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第214話 大学付属の図書館へ④

 おっ、と僕まで声が出てしまう。

 落ち着いた木目調は明治時代を彷彿とさせ、モダンなシャンデリアが室内の優雅さを強調している。


 ここは閲覧室だろうか。ゆったりとした長テーブルと椅子さえ時代を感じさせるもので、幾人かの学生らの姿も見える。

 ガラス窓は天井付近まで高く、それが開放感を与えてくれるのだろう。


 なるほど、これがトップクラスの大学か。確かに普通の図書館では味わえない雰囲気だ、などと感心させられる造りだった。


 腕にしがみついたままの少女は、ぱっと僕を見上げてきた。


(すごい! ここは大人の図書館なのね!)

(実に落ち着いた場所じゃなあ! 味があって日当たりも良い。こういう場所でアニメ映画を流したら楽しそうじゃのう!)


 うん、ウリドラの提案はとりあえず無視をするね。

 こそこそと静かに話しかけてくるが、それでも少女の興奮は隠し切れない様子だ。


 マリーの通っていた書庫は、暗い地下にあると聞いている。魔術と知識の結晶であり、部外者に決して漏らさないよう厳重に管理されているのだとか。ならば確かに窓のひとつもありはしないだろう。


 と、そのとき後方から肩を叩かれた。

 振り返ると案内役の学生が「こっちです」と指差してくる。促されるまま外へ戻ると、扉は静かに閉ざされた。


「ここは閲覧室なんス。週末はもっと空いてるんスけど、まだ卒業や進学が決まっていないギリギリの人たちが集まってます。それで、皆さんはどういう本を探しているんスか?」


