第193話 第二階層広間の今後
いま、第二階層広間は複雑な立場にある。
ここを攻略したのはアリライ国ではあるものの、階層主を撃破したのは国外から参加をした少年らであり、そしてまた階層主を封じ込めたはずがいつの間にやら緑生い茂る空間と化している。
そもそも迷宮の所有権について争うことは、普通ならばあり得ない。迷宮は迷宮であり、全ての財宝を手に入れてしまえば用は無くなるはずだ。
しかし、まったく異なる財宝が生まれてしまった。
それは緑生い茂る豊かさであり、砂国にとって羨望するほどの土地がひょっこり唐突に生まれてしまったのだ。
財宝に近しいのは、この広間中央にある建物も同じだろう。
床は落ち着いた色の大理石。見上げれば驚くほど高い天井があり、うっすらと漂う香りはまるで高級旅館に来たような開放感を覚えてしまう。
なおも畑地は広がりつつあり、味の良さや成長具合を見ると日毎に価値を高めていると思える。
澄んだ水のせいか魚の味も上等で、それらをたっぷり味わってしまった事もあり、この迷宮攻略を統括しているハカムは困っていた。
「……相変わらず居心地が良すぎるな。まったく、国にいたときよりもリラックスできる迷宮なんて聞いたことが無い」
恨みがましい口調でそう言い、ハカムは赤銅色の肌を揺らして笑う。年を取ったものの身体は戦士として鍛えられており、それを革張りの椅子がしっかりと支えている。
建物に入ってすぐのロビーには、この座り心地の良いソファーが用意されていた。ずっと北の国にこのような高級革細工を扱う国はあるが、この砂国においては極めて珍しい。
「ふ、ふ、そうじゃろう。客人を最初に迎えるロビーこそ、力を入れねばならぬ。さすれば館主としての器量というものが伝わる」
すらりとした足を組み、向い合って座る黒髪の女性はご機嫌そうに答えた。
いつものドレス姿よりもやや薄手のもので、襟付きシャツの上から黒いベストを羽織っている。リボンで程よく飾っており、どこか洗練された雰囲気が伝わってきた。
ソファーもそうだが、どうしてこんな場所で服を調達できるのかは分からない。悩みつつもハカムは腕を組み、そして口を開く。
「先ほどの話の続きだが、問題はこの用無しだったはずの階層が生まれ変わったことだ。王族らはがめついからな。接収したくてたまらなくなるだろう」
いつの間にやら第二階層広間は、豊かな土地になってしまった。本来なら所有権について揉めてもおかしくはないが、いまは戦争の真っ只中、さらには北側から侵攻をする魔軍も近い。
「だから、今は迷宮統括をしている俺の裁量に全てゆだねられる。面倒にはしたくないから上には黙っておくし、迷宮攻略の拠点に使っても良いなら互いの統治という事で片がつく」
ぴくりとウリドラの眉が揺れる。
戦争が終わればどうなるかは分からない。それまでの間は保証をするとハカムは言った。しかしそれで満足するような女性ではないと統括者も知っている。
本題を伝えるよう、ハカムは巨体を前のめりにした。
「まあ、聞け。しばらく滞在して分かったが、ここは俺になど統治できん。森の奥にある封じられた階層主、あれが広間を安定させているようだが……どんな理屈なのか理解もできんからな」
そもそも階層主という存在も、迷宮によって意味合いが異なるので理解しづらい。さらには古代から存在する攻略途中の迷宮であり戦争の最中だ。調べろと言われても困る。
「だから、俺としては以前と同じ言葉を伝えたい。この戦争の間に迷宮踏破を成し遂げろ。そうすればアリライにとっての英雄だ。それなのに広間を取り上げるような真似をしては、国民から白い目で見られてしまう」
つまり彼が伝えたいのは、大義名分を手に入れろという事だ。
国や人々にとって役立つ場所であるならば、おいそれと王族であろうと手出しは出来ない。
