第166話 魔装カルティナ⑤
壁面へ流れる黒い液体は、魔素と呼ばれているものだ。
これは古代から存在するもので、強力な魔術を使った名残でもある。
そして微弱な魔力を有しているため広間全体への感知能力を封じ、また質の近しい魔装カルティナは自在に移動できるという利点も生まれる。
さて、魔装と呼ばれた鎧は途方も無い力を与えてくれた。
レベルは倍以上に引きあがり、骨の髄まで一体化することで、もはや魔族とさえ呼べない存在へと変わる事ができた。
同時に人間的な感情は極端に薄まる。
とはいえ、人間性というものはこの地を追われ、遠く離れた地域で過ごしたせいで身につけてしまったものだ。不要なものだと理解するのはすぐだった。
なにしろ鋼鉄さえ素手で引きちぎり、ひとたび身体を動かせば音と変わらぬ速度で対象を切り裂くことが出来る。ならばもう、使命をまっとうする事だけを考えれば良い。
彼女へ与えられた使命は、侵入者の抹殺。
そのための初手として、精霊魔術師なるエルフを標的に選んでいる。
そして今、皆の意識は戦場へと向けられており絶好の機会が到来した。
彼らの注意を逸らすための戦場だというのに愚かなことだ、と異なる管理室で眺めていた男性はほくそ笑む。
そして男は魔装へと伝える。
すでに結果の分かっている命令を。
「いまだ、カルティナ」
送られた意思疎通を魔装カルティナは受信し、ぬるりと壁面から身を起こした。
刃に似た爪を鋭利に伸ばし、そして二対の瞳は白銀色に輝く。
任務は完全に達成できるだろう。
みなぎる自信は過剰なものではなく、ただ事実に過ぎない。運命という言葉が最も近いか。
水面を小魚が跳ねるような音は、絶命をもたらすにしては少々ひかえめかもしれない。
壁面から抜け出したカルティナは、瞬時に速度を増して飛来する。
恐らく、飛翔の音へ気づくことも無いだろう。
――ずど、ずどん!
その直後、衝撃が全身を貫いた。
とうに痛みというものは機能として外しているはずなのに、がぱりと口を開き、魔素を吐き出すほどの強烈な何か。
ただこの時は、頭が真っ白になったことしか覚えていない。
ぶわりと風が吹き、エルフの白く光沢のある髪は舞う。
詠唱へ集中しきっていた彼女は、紫水晶に似た瞳をぱちりと開いて振り返る。
そこには両手を地面につき、這いつくばった姿勢の魔装カルティナがいた。
しかし、動けない。知覚領域を最大まで高めていたことで、何をされたのか理解してしまったからだ。
――あの黒髪の女から殴られた。
その判定結果にぐらりと視界さえ歪む。
あのような速度の魔装へ、どうやったら触れることが出来る。いや、通常であれば衝撃で腕ごと吹き飛ばされるはずだ。
涼しげな顔をした黒髪の女は、にこりと笑いかけてきた。
それがまた、美しすぎてゾッとする。
なぜ、このような状況で客を迎えたような笑みをしているのか分からない。
そして形の良い唇を開けば、何やら意味の分からないことを言ってくる。
「このような話を聞いたことはあるか? 左を制す者は、世界を制す、と」
「…………?」
本当に意味が分からない。
知覚信号の記憶によると、振っていたのは右腕だ。
いや、そんな事よりも殴られたとは何だ。見れば魔装にヒビ割れが起きており、ドクドクと黒い液体は漏れている。このような打撃など、到底信じられない。
と、ひゅん、ひゅん、という音へ本能的におびえる自分がいた。ビクンと身をすくませ、慌てて半腰になって起き上がると美女の笑みはより深まる。
「ちょうど異国の格闘技とやらにハマっておってな。ふむ、ぬしはちょうど殴りやすい。すとれすも溜まっておったし、こうして盾役としての仕事をさせてもらうとしよう」
待って欲しい、盾役はそんなことはしないはずだ。
