【番外編】エルフと竜とバレンタイン①
本日はバレンタインデー、な番外編です。
下町の雰囲気を残す商店街。
窓の外を流れる景色は、もう何度と無く歩いた場所だ。
もう冬だというのに、バスの空気は暖かい。後部座席の窓際という、とても良い席を陣取っている少女、そして黒髪の女性らは内緒話をするよう顔を寄せ合っていた。
「ほら、あちこちでハート型の飾りを見るでしょう。あれはバレンタインデーというの物なのよ、ウリドラ」
「ふむふむ、また新しいイベントじゃな。それで、どうして今日は珍しくバスに乗っておる」
んふ、と楽しそうに少女は微笑む。
頭にかぶった赤いベレー帽からは、三つ編みにした白い髪を垂らしている。その飾り気のない純朴さで薄紫色の瞳を細めると、周囲の者にとって見とれてしまうほどの魅力を生む。
おしゃべりをしていた主婦らも言葉を失うなか、綺麗な声で少女は説明をする。
「私の好きな人にあげたいの。きっと一廣さんは忘れているだろうから、会社から帰ったら驚いてくれるわ」
その言葉に、ウリドラはしばし目を丸くする。
恥ずかしげも無く「好きな人」という言葉を使ったエルフに、なぜか少しだけ成長を感じたのだ。以前であれば、どもりつつ顔を赤くしていたというのに。
臆面もなくそう言われると毒気は抜かれてしまう。呆れに似た息を吐き、それからコツンと額を当てた。
「ふ、ふ、いつも子供のようじゃと思うていたがのう。その余裕をいつの間に得たのか気になる所じゃ。ふーむ、好きな人か。良い響きである」
「やだちょっと、大きな声で言わないで頂戴! 内緒にしたいから小声で伝えていたのに」
急に慌てた表情をされ、やっぱりなとウリドラは笑った。
しっかり者で生真面目ではあるし、魔導の素質は十分以上に備わっている。しかしこのような色恋沙汰などは、百年を生きてきた少女にとってまだほんの一年足らずだ。
頬を赤くさせ、ぷいと顔を背ける愛らしさにウリドラはくすぐったい思いをしてしまう。
バスはゆったりと駅前ロータリーに入り、終点であることを告げてくれた。
駅にあるデパートは、高級品から一般品まで多くの品揃えがある。食料品、家電はもとより、衣服も菓子もここで揃う。
バレンタインデーというのはチョコレートを贈るものらしい。
その程度の知識でやって来たが、催し場へたどり着いた二人はしばし凍りつく。そこにはずらりとブランドごとの箱が並んでおり、ピンク色をした紙や風船などで飾られていた。
その賑やかな華々しさは、家を出るときに予想もしていなかった。
「わ! びっくりした、これが全部チョコレートなのかしら!?」
ぐいと肘を引かれたウリドラも驚いており、すぐには返答できない。色とりどりの包装紙、それに可愛らしいキャラクターまで扱われている。これほどの商品が全て、同じチョコレートであるとは思いづらい。
「ふむ、しかし高級品というのは一目で分かるようになっておるな。あそこのガラスの中に収められているのは、他よりもきっと良い品じゃろう」
指差すと、少女の瞳はもう少し丸くなる。
どこの世界の商店でも、贈り物のランクが伝わるようになっている。手前は賑やかに並べ、奥へ向かうほど製品数は減ってゆく。その空間を使い、高級感を醸し出す。
互いに興味を持ったらしく、エルフから肘を引かれるまま高級ブランドへと向かった。
チョコレートというのは一般的な菓子だと二人は考えている。スーパーでもどこでも扱われており、せいぜい二百円程度で買えるものだと。
しかし、ガラスケースの中に収められているものはまるで異なる。黒や金を使った箱は高級感に溢れており、わずか数粒しか入っていない。
「見て見て、この値段……!」
「むう! 信じられぬ、これ一粒で夕飯が食えるとは!」
これだけ少ないと、あっという間に食べ終えてしまうだろう。しかしそれだけに、幻想世界からやって来た彼女らは味がとても気になる。
食べてみたい……けれどお小遣いを管理するマリーにとっては非常に苦しい。買えない額では無いが、無駄使いかどうかさえ分からないのだ。
「ぐうう、気になる、気になるのう。どんな味をするのか気になるのう」
「困ったわね、私も食べたくて仕方ないわ。この世界のチョコレートは甘くて美味しくて、紅茶にも珈琲にも合うからずるいと思うの」
こくりとウリドラも頷いた。
互いに唇を真横に引き、とても悔しそうな顔をする。最初から分かっていたのだ、この金額ではとても買えない事を。
「あの、何かお困りでしょうか?」
黙りこくる二人へ、やや戸惑いつつ店員さんは話しかけてきた。日本語を使っていたので、思い切って声をかけたのだろう。
しかし見上げたマリアーベルは、小さく溜息を吐く。この国では基本的に価格交渉をしていない。もしあるとしたら遅い時間の惣菜売り場くらいだ。
そう思っていると、何かを察したらしい女性店員は、小さな包みを見せてくる。
「お悩みでしたら、こちらの試供品は如何ですか。バレンタインデーだけのオリジナルなんです」
ぱちんと瞳は大きくなる。薄紫色、そして黒曜石じみた瞳をすぐ近くで見た女性は、あてられたよう頬を赤く染めた。同性でありながらドキっとするほど綺麗な色なのだ。
試供品の包装紙を手渡したときの表情など、きっと長いこと忘れる事はできないだろう。喜んでくれた様子を思い出し、何度もその店員は溜息を漏らしてしまった。