 お、丸顔の彼は先ほどまでの興奮を見事に隠しているね。ぜひその調子で頼むよと親指を立てると、任せてくださいと親指を返された。

 マリーはしばし悩み、いつもより大人しい笑みを彼に向けた。


「ええ、私は畑作りの教材を探しているの。東京くらいの落ち着いた気候で、お米や野菜、果物まで、できるだけ幅広く知りたいわ。ええと、ウリドラは……」


 視線を向けられた彼女は、ふっと笑う。

 今日の主役はマリーだと言わんばかりにかぶりを振り、後ろから姉のように抱きついた。


「ふ、ふ、わしの目的は食事じゃぞ。本なんて、そこらにあるものを適当に楽しんでおる。むしろ歴史ある建物の方こそ、わしは楽しんでいるがのう」

「あら、じゃあ本当に私の好きなもので構わないのかしら」


 どうぞどうぞと僕も頷く。

 今日はマリーのために訪れた場所なのだし、遠慮せず伸び伸びと楽しんでもらいたい。


 僕らと同じように学生たちも頷き、その様子へマリーは花が咲くように唇をほころばせる。カーディガンの花柄も、彼女が着ると良く映えるものだ。


「わ、何故かウキウキして来たわ。お2人も、わざわざ案内をしてくれてありがとう。凄く嬉しい」


 そう言い、柔らかく彼らの手に触れた。

 もしも姿を目にしたら、生涯忘れられぬという逸話を持つ半妖精エルフ族だ。

 その彼女から輝くような笑みと共に触れられたら、少しばかり驚くかもしれない。ぱちっと静電気が走るように、こちらへ感情が流れ込むのだ。


 あ、と彼らは口を開き、しばし動けなくなった。唐突に訪れた感動へ戸惑っているのかもしれない。

 離れてゆく少女の手を追うように、彼らはゆっくり口を開く。


「いや、俺たちの方こそ案内できて嬉しいよ。先生からは昼食を奢ってもらう約束だし」

「そーそー、お洒落なハンバーガー屋さんにね。良かったら後で一緒に行く?」

「ほほう、はんばーがー、とな?」


 おっと、急に自然体となった彼らへ驚いた。

 行きたい行きたいと話している様子は、どこか友人に近しい光景だ。もちろん一番に反応したのはウリドラだけど。


 ひょっとしたらマリーの持つ清純さや素朴さが、彼らの毒気を抜いたのだろうか。男というのは喜ぶ女性にとことん弱い生き物だから、それもやむなしか。


 この辺りがマリーの良いところだと思う。萎縮をしたり謝ったりなどをせず、素直に楽しんでくれる所が。

 もちろん周囲への気配りも出来る子だけれど、以前の彼女なら申し訳ないという気持ちが出ていたろうに。


「マリーもいつの間にか日本の楽しみ方を知ったのかな?」

「ええ、あなたからいつも教わっているわ。楽しませようとする人がいたら、遠慮をするなんて失礼だもの。さあ、一廣かずひろさん、日当たりの良い場所を取られてしまう前に、目当ての本を探しましょう」