鞭のように腕をしならせ、届かないはずの打撃を当てたりはしない。
しかし、その割にはズドン、ドズン、と脇腹の魔装は砕け散ろうとしていることが信じられない。悲鳴じみた危険信号を響かせて、よろりとカルティナは後ずさる。
退却を選ばないのは、強い使命感によるものだ。
そして本来の己を捨てざるを得なかったあのおぞましさを、決して意味が無いものにしないためだ。
しかし、めしゃりと顔を殴られ、垂れてきた鼻からの血には、失せたはずの発汗機能さえもが働く思いをする。
――なんなんだ、この女は。素手で戦うなど私を舐めているのか。
打撃を耐え、無理やりに両腕でガードをしながら距離をつめる。そして本来ならば、あの女の間合いの外から鋭い爪で切りかかった。
そう、本来ならば圧倒的に有利のはずだ。
しかし――ドズッ、グバンッ、とカウンターのように相手のコブシだけが頭骨を砕こうとしてくるのは何故だ。ぐらんと頭を揺らすこれは何だ。
「お、入ったのう。ぐらーっと来ておる」
そっちは任せるわ、と戦場へ瞳を戻すエルフにも歯軋りをする思いだ。危機などこれっぽっちも感じていないあの顔に、怒りで視界は赤く染まる。
そしてもう一人、目隠しをし、明るい金髪をした女性もそうだ。
恐れるどころか図鑑を取り出し、スケッチのように何かを描いている。しかし、それでさえ嫌な予感が胸を占める。
まるでこの魔装を得たときのように、根底から変えられてしまいそうで怖い。
どっと失せたはずの汗をかき、カルティナは吼えた。
ドオオオオオッ!
生まれてきてからどの日が一番嫌だったかを問われれば、この日をきっと答えるだろう。それくらいに最悪だった。
抗えば抗うほど致命的な傷は生まれ、根幹部分にまで亀裂は生じてしまう。
瞳は灼熱色に染まり、すでに全力を解き放っているというのにだ。
――レベルッ、幾つなんだ、この女はァッ!?
というか左を使えよ。世界を制すって言っていただろう!? いつ使うんだ!!
そういう意味でも吼えていたかもしれない。
そのとき、見かねたよう意思疎通の声が脳裏へ響いた。
「下がれ、カルティナ! 修復を急げ!」
ああ、腹が立つ。
退却のため飛翔をしても追うことなく、また戦場へ目を戻すあの女たちに。
メラメラと殺意は膨れ上がり、そして魔素に満ちた壁面へと彼女、カルティナは沈んだ。
それと同時に、戦場には大きな変化が生じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ゴ、ゴ、ボ、オ゛オ゛オ゛!!
突如として地鳴りのような悲鳴をあげたのは、中央で沈黙していたボラアックス=ドゥードゥーだ。
地面からは闇色の何かが突き刺さり、全身の血を抜くようにして液体は移動してゆく。
耐えかねるよう頭をかきむしると、その右腕はひび割れ、ひじから砕ける。どぱんと溶岩のような血液をあたりへ撒き散らし――いや、部下であるオウガたちを焼く様子は、実際の溶岩と呼んで良いのか。
「なんだ? まるで生命力を吸われているみたいだ」
ふと顔をあげた僕だけど、そうのんびりと観察はできない。
ああいや、出来ない事も無い。目の前にいる暗殺者のような魔物は、たぶんレベル75くらいだし、攻撃パターンもだいぶ記録してあるからね。
9割くらいは技能のおかげで自動的にかわしてくれるし、ひとまず中ボスの様子を見ながら暗殺者の相手をする。
まあ、ひゅるひゅると二刀は円を描いて踊るが、それは単なるフェイントだし見る必要も無い。
そいつはフードを目深にかぶり、汚れた歯をむき出しにする魔物だった。腕は長く、それでいて器用にサーベルを操るものだから、倒すまでにずいぶんと時間をかけることになった。
