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第204話 夫婦喧嘩の仲直り

各国の配置を活動報告に掲載いたしました

「わ、あーー…………」


 朝日に輝く障子に向け、少女は手のひらをかざしていた。


 そのまま上半身を起こすと、布団は素肌を滑り落ちる。ほっそりとした体つき、なだらかな鎖骨を少女は見下ろし、あまりの変わりように羞恥心よりも先に瞳は見開かれてゆく。

 陽に当たり、瞳の黒色はやや薄まり藍色に近づいた。


 瑞々しい身体は、もうずっと昔に忘れていたものだ。

 羨むくらい輝くような肌は、決して取り戻せないはずだったもの。このような事は、夢でなければ叶わない。


 そう、これは夢なのだ。

 ただし、とびきり現実味のある夢であり、期待に胸がドクドクと脈打ち始めるような夢。


 溢れる好奇心を抑えられず、少女は障子へと這って進む。わずかに開くと陽光は畳に広がり、そうっと外を眺めた。


 よく手入れをされた素朴な庭が広がり、遠くには庭師らしきリザードマンが道具を片手に歩いている。

 話し相手は猫耳をつけたメイド姿の女性で、互いの尻尾は機嫌良さそうに揺れていた。


 日本とまるで異なる光景だ。

 溢れるような緑色、そして道を飾るように小さな花たちが群生している。空は見たこと無いくらいに青く、ずっと向こうには鬱蒼とした森が広がっていた。


 何かの感情に身体をぶるぶると震わせながら、ああ、と彼女は溜息を漏らす。


 このような物は、ほんの一目で分かる。

 日本には決して存在しない光景であり、本物の幻想世界なのだと。


 興奮をして、いくら胸をドキドキさせても夢が目覚めてしまう事は決してない。ここは夢の世界であり、そしてまた「冒険」という行為を楽しめる場所なのだ。



 飽きもせず景色を眺める少女に、布団で寝そべる少年はわずかに微笑む。マナーとして視線を向けることは出来ないが、耳には歓声混じりの溜息が聞こえてくる。


 それは冒険を愛する彼にとって、とても共感できる感情だ。

 まったく知らない未知の世界、まったく知らない文化。輝かしいそれらに触れて少女――薫子は、溜息を漏らし続けた。



 年齢は中学生くらいだろうか。

 黒髪を肩より上の辺りで刈りそろえており、片方の耳を露にさせている。おっとりとした顔つきの彼女は、幼い身に変わると小顔がより強調され、髪の毛の割合は増す。


 その彼女へ向け、前もってこの世界に来ていた青年が話しかけてきた。


「どうやら無事にたどり着けたようだね、薫子」


 肌を隠すため肩へそっと浴衣をかけた男性は、安堵混じりの笑みをこぼす。意思の強そうな彼の顔つきは柔和なものへ変わり、少女は裸であることも忘れてしまう。


 ぽかんと見上げることしばし。

 それから素っ頓狂な声をあげた


「えーーーーっ! 徹さん!? え、えっ、学生アルバムと同じ顔が動いてる!!」

「あー、それは私のセリフだ。いや、うん、もちろん好きに触ってくれて構わないが」


 身体を隠すよりも先に、ぺたぺたと顔をまさぐられて徹――いや、この世界ではトオルか――は、まんざらでもない顔をした。


「かっこいい、かっこいい! 本当にもう別人みたいですトオルさん!」

「あ、ああ……そこまで醜かったのか、私は」


 気がつけば髪までいじられており、どうやら当時の髪型を再現しようとしているらしい。


 青年は戸惑いつつも浴衣を着せてやる。まるで学生当時の甲斐甲斐しい関係に戻ったようで、その懐かしさに互いの頬は緩む。

 着衣と髪型、ひとしきり互いに満足をすると歯を見せて笑いあった。


「どうだ、本当だったろう。これでようやく夫婦喧嘩はおしまいだな」

「ええ、驚きました! ずっと怪しい誘いだと疑っていてごめんなさい、トオル先輩」


 薫子は学生当時に習って敬語へ戻したようだ。青年にとっては違和感よりも懐かしさが勝り、こくりと小さく頷く。


 それから思い出したよう寝室に視線を戻し、この世界への案内人である少年へ声をかけた。


「北瀬君、もう起きてくれて構わないよ」

「ええ、分かりました。いや本当に…………大変でしたね」

「色々と迷惑をかけて済まない。この埋め合わせは必ずする!」


 エルフと共に身体を起こしつつ、北瀬と呼ばれた少年は眠そうな顔でボヤいた。


 そう、ここまでの道のりはとても長いものだった。


 喫茶店で行われた衝撃的な告白のあと。

 人目に触れる場所では真実を伝えられないため、まずは一条夫妻のマンションへと場所を変えた。あらぬ誤解により薫子は泣き崩れていたので、移動をするだけでも大変だった。


 それから何時間かけて説明をしただろう。


 夢のなかに異なる世界があるのだとトオルは力説し、しかしまるで信じない薫子はずっと顔を背けるままだった。

 口を開いたと思えば「汚らしい」「不潔」などという否定の言葉であり、みるみるトオルは憔悴してゆく。


 助け舟を出そうと北瀬が近づくと、悲鳴をあげながら後ずさりをされてしまうので……彼がやつれるのもすぐだった。どうやら女性からの非難や拒絶というものを北瀬は大の苦手としているらしい。


 唯一、まともに話せるのはマリーだけではあるものの、少々天然が入っているため状況はなかなか好転しない。

 例えば、こんなやり取りがあった。


「ぐすっ……マリーちゃん、徹さんと寝たのです?」

「え、どうして私が寝るのかしら? もちろん彼と寝たのは一廣(かずひろ)さんだけよ」


 わっと薫子さんは泣き崩れ、その様子にマリーの綺麗な眉は「理解できない」という風に歪む。


 いやいやいや!と北瀬は誤りというか、無意識の隠語を正そうとするも、既に好感度が地の底まで沈んでいるため難しい。


 ずーん、と男二人が落ち込んでいると、ようやく重要なことを思い出す。マリーの耳隠しを解くことで、半妖精エルフ族の証拠たる長耳を示せると気づいたのだ。


 その幻想的であり美しい姿を見て、薫子は瞳を見開いた。

 涙は引っ込み、ようやくにして反撃ののろしは上がる。


 これこそが動かぬ証拠であると力説し、驚いて声も出ない彼女はコクコク頷く。そして畳み掛けるよう彼女の前で北瀬、そして徹が睡眠して見せたのが決定的だった。


 身体ごとベッドから消えてしまう光景に、ようやくにして超現象というものを信じてもらえたのだ。



 ――長かった。


 多大な時間と労力を要した説得はようやくにして実り、北瀬、そして徹はがっしりと握手を交わす。やったことはただの睡眠だが、この時の満足感はすさまじかった。


 幻想世界にはしゃぐ薫子はというと、彼らを気にする事なく嬉々として初期設定画面に触れていた。


 ちなみに彼女の登録名は「香織子(かおるこ)」に決まり、漢字も使えたのかと二人の度肝を抜く。


 その後に「カズヒホ」という名前を爆笑されるのだが、笑い話で済んで良かったと北瀬も安堵の溜息を吐いた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 さて、一方の戦争はやや膠着しつつある。

