第21話 エルフさんへのお弁当
ちゅんちゅんっ、ちゅんっ。
元気なスズメの鳴く声を聞きながら、今日も僕はゆっくりと目を開く。
カーテン越しに太陽が注ぎ、布団を気持ちよく暖めてくれる。そのような春ならではの心地よい目覚めだった。
視界には寝息を立てる一人の少女が広がる。
とても柔らかそうな唇を少しだけ開かせ、すうすうと心地よい寝息が聞こえてくる。
まつげが長いなぁ、顔が小さなぁ、などと見とれていたら、ゆっくりと彼女の瞳も開いてゆく。
彼女が瞳を開かせる光景というのは、いつも思うがまるで花が咲くように思える。
アメシスト色の瞳は美しく、澄んだ色がすぐ目の前で生まれる。陶然とした思いで見つめていると、少女の瞳は僕のものと交差した。
どうやら額を合わせた格好で寝ていたらしく、彼女が「おはよう」と言いかけると唇までもが触れてしまいそうになった。彼女は頬をかあっと染めて、少しだけ僕らは顔を離す。
「おはよう、カズヒホ」
「うん、おはようマリー」
布団のなか、僕の太もものあたりにエルフの脚が巻きついていたのだが、それが離れてゆくとなんとなく残念な気持ちになる。
とはいえ時計を見ればもう7時を回っている。体温が離れてゆくことに名残惜しさを覚えつつ、互いにゆっくりと起き上がった。
さて、僕らの朝食はたいてい軽めにしている。
朝の準備はトーストなどで十分なのだが、これから僕は出勤をしてしまう。なのでマリー用の昼食を別に用意しないといけない。
普通の家庭なら夜の分を昼に回せばいいんだけど、僕らは夢の世界でお弁当としていただいてしまうからね。
今までは近所のお店で適当に食べていたけど、これからは共同生活になる。そのため手軽に済む昼食を現在は模索中だ。
冷蔵庫をがぱっと開くと、その試みの一つとしてヨーグルト漬けの鶏もも肉が出てくる。
ジップ式の袋というのは本当に便利だよね。この中にはすりおろしたタマネギやバジル、あとはその場にある物を適当に入れている。あとでオーブンを使うから、匂いの強い野菜なら大体合うんじゃないかな。
「ええと、お昼になったらこれをオーブンで温めて欲しいんだ。使い方を説明するね」
「オーブンなんて少し緊張するわね。……ふうん、ああ、それで済むの? てっきり火を起こすかと思ったら……あなたの世界はたいていボタンで済んでしまうのね」
などとパジャマ姿でオーブンレンジを覗き込み、彼女はあっという間に覚えてしまう。
頼もしいことにエルフであり精霊魔術師である彼女は、オーブンの操作くらいは朝飯前らしい。とはいえ白く綺麗な髪にはすこしだけ寝癖がついており、本人の知らぬ間に愛嬌を見せている。
「まあ、僕は会社でキーボードというボタンを、それこそ一日中押しているからね。えーと、あとはこっちの野菜も四角い皿に乗せて、20分ほど焼くんだよ」
ついでに熱いものを取る手袋、そしてパンの場所なども教える。
そんな事をしているうちにトーストも焼けたので、ベーコンと目玉焼きを乗せてテーブルへと移動することになった。
定番ではあるけれど、この組み合わせはやっぱり強いよね。
だけど少女は目玉焼きをこぼさないよう、どうにか噛みつこうと苦労をしていた。マリーは口が小さいから、ガブリと噛むのが苦手なのかもしれない。
「黄身はこぼしてからパンに付けて食べると良いよ。どうせ二人なんだしお行儀は気にしないで」
その言葉に彼女は少しだけ悩み、それから口を大きく開いてがぶりと噛み付いた。もぐもぐと咀嚼をし、瞳を少しだけ大きくさせる。
「あら、これ美味しいわねぇ。朝からベーコンだなんて贅沢だと思うけど……んーっ、パンは香ばしくてサクサクだし、このとろっとした卵がたまらないっ」
「ああ、そういえば向こうでは大体2食が多いのか。昼前と夜だもんね、普通は」
頬ばりながら、こくこくと長耳を揺らしてマリーはうなずいてくる。口の端に黄味が少しだけ垂れているのは、子供のようで可愛らしい。
水をごくんと飲んでから彼女は口を開いた。
「それにしても地下迷宮を探し当てるだなんて驚いたわ。アリライ国も特例として、第一発見者である私たちに攻略許可を出したのでしょう?」
「うん、そうだって役人から聞いたよ。だからマリーは他国の魔術師であっても行けるんだって」
ふうん、と呟いて薄紫色の瞳を天井に向け、なにやら思案しているようだ。
魔術師というのは古代の技術を再現することを命題としている。各国で競い合っている状況なので、古代迷宮への参加には「自国の者のみ」という制限が課されるものだ。
しかし第一発見者であればその制限は取り払われる。そのような旨味がなければ探索者が途絶えてしまい、国にとっても人にとっても損に繋がるからだ。
「僕もついてるしマリーならきっと大丈夫だと思うよ。それに僕らはとても有利じゃない」
「有利? ええと、死んでも平気という事かしら?」
「うーん、そこはまたちょっと違うかな。ほら、普通の迷宮探索であれば、眠っているときの見張りや食事の準備も大変だよね。だけど僕らは……」
あっ!と少女は大きな声をあげた。