「いや、まだ倒していないんだけど、ねっ!」
肩を切り裂こうとする僕の一刀は、がきんと後方の暗殺者が刃で受ける。ほぼ僕と同レベルだが、しかしこちらの武器性能のほうが数段高い。ぐさりと肩へ食い込み、傷だらけのそいつは悲鳴を上げた。
「にひっ、いただきまーす!」
はいどうぞ、召し上がれ。というわけでは無いけれど、後方にいたダークエルフは僕の刃を滑るようにして短刀を閃かす。
ずばッ、と小気味よく首を断ち、真っ黒い血が流れてゆく。
「うしっ、強いやつゲット! 久しぶりにレベル上がったーー」
「はいはい、それじゃあこちらもどうぞ」
「ええ、いいの? いいのぉ? 催促したみたいで何だか悪いねぇー。でも折角だから……」
両腕の腱を切っておいた最後の暗殺者は、どっと脂汗をかいて最悪な未来を予測する。が、魔物と僕らの予想は残念ながら外れてしまった。
側面から突如として現れた黒馬は、大きなひづめで暗殺者を踏み潰したのだ。
その一瞬の出来事へダークエルフは固まった。
「ああーーっ!?」
「まったく、素っ頓狂な声をあげて騒がしいですわね、イブ。同じパーティーなのですから、経験値も山分けでしょうに」
ぎぃっと兜の右側面を開き、プセリの汗に濡れた顔が現れる。
遠くのほうを眺めると、残りの2体も老人ガストンが上半身と下半身へ分断していた。まあ、あのお爺さんのレベルは推定120の化物だからねぇ……。
しかし、まだまだ本気にはほど遠そうだ。
「やあ、プセリさん。馬で暴れてくれたおかげで、敵陣でも囲まれなくて助かりました」
「いいえ、助けられたのは私ですわ。まったく、一宿一晩の恩にしては大きすぎますわねぇ。あら、この死体、なんだか様子が……」
馬上からの視線へ促され、僕らも先ほどの死体を見下ろす。
そして少しだけ驚かされた。魔物の身体からどろりと黒い液体が流れてゆき、質量を減らしてゆくのだ。
「あ、これってまさか……」
「報告にあった、反逆者ってワケ?」
まさかこれは、反逆者たちの変わり果てた姿なのか。
いま流れ出たものが魔素なのだとしたら、ウリドラの言葉を思い出すに、存在そのものを変えられていた可能性もある。
そして、戦場の変化は立て続けに起こる。
ゴオオオオオッッ!!
ボラアックス=ドゥードゥーの巨体は突如として吼え、どがんと床を叩き砕く。
しかしその頭部へ、見慣れないものが立っていた。黒い装甲で身を固め、長身ながらもどこか女性的な細さをした魔物だ。
二対の瞳を灼熱色に輝かせ、こちらへ向けてものすごい殺気を放っているが……。
気のせいか中ボスの生命力を吸い、修復しているよう僕の目には映る。そして、変化はすぐ身近にも起きた。
ずる、ぐちゃ、と死体の転がる戦場へ、再び起き上がる者が見える。倒したばかりのオウガ。その遺体へと壁面からの魔素は流れ込み、不自然な動きで戦場へと舞い戻る。
その光景へ驚いていると、脳裏へウリドラの助言は響いた。
「奴は魔装カルティナと呼ぶらしい。わしは少し、この悪趣味な真似をしでかした奴の元へ向かうとしよう。後は任せたぞシャーリー」
え、シャーリーはマリーの護衛まで出来るのかな。ウリドラが認めていることへ、僕は少なからず驚かされる。
それよりも「奴」そして「悪趣味」というのは何のことを示しているのだろう。
とはいえドゥーラから後退命令の響いているなかで、詳しく聞くことも難しい。黒馬と共に戦場を駆け、完成されようとしているマリーの防衛拠点へと向かった。
ゲドヴァー国から送られた反逆者たちが完全な魔物へ変わったのだとしたら、あのカルティナという者も……。
駆けながら振り返ると、奴は二対の黒い羽を広げてゆくところだった。
しかしあの憎しみに満ちた瞳は、いったい何があったのだろう。




