第218話 マイダーリン①
翼へ精霊力を満たしたウリドラは、青空のなかを飛んでいた。
得た風を余すことなく揚力へ変えており、また精霊の扱いに長けてもいるので風圧に困りはしない。
しかし浮かない顔をしているのは、この速度でも満足をしていないのだろうか。
直射日光を手でさえぎり、竜の瞳ではるか遠くを見渡そうとし……やめた。どうせ目当ての相手は居るのだし、力を使って相手に悟らせる必要も無い。
竜人としての勘は技能とは関係ないため、それに従って飛ぶとしよう、などと思う。
「うーむ、しかし微妙な速度じゃなあ。人の身であれば当然じゃが……移動速度で劣ると厄介じゃ。何か対策を練らねばならぬ」
ひぃぃ、と馬のいななきに似た音を出し、黒翼の出力を高めている。しかし飛行には適さない人の身体をしているのだから、魔導竜の時より劣るのは当然だ。
それで無くともエネルギーの元である竜核を、子に与えたことで4つにまで減らしている。いかんともしがたいが、これをどうにかせねば戦いには挑めまい。
その代わりとして生み出した新たな武器、魔銃はいま手元に無い。
中立であれと正す魔導竜ウリドラ、そして魔軍へと加担をする焔天竜。まずは対話を試みるが、そのときにこちらの武器をあえて教える必要も無い、という考えだ。
奴の子を産んだ身だ。すぐに蒸発させるような真似はしまい、などと思うが実際のところは分からない。魔軍に加担する姿を見せた以上、中立であろうとするウリドラを警戒しているはずだ。
先手必勝とばかりに攻撃をしかけて来るやもしれぬ。そう考え、まずはありったけの耐性技能をセットする事にした。
そう、この技能入れ替えこそがウリドラにおける最大の特徴だ。山のようにストックしてある技能を取り寄せ、竜核に移し、状況への対策を行える。
何ヶ月もずっと前、日本語を瞬時に習得して見せたのもこれが理由だ。また「貴重な枠を使った」と言っていたのも、そのような意味だった。
幸い、以前対峙した相手なので攻撃手段は分かっている。ぴんと指を立てると、そこが白銀色に輝いた。
「技能入れ替え、【即死】【狂乱】【精神攻撃】。ふーむ、念のため【竜核破壊】の耐性も備えておくかのう。古代の大戦では苦しんだこともある」
その他にも考えうる限りセットをしたが、これで十分かは分からない。そして残された枠に、転移妨害への対策「私を阻む壁は無い」、そして普段から使い慣れた転移術「闇への扉を開かん」を加える。
「お、そうじゃった。転移先を知られぬよう【私はどこにも居ない】も入れておかねばのう。まったく、古い者と戦うのは下準備が多くて面倒じゃ」
となると先ほどの課題、飛行速度についてもどうにかしておいた方が良いだろう。いざ戦闘になったら改善するような時間は無い。
しかし、どう改善したものか。翼の形状など弄ったところで高が知れている。1割から2割程度の改良では意味が無く、根本から作り変える必要があるだろう。
うーんと唸りつつ速度を落とす。
そう、発想を根本から変える必要がある。そして彼女はもう人間を矮小な存在などとは露にも考えていない。驚くほど合理的な技術をあの世界で見てきたのだから。
「根本から、根本から……日本で最も速度を出せる乗り物……」
思い浮かぶのは戦闘機だろうか。
中にはマッハ3を出す機体もあり、それだけあれば十分に戦える。
移動速度というのは戦闘において重要で、相手が逃げたら追いつけない、こちらが逃げたら追いつかれる、という事態になる。
かつて戦車が導入された際には、戦争中にも関わらず「速度制限」なる国際条約を結んでいたくらいなのだからよっぽどだ。
だが、その発想は竜として如何だろうか。竜族の象徴である翼を背中から切り離すというのは。
コオ、と断面から淡い燐光を生み、じっくりと時間をかけて身体から離れてゆく。
常識で考えれば血が吹き出すはずだ。しかし竜というのは常識から外れている。元は精霊界に近しい場所で生きており、この世界へ移るには多くの矛盾を孕んでいる存在だ。それを解決するのが竜核と呼ばれる器官であり、破壊されれば消滅しかねない。
そのため翼の独立も可能だが、下手をしたら蓄えたエネルギーが暴走する可能性もある。これは魔導を極めた彼女にだけできる芸当だろう。
ビリと震える空気に、自然とウリドラは声を漏らす。今はこうすべきと感じ、そして言葉を紡ぐ。
「踊れ、踊れ、我が翼よ。汝は其の身を得、飛翔することを許される。踊れ、踊れ、竜の翼よ。自我を持ち、思うがままに飛ぶことを許される」
即興で組んだ竜語の魔導術には、簡易的に独立と自我形成を許すという意味がある。すぐさま血流のように魔力は循環し、暴走という可能性は消えてゆく。
