第17話 では、絵本のお時間ですよ
僕らの食事ローテーションは、朝と昼が軽食で、夜、そして異なる世界での昼食が重めのものだ。
互いの世界は別々でも、どうやらお腹は共有しているらしい。なので計4食ではあるが、都合3食分のカロリーがちょうど良いことになる。
――いや、たぶんカロリーオーバーしているな。
まあ厳密に計ったりなんてしないから、たぶん普通の食生活よりも多い気はする。
もしもエルフが太ったらまずいのかな? ふくよかな外見も好きだけど彼女としては複雑かもしれない。
なんて、あまりそこまでカロリーを気にするよりも、美味しく食べて散歩なりしたほうが健康的かもしれないけどね。
ぐつぐつと香辛料の香るフライパンを、味見しいしい調整する。これが良いツマミとなり、おかげで白ワインを楽しめている。
そういえば夢の中で運動をするとお腹が減る気がするな。ん、ひょっとして向こうで運動したらダイエットになるのかな?
などと考えているときに、ぐらぐらっと足元が揺れた。
まあ日本ではおなじみのことであり、地震なんて子供のころからなのでとっくに慣れている。
とりあえずフライパンの火を止め、そしてベッド脇のテレビを付ける。ちょうど警報の音楽が流れており、どうやら震度4とのことだった。
「ああ、少し強めかな。このあたりは地盤が弱いっていうから心配だけど……まあ平気か」
うん、と頷いたときに、がたたっ!とバスルームの扉が開いた。
ちなみにベッドルームすぐ隣の戸を開けると洗面所兼脱衣所があり、向かって左はトイレ、右はお風呂という間取りをしている。
「ああ、もう上がったの? はやかっ……」
振り向いた先には、まだ濡れた身体のマリーがおり、当然のこと衣服は……。
んがっ!と変な声を上げてしまった。華奢な身体には綺麗なくびれがあり、そして少女らしい膨らみと色鮮やかな……。
「わあああっ!」
「わああーーっ!!」
僕以上の声を上げ、胸の中へと抱きついてきた。
どっどっどっ、と揺れる互いの心臓と、そしてお風呂あがりの体温、とても柔らかい素肌がいま僕のすぐ下にある……けど、上を見ろ、上を見るんだ……っ!
「ゆっ、揺れた揺れたっ! なんで揺れたのっ! いやあっ、もう怖いっ! 怖いよううっ!」
「あっ、うっ、うんっ、地震、だからね……。大丈夫だよ、あの程度の揺れなんて」
「もうっ、もうっ、平気なわけがないわっ。だって地面が揺れたのよ。崩れて押しつぶされちゃうかもしれないの!」
いや、もう、ほんとに、僕が押しつぶされそうで……!
今も彼女からは湯上りの匂いがしており、素肌に触れるとどうしようもなく女の子だと認識させられる。
地震なんてどうでも良いくらい、僕の頭はぐらぐらしっ放しなんだよ……!
「うん、とりあえず、マリー、服……」
「え? あっ、わっ、わああっ!! 目っ、目をつむって! 絶対ダメだから、そのまま上を見ていてちょうだい!」
任せておけと言いたいが、僕としても己を押さえつけるのに精一杯だ。
そろそろと身を離してゆくのが伝わり、そしてバスルームの戸が閉じられる音が聞こえる。そうしてようやく僕は安堵した。
ぐったりとベッドに腰掛けると、エルフの水滴と香りがまだ残されていることに気づく。ぜいぜいと荒い息のなか、ぽつりと呟いた。
「よ、良かった、偉いぞ、僕……。本当に偉い……」
はーーっ、びっくりした。
そうだ、地震があることをすっかり伝え忘れていたよ。日本は世界有数の地震大国だし、ちゃんと教えていなかった僕が悪い。
ついでに避難先などといった日本での対処方法も教えないといけないね。
そういえば管理組合では避難訓練なども呼びかけていたな。次の機会には一緒に参加して良いかもしれない。
などと考えていると、まるで小学生の娘を持ったような気にさせられる。
ふう、ともう一度息を吐くと、ようやく立ち上がることが出来た。
そういうわけで、バスルームから出てくるなり僕らは「ごめんなさい」と互いに頭を下げあう事になる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
すんすんと彼女はパジャマ姿で部屋の匂いを嗅いでいる。まるで朝に見かけた子猫のようだ。
どうやら香辛料にはまだ疎いらしく、嗅ぎなれない香りの正体をつきとめるべくゆっくりとキッチンへ近づいて来る。
「やっぱり匂いの元はお料理だったのね。あなたの料理は日に日に匂いが強くなってゆくのかしら」
「うん、日本伝統になりつつあるカレーっていう料理だよ。……ただ一般的なのとは少し違うかもしれないなぁ」
ルウを使わず、現地に近しい香辛料を使っているからね。
……あれ、普通のカレーのほうが好みだったかな? まあ彼女に合わせてだいぶ辛みはつけないようにしているし、たぶん大丈夫だろう。
ふうんと興味深そうに覗き込んできたので、はいどうぞと一皿を手渡す。僕は少しナンが苦手なので、そこは黄色く色付けをしたご飯にさせていただいた。
別に嫌いではないけど、カレーとパンという組み合わせがどうも……。
エルフは立ったままクンクンと匂いを嗅ぎ続け、やはり唾が出るのか喉をゴクンと鳴らした。
スパイス系はこれが魅力だよね。食べる前から食欲をたくさん刺激され、ぐうとお腹が鳴ってしまう。
「どういうことなのかしら。急にお腹がすいてきたわ。すごく匂いが強いせい?」
