第231話 第三階層主との戦い③
「食器回収するよー、ここに乗せてーー」
皆が思い思いに休んでいるなかで、ダークエルフのイブは木皿を回収してゆく。同様にダイヤモンド隊の皆も、普段のメイド姿ではなく戦闘用装備で片付けを分担していた。
百名ほどの大所帯といい、食後特有のふんわりとした香りといい、どこかの大型食堂かと思う。もしもジョッキでもあれば食堂ではなく酒場に変わるのかな。
しかしここは未だ誰も踏破したことの無い古代迷宮であり、そこかしこから魔物の気配がする。階層主との戦いを目前に、休息と軽食を楽しんだ所だ。
以前であれば乾燥しきったひどい味の携帯食がお供だったのに、長らく共に過ごすうち彼らの価値観もまた変わったように思う。
「ああ、美味しかったーー。疲れた身体には、おいなりみたいに甘い食事がたまらないわね。お弁当は大正解だったわ」
そう言いながら隣に座るエルフさんは、うんっと手足を伸ばす。
彼女こそ価値観が最も変わった人かもしれない。出会った最初のころなんて効率を重視し、無駄を省いていた気がする。
今では光精霊をシャンデリアのように天井に浮かせ、そして石精霊で皆の椅子を造り、楽しい時間を過ごせるよう演出してくれている。嬉しい変化を覚えつつ、僕は広間へと目を向けた。
「しかしイブは体力があるね。あれだけ汗だくで戦ったのに、よく疲れないなぁ」
そう漏らすと、隣に座るエルフさんは「同感」という意味で頷いてきた。口元をぬぐうとお茶をひとくち飲み、それから紫水晶に似た瞳を向けてくる。
「私もダークエルフだったら体力があったのかしら」
「うーん、僕の気のせいかもしれないけど、もしダークエルフになっても本を読んでばかりじゃ体力はつかないんじゃないかな?」
そうかしらと小首を傾げられ、たぶんそうだよと無言で頷き返す。大きな瞳はぱちぱちと瞬きをし、やや納得いかなそうな顔をした。
たぶんだけど、マリーの場合は華奢で可愛らしいダークエルフになるんじゃない? 絵本を心から楽しめるような。
「足が疲れているならマッサージでもしようか。これからの戦いにも響くかもしれないし」
「えっ、いいわよ、そんな。だって私の方がずっと休んでいたのに……」
とはいえ少女に体力が無いのはお互いに分かっているし、これから階層主との戦いも控えている。精霊魔術師であるマリーは僕らにとって大きな生命線だろう。
どうぞと膝を示すと、彼女は罪悪感混じりの表情を見せ、呆れた溜息を吐きつつ片足を乗せてくる。
最後のおいなりを咀嚼していた魔装カルティナは、親指をちゃぷっと舐めながら瞳を向けてきた。
「む、私の肩に寄りかかって良いぞ。昼食を分けてもらった礼もある。休みをしっかり取るのは大事なことだ」
「あら、あなたまでそんな甘やかすことを言って。もう、そのうち体力をつけないと駄目ね。お言葉に甘えさせてもらうわ、カルティナ」
ぐいと茶を飲んでから、彼女は鷹揚に頷いた。今日はウリドラに替わってマリーを護衛する役目であり、盾役として十分以上の能力を有している。
まあ、古代から残された魔装を完璧に従え、空中戦までドンと来いという変わった人だからねぇ。
皮製のブーツを脱がし、するりと彼女の素足が覗く。こもっていた汗の匂いがし、かあっと少女の頬は赤く染まった。
「や、やっぱりいいっ! 恥ずかしいわ!」
「気にしないで大丈夫だよ。靴を脱がないと足の疲れってなかなか取れないから」
さっさともう片方の革靴も脱がすと、開放感、それに冷たい空気が気持ち良かったらしく、ほうと唇から息を漏らしていた。
近くにあった手ぬぐいを取り、水に湿らせてから素足をゆっくりと拭い始める。
指と指のあいだ、それから足全体の汗を拭うと、くすぐったそうに少女の肩は震えた。
「じゃあツボを押してゆくから、痛かったら言ってね」
「もう、分かったわ。あなたってこういう時だけは強引だから不思議よ」
うーん、強引なのかなぁ。単に足裏マッサージをしてみたかっただけかもしれないけど。
ぐっと土踏まずを中心に、親指で押してゆく。エルフの眉間には少しだけ皺が刻まれ、ゆっくり離せば息をそろそろと吐いていた。
「うっ、くっ……痛っ、気持ち良いっ……!」
足裏マッサージというのは、少し変わっていると僕は思う。
硬い筋をぐりぐりとほぐし、ぱっと離すとじんわりした熱を感じられる。痛いと気持ち良いの中間が続き、そうしているといつの間にか血行が良くなって疲れは薄まってゆく。
さらさらとした感触のふくらはぎも、今回は揉みほぐしてみようかな。
「やーーんっ、くすぐっ……うーー、気持ち良いっ! やだもう、足がぽかぽかして変な感じっ!」
なんでかなぁ、マリーが身悶えているのを見ていると、勝手に頬の筋肉がニヤけようする。表情を抑えるのも大変だぞ、これは。
しかし疲れているのは本当らしく、足のあちこちに張りがある。それをじっくり揉みほぐしていると、こちらに近づいてくる人がいた。
とろとろと眠そうな瞳をするマリーを眺め、不思議そうな顔を彼女は見せる。
「あら、寝ぼすけ君はまた何か変わったことをしているわね。今度は半妖精エルフ族まで寝ぼすけ顔にする気?」
「くっ、そんな顔になってたまるものですか……! 私は絶対に負けないわ! やだやだ、そこ気持ち良いからやめてっ! やぁーーんっ!」
まあまあ、眠そうな顔になるのも実は楽しいかもしれないよ――って、なんで僕が悪者みたいになってるんだ?
