第230話 オアシスを巡る攻防戦⑥
その女――血溜まりはコオオと凍える息を吐き、足元の男を見下ろした。
鎧も髪もまだ粘液質なトロみがあり、ゆっくりと形を露わにしつつある。
気配が重い。そこいらの階層主よりも闇が濃い。
髪を束状に垂らし、開かれた双眸は黄金色をしていた。眉尻を落とした幸薄い顔つきと、場にそぐわぬ乳房と太ももの色気に、つい目が吸い寄せられる。見上げる角度ならば尚更だ。
さらにその向こうには、果実を落としたような抜け殻があった。あの殻から女は産み落とされたのだろうか。
推測をする間もない。後ろ手にした槍が、ヒュンヒュンと回転速度を増してゆく。その臨戦態勢を見てザリーシュは呟いた。
「……そこは俺の領域だぞ」
構えと体重移動を見るだけで、女は強敵だと分かっていた。しなりは穂先を加速させ、恐らく音速を超えてくるだろうとも分かっていた。
チリっとした殺意を肌で感じながら、それでもザリーシュは剣を閃かせた。
バヒヒヒヒッ!!
彼の技能特性として、振った剣は音速を超える。歪んだ性格とは裏腹に、手にした技能は、こと近距離に関しては無敵と言えるほど極上だった。
しかしいま、十重二十重と生まれた白色の軌跡に――手応えは皆無だった。まるで水を切っているようだ。
それでいて薙いだ両脚からは血飛沫が舞っており、刀身も同様に濡れている。
「あの木もそうだったが肉体の概念が薄い。やはり悪魔系に属しているな。この手の相手は精神を攻めたいが……」
「ンな気の利いたもんは無えよ。そうさな、今あるのは俺の悪口とお前のキモさくらいだ。よし、物は試しだ。いっちょやってみるか」
ぶっ殺すぞと叫びたかったが、真上で回転をする槍はまるで扇風機が迫ってくるようだ。
頭頂部へと触れかけて、ガギュギギッ!と重い火花を散らす。守護獣と揶揄された自動迎撃によるものだ。
わずかに速度を落とした槍を見て、老人は間合いへと潜り込む。近づいてきた者へ、血溜まりは反射的に槍を振るって眉間、首、両脚を狙う……が、何かを決定的に見間違えたのか、ブンと振り終えてから遅れてガストンは盾の上に立った。
「???」
「素っ頓狂な顔をすンじゃねえよ。当たらねえのはテメェも一緒だろうが、万年生理女が」
かはっと老人は迫力ある笑みを見せ、対照的に女の瞳は冷え切っていた。不幸顔のまま一歩も引かずに槍を振るう。
背の後ろで溜めを見せ、一呼吸の間もなく首筋を通り抜けている。しかし、やはり当たらない。
ガストンなる老人は「気」なるものの使い手だ。相手の気を見ることで一秒に満たない先を読み、そして己の気を操ることで敵の認識をズレさせる。
長年に渡って磨きに磨いた戦闘勘が、唐突に技能として宿った。それを駆使すれば、人の身であろうと悪魔相手に劣らない。
手を伸ばさずとも届く距離。しかし互いの武器に手応えを残さない戦闘へ、ザリーシュは顔をしかめた。
「まるで妖怪同士の戦いを見ている気分だ。それよりも、さっさと俺の盾から降りろ。まとめて吹き飛ばすぞ?」
「細かいことは気にすんなや。ここで退くにはちぃとばかし勿体ねえ」
かなり小さな領域争いだが、ここで一歩でも引けば後に響くことを互いに知っている。もし劣っていると認識すれば、次に打つ手は変わってしまう。近接同士の戦いとはそういう物だ。
しかし堪え性が最も足りなかったのは、この勇者候補だった。
「いい加減にしろ――領域封殺」
どしっ!と圧力を受け、ボルゾイは後方へ弾き飛ぶ。老人はいつの間にか領域外へ移動しており、女への追撃をしかけて……やめた。
「バリアってのは便利だな。使いようによっちゃダメージも狙えんのか」
「? 吹き飛ばしただけだ。痛手にはならないだろう」
返答に対し、へっと老人は笑う。その意味ありげな表情に、ザリーシュは眉をしかめる。これに何か活用法があるとでも言うのだろうか。
ガストンは「まあ忘れろ」と呟いてから顎をクイと向けた。
「生理女は随分とお前にご執心のようだ。しばらく相手をしてやれ」
「おい、俺に押し付ける気か? 世の中にはジジイを好むような変わり者だっているんだぞ」
どうだかなと老人は笑い、勇者候補から距離を取るように歩き出す。すると黄金色の瞳は、ザリーシュだけをじっと見つめていた。
ゆっくりと唇は開かれ、あーんと見せつけられた口内には細かな牙がびっしりと生えている。のたうつ舌はヒルのようで、吸いついたらゴクゴクと飲み干されるだろう。
そいつは勘弁だと眉を歪め、幾分かトロみのある女を睨みつけた。
鎧や髪は先ほどより硬質性を増している。徐々に速度を上げているのは、それが理由だろうかとザリーシュは考えた。
剣を握ったところで、横合いから老人の声が響く。
「俺のアドバイスはいるかぁー?」
「いらん」
「じゃあ勝手に言うから、もしも役立ったら土下座な。お前もあの坊主と一緒だ。豪華な装備に踊らされている。剣なんか捨てろ。もっと技能を使え」
何を馬鹿なと唾を吐きかけた。兜を着けているのでそうもいかないが。
それと、ほんの少しでもガストンなんかを見なければ良かった。笑みを浮かべた女が、もう目の前に迫っていた。
ガギギギギッ!
