第180話 海沿いのおもてなし旅館④
温泉宿の夕食は、やはり豪勢なものになった。
両手に抱えるほどの船には伊勢海老を筆頭に北川地魚の刺身たちが盛りつけられ、その紅白の鮮やかさへ驚く間もなく次の会席料理たちはやって来る。旬の天ぷら盛り合わせ、鯛の煮付けなどがテーブルを賑やかに変えてゆく。
ただでさえ幻想世界からやってきた者たちだ。おひつに入れられた炊き込みご飯を、湯気と共にしゃもじで混ぜられては注目し、地酒やビールを置かれてはそちらを向いて……という具合に目移りをしてしまう。あっちにこっちにと視線を動かして忙しそうだけど、口元には笑みを浮かべており、食事を今か今かと心待ちにしていると分かる。
先ほどまでくつろいでいた居間だというのに、それがあっという間に食事処へ変わるのも驚いたと思う。一度に料理を大量に並べ、客を圧倒するのはたぶん昔ながらのやり方だろう。
ずっと昔の温泉宿では、豪勢な食事でまず旅人を驚かせ、リピートは元よりそれを他の人へ噂で広めさせ、新たな客を引き込むというやり方もあったらしい。それは情報の伝わりやすい昨今でも、おもてなしの姿勢は大して変わらないと僕の目には映る。
しかし、ウリドラがまずい。
元が黒髪のせいか浴衣が殊更似合い、白い首筋からは匂い立つような色気を感じさせる。ただ座っているだけでも、きっと道行く者達を魅了してしまうだろう。
だが、たぷんと音のしそうなほど口内を涎で溢れさせ、配膳の様子を熱い瞳で見つめているのは如何なものだろう。くつくつと煮え立つ鍋と、たっぷり溢れ出てくる美味しそうな香りに瞳をうっとりと細めてさえいる。
ぐうと力を溜め、それから彼女は両手を大きく開いてみせた。
「これじゃな、これ! わしらの第二階層に必要な物はまさにこれじゃ! 立派な屋敷であろうとも、そこには魅力ある中身が詰まっておらねばならぬ。豪華な食事があってこそ、館主としての格がにじみでるのじゃ!」
ぽかんとする僕らの前で、何故か演説が始まった。
配膳を進める女将さんらは、当然のことエルフ語など分からない。しかし食事を楽しみにしている様子は伝わるらしく、そんな彼女を微笑ましく眺めていた。
僕としても海の望める温泉地というのは屋敷作りの参考になるだろうと思っていたが、向こうの世界へこれを持ち込むのは……さすがに無理じゃない?などと首をかしげてしまう。
などと考えていると、対抗するようマリーは腰をすっくと上げた。
お願いしますマリーさん、魔導竜の暴走を止めてください。そのような僕の願いに答えるべく、少女は「任せて頂戴」と頼もしい笑みをこちらへ向けた。
「ウリドラ、あなたの言う通り食事は大事よ! たとえひどい宿泊地だったとしても、美味しいものを食べただけで私は許せてしまうもの!」
「……ああ、そう……でもほら、食材とか料理人とかの手配がまず無理なんだけど」
などという呟きは、残念ながら2人の耳には届かない。夢のような光景を思い浮かべ、和気あいあいと盛り上がる様子に、僕は置いてけぼりだった。
その時、ころころと鈴の転がるような感覚が僕に届く。どうやら皆のやりとりが楽しかったらしく、身体へ憑依しているシャーリーは笑うような感情を伝えてくる。
なら良かったかな、とも思う。反論したくても、うきうきと胸は勝手に高鳴ってしまうのだから仕方無い。いや、これには僕の感情も混ざっているか。皆と共に旅行をし、豪勢な夕食に囲まれる機会などそう何度もある事ではない。
くつくつと湯気をあげる鍋を前に、女将さんからまずはお先にどうぞと冷酒、それにビールを示されると僕らの夕食は始まった。ああ、他にもコーラなど用意しているが、それは未成年にしか見えないエルフさん用のダミーだ。
グラスにビールを注ぐと、黄金色の輝きに皆は喉を鳴らす。
この宿は3人での宿泊なので、今は僕の身体へ憑依をしている。姿を出せない代わりに、彼女にはしっかりと料理を堪能してもらいたい。
そういうわけで、皆へ向けてビールグラスを持ち上げた。
「さて、まだ第三階層の攻略途中だけど、とりあえず賊らを討伐したお祝いをしようか。それにしても、まさかウリドラと戦う日を迎えるなんて夢にも思わなかったよ」
「ふ、ふ、あれは戦いにも入らぬぞ。まあ良い良い、今夜は折角の祝いの席じゃ。わしの見守ってきた番がようやく一皮剥けた夜でもある。では、乾杯!」
