第188話 皆と過ごす夜
ちょっとアレな理由で、前話の番外編を別に分けました。
全身にたくさんの飾りをつけた娘が弦楽器を鳴らす。
じゃらん、と異国を思わせる独特の旋律、そして対になるよう向かい合っていた娘が喉を震わせると、沈みゆく夕暮れのなか心地よい音楽を生む。
深い深い、彼らの時代を感じさせるような歌声だった。声はどこまでも澄んでいるのに、それが不思議と胸を打つ。
地酒が用意されて皆へ振る舞われると、懐かしい歌声へうっとりと目を細める。ここは観光に訪れた者たちを楽しませ、そして癒やす地だ。だから傷ついたものに手を差し伸べ、喜びをさらに高めるような音楽を好む。
怪物の襲撃により傷ついた浜辺であろうとそれは変わらない。
水平線にはまだカリュブディスの死骸が山のような形で残されており、それを見ようと訪れる者達は後を絶たない。
ずうっと後に聞いた話では、これが祭りになったらしい。
毎年一度、浜辺に皆で集まる。歌い、踊り、宵の明星を見上げて感謝をするのだとか。
それは今も同じかもしれない。
酒を飲み、音楽に聴き惚れ、そして討伐者には感謝と祝福の言葉がつのる。伊豆とはまた異なる旅人たちへのもてなしに、マリーもまたうっとりと聞き惚れていた。
それから長く白いまつ毛を揺らし、思い出したようにお皿をテーブルへと運ぶ。これらの道具は、何も言わずとも彼らが持ち込んでくれた。もちろん食材もだ。
ごう、と焚き火は燃え上がり、それと同時に音楽はより明るいものへ変わった。これもまた観光客を楽しませるものだが、今宵は彼らの喜びが満ち溢れている。怪物という将来への憂いは晴れ、誰しもが見知らぬ僕らへ笑顔を見せて同じ酒を飲み、また笑う。
話題はもっぱら化物との戦いについてだったが、それ以外は異国から訪れた美女らへの賞賛が多い。水着や上掛けには花を飾られ、綺麗だ、美しい、忘れられないと褒めちぎる。
それもまんざらでは無いらしく、最初は困っていた彼女らもやがてよく笑うようになった。
そのように平和的な光景を眺めながらも、今夜の僕は料理番だ。少なくとも日本から持ち込んだものは他の人に任せられない。
ただしいつもとは勝手が異なり、ぐつぐつと煮詰めた鍋、泡を吹き出す竹製の飯ごう、さらには差し入れられた山のような食材に囲まれている。
いや、忙しいねと目を丸くしているのに、マリーが言うには生き生きとしているらしい。
「はい、そっちの魚は調理をお願いします! マリー、吹きこぼれに注意して、そのまま見ていてくれるかな。お皿、お皿の準備をお願いしまーーす!」
厨房とも呼べない簡易的な調理場は、地元住民も手伝っての大忙しだ。
焚き火では葉で包んだものを蒸し焼きにしているらしく、浜辺には熱した果実の香りが漂い始める。もう少し離れた所では油を使った調理を始めていて、こちらもまた実に食欲を誘う。
まるで料理対決みたいだけど、しかし日本から持ち込んだ調味料は特別製だ。鞄から取り出した物をパキパキと割り入れ、かき混ぜるとすぐにスパイシーな強い香りが鼻腔をくすぐる。
その匂いに惹かれ、エルフの少女はこちらを振り向いた。くんくんと鼻を動かし、たっぷり香りを楽しんでいる瞳を僕へと向ける。
「やっぱり、この匂いはカレーね。選んでいた食材からして、そんな気がしていたの」
「屋外の料理といえば定番だからね。手軽で美味しくて、空っぽになるまで食べてくれるから……おっとっと、そろそろお米は大丈夫だと思うよ。周りの人に手伝ってもらって、火から離してくれるかい? あ、ゼラさんちょうど良かった、ここでお皿を持ってきた人にカレーをよそってください。僕らの隊を中心に配って、あとは地元の方々へ」
「マジかよ、俺は血が抜けてフラフラしてるんだぜ。おまけにこの香りと来たら……なあおい、まず先に食っていいか? いいよな?」
駄目に決まってるでしょうと無言で見上げると、気づかないうち迫力が溢れていたのか「お、おう」とゼラさんは口を引きつらせた。
ぶつぶつと「なんでアイツは料理のときだけ頑固なんだよ」とか聞こえてきたけど僕は気にしない。気にするのは味付けと、食材を無駄にしない事だけだ。
のしのし砂浜を歩いてゆくと、ダークエルフの娘が手を振ってきた。
「おーい、カズ君ーー、鉄板も準備出来たよーー!」
「やあ、ありがとうイブ。もうこっちは大丈夫だから、皆と一緒に食事を始めてて」
