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第24話 おいなりさん

 二人揃って家へ戻ると、時刻はもう9時になろうとしていた。

 フレンチを堪能しきったマリーは、どこかふらふらとした足取りでベッドへ向かい、そしてぼすんとうつ伏せになる。

 多少お行儀が悪いかもしれないけど、まあここは僕らの部屋だからね。


 とはいえ彼女も先ほどご夫妻と別れたときには「ごちそうさま、デシタ。とても美味しかった、デス」などと丁寧にお礼を言っていたものだ。

 どうも食関連の日本語は、覚えるペースが早いような気がするな。ご夫妻もマリーの反応を楽しんでいたようで、また是非にというお誘いを受けている。


「いまお風呂を焚くから寝ないようにね。あ、洗濯とお皿洗い、代わりにしてくれてありがとう」


 キッチンの流しにあった皿は並べられ、そして洗濯物はきちんと折り畳まれていた。どちらも丁寧な家事なのは、きっと彼女の真面目な性格を表しているのだろう。

 礼を言うと、むくりと少女は上半身を起こす。


「ううん、それくらい大したことはないわ。それに何かしながらのほうが勉強がはかどって良かったし……ううん、駄目ね、ここだときっと眠ってしまうわ」


 もそもそとベッドから降り、そして次に椅子を持つとキッチンの横まで運んでくる。何をしているのかと思ったら、どうやら僕の調理を覗きたいらしい。


「さて、今日は何のお弁当を作ってくれるのかしら? と言ってもお腹いっぱいで、それほど入らないかもしれないけれど」

「そうだね、軽いものにしようか。おいなりさんで良いかな?」


 いなり寿司はしばらく前に食べてもらったことがある。じゅわりとした汁だくいなり寿司を覚えていたらしく、すぐに少女は頷いてくれた。

 ついでに歯ざわりを楽しめる旬の春キャベツもあるから、こちらはレンジでさっと調理しようか。

 米を炊き、材料を取り出しながら少女へと話しかける。


「そういえば迷宮の件だけど、マリーの知り合いで盾役タンクが出来る人とかいないかな?」

「ええと……。知り合いにはいないけれど、確かにそれは課題ね」


 おや、彼女も同じように問題を感じていたのか。

 僕らにとっての欠点は簡単に言うと「攻撃役しかいない」という点に尽きる。通常のパーティーなら守備の役目である盾役タンク、そして回復役ヒーラーが揃っており、なかには探索向きの技能を持つ者もいる。

 そこまでは望まないが、せめて攻撃に専念できる体制にはしたい。


「でも仕事のない盾役タンクなんて、どうせ鼻つまみ者のひどい性格よ。おまけに私達のレベル差まで考慮しないといけないの」

「ええと、マリーが32で僕が72だから……そうだね、あまり魅力的じゃないかもしれない」


 1人のレベルが高過ぎると、当然のこと他のメンバーの経験値は減ってしまう。なのである程度は近しいレベルに揃えるのが普通……というか常識だと思う。

 油揚げを鍋に入れ、落し蓋をしたところでマリーは覗きこんでくる。


「それに忘れていないかしら? メンバーにあなたの不思議な能力のことを黙っておくことなんて出来ないわよ」

「ああー……そうだね。たしかにそれは、おいそれと教えたくないな」


 もしも「日本と異なる世界を移動できる」なんてことを言いふらされたら、一体どうなってしまうだろう。

 魔術師ギルドは技術を解明することを命題にしている。間違いなく秘密を調べようとするだろうし、いろいろな実験をされるかもしれない。そうなったらもう夢の世界を楽しむことは出来ないだろう。


「……うん、地下迷宮は体制を整えるまで延期しようか。代理人を立てれば済むだろうしね」

「うーん、きっと大丈夫よって言いたいけれど、あなたは過保護なところだけは頑固だし仕方ないわね」


 ええと、僕は頑固なつもりは無いんだけど……?

