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第22話 喫茶店

 

 うーん、相変わらず朝の総武線というものは、なかなかの混雑っぷりを見せてくれる。乗りたくない電車ランキングで、上位に入っているのも納得だ。


 よくある通勤ラッシュ風景というべきか、ドア側に思い切り押しつぶされているスーツ姿の男こそが僕である。

 振り返ると誰しもがスマホなどの画面を光らせており、思い思いの時を過ごしているようだ。


 ……これって、みんながスマホのスペースを確保してるから余計に混んでるんじゃないの?


 まあね、気持ちはよく分かるよ。これだけ混み合っているなら、せめて頭の中だけは別のことを考えたいよね。

 そうなると僕が夢の世界へ旅立っているのも、皆がしている事と同じなのかもしれない。


 では、僕も違う世界のことを考えようか。

 目下の課題は、エルフであるマリーの身の安全だ。


 以前、賊との戦いで思い知ったのだが、僕はどうも「死んでも起きるだけだから良いか」という心構えをしていたようだ。しかしこれからは、その考えを直さないといけない。


 夢のなかだと思っていた世界が実際には存在していると分かった以上、なるべく彼女にリスクを負わせないほうがいい。その為なら迷宮攻略を諦めても良いだろう。

ただしレベルアップすることは求められているので、どちらにしろ対策はしないといけない。


 盾役タンクになるには僕はすこし軽すぎるし、彼女と一緒に瞬間移動をしたくても【道を越えてオーバーロード】は重量制限が厳しすぎる。なにしろ盾さえ持てないほどだ。


 それに僕はどちらかというと単独での戦いを得意としている。短距離での瞬間移動を駆使し、攻撃や退却などをすぐに選択できるようにしているのだ。

 ……というよりも、ずっと一人でやってきたのだし当たり前か。


 うーん、いっそのこと盾役タンクの人を雇ったほうがいいのかな。ただ問題は、あちらの世界で僕は大してお金を持っていないことか。

 まあね、夢の世界でまでお金稼ぎをしたいとは思わなかったからさ……。


 うーん、手詰まりになってきた。

 やはり迷宮攻略は諦めるか……などと考えていたときに、ぶるると胸のスマホが震える。

 狭い車内ではあるものの、どうにか身をよじって画面を覗き込む。すると画面には見慣れないものが表示されていた。


 あ、SNSか。ほとんど使ったこと無いから慌ててしまうな。

 そこには「薫子」という文字があり、簡単な挨拶と用件が書かれていた。


 ― ― ― ― ― ―

 おはようございます、北瀬さん。

 このあいだはマリアーベルちゃんと仲良く絵本を読みましたか?

 私も好きな本ですので、良ければ彼女の感想も聞かせてくださいね。


 それで、もし良ければ帰社あとに親睦会をしませんか?

 都合が合えば夫も一緒ですので、ぜひマリアーベルちゃんをお誘いください。

 ― ― ― ― ― ―


 おや、かなり積極的なお誘いだ。まあ目当ては僕ではなくマリーだろうけどね。

 彼女は同じマンションに住んでいる女性で、すぐ近所の図書館に勤めている。以前、交流をしたいと希望を受け、連絡先を交換していた記憶がある。


 うーん、と少し悩んでしまうのは、今日の残業具合、そしてマリーが喜んでくれるかどうか、という点だ。

 ただ同じところに住んでいるのだし時間の都合はつけやすいか、などと思い直す。


 僕にとって人付き合いは苦手な部類だ。

 しかしエルフである少女にとって、日本の知り合いは多いほうが良いと思える。彼女は気立ての良い方だし、マリーからも握手を求めるなど好印象を感じられた。


 うん、僕もマリーを見習って日本へ一歩踏み込んでみるか。そう考えて、僕はSNSに了承の旨を伝えることにした。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 喫茶店から外を見ると、既にとっぷりと暮れていた。往来には人が多く流れており会社帰りの者も多い。