あれ、いつの間にやら音頭を取られてしまったぞ。
その誤解を招くような言い方に「ちょっと待って!」とマリーは慌てるが、テーブル越しに伸ばされたグラスは勝手にガチンとぶつけられる。
「まったくもう、私たちは別にそんな大したことなんて……」
ぶつぶつと文句を零しながら、グラスを唇へ近づけてゆく。その間に少女は夕刻での出来事をあれこれと思い浮かべてしまったらしく、まだ酒も飲んでいないのに顔や首筋を赤くさせてゆく。
「大した……こと……」
ああ、したかもしれない。
一緒に露天風呂に入り、のぼせたエルフさんを部屋まで……。薄紫色の瞳を大きくさせ、指先はわずかに震えて見える。そんな動揺を誤魔化すよう、ぐいと勢い良くグラスをあおった。
嬉しげにその様子を眺めるウリドラは、黒曜石に似た瞳をこちらへくるりと向けた。
「おぬしらの初連携もなかなかじゃったぞ。剣士である北瀬、気まぐれなシャーリーという、面白い組み合わせを見せてもろうた。少なくとも数回は死ぬじゃろうと思うていたが」
「いやいや、シャーリーがいなければ何度か死んでたよ。もちろんマリーがいなければもっと死んでいた。古代迷宮というのは手応えのある相手が多過ぎて、実はこれでも楽しんでいるよ」
くつくつと竜は楽しげに笑う。実は、などと言わずとも僕の楽しんでいる事は丸わかりだったかな。そう考えながら、彼女と同時にビールを飲み……かけてピタリと止まる。
「あれ、そういえばシャーリーはお酒は大丈夫――」
そう言いかけた口は止まる。
グラスを持つ僕の手に、半透明な彼女の手が重ねられ、どうぞ気にせず飲んでくださいと示された。せっかくの祝いの席なのだから、という思いやりだったかもしれない。
なら彼女の好意をありがたく受け取ろう。
ぐいと飲み、喉を抜けてゆく麦の苦味、そして後からやってくる炭酸の爽やかさへ僕は目を丸くした。横を見ると青空色の瞳が待っており、そちらの味はお任せします、と言うように微笑んでいたのだ。
なるほど、そういう役割分担も出来るわけか。なら確かに遠慮はいらなそうだ。
にんまりと2人で微笑んでいた時に、エルフと竜は刺身へと箸を伸ばしていた。色鮮やかな刺身を頬張り、初めて食すウリドラなどは瞳を真ん丸にさせる。
「んんん、つるりとした舌触り、とろけるような味わいっ! ぐう、違う違う、わしの知っておる魚などではないぞ。魚というのはもっと生臭くて……んむぅ、後味が甘いし溶けるぅっ!」
んーーっ、と唇を真横へ引いて、そのまま倒れてしまいそうなほど仰け反った。彼女の口にしたのは中トロで、ほどよい脂身はさして噛まずとも溶けてゆく。
これがまた外人殺しと呼ばれるだけあって、すっきりとした味わい、舌で溶ける上質な脂身、そして喉を抜けてゆくまで幸せを噛み締められる甘味と来た。
おほっ、おほほ、と漏れてくる笑い声は、身体が勝手に反応したものだろう。
美味しいものを食べると誰しも笑みを浮かべてしまうのだが、これは笑い声まで誘って来る。そのような食経験など魔導竜にとって初めてだったらしく、口元は笑みを、瞳は真ん丸に見開いたまま僕とマリーを交互に見つめる。
「……わしの一生のお願いじゃが、これを独り占めさせてくれぬか?」
「ダメに決まっているでしょう! 私だって刺身を食べたのは初めて日本に来た時だけで……あっ、これ凄っ、美味し……っ! んっ、んふっ、ふっふっ」
のう、凄いじゃろう、とウリドラは同意を求め、こっくんこっくんとマリーは大きく頷く。これ以上の美味が世界にあるだろうかと思っていそうな表情だ。そして霊体の手は、もう我慢できないと言うように袖をくいくいと引いてくる。
「おっとごめん、いつもの癖でのんびり見ていたよ。さて、シャーリーの舌にも中トロは合うのかな」
箸につまんだ刺身を、ちょいと醤油につけてから舌へ乗せる。
味覚は彼女のものだから、もちろん舌は無味無臭を伝えてくる。そして肩に掴まっていた彼女は、びくんと身体を仰け反らせる。青空色の瞳を真ん丸に開き、噛みしめる唇は笑みの形に変わってしまう。
美味しい、美味しい、という感情が強すぎて、ぱっちりの瞳から見つめられると……もうずっと無味無臭でも構わないかな、という気さえするね。
などと考えている時に、がしりとウリドラから掴まれた。
「なんじゃ、この料理は! ただ単に魚を切っただけの料理ではあるまい!」
