第213話 大学付属の図書館へ③
無精髭を生やした男はため息を吐き、それからイチョウ並木を見上げた。
こんな学生生活を送るはずだったかなぁ。彼女が出来たり、友達を増やしたり、そんな大学生活を送るはずだったのに。夢で溢れていると信じていたのになぁ……などと夢の欠片も無いことを考えながら。
年度の後半、冬学期を迎えたというのにイベントが起きる気配はまるで無い。フラグが折れるどころか、立つ気配さえありはしない。
これじゃあ何のために苦労をして試験勉強をしたのか……という良くある悩みを彼は抱えているようだ。
コン、と隣から音がし、振り向くと缶珈琲が置かれていた。その向こうには、自分とどっこいどっこいのムサ苦しい顔がある。見慣れた一つ上の先輩だ。
「おう、なに銀杏を見て黄昏てんだ。おまえの顔で風流を求めたら、絵的に事案っぽくなるからやめた方が良いぞ」
「なんで木を見ただけで犯罪者になるんですか! 言葉キツすぎません!?」
などと反論をしても先輩はどこ吹く風で、すっとイチョウ並木を指差す。そこには多くの家族連れや若者がおり、秋の風物詩を楽しんでいる。
彼が指差したのは、汗苦しいオタクっぽい集団だった。
「ほれ見ろ、あの汗臭い笑顔のキモデブを。銀杏の匂いと相まって、こっから見ても臭そうだろ?」
「え、ええ、かなりの偏見が入ってますけど、確かに臭いでしょうね。物理的に」
だろ?という目で、今度はこちらを見つめてくる。そのいぶかしむような目に、そして「はああ」という大きなため息に、少しばかり背筋が震えた。恐怖と怒りによって。
しかし、彼の口から出てきたのは文句ではなく、同じ種類のため息だった。
秋というのは生命が消えてゆく季節であり、どこか物悲しい。今の己に足りていないものを求めたのか、彼が見たのはスマホの画面だった。
そこには美しい妖精じみた少女がおり、心を落ち着かせてくれる。これはSNSで見かけて咄嗟に保存をしたものだ。
絹のように光沢のある白い髪、ぱっと振り向いたとき釘付けにされてしまう紫水晶のような瞳には、いくら時が経とうと彼は魅了され続けている。
まさに宝石のようだ。愛くるしく美しく、わずかな笑みを見ただけで頬は緩んでしまう。知的な文学少女という芸術を眺め、ため息は満たされたものへ変わった。
「おー、だいぶ前から噂になってた子か。背景とのギャップが凄すぎてCGじゃないかって言われてたな」
「CGなんかじゃありません、実在します! 彼女がいたから厳しい試験勉強だって乗り越えられたんですから!」
意外と大きな声が出てしまい、互いに少しばかり目を見開いてしまった。
と、そのとき背中から声をかけられた。振り返ると先生がおり、なにやら頼みごとでもありそうだ。
「お前たち、暇ならちょっと手伝ってくれないか。先輩から図書館を案内する約束を受けたんだが、ちょっと大事な用件を忘れていてな」
代わりに昼食をオゴるからという誘いに「メトロっスか?」「新しいバーガー屋が良いっス」などと高度な交渉術を行い、豪華ランチが約束される事になった。
儲けた儲けたなどと達成感に満たされたが、わずか数分後、彼らの脳裏から豪華ランチという言葉は吹き飛んだ。それはもう見事なほど、木っ端微塵に打ち砕かれてしまう。
入学してから初めての……いや、一世一代のイベントを彼らは迎えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「でェッ!?」「フオオオッ!?」
その素っ頓狂な声に、僕らは少しだけ戸惑う。
待ち合わせ場所に現れたのは学生らしき二人組みであり、あわあわスマホ画面とこちらを交互に見ているのだ。
自販機の裏に隠れ、そーっと覗いてくる様子は一体なんだろう。小声で相談し合っているのに興奮しているので……変な表現だけど内緒話のフキダシがギザギザしている感じかな。
袖を引かれ、エルフの少女へ耳を寄せる。すると、こしょりと可愛らしい声で囁かれた。
「ねえ、一廣さん。イチョウ並木はとても綺麗なのに、どうしてあの人達の周囲は薄暗く見えるのかしら?」
不思議そうに小首を傾げているけれど……うん、答えづらいね。世の中にはマリーたちと違って、むさ苦しい人もいるんだよ。
しかし、ちらりと彼のスマホ画面が見え、僕は警戒心を高めてしまう。そこに映っていたのは恐らくマリーであり、国内旅行をしていた時にでも撮られたのでは思う。
いつかこうなるんじゃないかと考えていたが、いざ目の前に現れるとやっぱり困る。
今日は楽しい休日であり、少なくともマリーにだけは嫌な思いをさせたく無い。ウリドラはどうせ気にもしないだろうからね。
ざっと僕は一歩を踏み出す。こういうのは早めにどうにかした方が良い。
そう考え、自販機の裏側でゴショゴショ話す2人へと声をかけた。
「君たち、ちょっと話が……」
「「あのののの、お名前、何と言うのですか!?」」
妙にすばやい動きで、がしりと男2人から手を握られた。
うわあ、手汗が凄い! ぬるっとしたぞ、今!!