 かくいう僕も帰宅を済ませ、私服に着替えている。


 テーブルには2つの珈琲がほかほかと湯気を立て、正面にはいつものようにニット帽で長耳を隠す少女が座っていた。

彼女がきょろきょろと店内を見回しているのは、お茶のふわふわとした香り、そして落ち着いた店内の様子が珍しいからだろう。


 と言っても、この空間において最も注目を集めているのは彼女自身だ。

 光沢のある髪は輝かんばかりに白く、腰までまっすぐ伸ばされている光景に皆はため息をこぼす。

 一際目を引くのは、長いまつ毛に縁取られた薄紫色の瞳だろう。アメシストを連想させ、その澄んだ色にはきっと誰もが魅了をされる。


 妖精じみた雰囲気を少女は持っており、そしてその表現こそ彼女を的確に表しているものだ。

 半妖精マリアーベルという名のエルフ……それが彼女の正体だ。


 ――ただまあ、ここが江東区っていうのがおかしいんだけどねぇ。


 などと一人ごちると、当の少女は小首をかしげてきた。


「一体なにがおかしいのかしら? 最近のあなたは私を見て笑ってばかりの気がするけれど?」

「そういう時、僕は大抵マリーに見とれてるんだよ。まあきっと、それは僕だけじゃないだろうけどね」


 うっ、と少女は息をのみ、それから買ったばかりのサンダルでテーブルの下からコツンと蹴ってくる。


「そういうことを眠そうな顔で言われても、ちっとも嬉しくないものよ。ただそうね、あなたがもうすこし凛々しい顔なら素敵だと思えるかしら」


 この顔は生まれつきなんだよ。僕でさえとっくに諦めているんだ。

 などと思っていると、彼女の手がすいっと伸びる。細く白い指は眉へと触れ、そしてぐいっと上へ押し上げてきたことに少しだけ驚かされた。

 すべすべの柔らかな指は、どうやら僕の人相を変えようとしているらしい。


「んー……頑固な寝ぼけ顔だわ。どうやらあなたの眠そうな顔はかなり筋金入りのようね」

「ええ、そんなことは無いよ。きっと仕事帰りで疲れてるだけさ」


 仕事を言い訳にしたけれど、それとはまったく関係ないと彼女も気づいているらしい。しばらくエルフは僕の眉を揉み続け、やがて諦めたように指を離した。


 まあこんな顔をしているけどさ、人前で少女から触れられるというのは男としてそれなりにドキドキしているんだけどね。

 などと考えていると、少女は頬杖をついて覗き込んできた。


「それで一条さんはいつ来るのかしら?」

「ああ……もう7時か。ぼちぼち来ると思うし、今のうちに挨拶の日本語を練習しておく?」

「ええと、困ったら聞くから大丈夫。もう挨拶くらいで困らないし、少しだけなら会話に混じれそうな気がするわ」


 おや、そこまで習得が進んでいるのか。

 僕らも日常生活のなかで日本語を取り入れつつあるし、彼女はとっても頭の良い子だ。教えれば単語はすぐに覚え、そしてどうにか文法に落とし込もうとする。


「エー……、アニメガ、日本語ノ勉強ニ、ナリマシタ。トテモ素敵ナ作品、デス」

「おおーー」


 ぱちぱちと拍手をすると、マリーは得意げに背筋を伸ばす。

 やあ、ここまで早いならあとは慣れの問題かもしれない。会話を積めばたどたどしさも消えてゆき、それほど遠くないうちに基本的な会話を覚えるかもしれない。

 まあ、その自然さっていうのが一番大変なんだけどね。


 さて、エルフはようやく珈琲を口に付けることにしたらしい。黒い飲み物に慣れていないらしく、クンクンと嗅いでからゆっくりと飲む。

 特にコメントも無く「苦い」という顔をするのでカップを受け取り、そしてテーブル脇の砂糖などを入れてゆく。


 砂糖はそれほどの量でも無くて良いけど、口当たりがやわらかくなるミルクは多めで良いと思う。ティースプーンで混ぜてから差し出すと「ありがとう」と小さく礼を言ってくれる。


「……あら、美味しい。あなたの料理もそうだけれど、この世界はどれも匂いが多くて楽しいわ」

「そういえばマリーは匂いが好きなんだっけね。なら紅茶も楽しめるかもしれないよ。日本ではそれほど香りが強いものは好まれないみたいだけどね」


 そうなの?と少女は小首を傾げてくる。

 紅茶は十分に流通しているものだが、風味の強いものは嫌う人も多い。たぶんなじみが少ないせいだと思うけど、僕は個性の強いほうが好きだからダージリンなどを選ぶ。


「うん、試しに安いものを買って帰ろうか」

「あーあ、こうして私も人間の嗜好品に慣れてしまうのね。どんどん人間らしくなって、いつか耳が取れてしまいそう」

「これはね、たしなみって言うんだよ。少なくとも日本ではね。……おっと、来たみたいだ」


 などと話していたときに、どうやら待ち人はやって来たらしい。

 店内へ入ってきた彼らは、手を振って僕らのテーブルに近づいてくる。


「お待たせしました。電車がすこし遅れてしまって……こんばんわ、北瀬さん、マリアーベルちゃん。こちらが私の夫です」

「一条 とおるです。妻が無理を言って悪かったね」


 僕らも椅子から立ち上がり頭を下げる。

 ご主人はやや肥満へ向かいつつあり、どこか彼女と似ておっとりとした雰囲気をしていた。


「こんばんは、徹さん、薫子さん。」

「コンバンワ、マリアーベル、デス。ヨロシク、オネガイシマス」


 うん、問題なく言えたようだ。たどたどしくはあるものの、それはそれで可愛らしい。

 しかし少女は不安げに僕を見上げてしまう。どうやらご主人が、ぽけーっと見とれて動かなくなったようだ。

 どすんと薫子さんの肘がめり込み、そしてようやくご主人は慌てて動き出した。


「徹さん……!」

「ああーっ、ごめんごめん。いやぁ、びっくりしたよ。妻から聞いていたけど驚くほど綺麗な子だねぇ。それじゃあ店に移動をしよう。ご近所づきあいなんて初めてだからね、もう予約をしてあるのさ」


 そう言って、徹さんはウインク混じりに笑いかけてきた。

 僕も多少は緊張していたけれど、どうやら安心できる人らしい。


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