 過保護というよりは男性として当然のことをしているだけで、これでも世話を焼きすぎないよう気をつけているのに……。


 かちんと火を止め、そのまま油揚げを冷ます。こうすると味が染みこんで、じゅわっとした汁気を楽しめるようになるのだ。

 ふと見ると、少女は甘い匂いをくんくんと嗅いでいた。


「マリーは料理をしているときの匂いも好きなのかな」

「ええ、おいなりさんの香りは優しい感じがして好き。カレーとは違って、周囲が温かくなる気がするわ」


 ふむふむ、では和食の香りというものを堪能してもらおうか。

 炊き上がった炊飯器へお酢を入れると、匂いはさらに強いものへと変わる。硬めのお米はお酢を吸い、それを飯台へ乗せればギラリと光り輝いて見えた。


「わっ、まっしろ! それにすごく匂いが……酸っぱい!」


 むせ返るようなその匂いにエルフは目を白黒とさせている。炊きたてのお米は熱々で、蒸気と共にお酢を発散させる。うちわで扇げば少々キツめの匂いがキッチンを占拠した。


 人肌程度まで熱を飛ばすと、だいぶ香りは落ち着いてくれる。米本来の甘い匂いが混ざり、そこへ満を持してゴマ、そして薬味を投入すると、ふわんとした甘酸っぱさ、そして香ばしいものへと変貌する。


 先ほど彼女の言った「優しい匂い」そのものとなり、ふにゃっとした顔をマリーは見せる。日向ぼっこをしている猫のようだ、などと思っているときに少女の唇は開かれた。


「うあー、勝手に唾が出てしまうわ! お腹いっぱいなのに……んーー、すごく良い匂い!」

「うん、和食は冷ますことが多いからね。作っているときは匂いが強くて面白いよね」


 香りに釣られたらしく、ふわんとした表情でマリーは頷く。とっくにお風呂は焚けているのだが、エルフさんは香りに魅了されているようだ。


 それから油揚げの汁気を少しだけ絞り、酢飯を俵型に詰めてゆく。安い、手軽、美味しい、さらにおかずがあまりいらない、などと僕の中では評判のおいなりさんだ。


 ご飯を詰め、着々と出来上がりつつあるそれを、ひょいとひとつだけマリーの口元へ差し出す。

 すると反射的に少女は僕の指ごとパクリと食べてしまい、ちょっとね……どきっとするよ、男として。


 ちゃぷっと唇は離れ、少女は咀嚼に口を動かす。

 人肌の温かいおいなりさんを食べ、マリーは「美味しい」と幸せそうな顔をして呟いた。

 じゅわりと汁は染み出し、きっと口の中は旨味に占拠されているだろう。続いて感じるのはゴマの香ばしさで、咀嚼するたびにそれが鼻を抜けてゆく。


「あはは、美味しいよーっ、もうっ!」


 わしわしと僕の腰のあたりを猫のように掻いてくるのは何故なのだろう。

 薬味のアクセントが食欲を誘うらしく、丸々ひとつをペロリと食べてしまった。


「これはワショク? それともヨウショク?」

「あ、なかなか聞きやすい日本語だね。もちろん和食だよ。お寿司の一つで……あ、そういえばお寿司はまだだね。マリーには日本代表の握り寿司をぜひとも……」

「もー、やめてちょうだい! このままだと私は日本に肥え太らされてしまうわ! そうなる前にお風呂をいただかせてもらおうかしら」


 最後にちらりといなり寿司を見て、ようやくエルフさんはお風呂へと向かう。と言っても、あとでいなり寿司を夢の世界で美味しくいただくんだけどね。




 ダウンライトだけの暗い部屋で、絵本をめくろうとする僕の手は止まる。

 ふと気がつくとマリーは瞳を閉じ、規則正しい寝息を立てていた。その子供のような寝顔についつい頬は緩んでしまう。


 枕元には2つのお弁当があり、その隣へと絵本を片付ける。そのとき何かに引っ張られ、見下ろしてみると胸元を彼女から握られていた事に気付く。おかげで身動きもままならないけれど、不思議なことに嫌ではない。


 その小さく白い手は、束縛などとはまるで違う何かを感じさせる。これまで生きてきた僕の知らないものがあるらしい。

 正体を探ろうと思考を働かせようとしたが、少女から発せられる眠気を誘う体温にはかなわない。


 代わりに出てきたのは、大きなあくびがひとつ。


 彼女もそうだと良いなと思う。

 どちらの世界でも一緒にいる事ばかりになって、嫌だと感じてなければいいんだけど。


 布団に入ると無意識なのか、少女はゆっくりと抱きついてくる。華奢で軽い少女の体重を覚えながら、僕も静かに眠りへと向かう。


 おやすみなさい、エルフさん。

 また向こうの世界でね。


 すうー……、と実に眠気を誘う呼吸が2人の寝室に響いた。

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