 もちろんそれはアリライ国からの視点であり、彼ら魔族の思惑は分からない。


 砂漠は広大であり、投入された双方の兵数もまた多い。

 最前線に位置するのは横並びにある三つの砦だ。相互に兵をやり取りすることで膠着(こうちゃく)した戦線をアリライ国は生み出す。


 これにより最適な状況で兵を投入すれば、被害量はゲドヴァー国側へ傾いてくれるだろう。

 しかし、この砂色の川沿いに物資を運ぶ兵たちはというと、まだ戦争というのは遠い世界だと感じてた。


 戦線ははるか先、それもまだ小さな争いしか起きていない。

 砂地に適した動物に荷を引かせ、今ある悩みといえば頭に布を巻いてやりすごしている熱射くらいだ。


「あづーー、俺たちを干からびさせる気かよ、アリライは」

「しょうがねえだろ、俺らは下級なんだからよ。いいから働けって。夕暮れまでに着かないと、ほんとに干からびるぞ」


 皮製の防具も砂色をしており、なるべく日差しの熱を受けないようにしている。文句を言う青年は、近くの農家から寄せ集められたばかりで剣もまともに扱えない。

 そのため運搬の仕事をしているのだが、それでも恵まれている方だと思える。


 戦線から遠く離れ、まだ戦争というものを分からずに済んでいる。食料や水は豊富であり、だからこそ暑さにばかり文句を言う。


 ボヤく青年を見かね、体格の良い男性が声をかけた。


「暑い暑いばっか言うなって。俺ンとこは塩田があるから、暑さはこんなもんじゃねえぞ。ずっと塩を作ってんだからな」

「おお、塩の泥から作るやつか。儲かるだろうに、それが何で戦争に出されてんだ?」


 その問いに「ここより安全な場所は無いからだ」と男は答え、周囲はつられるように笑った。


 戦のことは分からないが、荷を運ぶだけでいつか自由になれる。そういう意味でも確かに恵まれているだろう。川沿いの道も、気候として落ち着いており、水に苦しむことも無い。