「ぼ、僕は、北瀬、です。今日は図書館を見学しに来た所で――」
「違うんです、あの子、あの子の名前……って、えええ! 図書館!? マジですか! マジでイベントが、うあああ来たあああーー!!」
なんだこれ、僕の手を握ったまま、大の男2人が地面をのたうち回っているぞ。ちょっとした合気道的な何かにしか見えない光景で、マリーとウリドラからパチパチ拍手をされてるけど全然違うから。
やはり「気の修行の成果」「東洋の神秘」などという会話は聞こえてくるが、薫子さんだけは「そうかなぁ?」と困ったように首を傾げている。
おひいいぃ!と、不可思議な悲鳴がキャンパスの一角へ響き渡った。
はい、と4人分の身分証を手渡された。
目指す先の図書館は一般開放をしているが、週末は学生たちの為にあると彼らは教えてくれた。
「ええ、ですが先生の計らいで大丈夫らしいっス。お知り合いなんですかね、今日は同伴するだけで良いと聞いてます」
「すみません、お休みのところをわざわざ。先生と主人は同時期に在学していたそうですよ」
薫子さんの説明に、なるほどと彼らは頷いた。
先ほどの奇行に驚いたけれど、彼らはこの有名大学へ通っている学生らしい。後方を歩くマリー、ウリドラへと視線をチラチラ向けるが、近づく勇気は無いのか一定の距離を開けている。
「それで北瀬さん、あの子のお名前はマリアーベルというのは本当ですか? アルファベットのつづりは?」
「お隣のお美しい女性は、どこのモデルの方なんですか?」
というよりも僕との距離が近い。汗の浮いた顔を左右から近づけられると、ほんの少しだけ困ってしまうと分かってくれないかなぁ。
そう思っていると、ぎゅむりと薫子さんは彼らの頬をつねった。
「いけません。あまり詮索をしすぎると、せっかく遊びに来た大学を嫌いになってしまうわ」
「おふぅ、すみません! 以後気をつけます!」
直立不動をする反省の言葉に、にこりと彼女は笑みを浮かべた。
うん、やっぱり薫子さんは大人の女性だな。これだけ柔らかく、相手をたしなめられる人は実は少ない。それでいて良い方向へ導けるのだから、知り合えて良かった女性だと思う。
相槌をうち、ひとつだけ僕もお願いをすることにした。
「うん、出来るだけ普通に接してあげて欲しいな。マリーは繊細な子だから、そうしたほうが喜んでくれると思う。良い友達になりたいんだったらね」
おっと、効果はてきめんだ。彼らは目を真ん丸にして硬直し、それから互いに肩を抱き合う。なにやら「俺たちは出来る!普通に出来る!」「やるぞ!普通だ!」などと聞こえてくるけど、最近の学生は元気で良いね。
そういうわけで先導されるままキャンパスを歩き、並木の途絶えた向こうに大きな建物が現れた。ゴシック調をしたデザインで、石組みのどっしりとした雰囲気に目を奪われる。辺りは洋風の建物に囲まれており、まるで幻想世界へ迷い込んでしまったようだ。
振り返ると、やはりマリーは薄紫色の瞳を大きくさせていた。
確かに驚くだろうね。図書館へ行くつもりが、待っていたのはこんな建物だったら。
入り口の階段を上るとアーチ状の柱が並んでおり、適度に緑で飾られている。以前に聞いた話によると、彼女の知る書庫というのは厳重な扉で守られた場所なのだから、大きなギャップを覚えただろう。
「びっくりした?」
「えっ、だってあんなに大きな……っ! えっ、図書館って、これが図書館なのかしら! 私の住んでいた魔術師ギルドみたいに大きいわ!」
「うん、大きな図書館だね。あの中にはぎっしり本が収まっているのかな?」
そう言うと、たまらず僕の腕に抱きついてくる。気分を高揚させているらしく、体重を感じさせるほどの強さで。
はやくはやくと今度はウリドラを招くので、苦笑しながら魔導竜は腕を預けた。どこか親子のような恰好だけど、今日は休日なのでマリーの好きに過ごすべきだ。
少女を挟んだ向こうから、黒水晶を思わせる瞳がこちらを向く。最近の彼女は、どうやら異国の建築物というものに興味があるらしい。
「時代を感じさせる良い建物じゃな。木とはまた異なる味がある」
「そんな事を言って、実は建築を考えているんじゃないの?」
「ふ、ふ、昔は知の宝庫が沢山あってのう。実に懐かしい。明日から攻略を再開する第三階層は、このような雰囲気にしても面白そうじゃ」
…………ん?
いま何かおかしな言葉を聞いた気がするぞ。とはいえエルフさんから腕を引かれているので、僕は言葉を引っ込める事になった。
アーチをくぐり、扉の前へ。
これは真ちゅう製だろうか。重厚な扉は横に3つほど並び、今は開け放たれている。日本とは思えぬ光景だけど、それはきっと歴史ある大学ならではだろう。
そして一歩踏み入り、周囲はシンと静まり返った。
厚い石により音はさえぎられ、どこか普段とは異なる雰囲気を覚える。目の前の階段には赤じゅうたんが敷かれており、奥へ奥へと誘い込まれてしまいそうだ。
ぱっと少女は振り返った。笑い声が溢れてしまいそうなほど、輝いた表情で。
「素敵! ね、早く上へ行きましょう!」
ぐいと腕を抱かれると、マリーの鼓動まで伝わりそうに思う。
何があるのか分からない所へ向かうのは、きっと誰でも楽しみだろう。それが少女にとって興味のあることなら尚更だ。
学生らの先導してくれるなか、ゆっくり扉は開かれる。
そこに待っていた部屋へ、マリアーベルの瞳は一層輝きを増した。