しかし彼女であっても汗を垂らすほどの高難度だ。詠唱をして力場の固定をしつつ、反対側の手で「魔生誕」という技能を操るのは。
正直、背筋がぞくぞくするほど恐ろしい。恐怖というよりは新たな扉が開かれるという意味で。
「さて、楽しい数学の授業じゃぞ。くふ、ふ、誠に人間の探究心たるや素晴らしい。数式のひとつさえ宇宙という浪漫を感じさせるとは」
開け、扉よ。
そう念じ、創造と独立、それぞれ司る手をパンと合わす。たまたまに過ぎないが、神へ祈りを捧げる姿勢となり、そしてーーこの世界へ新たな物が生み出された。
ズズ、と黒いモヤを残して黒水晶に似た鋭い輝きを見せる。鋭角に翼を広げ、いかにも異常な速度を出しそうな形状へウリドラは笑みを隠せない。
ビニールシートを剥がしたばかりと思える座椅子、趣味の領域と化したレバーや液晶モニターを指先で押す。
すると独立を許したが故に、女性的な声が響いた。
『初めまして、私のご主人様。ご機嫌は如何でしょうか?』
「悪くは無いが、おぬし次第じゃな。わしを愉快な気持ちにしてみせよ」
そう返し、黒髪美女はドレス型装甲の裾を持つ。つまんだ先から装甲は形を変え、シートにまたがるや結合するよう綺麗に収まる。
一人乗りの戦闘機という風だが、それとは翼の面積が大きく異なった。
『お任せください、マスター。飛ぶために私は産まれたのですから』
りん、りん、と鈴に似た音がする。鼓膜を震わせ、精霊力という名のエネルギーは満ちる。さりとて稼働音には品があり、見た目や光沢も合わせて女性的な魅力を感じさせる機体だった。
『参ります、マスター。そしてようこそ、音の向こう側へ』
ドシ、とシートへ身体は沈む。無論、この程度の重圧など苦ではない。しかし瞳は機体に釘付けだ。理想的に風を拾い、わずかな振動もなく加速をしてゆく。あっと思った時には地平線にあった山へたどり着き、魔導竜の翼に恥じぬ性能を見せる。
これにはウリドラも喜び、わははと楽しげに笑った。
「思っていたよりもずっと良い! うむ、気に入った。汝に名を与えよう。わしの名の一文字を合わせ、今から竜骨座と名乗るが良い」
「ああ……、あなた様から名をいただけるなど……私は誓います。どのような相手だろうと、必ずや華麗なる勝利をお約束いたします」
クイクイと機体を左右に傾け、カリーナは喜ぶ。窓の向こうには青空が広がり、そのずっと向こうには暗雲が広がっていた。それがこれから起きる激戦を思わせ、ウリドラは口端に笑みを浮かばせる。
そして、その表情のまま呟いた。
「これに大型魔銃を据えられるか?」
『お任せを。武器特性を学びますので、どうぞお好きな物をお選びください』
くふ、と思わず笑った。
とはいえ、すぐに敵へ挑むほど阿呆ではない。日本へ戻れる北瀬と異なり、こちらは失敗を許されない。
だからあのバカップルは能天気なのじゃ、とウリドラはブツブツと漏らす。
事前準備の重要性はマリアーベルを見れば分かる。状況や地形に応じ、せっせと汗を流すのは決して無駄には終わらないだろう。
途中で何度か山や砂漠へ機体を下ろし、魔導の仕掛けに時間をかける。それを眺めるカリーナは、砂を踏んで近づいてくる主人に問いかけた。
『マスター、なぜ闇のゲートをあちこちに開かれるのですか?』
座席に手をかけて乗り込むウリドラは、ひとつ頷き返す。その間にも周囲はヴェールで覆われて、強い日差しも気にならなくなった。
「うむ、相手に劣っているならば策を練らねばならぬ。今回は距離を我らの味方にしよう。そしてもうひとつ、この罠もわしらの味方じゃ」
ぴっと指さすと、空中の景色は歪む。武器庫である竜の寝床とを空間制御でつなぎ、ありったけの爆発物を置いてゆく。
ごう、と飛び立つと砂が舞い、すぐにそれは砂漠に飲み込まれてしまった。
しかしこれではまだ足りない、とウリドラは思う。無尽蔵の生命力、暴虐の限りを尽くす相手に、もうひとつ決定的な策が欲しい。
そう思いつつ離れてゆく地表を見下ろしていると、カリーナの女性的な声が響く。
『焔天竜との戦いは避けられないのでしょうか。マスターならば戦わぬ道も選べるように思えます』
「これは生き様の問題じゃ。言葉では決して足りぬじゃろう。阿呆は泣くまで叩かねば理解せぬ」
というよりも武器を撃ちたくて仕方ない、という笑みを彼女は浮かべる。気のせいかカリーナの沈黙は「可哀想に」という風に感じ取れた。
淡々と同じ作業を繰り返し、そして昼頃になってようやく「こんな物じゃな」とウリドラは満足する。
それは折しも魔軍がオアシスへとなだれ込む瞬間だった。