日も落ちかけているので、イブは明るい色のパーカーを羽織っている。その彼女にも沢山の祝福として花が飾られており、花嫁のように今は見える。するとこの地域では、ダークエルフが蔑まれる事は無さそうだ。
彼女はただ楽しそうにしているけれど、小さな奇跡を起こした事には気づいていない。もしもの話だけど、この地に彼女のようなダークエルフが生まれても、追い出される事なく楽しく過ごせるかもしれない。
分からないけどね、これから何が起こるかなんて。
ばいばいと手を振って立ち去ろうとするイブに、ふと思い出したことがあり言葉を投げかける。
「ああ、お酒はあまり飲み過ぎない方がいいかな。せっかくだからアリライ国の評判を保とうよ」
不思議そうに眉をひそめられたけど、ほら、伊豆の夜は大変だったから。女性はあまりお酒を飲み過ぎないほうが良い。間違いない。
僕を舐めようとする少女の舌を思い出し、ぶんぶんと頭を振って記憶から消す。
さて、海といえばこれも定番だ。
熱した鉄板へ油を敷き、やや黄色い縮れ麺を入れる。先ほど水で洗っておいたので、ほぐす必要はあまり無い。それから片面に焦げ目が付くくらいまで焼いてから引っくり返す。
備え付けのソースをかけると、ツンと鼻の奥へ残るような香りが溢れてゆく。その後にようやく肉や野菜を入れるのが、僕のいつものやり方だ。
「わあ、いい匂い。こっちは焼きそばね。ずっと前にウリドラと食べたときを思い出すわ。あら、そういえばどこへ行ったのかしら、誰よりも食べたがるはずなのに」
いつの間にか調理へ夢中になっていたらしい。隣を見るとしゃがみ込むマリーがおり、長耳を揺らしながら彼女の瞳もこちらを向いた。髪や服にたくさんの花が飾られ、今宵はより妖精に近づいている印象だ。
「焼きそばも海で外せないからね。それが何故かは分からないけど、もし食べなければ損をした気になるんだよ」
焚き火のゆらめく明かりに照らされ、少女は優しく微笑む。瞳は星空のように輝き、深い知性と愛情を見せてくれる。それがとても美しく感じられ、気付かれないよう溜め息をそろそろと吐いた。
それから少女は胸に抱えていた木皿をこちらへ伸ばしてくる。淡く色づいた唇は焚き火のせいか普段より赤く、柔らかい声で「頂戴」と囁かれた。
お安いご用さと返事をし、皿を受け取ると出来立ての焼きそばを入れる。ふんわりと蒸気をあげ、肉の焼けた良い香りをしているのに、なぜか少女は皿をなかなか受け取らない。不思議に思い、ぱちくりと目を丸くしていると、悪戯ぎみに微笑んだ少女の顔が近づいてきた。
ちう、と柔らかな唇に触れられて、思わず皿を落としそうになる。両手はふさがれ、逃げ場の無いキスへ僕は驚いた。
周囲が暗くなるほどの近くで、しかし少女はその紫水晶に似た瞳を閉じきらずに見つめてくる。
ゆっくりと離れてゆき、いつのまにかお皿も彼女の手に乗っていた。
「一廣さん、早く配り終えて一緒に周りましょ。あちこちから良い匂いがしてお腹が空いてたまらないわ。それと……」
瞳は左右に揺れ始め、急に心細そうな表情へと変わる。女の子はくるくると表情が変わりやすく、僕はつい彼女を見つめてしまう。まるで綺麗な宝石のようで、手に取ってじっくりと愛でたくなる。
その表情だけでなく、彼女の言葉もまた予想しづらい一言だった。
「御免なさい」
「え、なにが? いやもちろん沢山食べて欲しいけど。謝る事なんかじゃ……」
詫びの言葉に驚きはしたが、ううんとマリーはかぶりを振る。少女は食事のことではなく、それ以外の何かを謝りたいらしい。
「昨夜のこと、伊豆で眠りにつく間際、たくさんキスをして御免なさい。駄目ね、お酒はもう少し控えないといけないわ。でもとても幸せだったの。ほら、あなたってとても優しい香りがするでしょう? だからつい近くにいたくなるの」
そう言い、恥じらいを残したとても綺麗な笑顔を見せてくれた。
真珠のような歯を覗かせ、周囲は眩い陽光に包まれたように明るく感じる。どくっ、と心臓は勝手に高鳴り、矢が突き立ったような思いを僕はした。
わ、わ、わ、顔が熱いぞ。
少女はしっかりと昨夜のことを覚えており、それでも恥ずかしがらずに僕の側から離れなかった。それはつまり、とても自然なことだとマリーは考えているのだ。
とすんと隣に腰掛けられると、いつもより僕の胸は高鳴る。
柔らかく触れる肌、そして彼女からの甘い香りに年甲斐もなくドギマギとさせられる。
「ただ、時々で良いから、あなたからして欲しいわ。でないと、はしたない子だと思われてしまうでしょう?」
