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第211話 大学付属の図書館へ①

 しゃこしゃこと歯をみがく。


 隣にはいつものようにエルフさんがおり、彼女の瞳もこちらを向いた。朝日を受けた薄紫色の瞳は輝き、やはりいつものように「宝石のようだ」と僕は思う。


 綿毛のように髪は白く、若さ溢れる素肌に眩しい思いをさせられる。それでいて寝巻きは羊を模したものであり、巻き角をつけているのだから愛くるしい。

 がらがらと彼女は口を洗い、タオルで口元を拭くと、その宝石じみた瞳をまた向けてきた。


「だんだん朝が寒くなってきたわね。この世界の暖房というのは何があるのかしら?」


 こちらも口をすすぎ、手渡されたタオルで拭いてから振り返る。


「都内なら大体はエアコンかガス暖房かな。寒い地方になると色々あるみたいだけど。ちなみに日本はマリーの住んでいた地域よりも寒くなるからね」

「えー。私、寒いのは苦手なの。暖炉の前を独占している人がいたら、どかしたくて仕方ないわ」


 うえーという愛嬌のある顔をされ、思わず笑いながら洗面所を後にする。

 後ろから裾を握られ、瞳の大きな少女からあれやこれやと話題を振られるだけで、こちらも何故か嬉しくなる。今日は休日なので、いつもより彼女のご機嫌は良いらしい。


 リビングに戻ると新聞紙をばさりと広げる女性がいる。

 彼女はちらりと僕らを見て「いつものか」と言いたげにまた瞳を戻す。知的だと褒めたせいか眼鏡というファッションをお気に召し、牛乳たっぷりの珈琲と共に朝日を浴びていた。


「おはよう、ウリドラ。もうお酒の酔いは醒めたかな?」

「あのようなもの、その気になればいつでも解毒できる。酔うというのが楽しくて、ああしているに過ぎぬのじゃ」


 彼女は寒さに強いのか、肩紐つきワンピース風の寝巻きを着ており、綺麗な鎖骨と太ももを見せつけている。とはいえ彼女の場合はパジャマを着ている方が珍しい。

 ん、と空のマグカップを手渡され、当たり前のように僕は受け取った。


 友人が遊びに来てくれた事もエルフの機嫌を上向かせているのかな。隣の席へ腰掛けると、ぶらぶらと少女は足を揺らしだした。


「ウリドラ、猫のときの寒さはどうなのかしら。暖房があったほうが良いと思う?」

「そうじゃな、ふかふかの布団、それと暖かさがあれば尚良い。しかしさほど困ってはおらぬぞ。どこかの寒がりエルフと違うてのう」


 にいと楽しげな笑みを向けられ、エルフは少しだけ頬を膨らます。

 そういえばエルフの森は気候が落ち着いており、冬の寒さもそこまで長くは続かなかったか。

 防寒用の服、それに暖房のことを考えていると、ぴいいとヤカンが鳴り始める。


 火を止めると、ふと思い出すものがあった。


「マリー、そういえば火とかげサラマンダーは暖房に使えたりはしないのかな?」

「え? うーん、難しいわね。あの子は好奇心が強くて危ないの。勝手にのそのそ歩き出してしまうから、今の私では火事の元になりかねないわ」


 う、それは怖いな。

 コンロを見て僕が思い出したのは火とかげのことだった。真夏日にはクラゲのような氷精霊が活躍してくれたので、それと同じように出来ないか聞いてみたのだ。

 しかし少女とウリドラは何か思うところがあるのか、大きな瞳を天井に向けていた。



 昨日は夢の世界で食事を済ませたので、朝食の準備は必要無い。すっきりとした目覚めを楽しむべく、紅茶を用意するだけで良いだろう。


 そう考えると、夢の世界は食費としてもプラスの効果が出てきた気もするな。ウリドラはともかく我が家のエルフさんは働き者なので、実は家計的にも生活的にも助けられている。