見上げてみると赤い髪をしたドゥーラさんがおり、その背後には出立の準備を始める皆の姿が見えた。
「あ、そろそろ時間か。僕らも準備を始めようか」
「もう少しそのままで良いわ。今のうちに手はずを確認しておこうと思って近づいたのよ。ゼラ、あなたもこっちに来なさい」
彼女は将来の夫を招きながら、僕らの隣に腰を下ろす。
それに気づいたらしく、メイド……ではなく、ダイヤモンド隊の皆も寄ってくる。近くへ木皿の包みをがしゃりと置いて、すぐに円陣のように囲まれた。
この状況ではさすがに足裏マッサージは恥ずかしかったらしく、そそくさとマリーの素足は逃げてしまった。うーん、残念。
その少女へとドゥーラさんの鋼色の瞳が向けられた。
「マリー、悪いけれどまた第三階層広間の様子を映してくれる?」
休息を迎える前に、マリアーベルは広間の目前へと「塔の監視者」を設置した。これは領域内を監視するための技能であり、物は試しにと置いてみたら大正解だった。以前は魔素なるものに妨害をされてしまったが、今回は平気らしく階層主らしき光源が映し出されたのだ。
――アドム・ツヴァイヘンダー
そう名前だけが記されている。特性やレベルを見抜くはずの「塔の監視者」であっても、それ以上は分からない。
魔具を通じて映し出された表示を、ドゥーラはトントンと指で叩いた。
「周囲に漂う光源から、複数体いるのは間違いないわ。けど、どういう理屈か周囲の魔物はレベルだけでなく名前さえ出ない」
「怪しいな。名前が出る、出ないの基準が曖昧だ。分からんが、かなり強いんじゃねーか?」
そう顎をごしりと撫でながら、大男ゼラは感想を漏らす。彼には動物的な勘があり、このような場では理屈を抜きにして語りやすい。しかしそれをドゥーラさんは頼りにしているようだ。
ピリっとした空気に耐えられなかったのか、ダークエルフの娘はユーモアのある動きで「はーい」と両手をあげた。
「じゃあさ、あたしとカズ君で偵察したらどう? まず捕まらないだろうし、何があるのか調べられるよ」
「そんな命令は私が許しませんわ。入ったら最後、扉が閉められてしまう広間になど送り出せるわけがありません」
「うえっ、厳しいなぁプセリは……」
そう彼女たちの統主、プセリさんはぴしゃりと口を挟んだ。
うーん、僕だけが先行できるなら良い案だと思うんだけどね。などとマリーと一緒の動きで天井を見上げる。ほら、もしやられても僕なら日本で目を覚ますだけだから。
でもそれは何度も復活する姿まで知られてしまうので、マリーからたしなめられるまでもなく不可だろう。
でもさ、たった一人でボスに向かう姿って憧れない? 大きな剣を持って、ばさりとマントを鳴らし、それから「待たせたね」とか何か意味のありそうな台詞を言ってみたい。いや、一人で冒険していたときは実際に言ってたし、相手からは「何が?」って顔をされたけど。
などと昔のことを思い出していると、ドゥーラさんは隣に座るマリーへと再び話しかけた。
「マリー、あなたの持っている『死神の涙』は、確かひとつだけ魔法を封じられるのよね? それを使って前のような拠点造りをすぐに発動できない?」
「ごめんなさい、それは無理だわ。これに封じられるのはたったひとつだけ。だからたくさんの精霊を使役する拠点造りには向かないの」
なるほど、突入してすぐに陣を展開するのは無理らしい。そう考えるとマリーはアイテムの性能を活かしきれていないかもしれない。もしも広範囲魔術の使い手だったなら、瞬間的に発動できるという利点はとても大きかった。
懐から取り出された宝石は、透き通るような水色へわずかに緑色を混ぜている。複雑なカットにより周囲へ幻想的な光を放つ様子へ、女性たちは自然と溜息を漏らしていた。
しかし気のせいか、それ以上の隠された能力がある気がしてならない。なんといっても第二階層主であるシャーリーからの贈り物だ。
そう思いつつ宝石を見つめていると、マリーはくるりとこちらを向く。そして薄紫色の瞳を細め、そっと人差し指を唇に当てた。
あれ、ひょっとして隠れた能力を、エルフさんは気づいている?