自動迎撃により連続的に金属音が鳴る。遅れてザリーシュが剣を振るうと、より戦闘音は高まった。
鋼同士の触れる音がリンと響き、リンリンと鈴の音のように戦場へ響く。一定感覚の靴音まで響き始めると、意外にもそれが戦闘音楽へと変わった。
己まで音楽へ加えられた事へザリーシュは戸惑う。しかしこの旋律は外せない。戦闘における定石が、彼を音楽に縛りつけていた。
「ッ! こいつ、遊んでいるのか!?」
幸の薄そうな女は、その言葉へわずかに笑みを返してくる。冗談などではなく、かなり気に入られてしまったようだ。
おかげでルビー隊を守る役目は無くなったが、何か損をしている気がしてならない。
ゆっくりと魔物は唇を開いた。
これは古代語だろうか。聞き取れぬ歌詞には素朴な響きがあり、世界を美しく見せる響きがあった。
ゆったりとしたリズムで剣と槍が火花を散らし、迎撃を見事に受け止め、水のような手ごたえですり抜け、跳ね除け、かわして見せる。
気がつけば、この音楽に動きを取り込まれていた。
「おー、マジかぁ。歌う魔物たぁ珍しい。しかしこいつは、ちょっとばかり悲しい響きだな」
老人の感想通り、悲壮という言葉がよく似合う。
世界は美しく見えるけれど、そこは残酷な世界だ。なまじ綺麗に見えるだけに苦しみ、ただ無償の救いを求める。そんな歌だった。
しかしいくら音楽が美しかろうと、迫り来る重圧は本物だ。ぎりりと奥歯を噛み締めて、ザリーシュは一歩も退かぬ戦いをする。どれだけ剣撃でふさいでも、女は悪夢のように彼の領域から離れない。
1音階ほど曲が高まると、背の後ろで溜めた槍はグンと音速を超えて迫り来る。姿がブレるほどに速く――そういえばこの女は硬質化するたび速度を上げているか――と気付いたときには縦一文字に鎧を裂かれていた。
「クソォッ! なんて早さだこの女は!」
破片の舞い散るなか、失った眼の上まで傷がつき、すかさずブシュウと補修材が肌と鎧を覆う。熱湯をかけたような刺激だが、急速に傷を回復させる効果がこれにはある。
同時に、すぐ横から息を吹きかける女に気づき、バッと上半身を仰け反らせる。その唇から漏れたのは、血のように赤い花弁たちだった。
兜の中で青ざめる。これはつい先程、全身の血を吸おうとしていた花弁だ。
このタイミング、距離、到達するまでの時間。それを考えるともう領域封殺の発動は間に合わない。
「~~~……ッ! 当たるかよオッ!」
上半身の筋肉が膨れ上がり、ザリーシュの剣先は消えた。生涯においてベストと思える連続攻撃を繰り出し、花弁を粉になるまで切り刻む。
そして、振りぬいたその先で、花から吸われた剣は砕け散った。
どくっどくっと心臓が鳴る。
傷口に手を当てて、女がこじ開けようとしている。真っ赤な口内を見せつけ、そして歪に血溜まりは微笑んだ。
――私がみんな飲んであげる。ザリーシュ。
そう囁かれた気がして、ゾオッとした。
鋼鉄をきしませ、入り込んだ舌から傷を舐められ、碧眼は限界まで見開かれる。
筋力を総動員し、引き剥がそうとしてもビクともしない。それどころか、べたりと逆に抱きつかれた。
ああ、悪夢と思える抱擁だ。
ジュッと啜られる感触はおぞましく、気絶しそうだった。
死にたくない、死にたくない、と彼の思考は繰り返す。
いや、ここで死ぬことが彼の最後の勤めだった。責務だった。王族たちは、そんな条件をつけて戦地へ送ったのだ。裏切り者め、命尽きるまで魔物を狩れ、と。
だが、まだ死ねない。こんな場所で死ぬために、罪を告白したわけじゃない。拷問も自白剤も許そう。洗脳の魔術行使も罵倒も雑言も服従も全て許そう。だが意味の無い死は許さん。
走馬灯のように周囲を知覚する。生き残るための情報を探すために。
ルビー隊員はこちらへ最後の魔剣を向けている。くたばった時に、まとめて葬るつもりだろう。非常に合理的で懸命な判断だ。素晴らしいと褒め称えたい。
ガストンはこちらを見て「へっ」と笑いながら大木を調べている。その行為にどのような意味があるだろう。消え果てず、残されたままの木には何かしらの理由があってもおかしくない。
それにこの血をすする女だ。
かつての廃皇子と知り、高貴な血を欲しているのだろうか。
こいつには何が効いた? どの攻撃が有効だった? 剣は駄目だ。当てられるイメージが掴めない。
