第219話 マイダーリン②
目の細かい砂を、装甲に包まれた足が踏む。どふりと足首まで沈み、わずかに砂の匂いがした。
ここはアリライ国の砂漠からだいぶ離れた山中だ。東からの風により砂は運ばれ、この岩山を覆っている。
わずかに湿気を帯びているのは、あちこちから蒸気が出ているせいだろうか。見上げた先にはギザギザと尖った黒い尾根が広がり、地中からの蒸気に半ば隠されていた。
しっとりとした砂に触れてみると、わずかな地熱を感じられる。何かに気づいた顔をし、クンと嗅ぐと硫黄に似た香りもあった。これは温泉が期待できるやもしれぬ、とウリドラは思う。
振り返り、砂漠を一望する眺めは娯楽地としてどうだろうか、などと考えていた時、わずかな振動により砂地は震えだす。
指の間から砂はこぼれ落ち、そして魔導竜は相手を迎えるように身を起こした。
ズズ……と揺れる地面から、黒い蒸気が溢れ出す。
それは辺り一帯の蒸気を黒色に変え、残りわずかな草木を朽ちさせてゆく。不毛の世界へ変わりゆく様を、ウリドラは静かに眺めていた。
やがて夜を迎えたように辺りは真っ暗闇へと変わり、天にはおぼろげながら太陽の輪郭を残すきりとなった。
それを見上げていると、背後から声が響く。
「やれやれ、そんな恰好で来るからと警戒をしていたのだけれどね。いくら俺の攻撃が怖いからって防御系の技能で枠を埋め尽くすなんて……お前、何しに来たんだって話だよ?」
かつりと靴音を立てて現れたのは竜人化をした焔天竜だった。
蛍光色の赤い髪はホストのように額のあたりでクロスさせており、指先でネクタイを緩ませる。夜を好みそうな白い肌、そして黄金色の瞳には軽薄そうな笑みを浮かべ、焔天竜は剣の届かぬ距離で立ち止まる。
「ほう、わしに合わせて竜人の姿になる器量があったか。冷たい言葉じゃのう、焔天竜ラヴォス。はるばる挨拶へ来たと言うのに」
そうウリドラはあきれた息を吐きつつも、己の技能を看破されている事へ嫌な感じを受ける。情報妨害には気を使っていたが、ここは焔天竜の領域だ。大方、この山を歩いている時にじっくりと調べられていたのだろう。
まったく、技能を調べ尽くさねば姿を現さぬとは、などと思う。およそ夫婦とは思えぬ対話に、ウリドラは呆れる思いだった。
「挨拶? へえ、だったら俺の言いたい事は分かるよね? 子供のおしめを替えることが君の役目。人間の恰好をしたがるなら、人の妻らしく料理や刺繍でも学んだら?」
何を馬鹿なと言いかけて、ウリドラは言葉を飲み込む。流石に自分で料理はしないが、最近は似たような事ばかりをして過ごしていたからだ。
屋敷の経営しかり、洋服造りもまたしかり。
「ふ、人の世界と言うのは楽しいものだ。下らぬとおぬしは吐き捨てるじゃろうがな」
「ああ、実にくだらないね。奴らは自分を守ることしか考えず、他者を踏み潰すことを生きがいにしている生き物だ。君が良く言っているアレ、何と言ったかな……そう、中立? 甲高い声でキイキイ鳴く人間を見て、それを言い続けられるのだから大したものだよ。もちろん悪い意味でね――汝の動きを封ずる」
ふっと指先を向けられ、全身の骨が氷に変わったような思いをする。直後にウリドラの周囲には水晶の砕けた音が響き、竜結界を突破されたのだと気づく。
いや、結界は内側から破裂した。
この力……「神朧」か。
表情だけは涼しい顔をし、歩み寄る焔天竜をウリドラは待つ。
十を超える結界層を、秒もかからず消せるわけがない。これは恐らく焔天竜の存在を魔導竜とまったく同じ質へ変えたのだろう。完全なる同調をしたことで、水と水、油と油が混ざるよう「入り込まれた」。
これが己という存在を自在に変える技能「神朧」というものだ。