さて、場所を移して喫茶店である。
デパートにはこのような店もあり、比較的安価に楽しめる。普段であれば買い物を終えた後の楽しみなのだが、今日ばかりは様子が異なる。
丸テーブルには暖かい紅茶と珈琲のカップがあり、その隣には例の包装紙、高級チョコレートが置かれていた。
金の縞模様で飾られ、特別の品らしくバレンタインデーを表す刻印が刻まれている。
「むむむ、思いがけず高級品を手に入れてしまったわ」
「あの店員も人が良いのう。お金を出さずともタダで配るとは」
もちろん二人は商売というものをあまり詳しく知らない。勉学一辺倒だったエルフと、人里を知らずに過ごした魔導竜だ。海老で鯛を釣るという、昔ながらの商売方法をこれから知る事になる。
紙を破かないよう丁寧に開き、現れたのはやはりこげ茶色をしたチョコレートだった。わずかに漂う香りは甘く、気のせいか普段よりも高級さを感じ取れる。
むむむ、という口をそれぞれしており、それから上目遣いで視線を交わす。言葉にせずとも「食べるわよ」「う、うむ!」という意思疎通をしていた。
そして竜はひと思いにパクリと食べ、エルフは半分ほど齧る。
すぐに分かるのは味の濃さだろう。カカオ成分が多く、そして風味を生み出すカカオバターの量が普段とはまるで異なる。
噛むのは少しもったいない。
舐めているうち、じわじわ味は濃くなるものだ。
思い出したよう紅茶を口に含むと、舌の上でとろりと溶ける。香りある紅茶に、上品な甘さとカカオの味わいがとろけ、その濃厚さに女性らは瞳を細めた。
昼間とはいえ、今日はやや冷える。
しかし店内の暖かい空気だけでなく、ジンと身体に染みるような甘さを感じられた。たぶんチョコレートというのは冬にこそ楽しめる品なのだろう。
「ンーー、美味しいーーっ! お茶にぴったり合うわね!」
「うむ! 上品な甘さがちょうど良い! しかし量が流石に少ないのう、たったの一口で溶けてしまう」
ウリドラはまた珈琲を飲むが、先ほどのような味わいには程遠い。人によってカカオの濃さに抵抗を覚えるらしい。しかし、二人にとっては極上の甘さとして感じ取れた。
――もうちょっとだけ食べたい。
そう感じてしまうのも仕方ない。
海老で鯛を釣ろうという作戦であり、慣れていない二人はまんまと乗せられたのだ。
しかし幸いなのか不幸であるか、お小遣いの上限を超えているのだから……非常にやるせない。
この後、たびたびウリドラから購入を求められたのだが、エルフさんは眉をハの字にして頑として拒み続けた。
最後には「もう言わないで!」と泣きそうな顔をされ、とうとうウリドラも折れた。ぽっきりと心が折れた。
商売人も、ついにエルフさんの財布の紐を緩めることは出来なかった。
しかし何も買わずに帰ってきたわけでは無い。
家に戻ってきたエルフの手には買い物袋があり、順にまな板へ並べてゆく。
しげしげと覗き込むウリドラの前には、やや不恰好な板状のものがあった。
「ふむ、茶色い、板……? これは何じゃ、マリー」
「調理用のチョコレートよ。高級品は無理だから、安くて美味しいチョコレートを作ろうと思うの」
そう得意げな顔をされ、ウリドラは心の中でホッとする。先ほどは泣きそうな顔にさせてしまい、少しばかり心苦しかったのだ。
てっきりバレンタインデーを諦めたと思っていたが、少女には秘策があるらしい。
「出かける前に作り方を調べておいたの。美味しく出来たかどうか、あなたには特別に味見をさせてあげましょう」
「うむ、それにあやかろう。北瀬よりも先に食せるとは、役得と言うほかあるまい」
エプロンを身に着けてゆくエルフへそう答えると、期待しないでと笑われた。
いつの間にやら料理姿も似合うようになり、日に日に女性らしくなってゆく。冬とはいえ部屋は暖かく、調理場の近くへ椅子を置いたウリドラは、眠気を覚えながら調理を見守る。
板チョコを細かく刻み、生クリームを沸騰直前まで温め、そして良く溶かす。ぐるぐるとかき混ぜ、どこかで嗅いだ匂いだなとウリドラは思う。
「うむ、北瀬と同じ香りがする。甘い匂いは普段と異なるが、おぬしらは同じ香りを出せるようじゃな」
褒め言葉なのか何なのか。ふと思いつき、それを言葉にしたに過ぎない。しかしエルフはまんざらでも無いようで、何も答えず笑みだけを返してくれた。
その笑みも似ていると、たぶん本人達だけは気づいていないだろう。
溶けたチョコは氷水で冷やされ、それを程よい大きさへと分けてゆく。初めての菓子調理という事でぎこちないが、大きさや形はなかなかのものだ。
これを冷蔵庫で冷やし、丸く整えると、程よい柔らかなチョコレートになるらしい。
「トリュフと言うらしいわ。お手軽で安いから、家で作る人も多いみたい」
冷蔵庫へとしまいながら、エルフは説明をしてくれた。それを聴きながらウリドラは本を閉じる。あまり読まない小説とやらも、こうして少女のそばにいるとなかなかに楽しめた。
「しかし、普段から黒猫として近くにおるが、生身で来てもあまり変わらぬな」
「え、だってウリドラはウリドラでしょう? どちらも好きよ、私は」
エルフとの距離感も会話も、いつもとまるで変わらない。そういう意味で伝えたが、こちらを見る綺麗な笑みに胸が温かくなる思いをウリドラはした。
バレンタインデーというのは、なかなか良いイベントだ。ひっそりとウリドラはそう思った。