そうそう、そうなのだ。普通なら最低でも1週間分の食料などが必要なのに、僕らは手ぶらで遊びに行ける。
それに先ほど彼女が言ったとおり、もし倒されてもまた次から同じところに復活するので、じわじわと進めて遊ぶこともできる。
しかし一つだけ課題がある。
なぜかは知らないが、僕は夢の世界と日本を移動することができる。
これは基本的には睡眠をすることで互いの世界を行き来するもので、場合によっては死亡して送り返される事もある。しかし対象は僕、あるいは僕に抱きついた人だけに限定されている。
つまりはマリーの身の安全は、完全には守られていないということになる。
そのことに気づいたのは、前回の賊と戦ったときのことだ。彼女を人質にしようと賊は動き、僕はまんまと罠にハメられた苦い思い出がある。
これについては後で時間をかけて対策を考えたいところだ。
「いいじゃない! ずるいわ、今までそんな遊び方をしていただなんて。だからそんなにレベルが高いのね」
「ああ、そうかもしれない。今まで危ない場所でも気にせずに向かっていたからね。ただ迷宮みたいに狭い場所だとパーティーを組まないといけないから、前みたいなズルはできないかな」
ズルというのは、パーティーを組まずに僕が敵を瀕死にし、彼女がとどめを刺すという方法のことだ。つい先日、戦線離脱を活用することで、彼女のレベルを一気に5つほど上昇させている。
「そちらのほうが良いわ。あれはどうも私の良心が痛んでしまうもの。それにお話をしながらのほうがきっと楽しいと思う。ふふっ、すこしワクワクしてきたわ」
「ならそうしようか。マリーも経験値アップのスキルをつけたし、だいぶ上がりやすくなっていると思うからね」
とても楽しみらしく、エルフはにっこりと微笑んだ。
最後のひとかけを口へと放り込み、そして汚れた手をティッシュで拭きながら彼女は唇を開く。
「それと魔術ギルドへの報告も必要ね。どうやらあの地下迷宮は高レベル向けのようだし、私の位では本来なら参加できないの」
ふむふむ?
どうやら彼女の説明によると、高レベルの迷宮を探索するには「上級魔導師」の認定が必要らしい。危険な迷宮で命を落とさないよう、組合は彼女の身の安全を優先しているそうだ。
まあ、僕はどこにも所属していないから気楽なものだけど、彼女は精霊魔術師というたいそう特殊な職業だから無理はさせられないよね。
「本来ならっていうことは、何か特例でもあるのかな?」
「ええ、もちろん。ほら、他国の遺跡を発掘できる機会なんてあまり無いでしょう。何がなんでも古代の知識を得たいと組合は考えているの。だから過去にはいくつも特例があったわ」
その条件のひとつが「同行者が頼れる者かどうか」という事らしい。あるいは「代理人を立てる」というケースもあり、これが最もよく選択されているそうだ。
「えっ、マリーの代理人と行くのはちょっと……。だったら僕も行かないかな」
「そうねぇ、私も嫌だけれど上の決定があったら逆らえないわ。だから今夜は一緒に魔術師ギルドへ行きましょう」
うっ、それも少し嫌かな。
魔術師ギルドなんて行ったことは無いけど、聞いている限りは人間関係が面倒そうだし、どこかエリート集団みたいな印象だからさ……。けどまあ、仕方ないか……。
「というよりあなたは人里にもほとんど寄らないじゃない。良い機会だからその社交性を私が鍛えなおしてあげるわ」
「僕、これでも社会人なんだけどね……。あっと、もうこんな時間か」
おかしいな、マリーの人嫌いはエルフの中でも有名だったはずなのに……。
壁の時計を見上げると、既に身支度をする時刻だ。がたりと席を立ち、あわただしく準備をする。
着替えていると背後からマリーの声が響いた。
「私は日本語の勉強と、それにこの世界でも精霊と通じ合えないか試しているわ。洗い物と洗濯はしておくから、あなたもお仕事がんばってね」
などと言われると、まるで美人の奥さんを持ったような気になるな。と言っても外見上は大人と少女という差があるので、兄妹のほうが近いかもしれない。
などと考えながら身支度を済ませ、最後に家の鍵を手渡して僕らは玄関に立つ。
「じゃあ行ってくるね。何かあった時のために、近いうちに連絡をつけれるようにするから」
そう言いながら振り返ると……もう彼女にとって癖になっているのだろうか。エルフは少しだけ寂しそうな顔をし、華奢な身体で抱きついてくる。
いや、僕にとってもそうかもしれない。互いに背中へと手を回し、そして体温を交わすことが当たり前になりつつある。
「行ってらっしゃい、頑張ってね」
などと耳元に囁かれれば、男として嬉しい気持ちになってしまう。
まあ、僕らはずっとこうしてきたからね。そのためなら仕事の一つや二つ、頑張って稼いで来ようという気力が沸いてくるものさ。
カーテン越しに注がれる朝の光のなか、彼女はにっこりと笑い、手を振っていた。
ああ、ちなみに昼食の味はというと、部屋に一人きりだというのに「んーーっ、美味しいぃっ!」と彼女は大声をあげてくれたらしい。