彼はゆっくりとウリドラの周囲を歩き、通り過ぎざまに背や腹を指で押してくる。
「翼も無い、竜核も減った。手を出さずとも君は弱る一方だ。最後に残った竜核は、俺がもらおうかなぁ」
「夜の時代はもう終わった。懐かしむだけで済ませば良かったものを。欲に狩られた竜の死に様というのは悲惨なものじゃぞ」
どすりと首に指は突き刺さる。
物理的な抵抗を目一杯にしたが、たらりと竜の血が垂れてきた。
「あ? お前に拒否権とか無いから」
黄金色の瞳で覗き込む男はそう告げる。ぐりぐりと指先を押し付け、もう一筋の血が垂れてゆく。
すうっと魔導竜の黒曜石じみた瞳は細まる。情というものは消えてゆき、長い黒髪は風も無いのに揺れた。
しかしそれを見て男の笑みはより深まる。
「へえ、その顔、良いね。まるで夜の時代を取り戻そうとするゲドヴァー国のように頑なだ。大方、加担する俺を阻みに来たんだろうけど……その顔を見るとまた屈服させたくなる」
ぞろりと指先から黒い刺青のようなものが広がる。それは黒いツタのような形状をし、幾何学的な模様を生む。これには侵入を拒むウリドラの意思があり、軽薄な笑みを残して男の指先は離れていった。
「じゃあ、やる? 砂漠にたくさん仕掛けをしていたみたいだし、最初から戦う気だったよね? 君が負けたら永久的な奴隷にさせるし、飽きたら竜核を取り出して玄関に飾ろうか」
みしりと血管を浮かせたウリドラの額が鳴る。瞳はより竜へと近づき、迫力のある笑みを覗かせた。
「夫として話せぬものかと淡い期待をしていたが、しかしそれは叶わぬか。ふ、ふ、貴様こそ奴隷にしてやろう。楽しみじゃぞ、おぬしが雑巾を持ち、ウロウロと歩き回る姿になるのはな」
闇にまぎれて地面を這うツタ。
それに気づいたラヴォスは「どうぞお好きに」と両手を開いて見せる。それらはウリドラへとまとわりつき、幾重ものツタが魔導竜を闇へと覆い隠してゆく。
互いに笑みを浮かべて睨みあうことしばし。やがてウリドラの姿は完全に消え失せ、残された男は軽薄な笑みを深める。
「……妻を殴るのは、たまになら楽しそうだ。さて、今回はどうやって哭かせてやろうか」
焔天竜ラヴォスはそう漏らし、ぺろりと指を舐めた。
ばさりと黒布をはためかせ、晴天の下へウリドラは現れる。
表情は完全に失せており、ふつふつと怒りを溜めているのだと分かる。近くで待機していた機体、竜骨座はモニターを光滅させた。
『マスターの言葉の意味を理解致しました。あのような傲慢な者、ウリドラ様の夫としてふさわしくありません』
彼女の声は珍しく感情を露にするものだった。
よほど腹を立てているのかウリドラは返事もせず、無造作に空中へ腕を入れる。そこから取り出したのは超重量の長筒であり、ずんと岩場に亀裂が走った。
「ふん、相変わらずの男じゃったな。戦闘を始めるぞ、カリーナ。奴の平和ボケした頭を叩き起こしてやろう」
そう言い放ち、即座に魔銃を横たわらせる。
この戦いに怒りは無用だ。冷静に、冷徹に、絶好の機会を見逃してはならない。そう考えたウリドラは、ばさりと長い髪を揺らして宣言をする。
「技能入れ替え――【竜核破壊耐性】【即死耐性】を外し、【魔竜眼】【旋盤の調律師】をセット」
技能入れ替えは1分ほどの行動不能状態を余儀なくされる。この間に攻撃を受けてはひとたまりも無いため、慎重に実行せねばならない。
さて、その間に焔天竜について考えるとしよう。
岩山の頂点に座りこみ、地平線の向こうをウリドラは睨む。はるか遠くへ見える先に、先ほどの焔天竜はいるはずだ。距離にしておよそ50キロ。いかに竜族であろうとすぐに気づかれはしない。
焔天竜は狂乱と破壊を得意とする。また知性もあるため裏をかくのも難しい。
