、おしまい?」
画面と僕の顔を交互に眺めて、それから周囲の皆へと視線を向ける。ぐったりした様子のウリドラを見て、今度は少し泣きそうな顔をした。
「だって、だって凄く頑張ったのよ。向こうのチームよりもずっと綺麗なシュートを打って、あんなに大きなキーパーが触れもしなかったのよ?」
薄紫色の瞳に、少しずつ涙が溜まってゆく。声をかける言葉も見つからず、行き場のない少女の指先を僕は摘まんだ。
「だって、あんなに素敵な選手たちが……すごく、すごく頑張っていたの。小さな身体で戦って立派だったわ。それなのに……」
ひょっとしてまだ戦いは終わっていないのでは?
そう願うように彼女の瞳はモニターへ向けられる。しかしそこには芝生を拳で叩き、崩れ落ちた戦士たちがいた。
映像に耐えきれず、半妖精エルフは、くしゃりと泣き顔に変えた。
敗者はただ「あのときこうしていれば」「もしも」「なぜ」という自問自答を繰り返し、芝生のピッチを後にする。
超格下という前評判をひっくり返し、この決勝トーナメントという大舞台でも輝いていた。ぱっと華々しく散る様子は、どこか日本らしいとさえ僕は思う。
その潔さに、わっと彼女は泣き出した。透明な涙は次から次へとぽろぽろ落ち、耐えきれず僕の肩で顔を覆う。
負けて悔しい。でもどこか誇らしい。
それくらい劇的な得点と、大逆転劇だった。
時を同じくして、まさか小さな日本人がこんなに見事な戦いをするなんて、と世界からは賞賛の嵐が吹き荒れていたらしい。それほど勇猛果敢に攻め続ける姿に、人々を魅了していたのだ。
しかしそれでもマリアーベルが泣いてしまうのは、4年に一度という年月の重さのせいだ。素晴らしい選手たちの多くが引退をしてしまい、もう次に見ることは出来ない。
だけど、我が家のエルフさんの胸にはしっかりと勇姿が刻まれたのは誇らしい。
贔屓にしてくれてありがとう。そう思いながら、泣き止むまで彼女の頭を撫で続けた。
いや、素晴らしい試合を本当にありがとうございました。そう心から思いながら、エルフさんの目元を僕は拭った。




