第229話 オアシスを巡る攻防戦⑤
枯れた枝に、花は綺麗に色づいた。
まるで血のように赤く、花弁からじわりと滴を垂らす。すぐに周囲へ甘ったるい匂いが立ち込め、それは鼻の奥にこびりつく。
オアシスの空は不吉な空模様と化していた。
ほんの少し前まで、ここは綺麗な場所だった。水気の混じった爽やかな空気さえ感じ取れた。
しかしいま、数えきれぬ花達は一斉にしなびれ、頭を切り落としたよう、ぼたた、と空から落ちて来る。
その先には十名ほどの男たちが陣を組み、切っ先を大木へ向けていた。
不死身と呼ばれたルビー隊でさえ、異様な光景に顔を蒼白にさせる。これからどのような攻撃を受けるかも分からず、ただ舞い落ちる花弁を見上げていた。
そんな中、隊の長であるガストンは目を細め……へえっきしっ!と唐突にクシャミをした。
「なんだジジイ、花粉症か」
「ンなわけ無ぇーだろ。俺が花粉なんぞに負けるかよ。おうザリ公、とりあえず障壁を頼むわ」
「……雑な作戦は嫌いなんだがな。お前たちの隊長はいつも耄碌しているのか?」
「ああッ!? うるせえんだよ、さっさとバリアだか何だかを張れ! あと一個しかない目玉をほじくるぞ?」
「あ゛? それは俺に言ったのか、この老いぼれが」
あ?あ?とメンチを切り合う様子に、周囲の者たちは困惑した。
今は言い合っている場合じゃない。そう言いたかったが、そこいらの子供でも分かる事なので指摘しづらい。
と、花弁が触れる間際、くるりとザリーシュは身を翻す。
「あとで覚えていろよ――領域封殺」
「うっへぇ、気持ち悪ぃポーズ。まさかと思うが、いちいち技を出すときにやんのか? ん? 頭の病気?」
ビキビキ青筋を立てながら、周囲を包む領域封殺が出来上がった。これは定めた領域を完全守護するものであり、上限はあるもののダメージを相殺する技能だ。
青白い障壁に花弁は張りつき、粘液質な血の雫を垂らしてゆく。そして根のようにミチミチと領域を侵し始めた。
もしもこの根に触れたなら、身体中の血を抜かれてしまうだろう。そして血溜まりに全て飲まれる運命だ。
「継続的に侵食をするタイプか、実に厄介だ」
「……保ちそうか?」
「なんとも言えない。俺は大幅なレベルダウンをしている。どこかで崩壊を起こしかねん」
キチチィーというガラスのひび割れに似た音が、周囲から一斉に聞こえて来た。花弁の密度が増すたびに視界は赤く染まり、中心に向けて皆は一歩ずつ後退をする。閉塞感に息が詰まりそうだ。
「ふーん、こっちから攻撃したらどうなんだ?」
「俺の領域だぞ。内部からの攻撃だって同じように相殺をする。さっきの魔剣とやらを使ってもダメージはこちらにしか無い」
だからこのまま攻撃が終わるのを待つしかない、とザリーシュは振り返る。それに対して老人は鼻を鳴らした。
「じゃあ、こういうのも駄目なんだな?」
老人の抜いた剣に碧眼は見開かれた。正確には、抜いた瞬間に周囲の根が切り落とされたのを見て。その目にも見えぬ居合斬りへ、勇者候補は口をパクパクとした。
「なっ、いまどうやって……!?」
「すり抜けるに決まってんだろ。だってお前のバリアを攻略するために覚えた技だしよ」
バーカ、という実に腹の立つ顔で言われ、青筋がまた浮き上がった。
種明かしをすると、ガストンの扱う闘気刃なる剣技は実体を持たない。いわば空気と同じであり、また魔法にも物理にも当てはまらない特異性のため、領域封殺の対象にならなかった。
「まだ俺とやりあう気だったのか! しばらく静かだと思っていたら……!」
「この俺が静かになるわけねえだろ? お前をブッ殺すために修行してたわ。ハー、それがこんな雑草刈りに使うたぁなー……まあいいか。普通の剣なら根っこに食われてたろうし」
ブツブツと文句を言いながら、周囲の根や花弁を切り裂いてゆく。それを眺めながら、青年は密かに汗を流す。
領域封殺は元より、これでは自動迎撃も出来ない可能性があった。すり抜けられるのを前提に、互いに血を流して闘うしか無い。最も嫌な展開だ。
まあ、元から争う気はないがな。ただしイブを怒らせたらどうなるかは知らんぞ。などとザリーシュは内心で考えた。
さて、血を吸えなかった花弁は枯れてしまい、ざらざらと風に吹かれて散ってゆく。わずかに視界は明るくなり、見上げると外が見え始めていた。
小窓のように覗き込み、一帯が赤く染まっていた事へまず驚く。
恐らくこれは広範囲を殺戮できる技であり、もしも戦場で使われたなら想像を絶する被害になっていただろう。