「うん、今日は香辛料をたくさん使っているからね。空腹は最高のスパイスっていうし、きっと美味しく感じられるよ。……ただ、今日は舌に合うか少し心配かなぁ」
石鹸の香りがする彼女と共に、すぐ隣のテーブルへと移る。
がたんと椅子を引き、それから一緒に「いただきます」と声を上げた。だいぶ流暢な言葉づかいになってきているのは、たぶん出番が多いからだろう。
スプーンに乗せ、一口食べると彼女は目を見開く。
咀嚼するまでたっぷり10秒以上かけ、ようやくモグモグと口を動かす。水と一緒に飲み込んで、それから薄紫色の丸い瞳をこちらへ向けてきた。
「辛い? 美味しい? あれ、どちらなのかしら。よく分からなかったけど……」
そこまで言って、マリーはじっとカレーを見つめる。ごくんと喉が鳴り、誘惑に負けるようにして、またあの弾けるような香辛料入りのカレーを口へと放り込む。
「んんーー……、辛い、けど美味しいっ。あ、待って、鳥肉がすごく香ばしくて甘く感じるわ」
「うん、なんとか大丈夫そうだね。良かった」
どうも最近の僕は、エルフの反応を確かめてから食べ始めている気がするな。
失礼ながら表情が面白いというのもあるし、どんな味覚への反応をするのか知っておきたいからね。
「んーーっ、辛いっ、なのに手が止まらなくて……カレーって弾けるような味をしているのね」
「そういえば向こうの世界の砂漠地帯も、だいぶ似た味付けだったと思うよ。暑い国は食事が痛みやすいし、香辛料が盛んなのかもしれないね」
きょとんとした顔をし、マリーは天井をしばらく見上げたあとに「あっ!」と大きな声を上げた。
「あの国……というよりも、あのオアシスの怪物! なんという事かしら、つい昨日のことなのに満喫し過ぎてすっかり忘れていただなんて」
うん、なんとなくそうだと思っていたよ。
まあそれはともかく、という風にマリーは濡れた髪を揺らしてこちらを見る。
「……ねえ、前みたいに同じ場所で目覚めるのかしら?」
「どうだろう。ときどき起きる場所が変わったりするんだ。理屈はよく分からないけど……まあたぶん同じ場所で起きるんじゃないかな」
あの怪物がまた出たらどうしよう……などという不安は僕にはまったく無い。なぜなら長距離移動をする技能、【旅路の案内者】を僕が保有しているからだ。
1日一回きりという制限はあるが、もう回復しているので問題ない。
「ああ、そういえば……あなたは眠そうでもしっかりとしているのねぇ」
「う、うん、ああいうときのために、僕は逃げる手段を用意しているんだ。ただ問題は……」
彼女は聡明であり、僕の言いたいことにすぐ気がついてくれたようだ。
「そうね、問題は逃げる手段ではなく、あの子供をどうするかね。見たところ獣人のようだったし、手足の鎖からして誰かから怪物を呼び出すよう命令をされていたように思えるわ」
「どうやって呼んでいるかは分からないけど、あの子が持っていた魔力触媒にきっと秘密があるだろうし、気になって仕方無いよね。そこで相談なんだけどさ……」
ふむふむと彼女は顔を近づけ、僕らは秘密会議をするように相談し合う。
作戦が決まったのは、それからきっかり30分後のことだった。
僕もお風呂を済ませ、一休みしてからベッドへ向かう。
たぶん今夜は少しだけ、夢の世界で過ごす時は短いだろう。
先に寝床へ入り込み、こちらを振り返る少女の顔は何かを期待しているものだった。恥じらいつつも見上げる瞳には、宝石に似た輝きを感じさせる。
そう、昼間にした約束、絵本を読んであげる時間なんだ。
「楽しみだわ、眠りにつくときまで物語を楽しめるだなんて」
ぼすんと彼女の隣へ入り込むと、よいしょよいしょと頭をこちらの枕へ寄せてくる。額をこつんと当て、それから天井側にある絵本の世界を紐解いてゆく。
「ふふ、それじゃあ始めるね――黒猫と夜の国」
ダウンライトの薄暗いなか、ぱちぱちと小さく彼女は手を叩く。
暗いとはいえやはり色鮮やかな絵本であり、主人公である黒猫の瞳へと僕らは吸い寄せられる。
「ある日のことです、黒猫が目覚めると……」
じっと少女が見上げているのが分かる。
お話の世界へと入り込み、そして黒猫を目で追っているのだと。
たぶん僕らは同じくらい、とくとくと心臓を鳴らしている。これから始まる物語に期待をし、そして見知らぬ大地へ向かうのだ。
数ページほど冒険を進めたところで、彼女から欠伸の息が聞こえてくる。くあっと可愛らしいもので、耳元からぽそぽそと「待って、あなたの声は眠くなるの……この先がとても気になるのに……」などと少女は文句を言ってくる。
――彼女が来てからというもの、日本で過ごす時間のほうが伸びてきた気がする。
今までの僕は日本というものにあまり魅力を感じておらず、夢の世界でばかり遊んでいたものだ。なのにエルフの少女が現れてからというもの、この国までワクワクとする感情を覚えている。
それはきっと、彼女を通じて日本というものの魅力を認識し始めているからだろう。
彼女と交わした約束、祖父の家へ旅行をするというものもそうだ。
今まで気づけなかったけれど、どちらの世界も楽しいもので溢れているのかもしれない。
すうっ――……。
寝息を立てる少女に僕は微笑み、絵本は静かに閉じられた。
おやすみなさい、エルフさん。続きはまた明日ね。