むすりと唇をとがらせた茶目っ気のある言い方に、ふっと肩の力が抜けてくれる。そして互いに静かに笑い声を漏らし、もう少しだけ深く寄りかかりあう。
「そうだね、僕はどうやら奥手らしいから迷惑をかけているかもしれない」
「私だって奥手よ。少なくともエルフの里では男の子の手なんて怖くて触れなかったもの。あら、そういえば手をつないだのもあなたが最初だったかしら。まさか覗きをするような人が相手だなんて、不思議な事もあるものね」
ああー、そういえばあったねぇ、覗きだと誤解された時が。
そればかりは運命を呪うしか無くて、そんな最悪な出会いから今では正式にお付き合いをしているのだから、結局は運命に感謝するしか無い。なんともはや複雑な心境だ。
やがて音楽はより賑やかなものへと変わる。
演奏者まで歌声を響かせると、二人の娘は高音と低音を混ぜた味のある音楽を奏で始めた。それは深く深く、皆の心を洗い流すよう綺麗な歌声で癒してくれる。
僕らは美味しい食事、たまにお酒を飲みながら夜を楽しむ。
そして夜も更けたころ、誰かの声が響いた。
皆の驚くような声、そして指差す様子に促されて目を凝らすと、怪物カリュブディスは真っ白に染まっていた。さてはシャーリーが……などと思っている間に、バキ、バキ、と亀裂の音を響かせ、やがては海へと溶けてゆく。
それさえも皆にとっては良いことだと映ったらしく、一層の歓声、そして拍手喝采が周囲へと響いた。
やあ、賑やかな夜だったね。
観光地なのだから、これくらい明るいほうが僕らとしても嬉しいよ。
その後は、はしゃぐマリーを連れて漁村の味を楽しませてもらい、そして一緒に踊るという良い思い出を残すことが出来た。
ただ気になるのは、ウリドラの姿をけっきょく見かけなかったことか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私服へと戻ったドゥーラは、後ろ髪を引かれるよう明るい浜辺へ振り向いた。
そこでは皆が楽しく過ごしており、思わず頬が緩むほど平和的だと目に映る。そんな姿を見かねてか、同行していた者は声をかけてきた。
「戻っても宜しいのですよ、ドゥーラ。昼間は大変だったのですし当然ですわ」
「いや、私は気になる事があると楽しめない性格をしている。それにこれからの話を皆に聞かせて、嫌な思いをさせたくもないわ」
振り返るその表情は、化物を討伐したにしてはやや厳しい。
海からの風に吹かれて赤髪は揺れるが、それに構うことなく暗い浜辺を歩き始めた。
同行の者も既に私服へと着替えを終えている。水着というのは開放感があって楽しめるが、多くの者へ肌をさらすのは気恥ずかしい。そのように思いながら統主プセリも同じ道を歩く。
と、なぜかドゥーラは足を止め、誰もいない暗がりへと声をかけた。
「ウリドラ、気になるのなら一緒に聞いて構わないわ」
「ふむ、気取られてはおらぬはずが。おぬしもいつの間にやら侮れなくなったのう」
まったく気配の無い場所から返事があり、プセリはぎょっと肩を震わせた。声をかけたドゥーラにまずきょとんとし、続いてこれなのだから彼女のプライドにも傷が付いたかもしれない。
そのせいか発した声はやや厳しめの声だった。
「あなた、盗み聞きをするなんて! それよりもドゥーラ、なぜウリドラがいると分かったのです?」
「はは、それくらい。迷宮でも海でも、長い時間を過ごしている仲間よ。ウリドラの性格くらい私にも分かるわ」
そんな程度のことで気づかれるなど、と複雑そうな顔をしてウリドラは姿を現した。黒いドレスに着替えており、迎える二人も身だしなみを整えている。
さて、ちょうどその時が来たようだ。
王族、そして一部の上流階級のみに伝えられる信号は、たとえ遠くの地であろうと腕輪へ届けられる。それがアリライ国にとって重要な事であり、将来を、運命を左右する出来事だからだ。
澄んだ星空の下、王城からの情報は黒薔薇の一族の娘へもたらされた。
これによりゲドヴァー国との戦争が、正式に開始されることが定まる。
人間と魔族、魔物、そして古代迷宮を巻き込んだ争いは、今はどのような決着になるのか誰にも分からない。
手が白くなるまで固く握りしめ、ドゥーラは星空を見上げる。
その吐き出した息は、海からの風に流れて消えてしまった。
―― 真夏の章 END ――
こちらで真夏の章は完了です。
次章の連載まで少々お時間をいただきます。