 そう言い、ぼすんと僕の脇の下へ抱きついてきた。

 何を隠そうこの僕は、元気いっぱい夢いっぱいのエルフさんがとても好きでね。窓際の特等席を、是非とも確保したくなるんだよ。


 少女から背を押され、僕らは図書コーナーへ向かう事にした。




 さて、真面目な彼女が本の虫となるのはすぐだった。柔らかな日差しを楽しめる窓際には、一定のリズムでページをめくる音が響いている。

 瞳が合い、こそりと「文字も覚えておいて良かったわ」と囁きかけてくれた。


 そう謙遜しているけど、本当に読んでいるのかなと思うほどの速読だと思うけどね。しかしこれでもしっかりと吸収しているらしい。

 やっぱりこの世界でも「記憶メモリー」技能が有効なんじゃないかなと僕は思うよ。


 近くの席では薫子さんたちも本を広げ、落ち着いた時間を楽しんでいる。

 しかし、ウリドラは見当たらない。

 おかしいな、彼女こそマリーのそばで本を楽しむと思っていたのに。


 それが気になっていると、隣の少女が袖を引いてきた。こそりと耳元へ囁かれた言葉は「ウリドラが何を読んでいるか、私にも教えて頂戴」だった。


 陽にあたる少女の笑みには母性を感じさせ、ぱちぱちと僕は瞬きをしてしまう。いつの間に大人の雰囲気を身にまといつつあるのだろう。

 指先をバイバイと小さく振られ、静かに僕は立ち上がる。少女から与えられた特別任務ミッションをこなすために。



 そういうわけで、一人で大学の図書館を歩く。

 大理石を敷いた廊下や階段、壁を飾る彫刻など、もはや図書館とは思えない。

 時代を感じさせつつも、ゆったりとカーブを描く建築。しかしどこか本の香りが漂うのは面白い。

 静に満ちた厳粛な空間を、僕は素直に楽しんでいた。


 うん、少し面白くなってきたぞ。

 通勤時以外に、一人で出歩くことはあまり無い。周囲は気になるものだらけであり、ここを好きに歩けるというのは新鮮だ。


 少し暗い場所ではランプ型の電灯が灯され、それがまるでファンタジー世界のようだった。

 陽の当たらぬ窓際に、ぽつんと置かれたテーブルも良い。周囲には本が積まれ、空いた椅子は居心地の良さを約束しているようだ。


「こんな場所で過ごせたら気持ち良さそうだなぁ」


 思わずそう漏らしてしまう。

 周囲には誰もいないので、独り言くらいは許されるだろう。


 そう思っていたのに、ゆらりと動くものがあった。

 黒く長い、髪? などと目を瞬かせると、切れ長の大きな瞳がこちらを見ていた。


 しぃっと唇に指先をあて、おいでおいでと招いてくる。

 わけもわからず近寄ると、たおやかな腕を伸ばされて掴まえられてしまった。


「あれ、ウリドラ。さっきからここに居た?」

「く、ふ、ふ、おぬしが目を丸くしておるのは見ていて痛快じゃな」


 屈託無く瞳を細めて彼女は笑い、紅く塗られた唇から小さく舌を覗かせた。

 ここはちょっとした暗がりで、わずかな埃がきらきらと窓際を舞っている。そんな場所で、レース飾りの付いた黒いドレス姿というのはまた殊更に似合う。

 現代日本でありながら、まるで魔力を感じ取れるかのようだ。


「まさか、隠蔽の技能スキルを使っていた、とか?」

「さあてのう、どうだったかのう。寝ぼけたおぬしの事じゃから、普通に見逃しておったのじゃろう」


 気がつけば、いつの間にやら席へ座らされていた。

 許されざることにテーブルには紅茶カップが置かれており、ゆらりと湯気を立てている。

 彼女にとっては学校の決めつけなど無きに等しいのか。


 ウリドラは眼鏡に指を当てると、卓上の本へとまた視線を戻す。

 普段と同じ姿なのに、周囲の光景が変わるだけで様変わりをするのは不思議だ。ここが日本だということを忘れさせる力が彼女にはあるらしい。


 それで、ウリドラはどんな本を選んだのかな。

 好奇心で視線を向けると、そこには複雑な記号を描く数学の本が並んでいた。

 他にも「構造力学」という背表紙や、戦争などと関係のありそうな歴史書、工学的な物などなど、様々な学術書が広げられていた。


「うわ、これを全部読んでいるのかい。もしかして一気に覚えようとしている、とか?」

「ぅんーん」


 イエスともノーとも取れない曖昧な返事をされてしまった。答えを得るのを諦めた僕は、代わりに黒曜石じみた瞳を追うことにした。視線の動きで、何を読んでいるか分からないかなと考えたのだ。