実際、双方の軍が激突した際、この血溜まりによって決定的なまでに戦線が崩壊した事もある。
「おかしいな。これが少人数に送るような敵か?」
「俺らに脅威を感じ――はしねえだろうな。まだ緒戦だ。長期戦になって得をするのは奴さんだからな。それなのに魔軍は早く攻略を終えたがっている……焦ってるのは、この地響きと関係があるのか?」
誰もそれに答えられなかったが、敵将は確かに焦っていた。
アリライ国へ侵攻するには、南方にある殺戮兵器、烈火の塔が邪魔だった。しかし、破壊する役目を持った焔天竜は未だ交戦中だ。
先の見えない状況ならば、行動はよりシンプルになる。即ち、手近な古代迷宮を一刻も早く落とし、拠点確保および魔軍の増強を図ろうとしていた。
その為に送られた魔軍幹部、血溜まりだったが「すぐに殲滅出来るだろう」という大方の予想に反し、ざらざらと花弁は風に流されていった。
「どうにかやり過ごせたか。お前たち、反撃の準備を……」
ザリーシュは言葉を飲み込む。振り向くと、既に切っ先を向ける十本の刃があった。
これがルビー隊の怖いところだ。好機と危機を嗅ぎとるのがべらぼうに上手い。本能の塊みたいなガストンと長年連れ添っているだけはある、などと勇者候補などは思う。
やがて花弁が流れ去ると、老いた隊長はギラついた目で大木を見上げた。
「撃て」
「「オウ!」」
その瞬間、十本の魔剣は一斉にパキンと砕け散る。砂のようになるまで刃を分解させ、漏れた魔力が真っ直ぐに放たれた。
ドバン!と吐き出されたそれは、真っ赤な大木を斜めに貫き、半ばまで切り裂いた。
先ほどの放出よりずっと威力がある。互いの距離を等間隔に狭め、そしてタイミングと狙いを完璧に合わせたからだろう。
断面は脂肪のように真っ白で、ぷつぷつと赤い滴が生まれてゆく。遅れてドッと血を流すと、甲高い赤子のような鳴き声がひとつオアシスに響いた。
それを眺め、隊員の一人は眉をしかめる。
「……駄目ですね、通った感じがしません。あの手の魔物は本体を隠していると思いますよ」
「ンー、やっぱそうか。じゃあ引きずり出して来るから待ってろ」
そう呟き、ガストンは無造作に距離を詰め始めた。
しばしザリーシュは逡巡する。この場を守るべきか加勢をすべきかと双方を眺め、それからクイクイと指で招いてくる老人に気づく。
装備を換えている皆を、振り返りながら青年は声を漏らした。
「あいつらに守りはいらないのか?」
「カカッ、死ぬときゃあ死ぬ。戦士ってのはそういうもんだ。ああ、お前以外のダイヤモンド隊は違うからな。良い女ってのは浮かれているくらいが丁度いいや」
「…………」
その言葉に何も答えられず、青年は兜をガチンと閉じた。今はザリーシュより老人のほうが、ずっとダイヤモンド隊と近しい。言葉の端からそう感じ取れて、やるせない表情を隠すほか無かった。
さて、この鎧は金属性の巨人から抽出したものであり、また特注のため複数の魔術がかけられている。
ヴェイロンの鎧といえば誰にとっても憧れの品だが、そこに勇者候補が巨額投資をしているのはあまり知られていない。
「才能を伸ばすには金がいる」というのは彼の持論であり、市場に流れている品など末端の技術でしかない。
いま着ているものはコストを度外視しており、およそ二世代分の格差があった。
その理由は、どの国も喉から手が出るほど欲しがってしまうからだ。
ふうう、と息を吐けば、すぐに体温調整の冷気が流れ込む。そして筋力強化によりミシミシと装甲が鳴り、敵感知の補助機能が働き始める。
視界は360度に広がり、厚い盾、そして幅広な剣を軽々と手に持った。
鎧の操作には相応のレベル、そして魔力の慣れが必要なものの、凶悪な魔物に対して劣っている点を補強してくれる。筋力、敏捷、視力、野生の勘、そして多大なる生命力を。
元ある機能に加え、2つものセカンドスキル枠のある希少装備だ。もはや値段はつけづらい。
こんな物を用意しなければならなかったのは、大きなレベルダウンをしたせいだ。その際に「神の小指」「残虐の王」を失ったのは痛い。
神と王を冠する技能だ。また同じものを手に入れられるかは分からない。
と、ピピピッと敵感知の音が響き、青年は戸惑う。
右方向から何かが来るらしい。しかしそこに何も見えない。大量の枯れた花弁が舞うきりだ。
「ぼうっとすんな、ザリ公。上だ」
直後、ズシッ!とした重みを盾に受けた。
上からの衝撃に驚き、すぐ目の前に赤いブーツが現れた。そこには後ろ手に槍を持ち、盾の上で仁王立ちをする女がいた。