ウリドラにとって、男の言葉は予測の範囲内だったが、あえて一石を投じてみる事にした。それはつまり国が必死に隠蔽をしており、さらには戦争の引き金となった核心について、だ。
「ふ、ふ、迷宮の底に眠っているものへ気づいている者の発言では無いのう。ここを攻略できると本気で思うておるのか?」
「決して攻略できぬ迷宮などは無い。俺達は攻略をし、アリライを救う。たとえ何が相手でもだ」
男から放たれる剣呑な眼力に、ウリドラは口をほころばせた。
やはりこの災いの迷宮の正体を知っている目であり、それでも抗い続けることを決めた男の目だ。
矮小な人間、という見方をすでにウリドラは捨てていた。
レベルや実力はまさしくその通りなのだが、彼らは光を求めてがむしゃらに飛び続ける性質がある。実力が足りないからこそ異なる手を打ち、そしていつの日にか無理だったはずの扉をこじ開ける。
人に対してそのような目を向けるようになったのも、たぶん人間とエルフを長いこと見てきたせいだろう。彼らは意識せずに魔導竜という存在を変えてしまい、それが面白くて唇をほころばせた。
ちょうどもう一人の館主がお盆を手に近づいてくる所だった。青空色の瞳をした彼女は、花飾りをつけたヘッドドレスをハカムへと下げ、それから空になったグラスを替える。
「おお、済まないな。君はカズヒホのパーティーに加わったシャーリーと言ったか。ちょうど加入する直前に、君と同じ名前をした階層主がいてな。バンバン人が死んで俺も苦労をしたぞ」
ははは、と笑う男へとシャーリーは小首をかしげ、不思議そうな顔をする。
そのバンバン人を殺した者こそ当の彼女なのだが、謝れば良いのか黙っていた方が良いのかと微妙な表情だ。
どちらの内情も知っているウリドラだけが、くつくつと笑いをこらえるのに必死だった。
そのとき、来訪者を告げるベルの音がちりりんと響く。それにつられソファーから立ち上がりながら、ウリドラは瞳を向けた。
「無論、申し出は受けよう。広間は攻略隊に開放するとして、まずは手初めに彼女らを迎えるとしよう」
「おっ、来たか! どれ、俺も挨拶をしておくかな」
瞳を入り口へ向けると、ちょうどそこから客人らが現れる。広いロビーに目を丸くし、ぽかんと見上げているのが名家の娘なのだから面白い。
窓から差し込む柔らかい日差し、新築だと分かる木の香り、それにゆったりくつろげそうなソファーなどへ彼女らは驚いていた。
それから八名もの見目麗しい女性らは、統括者であるハカムが手を振っていることにようやく気づき、さらに瞳を丸くする。宵闇色の髪をしたプセリはやや慌てて頭を下げ、皆もそれに習った。
「いらしていたのですか、ハカム様! まさかこのような場所でお会いするなんて思いませんでしたわ」
「はは、来るとは聞いていたが、まさか鎧も付けずに来るとはな。なに、女性だけのほうがくつろげるだろうし、俺はすぐ仕事に戻る」
今日はゆっくりくつろぐように、と優しく声をかけてハカムは背を向けた。置き土産のように彼の差し入れた酒もあるのだが、それは食事の時にでも伝えてくれれば良い。
去り際、ハカムは思い出したようウリドラに振り返った。
「ああ、補給路はじきに断たれる。それまでに欲しいものがあればリストをくれ。代金はいらんぞ、全て王族持ちだ」
つまり、まもなく魔族の軍勢がこの古代迷宮へたどり着いてしまうという意味だ。しかし戦時中だと伝わる不穏な言葉にもウリドラは「酒と茶葉、それに塩と調味料、道具は……」とわずかな笑みを浮かべてズラズラと注文をする。
その様子にはハカムのみならずダイヤモンド隊までぽかんとさせられたが……どこか彼女も現を知る青年と似てきた気もする。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
まずは荷物を置いてもらおうと、客間へ皆は通される。
畳という物珍しさもあり、皆は素足でどやどやと歩く。先導する女性、カルティナが障子を開くと空間はさらに奥へと広がり、そして彼女らは言葉を失う。