 ざーっと舐めるように右上から左下へと動き、次のページへ進む……その前に、異なる本へと指先は送られる。

 ぱらぱらと軽快にページをめくり、関連性を見つけ出してまた異なる本に指先は伸びる。


 うーん、早い。規則性のある動きは、たぶん猛烈な速度で学習しているのだろうと分かる。ウリドラならそんな姿を見てもあまり驚かないのは不思議だ。

 ひとまず近くにあった古い本『日本が変えた世界史』を手に取り、彼女の時間へ付き合うことにした。


 ページをめくり続けることしばし、図書館らしい静かな声で話しかけられる。


「まさか、おぬし一人だけで来るとはのう」


 独り言のような声に、思わず彼女を見てしまう。

 微笑は相変わらずだが、いつもと雰囲気を変えているのは気のせいだろうか。

 返事をするのも躊躇ためらわれ、本を手に、彼女の次の言葉をじっと待つ。


「明日、わしはパーティーを離れる。しかし、事が終われば合流をするじゃろう」

「……事が終わるというのは、旦那さんのことかな?」


 ようやく彼女の瞳はこちらを向いた。

 どこか猫を思わせるくっきりとした瞳には、わずかな驚きの表情を浮かばせている。微笑は消え、彼女もゆっくりと本を閉じた。


「うむ、あの男をどうにかせねばと焦っておる。この魔導竜がのう」

「ウリドラらしくない、とは思わないよ。きっと大事な伴侶だろうし、とても重要なことだと僕は……」


 すこしばかり息が止まる。

 彼女の瞳には剣呑な色が浮かび、薄暗い空間では殊更に怖いと感じる。

 艶のある黒髪をわずかに揺らし、はっ、と嘲るように彼女は笑った。


「あれはそういう者ではない。おぬしらとは異なるのじゃ。子を産ませるという本能に突き動かされ、わしを力づくで押さえつけた者であるぞ?」


 唇は笑みを浮かべ、しかし瞳は剣呑なままだ。

 竜としての気配がそこにあり、一度さえも見せなかった表情だ。もしマリーが居たなら、この表情をしなかったかもしれない。


「まさか、君よりも強いのかい?」

「信じたくは無いじゃろうがな。おまけに子を産み、竜核を子に与えておる。基本的な実力差は倍といった所か。しかし、じゃ……」


 温かさに気づいて見下ろすと、僕の手はレース模様の手袋から包まれていた。彼女の体温は少しだけ高く、じわりと手の甲に伝わってくる。

 絹のような感触に気を取られ、また視線を戻すと彼女の眉間には小さな皺が寄っていた。


「あれをそのような者だと捉えていたのも、わしじゃ。もし手を伸ばしておれば、おぬしらのような関係になれたやもしれぬ。それが苦しい」


 はっきりと「苦しい」という言葉を聞いた。

 ここにいるのは魔導竜ではなく一人の女性なのだろう。どうするのが正解なのか分からず、枝分かれした道を懸命に見通そうとしている女性だ。


「どうしたいのかな、ウリドラは」

「分からぬ。何も分からぬ男じゃ。わしが奴を見なかったように、奴もまたわしを見ておらぬ。だから答えを出せぬのじゃ」


 うん、うん、と僕は何度か頷く。

 とても大事な言葉を伝えないといけない。彼女の進む道を決め、そして良い方向へと導く言葉を。


 ずっと前のことを思い出す。それは僕が勇者候補であるザリーシュと決闘をする時だった。

 あのとき彼女は、僕にやんわりと「意識の無い彼を殺してはいけない」と諭してくれた。


 もし、あれが無ければ僕は負い目を感じ続け、そして汚い手を使わねばマリーを守れぬ男だと確信していたと思う。

 あれは本当に、とても大事な選択肢だったのだ。それを知っていた彼女だけが、僕に道を教えてくれた。

 その恩に今こそ報いたい。


「ウリドラ、君はとても素敵な女性で、誰もが君を好きになる。特に良いと思える所は、話せば話すほど君の良さが伝わることだ。それくらい、中身の素敵な女性だと僕は思っている」


 黒曜石の瞳は、じいと僕を見つめてくる。

 言葉の意図を探ろうと、先のことを考えているのだろう。

 だけど、僕の伝えたいことはとても単純だ。それ故に、いくら先を読んでも分かるものではないんだよ。


「彼と会話をしてごらん。きっと彼が君に惚れるまで3日とかからない。もしそれが外れたら、僕の一番お気に入りにしている枕を、黒猫のウリドラに捧げても構わないんだよ」


 ゆっくりと彼女の瞳は見開かれてゆく。

 魔導竜には分からず、しかし僕には……いいや、彼女以外の者であれば誰でも分かるものがある。

 それはつまり、彼女自身ウリドラの魅力だ。


 陽光に反射をすると瞳には輝きが増し、珍しいことに頬へわずかな赤味がさす。気が付けば、僕の手の甲はウリドラの指先につねり上げられていた。


 いたた、と思わず口にすると、僕の表情と正反対にウリドラは笑みを増してゆく。どこのサドかなと思うけれど、先ほどの憂いは綺麗に消えたよう僕の目には映る。


「たわけ。阿呆。寝ぼすけ顔で、定時上がり主義の不良サラリーマン」

「えぇ、なんだいそれは? ひょっとして僕の悪口なのかい?」

「ふん、いくら言うてもおぬしには響かぬがな。じゃが面白いのう。夢から醒めるよう、ぱっと悩みが消えおった」


 おや、これは礼代わりなのかな。僕の目の前には魔法のように紅茶カップが現れ、良い香りを楽しませてくれる。


「ふふ、共犯にする気だね、ウリドラ?」

「知っておるぞ。おぬしは真面目そうな顔をして、実は悪だくみを好む男じゃ。わしは好きじゃがのう」


 おや、それは買いかぶり過ぎじゃないかな。

 これでも会社では人畜無害として通しているんだからね。


 ふっと互いに笑みを浮かべ、図書館らしく静かな笑い声を楽しむ。くつくつと愉快げに笑い、香りの良い紅茶を口に含む。

 もちろん本に零すような真似はしないけれど、あまり人様には見せたくない姿だね。


 笑い終えた彼女は、綺麗な指先を本へと向ける。

 そして画策を楽しむようにして唇を開いた。


「まずは大人しく話を聞くようにさせねばな。このような実力差であれば、多少のズルをしても怒られはせぬじゃろう」

「おや、これは……」


 指差されたそこには、なかなか無骨なものがあった。

 大口径ライフルに目をつけて、一体なにをする気なのかな、我が家の魔導竜さんは。


 それは見てからのお楽しみ、と彼女は瞳を細め、魅力的な笑みを浮かべた。


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