一体どんな力があるのだろう。うーん、気になるな。魔法をひとつだけ保存できるアイテムに、どんな活用方法があるのか。
悩んでいると、ゼラさんの太ももをパンと叩く音が響いた。
「まあ、考えても始まらないだろ。とっとと――アドムっつったか?――階層主の広間に殴りこもうぜ」
彼の言葉に、ドゥーラは迷いつつも頷いた。
なるべくリスクを削りたかったという表情だが、確かに相手の能力、それと周囲に存在する魔物については足を踏み入れなければ分かりはしないだろう。
立ち上がると彼女は背後に向けて出立開始の旨を告げた。
暗く広がる迷宮通路を、ぞろぞろと百名規模の軍隊は進んでいる。会話がだんだんと減ってゆくのは、彼らが空気を読んでいるからだろう。
第一層、第二層を乗り越え、さらに長期の技能訓練を終えた彼らは十分に猛者と言える。だからピリついた空気を嗅ぎ取り、戦闘モードに思考を変えてゆく。
そして僕らはというと、戦闘モードとはまったく無縁の会話をしていた。
「えーーっ、そっちはもう終わりそうなの!?」
「嘘でしょ、ものすごい格上の古代竜が相手じゃなかったの!?」
『ふ、ふ、このわしが本気を出したのじゃぞ? どのような相手でも負けはせぬ。む、その声はまだ信じておらぬようじゃな。よかろう、証拠を送ろう』
え、証拠を送るって?
山を隔てた向こうから、僕らの元へ魔導竜ウリドラの意思疎通は届けられた。その内容はというと、伝説ともいえる古代竜に対する勝利宣言なのだから驚きだ。
そしてもう一つ、僕とマリーは驚かされる。目の前に、ぱっとスマホ画面のように映像が表示されたのだ。
口をあんぐりと開けて驚愕をしても、横を歩くカルティナは「?」という表情をしている。すると僕らにだけ宛てられた情報なのだろうか。
いやしかし、最も驚くべきものはその映像だ。
信じられないという風にマリーは息を呑み、口元に両手を当てた。
それはまるで動画配信のようだった。
飛行機のような機体に乗って、どろろ、どろろという振動音が聞こえてくる。そして集中砲火をする向こうには巨大な竜がおり、天に向けて叫んでいた。ギオオと吠える間にも、その天からミサイルじみたものが降ってくる。なんだこれ。
『ふ、ふ、これが証拠じゃ。口で説明しても凄さは伝わらぬかもしれぬがな、厄介だった発狂世界は、奴が神朧をわしに使うことで無効に……おっと、窓の外で奴も手を振っておるぞ』
ぐいとカメラの視点は窓に変わり、確かに蛍光色の赤い髪をした男性が片手をあげているが――え、まさかだけど彼って……旦那さん!?
「よく分からないんだけど、ウリドラは何と戦っているの?」
『たわけが、見てわからぬか。わしの旦那と手を組んで、わしの旦那を痛めつけておるに決まっておろう』
ええ、はい、全然分かりません。マリーもコクコク頷くのを見て、魔導竜は頬を膨らませた。いやだって、今の説明ではたぶん誰にも分からないよ?
『つーん、もう良いのじゃ。おっと、そちらも手早く済ませるのじゃぞ。祝勝会と国内旅行が控えておるからな』
むくれた顔をくるりと変え、そうウリドラは伝えてきた。こちらも手を振り返し、そのままぷつんと映像は途切れてしまう。しばしの間を置いて、僕らは意思疎通ではなく口を動かした。
「……びっくりしたね」
「何だか怪獣映画を見逃して損をした気分だわ」
ぱちぱちと瞬きをしてから、マリーはそう返事をしてくる。とはいえ心配していた友達の大一番だ。無事に済んでくれそうな様子に、口の端っこは微笑んでいる。
「まあ、損をしたというのは後でどうにかなるんじゃない?」
「どういう意味かしら? だって古代竜の戦いを見逃してしまったのよ?」
「あのウリドラが録画をしていないわけが無いよ。きっと祝勝会の時にでも楽しめるさ。自慢が止まらないウリドラと一緒にね」
ぷふっ、とマリーは吹きだした。たぶんリアルに想像するのが容易過ぎたせいだろう。
それからいつもの癖で僕の手を握り、「楽しみね」と囁かれた。
日本語の分からないカルティナだけはきょとんとしているけれど、実は古代竜同士のSF的な戦いをしている最中だとは流石に分からないだろうね。
なんでも無いよと手を振って、僕らは第三階層の最奥部へと足を踏み入れた。
こうして僕らも大一番を迎えたわけだ。