客間に面した庭園には、目にも鮮やかな緑が浮かぶ。
手前は低く、奥は高く。整然と並びつつも生命としての奔放さがあり、一枚の絵画を見ているよう瞳を吸い寄せられる。
静と動というものが大事らしい。
穏やかな空気になるよう静寂さが求められ、そして池を泳ぐ魚は生きており、正しく自然が循環しているのだと教えてくれる。
そのように調和ある光景というのは、彼女らが初めて目にするものだ。
当然のことダークエルフの女性は瞳を丸くし、それから手荷物をお行儀悪く放り投げた。
「えーーー! スゴい! なにこれ、さっき歩いた道も綺麗だったのに、ここからの見た目は別物じゃん!」
「信じられませんわね。イブ、これはこの客間のためだけに用意された庭園ですわ。これだけの空間を贅沢にも手間ひまかけて……カルティナ、私の屋敷の正式な庭師になりませんか?」
その言葉に荷物を片付けていた女性、カルティナは嫌そうな顔で振り向いた。これでも元騎士であり、庭師では無いのだ。
先ほど和室へあがる際、魔装と呼ばれる鎧を解いており、いまは浴衣に似た服へと着替えている。
「驚くのはまだ早いぞ。この客間は両面に障子があってだな、気分によってどちらの景色も楽しめる。ああ、分かりづらいか……例えばだな」
皆が不思議がって見ているなか、カルティナは見事な庭園への障子を閉じる。畳の香りがする客間はわずかに暗くなり、そして今度は反対側の障子を開く。
するとそこには、まるで別世界の景色が広がった。
透明なガラスの向こうには一面の湖があり、そして陽光によりキラキラと輝いている。これには流石のダイヤモンド隊の皆も、えーー!と叫んで窓辺へ集まるほどだ。
「ここは緑も多くて、眺めるだけで綺麗だ。もちろん泳げるし釣りもできる。ただし間違ってリザードマンを釣るんじゃないぞ?」
茶目っ気のある言い方をしても、皆は完全に景色に飲まれている。いったいどうすれば、このような贅沢な空間を作れるのだと驚くやら呆れるやらだ。
そのとき、湖の中央に何かが見えた。
例えるなら、真っ白い島とでも言うべきか。ゆっくりと持ち上がり、どどお……と水しぶきを周囲に撒く。それは陽光の角度により七色の虹を浮かばせ、そんな光景にカルティナは瞳を細めて笑う。
「はは、ちょうど良い時間だったな。一時間に一度、あいつは日光浴をするんだ。少し前に連れてきた奴らしくてな……ん、どうしたイブ、肩が震えているぞ?」
「あっ、あっ、アレっ! アレじゃんっ、海で見た怪物じゃんっ!」
珍しいものを見れた、という皆の表情とは異なり、イブ、それにプセリは顔色を青くさせてゆく。
それもそのはず、青い海で退治した怪物であり、確か名を――。
「カリュブディス、ですわ! 前より小さくて色も変わってますが、あの触手は見間違えようもありません!」
かくかくと膝を笑わせている様子といい、いつぞやはお世話になったものだ。特にダークエルフは腰砕けにされるほどの目に合い、じっと見ているだけで変な気持ちになってしまう。
顔を赤くさせて「どういうこと!」と詰め寄る二人へ、カルティナは笑顔でタオルを差し出した。
ある意味で彼女は客商売に向いているかもしれない。応対で面倒だと思ったときは、まったく違う物で興味を引いてやれば良い。すると、相手はころっと騙される。
「露天風呂はより絶景だぞ。今日は女性の貸切だから、全て自由に使ってくれて構わないらしい。それと向こうで浴衣を選べるから、一緒について来てくれないか?」
行く行くーー!という皆の勢いに押され、古代の怪物カリュブディスの存在についてはウヤムヤになってしまった。
何は無くとも、砂漠や迷宮を歩いた汚れをしっかりと落とすべきだろう。
もうすぐカズヒホらも到着するし、風呂あがりには美味しい食事を楽しんでもらおう、と彼女は考える。
騒々しい皆が去ってゆくと、客間は暖かくも柔らかい日差しに包まれた。