 紅茶を淹れて振り返ると、彼女たちは今日の服装について相談をし合っており、まるで仲の良い姉妹のようだなと僕は思う。


「みんな、今日はお出かけをするから、秋のファッションは早めに決めるんだよ」

「はーーい」


 笑い混じりの声を返されて、つられるよう僕の頬も緩む。エルフと竜がまったく同じ表情で返事をしてきたら、誰でもきっとこんな顔をしてしまう。


 そのように、僕らの休日は始まったわけだ。




 一人の男性が、うーんと唸りながら車を覗いていた。

 彼は同じマンションに住む男性であり、一条夫妻の旦那さんだ。


 肥満寄りの体型からは、とても夢の世界で見た者と同一人物とは思いづらい。などと今更ながらに驚かされる。

 身体をこちらへ向けると人好きのする笑みを浮かべてきた。


「今まで興味も無かったけど、自動車があるのは羨ましい」

「経済的には微妙なんですけどね。マリーたちが来る前は売ろうかと悩んでいましたから」


 だよねぇ、という表情を徹さんは浮かべた。

 都内というのは交通の便も良いし、車を持つ必要はあまり無い。そのぶん家賃は高めに設定されているので、維持費は馬鹿にできないわけだ。


 ちょうどその頃、マンションから女性たちが出てきた。

 ひらひらと手を振る少女の後ろには、秋らしい服装に身を包んだ薫子さんもおり、気恥ずかしそうにこちらを見ていた。


 いつもより若々しく見えるのは、たぶんウリドラの仕業だろう。彼女は日に日にファッション性を磨いており、いかに女性の魅力を引き出すかという遊びをしている。

 それを眩しげに見る徹さんは、しみじみと漏らした。


「私にも分かるよ。あれだけ可愛い子たちがいたら、あちこち車で連れて行きたくなる」

「ですよね。だから節約してでも車は残そうと思いまして」


 それが良いよと助言をされ、僕は半妖精エルフを出迎えるべく助手席を開く。とんとブーツを鳴らした少女は、花の刺繍入りカーディガンから落ち着いた色のスカートを覗かせていた。

 エルフとしての神秘性を見せつけられ、僕のみならず徹さんまで頭をクラリとさせてしまう。


「おまたせ、一廣かずひろさん。お早うございます、徹さん」


 綺麗な声で挨拶をされ、やっぱりこの破壊力は凄いねと彼から視線を向けられた。

 まあ、この少女にとっては一介の社会人なんてイチコロですよ。きっとマリーもそれを分かっており、宝石のような愛くるしい瞳でじっと見つめてくるのだ。


 いやぁー、羨ましい。車があって羨ましい。そう言いたげに徹さんはかぶりを振るけれど、この車は譲りませんからね。

 男同士となると、無言でもそんな会話を出来るものだ。


「ほら、はやく行きましょう。今日は調べることが沢山あるのよ」


 じれたようエルフから腕を掴まれたので、助手席へ案内をすることにした。華奢な指先をつまみ、静かに腰を下ろしてもらう。


 彼女の「調べる」という言葉の通り、今日は大学付属の図書館を目的地にしている。それと宿の世話になったウリドラにはラーメンを約束しているので、自然と彼女も上機嫌の様子だ。


 はやくはやくと少女の顔は命じており、うながされるまま運転席へと向かいかける。と、その途中でバツの悪そうな顔を徹さんから向けられた。


「済まないね、案内をすると言っておきながら仕事があって。その代わり、図書館の後輩には連絡しておいたから、休館日でもちゃんと案内をしてくれる」

「わざわざ手配して頂いてありがとうございます。ただ仕事はもう少し減らしたほうが良いと思いますよ」


 まったくだと笑われた。

 家に仕事を持ち帰るのは大変だけど、そこが公務員の痛いところだろうね。払われる給料は税金なので、残業代も規定の範囲内しか認められていない。


 とっくにそんな生活へ慣れているのか、薫子さんは彼に笑いかけてきた。

 ただし、僕らの目を覚ますような言葉も一緒だったけれど。


「それで今夜から私、北瀬さんと寝ても大丈夫ですか?」


 ぶうと僕らは揃って吹き出した。

 誤解されかねない――いや確実にするだろう台詞に、いやいやいやと首を横へ振る。

 以前は同じようなことを口にした徹さんだけど、離婚間際まで追い詰められ、よほど懲りたようだ。いや、懲りてもらわないと僕が困る。


「だ、だめですか……せっかく素敵な世界を教えてもらったのに……」

「いや、寝るのはもちろん構わないが――北瀬君、本当に大丈夫だよね? 意味を分かっているよね?」

「も、もちろんですよ! ただ寝るだけです。それ以外なんてあり得ません」


 ちらりと彼は助手席のマリーを見て、ようやく安心してくれたようだ。僕の言葉なんかより、不思議そうに小首を傾げるマリーの方が信頼されているのは複雑な心境だよ。

 おかしいな、いくら思い返しても睡眠以外の記憶は無いというのに……。


 やや疲れた表情の僕らと異なり、手をタッチし合って女性陣は喜んでいた。

 夢の世界を楽しみにしてくれるのは素直に嬉しい。ただ、もうすこし後ろ指を差されない言葉を選んでくれると助かるんだけど。


 まあ、明るい表情の彼女たちを見たら、そんな小さな悩みは吹き飛んでしまうか。今日は秋にしては良い天気であり、絶好の図書館めぐりをする日なのだ。


「そろそろ行こうか、みんな。徹さんも仕事が終わったら連絡してくださいね」

「ああ、行ってらっしゃい」


 それぞれ座席に腰を下ろし、シートベルトをつけながら彼に手を振る。このときばかりは「仕事を減らさないとな」という表情を徹さんは浮かべていた。


 ドアを閉め、エンジンをかけると僕の車はのろのろと走り始める。いつの間にやら街路樹のイチョウ並木は、綺麗に黄色く色づいていた。


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時間戻ってまだ秋で、クリスマスの火とかげストーブはこれから創るのか。
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