「うん、魚を切っただけの料理だよ。ただし、それぞれの魚の肉質を理解しないといけないし、10年以上の経験を積まないと一人前になれないと聞くかな」
「誠であるか! 常々、日本人の味へのこだわりは病的と思っておったが、よもやそこまでとは……。ふむ、ふむ、これは思わぬお宝を見つけたのう」
うん、その言葉からは嫌な予感しかしないね。お宝を見つけられてしまったけど大丈夫かな、というのが僕の率直な感情だ。
どうやら刺身は大好評らしい。ひょいひょいと箸に運ばれ、あっと言う間に平らげてゆく。
それは天ぷらなども同様で、揚げたてならではの「さくふわっ」とした味わいを楽しめる。こちらは以前にも我が家で作った事があるので、彼女らの好みだろうと思っていた。
「うあ、至福っ! ビールに合いすぎて……っ! やだもう、どれもこれも美味しくて困るわぁ」
予想外なのは、料理ではなくお酒の方だったかもしれない。
あれほどあったビール瓶たちは次々と倒されてゆき、あわや撃沈……という寸前でウリドラの手は地酒へと伸びてゆく。
浴衣はやや乱れており、たっぷりの胸元が……おっと見ないようにしよう。
冷酒を杯へと注ぎ、刺身を味わってから飲み干す。
それがまた至福だったらしく「くーっ」と声を漏らし、かつんとテーブルに杯を置く。どこか年季の入った風に見えるけれど、考えてみれば数千年も酒を味わってきた魔導竜なのだから、さほど間違えてはいないのか。
すっかり気をよくしたウリドラは、近づいてくるなりどすんと肩へ抱きついてきた。その息は酒臭く、背後のシャーリーは鼻をつまんでぱたぱたと手で仰ぐほどだった。しかし彼女は意にも介さない。
ろれつの怪しい声で、彼女は話しかけてくる。
「ふ、ふ、正直なところ、わしは剣士という職業の底の浅さを感じておった。成せる事が小さいとばかり思っていたぞ。しかしのう、おぬしらを見ていて浅い考えであったと反省をした。あの魔導竜がじゃぞ? 反省をして、考えを改めたのじゃ」
「ありがとう、ございます……」
なぜだろうか、酔っ払い相手だと僕はつい敬語になってしまうよ。
態度の大きさもさることながら、押し当てられた胸は重量感をたっぷりと伝えており、思わず「助けて」とマリーに救いの目を向けてしまう。
半妖精エルフ族はとろんとした瞳をし、口を半開きにしたまま瞬きを何度か繰り返す。
「あはっ、あはははっ! カズヒホが小さくなってる! さすがは日本のサラリーマン!」
ああーー、駄目だこりゃ。
おかしいな、夕方の時はとても優しい子だったのに。
などと考えていると、絡んでいる腕からぐいと顔を横へ向かされ、頬を染めた黒髪美女の顔がアップで迫る。
「聞いておるのかー。剣士というのは敵を真っ直ぐに見て、息も出来ぬような接近戦をせねばならぬ。その視点は、わしら魔術の操り手が持っておらぬものじゃ。相手の想いを知ることも気にする事もなく、虫のように叩き潰してしまう。しかし、しかしじゃ、魔道に目覚めたマリー、生命を司るシャーリー、彼女らの架け橋としておぬしが必要なのじゃ」
いかん、僕が意地でも出席を拒否していた飲み会へ、ついに迷い込んでしまったような感じだぞ。いったい誰かな、たっぷりの地酒を置いて行ったのは。ああ、注文したのは僕だったか。
「そうですね、僕もそう思います。ところでウリドラさん、実は鍋というのも美味しくてですね。こちらは大した調理をせずとも、誰でも作れるものなんですよ。第二階層のメニューにぴったりじゃありませんか?」
ぱちぱちと黒曜石の瞳は瞬きをし、それから……見蕩れるような大人っぽい笑みへと変えた。
「今はわからずとも良い。魔装カルティナを前に剣を納めたこと、わしは誇らしく思うぞ」
ぐりぐりと頭を撫でられたが……今までの酔った姿はまるで演技だったように感じられ、思わずシャーリーと見詰め合ってしまった。
そのように不思議な思いをしつつも、やはり彼女の胃袋は健在だった。
魚介たっぷりのダシが効いた鍋を大層気に入り、美味い美味いと食してしまう。気がついたら雑炊まで空っぽになっているのだから、魔導竜という存在へ改めて驚かされたよ。
しかし浴衣というのは、もう少し太ももが見えない作りになっていると良いのだけれど。いや、あぐらをかく方に問題があるのか。
そのように思いながら、温泉旅館の夕食というものを皆で楽しんだ。