「オアシスのウジャーピーク遺跡あたりなんて最悪だぞ。旧世代の砦しか無いせいで守備どころか駐留にも向いてない。奥に逃げたら、今度は古代迷宮の魔物に食われちまう」

「捨てちまえばいいのにな、そんな古い遺跡。財宝はもう十分とっただろ?」


 しかしその否定的な言葉に、周囲の者達は首を横に振る。

 たったひとつ、大きな問題があるのだ。


「補給路も死ぬから、守り切るのは絶対に無理だろうな。だが、それでも時間稼ぎをしなきゃマズい。ほら、古代迷宮にある魔石を敵が握ったら……分かるだろ?」

「え!! あ、そういう事か! じゃあ何だ、そいつらは死ぬ前提で時間稼ぎすんのか?」


 その問いかけには静寂だけが返り、男は「マジかよ」とうめく。

 もしも己がそんな場所に配置をされていたら、暑さに文句を言うどころではない。恐らくは砦跡の日陰にうずくまり、ガタガタ震えていただろう。


 ぺたんと額に触れると、いつの間にか汗は引っ込んでいた。

 恐ろしい事は忘れようという意味か、それから先の会話はもっぱら女のことになった。どこの地域に美人が多いか、はたまたちょっとした痴情のもつれなどを男らは語る。


 ちょうど太陽が真上に届いたころか。

 陽炎のように、ぬうっと周囲に人が現れた。


 ピイ!と怯えたよう四足獣は鳴き、それでも彼らは動けない。唐突すぎて理解が出来ないのだ。


 何しろ、ここから王城までは歩いて半日くらいだ。振り返ればかすかに城壁も見える。安全な場所すぎて、危機だの何だのは遠い世界のことだと頭っから考えていた。


「ん、あんたら何だ、一体どっから……」


 砂を踏み、近づいてくる彼らはというと、通り過ぎざまに兵士の頭を薙いだ。

 通り雨のよう、ざあっという音が周囲に響き、それでも彼らは動けない。


 死ぬかもしれない。いや、まだ死なないだろう。大丈夫だ、大丈夫。などと彼らの思考は極めて平和的だったと思う。


 次の標的は、先程暑さに文句を言っていた青年だ。


「ちょっ、ちょっちょっ、なにして……」


 ぬぶりと背から銀色の刃が現れ、ようやく他の者は悲鳴をあげることが出来た。ただし、その男も同じように「ああああ!」と奇声を上げながら果ててしまうが。


 荷を運んでいた隊の人数は十八名。

 戦闘開始直後に半数となり、あと数秒後にはゼロとなる。結局、まともに剣を抜けたのは一名きりだった。


 あざやかな手並みに荷運びの動物は硬直し、立ち込める血の匂いに荒い息を放つ。


 しばらくしてから燃え盛る荷と共に、砂地を駆ける四足獣がいた。




 神出鬼没の怨霊(ゴースト)隊。

 それが彼らの隊名である。


 どこかおぼろげな輪郭をし、歩くとわずかにブレて見える。

 集まった一同のうち一人、髑髏の仮面をつけた男が口をまず開く。


「ぬるいな、王城も近いというのに」

「今のような強襲というものに人間は弱いらしい」

「油断するな。神を敬うような奴らだ。この先は警備が厚いぞ」

「まずは手はず通り、首都中心部を襲う。王族らの首をひとつでも獲れれば良いが……長期戦を前提に考えよう」


 とっくに王城周辺の地理は把握している。

 彼らの任務は、まず周辺の守護を知ることだ。司祭による奇跡の力。それに守られている地域、そうでない地域、そして崩すにはどうすれば良いのかを調査する。


 もしも腕利きの護衛を二十四時間連れていない王族がいたら、きっと不運を呪う事になるだろう。


 そうでなくとも、まずは国民の不安をあおることが肝要だ。いかなる強固な建物も、崩れるときは足元からだと相場が決まっている。