これまで起きた戦闘を、瞬間的に脳内で繰り返す。
花弁の嵐から身を守り、それから盾の上でガストンと魔物が戦った。わずらわしさに領域封殺をし――……。
バッと弾けるように思考が奔る。
夢から覚めたような顔をザリーシュはし、兜を無理矢理に脱ぎ、それから――女の肌に触れた。
華奢な腰を抱きすくめ、脇の下から腕を通す。その紳士的な抱擁に、魔物は黄金色の瞳を丸くした。
ずるると伸びた舌は、いまもドクドクと血を吸っている。傷口からの鈍痛を覚えながらも、彼はゆっくりと口を開く。
「幸の薄そうな女性というのは、実に俺好みだ。何を与えれば喜ぶのかと、考えに耽る楽しみがある」
好意を感じ取れたのか、にたりと魔物は嗤った。
口内は彼の血で染まっており、唾液と共に唇を伝い落ちてゆく。それを見ても表情を崩すことなく、ザリーシュはより抱擁を強める。
「おっと、その表情ではもう不幸そうとは呼べないな――領域封殺」
耳元へそう囁くと、ドシッ!と弾けそうな感触が腕に走った。魔物を退け、脅威を取り除くために領域内を相殺する。
彼を害する存在は、目玉が落ちそうなほど瞳を見開き、ギャアア!と哭いた。
装甲の上を、血の雫が後方へと流れてゆく。彼女を構成する要素、他者の血液が搾り取られてゆき、慌てて槍を片手で繰り出す。
抱擁された不安定な体勢ながらも、穂先は彼の頭部へと吸い込まれ――る直前に、ダメージを相殺されてしまう。
領域内の物理、魔法攻撃は全て、この障壁が消すとういう定めがあった。
ギィィィーー……ッッ!
悲痛な叫びを響かせて、領域内の青色はさらに濃さを増してゆく。おびただしく流れる血は、きっと彼女にとって痛手だろう。悪魔というのは、弱みを見せたときほど弱くなる。
「いまだ、撃てえッ!」
ドウ!と弾けた魔剣たちが最後の力を吐き出した。
それは魔物を覗きこんだザリーシュの頭上を越え、ガストンの示した位置、大木の根元へと吸い込まれてゆく。どうやってかは知らないが、そこに悪魔の弱点があると見抜いたのだろう。
今生の別れのように、彼は静かに囁きかけた。
「俺を討ちたいのなら、全ての攻撃で音速を超えることだ。魔物」
「ア…………」
それを聞き、目を見開いたまま、ぱっと彼女は散る。
後ろへ視線を向けると、彼女と同じように大木の散る姿が見えた。
今の彼にはどちらが本体だったかは分からない。本当にとどめを刺せたかも分からないが、見上げれば綺麗な青空が待っていた。
魔物らの死骸は塵と化し、ボルゾイを追うように空へと消えてゆく。死が人を楽園に導くのなら、彼ら魔物は一体どこへ向かうのだろう。
ふと、そんな事を考えた。
血液を失いすぎて、どうやら立ったまま気絶していたらしい。
ジュッと補修材を胸に受け、その激痛で目を覚ました。
「~~~……ッ! クソ、これは改善の余地があるな。近いうちヴェイロンに伝えるとしよう」
落ちていた兜を拾い上げると、その先ではガストンらが集い、本部との連絡を行っていた。
力の入らない身体を動かし、彼らの元へ近づいてゆく。すると老人は「お、死んで無かったか」という表情で振り返った。
「ったく。流れ的に死んでる場面だろうがよ。燃えないゴミみたいにどうしようもねえな、お前は」
「そんな流れがあるか!……それよりも血溜まりは倒せたのか?」
「さア、分からん。さっきのは魔界との繋がりを切っただけだ。詳しいことは専門家にでも聞け。ああ、それと本部から連絡があったぞ」
この顔は、またろくでもない事を言いそうだ。
そうザリーシュは考え、片眉を上げて言葉を待つ。どのような言葉だろうと、決して驚かされなどしない心構えが出来た。
「これから魔軍たちが本格的に攻撃を始めるってよ。やったな。まだまだ楽しめるぜ」
しかし、パンチのありすぎる言葉に、ぐらりと彼の身体は傾いだ。
ルビー隊らは大きな声で笑ったが、今のどこに笑える要素があったのか勇者候補には理解が難しかった。
はぁーーと溜め息を吐き、空を見上げる。
雲ひとつない空と、いつの間にやらあの地響きも消えている事に気づく。
気のせいか、オアシスを巡る攻防戦は、山を越えた気がしてならない。それほど清涼感のある空だった。
オアシス編、完了です