以前、交戦したことがある為、幾つかの技能を知っているのは幸いだ。
分かっている範囲で、彼は以下の技能を有している。
・視界内の者へ、発狂するまで精神破壊をする「世界よ発狂しろ」
・己という存在を自在に変える「神朧」
・完全なる破壊光線「白銀吐息」
・生物を連鎖的な死滅へ誘う「死を誘う乳飲み子」
・無制限に物質を縮小させ原子崩壊も可能な「世界の全ては点となる」
どれもこれも最大級技能を表す「神」や「世界」と冠するもので溢れている。
範囲に入れば即死、吐息に触れれば消滅、奇跡的に攻撃を与えても今度は防御系技能が施されているので傷のひとつもつけられない。
首を落としても一週間は生き続ける無尽蔵な生命力、それに加えてサディスティックな知性もあり、常人では戦いにさえならない。単なる食料であったと敵対者は気づき、その自我さえも発狂させられてしまうだろう。
それが焔天竜というものであり、あれを見て喜ぶのは北瀬くらいのものだと魔導竜は静かに笑う。
対するウリドラはというと、空間制御、定点への瞬間移動、魔具生成、精度向上、竜としての勘の向上という、なかなかにおかしな構成だ。破壊に関するものがひとつも無い。
「竜核破壊」への耐性技能を外したのは彼がそれを欲していた為であり、また「即死」もきっと攻撃手段に選ばないだろうという目論見だ。もっと長くウリドラを苦しませたいだろう。
『対象の座標補足。マスターへ位置情報を転送いたします』
「ふん、姿も隠さぬか。ならばお望み通り、手痛い一撃を与えてやろう」
ぎちちと皮の手袋を着け、魔銃を片手に掴みあげる。
全長3メートルもの巨大ライフルは、彼女の筋力へ合わせたものだ。見た目より重量がずっとあるのは噴射される火力へ耐えるという意味がある。
汚れを気にせず地面に這い、それをウリドラは構えた。
ドレス型装甲は形を変え、岩場へと突き刺さり固定をする。ボルトを引き、魔素を極限まで凝縮した弾をこめ、それは実戦を喜ぶよう紫色の燐光を残して銃身へガシャリと収まった。
リン、リン、リン、と鈴の音を立ててウリドラの左目には幾重ものレンズが浮かぶ。こちらも紫色の燐光をしており、素早く回転をして座標への照準合わせを開始する。そして彼女の視界にのみ、装甲を成してゆく焔天竜の姿が見えた。
照準を合わせ、ふっふっふうーーとウリドラは息を吐き、静かに引き金を絞る。
ドズズズン……ッッッ!!
バコオ!と岩肌の斜面一帯にひび割れを起こし、山頂は衝撃によりひしゃげる。世界は白黒へと変わり、圧倒的と分かる質量がいま吐き出された。
魔素を込めた弾丸は、リレーのバトン棒程度の太さがある。
段階的な加速、そして主人であるウリドラの指示により弾道を修正し、対象へと向かう。
地平線に見える山は、距離にして約50キロ。およそ狙撃銃などでは達成できない超超距離だが、魔導竜ならば不可能という文字は消える。
『着弾まであと……5、4、3……』
落ち着いた案内の声。
そして焔天竜は確かにウリドラへと振り向き、一瞬だけ曲がった手足のみが視界に映った。
岩山には縦への衝撃が与えられたのか、山頂へ向けて真っ直ぐの光が奔り、50キロもの距離を経て破壊の力をもたらした。
遅れてドロロと地面は振動し、状況を確認する前にウリドラは身を起こす。
「気づかれた。移動を開始するぞ」
『……この距離で気づくとは、さすがは伝説級ですね。破壊のし甲斐があります』
じゃろう?とウリドラは笑い、共に闇の門へと足を踏み入れる。そして2人は結局、弾丸の衝撃音が届く前に移動をする事となった。
やがて焔天竜は目を覚ます。
山の尾根から身をズルリと起こし、竜族としての姿を表したのだ。
ごおお、と空が鳴った。