 常日頃から無差別に殺戮されてゆく都市に、住み続けたい者はいない。


「では、各自これより強襲を――」

「ま、待てえッ! 待てッ!」


 ヒステリックな声に遮られ、皆らは怪訝そうに振り返る。

 周囲の者よりひときわ小柄なその男は、仮面の下でおびただしい汗をかいていた。てんってんっと砂地に染みを広げ、そして彼はぐるりと西を向いた。


「なあ、わ、分かるか? 王城から恐ろしい気配が出た……い、いま行ったら駄目だ……全員死ぬ。いや、殺されるだけじゃ済まない」

「何を言っている。今さら怖気づくとは――」


 叱咤しかけた男は、遅れてビクリと身体を震わせた。

 この小柄な男は誰よりも索敵に優れており、それを買われて今回の任に同行している。

 そして、ようやくにして周囲の者達も気付く。



 いるのだ。


 王城の方角に、感じたこともない恐ろしい存在が。



 例えるなら途方もなく強大な悪魔か。

 いかに限界まで鍛え上げた精鋭であろうと、鼻歌混じりに指先でピンッと弾かれるだけで絶命させられると直感するような存在。


 どっと大量の汗を彼らは流した。


「まさか、この距離で我らの動きを察知した――!?」

「馬鹿な! 一体なにを隠しているのだ、アリライ国は! 司祭の奇跡どころじゃない、恐ろしい何かが俺たちを見ている!」


 悲鳴に近しい声を絞り出し、怨霊(ゴースト)隊は未曾有の恐怖、恐慌を味わう事となった。




 ちょうどその頃――……。


 怨霊隊が見つめていた場所、北瀬らは露天で買い物をしていた。

 手渡されたブレスレットを腕にはめ、薫子――ではなく 香織子は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「出ました、ステータス画面! うわ、うわ、ゲームですよこれはもうトオルさん! 見てください、私たちレベル1ですよ!」

「んーー、相変わらずこういうの好きだなあ香織子は。あまり私はゲームをしないんだが……。こういうのは任せるわ」


 凄い凄いと連呼をし、はしゃぐ香織子にトオルは困ったような笑みを返す。とはいえ、いつになく身体を寄せて来られるのはまんざらでも無いらしい。


 ハイテンションな女性というのは実に可愛らしい。

 大げさに手足を動かし、大きな瞳で「凄いでしょ?」と見上げられたら、男性というのはコロリとやられてしまう。


 その様子を微笑ましく見ていた北瀬は、ちょいちょいと袖を引くエルフに気づく。指差されたその先では、ウリドラ、そしてシャーリーが遠くを眺めている。


 彼女らに近づき、北瀬は後ろから声をかけた。


「二人ともどうしたの? なにか珍しいものでもあった?」

「ふ、ふ、少々変わったネズミがおってのう。砂国というのは実に賑やかだと話していた所じゃ」


 振り返る黒髪美女は、紅のついた唇を楽しげな形にする。

 同じようにシャーリーも青空色の瞳を向け、笑みを隠すよう刺繍入り眼帯をつけ直す。


 きょとりと見つめ合う北瀬とエルフに、ウリドラは肩を叩いた。


「ほれ、ほれ、さっさと装備を整えぬか。そろそろ迷宮攻略を開始するのじゃぞ?」


 そのまま背を押され、にぎやかな商店街へと彼らは戻っていった。


 戦争が開始されると共に交易は再開され、市民らは買い物を楽しむ。それが束の間の平和となるかは、これからの戦いに全てがかかっていた。


 魔石の力を取り入れ、防備を整えたアリライ。

 侵攻の土台作りを終えたゲドヴァー。


 両軍の激突は翌朝の事だった。


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