第156話 いざ、流れるプールへ①
ゆっくりと瞳を開く。
真新しいシーツと、それよりも白く光沢のある少女の髪。
指の間へしっとりとした感触を伝え、撫でるとほんの少し汗の香りがする。
すう、すう、という吐息が鎖骨に当たり、くすぐったい。
少女はどこか無防備で、ぎゅうと手足を絡めて抱きついている。だからかもしれない、いつも心配に感じてしまうのは。
透き通るような首筋、見とれてしまう長いまつ毛、そして薄手のパジャマのせいか密着してくる身体は柔らかい。
ふと何かに惹かれ、少女の身体を抱きしめる。すると手のひらには華奢なくびれ、背筋の起伏が感じ取れる。
ぬくぬくして気持ちよく、僕の胸には満足感が生まれた。
尚も少女は眠りこけ、くうと可愛らしい寝息を響かせる。その鮮やかな唇を見つめているうちに、ゆっくりエルフの瞳は開く。
ああ、これを待っていたのかもしれない。
日本で目覚め、紫水晶によく似た瞳を開かせてゆく光景を、僕はたぶん見たかったのだろう。
少女はすこしだけ人と異なる。
鮮やかな瞳は宝石のように輝き、きめ細かな肌は触れてみたいと欲を覚えてしまうほど。
それがエルフのせいなのか、はたまたマリアーベルの魅力なのか僕には分からない。
腰の上へ乗せられた少女の太ももは、ほんの少し力を増した。
絡みつき、そして抱きついて来ると同時に、ぶるると全身をわななかせる。くありという可愛らしい欠伸は目の前で、それから涙の浮いた瞳を向けてきた。
「ふうっ、おはよう、一廣さん。ええと、少しはしたないかもしれないけれど、目を閉じてくれると嬉しいわ」
うん? どういう意味だろう。
言われるまま瞳を閉じると、その間際に顔を近づけてくる少女が少しだけ見える。そして、ふかりと柔らかなものへ唇は包まれた。
あ、そうか、今日はウリドラが子育てでいないから……などとボンヤリ思う。
首の後ろを撫でられながら、ぷるりと瑞々しい感触を味わうのは、目覚めの朝にしては贅沢かもしれない。同じように首筋へ手を伸ばすと、つるりとした感触と共に――ほんの少し少女は喘いだ。
ガバリ!とエルフは身体を起こす。
顔を赤くし、そして唇を手で覆う様子へ僕は目を丸くしてしまう。どうしたのと手を伸ばすと、小さな手からぱちんと叩かれてしまった。
振り向いた少女は、どこか恨めしそうな表情だ。
「あなたは触ってはいけません。分かりましたか?」
「う、ん? でも一体どうして……ふががっ!」
きゅうと頬をつねられて、僕は目を白黒とさせてしまったよ。
「まったく悪戯好きのカズヒホですね、こうしてあげます」
どすんとお腹にまたがられ、その太ももとお尻を楽しむ間もなく、僕の両頬は引っ張られる。むすりとした表情のアップといい、なかなかの迫力だ。
うーん、これは古代迷宮第三層の魔物より恐ろしいかもしれないぞ。
そう、実際のところ第三層は拍子抜けだった。いや、それは僕の感覚なんだろうけど。
敵のレベルは格段に上がり、今までとは比べ物にならない強敵も多い。しかしその分、ウリドラやシャーリーの本質を見抜いてしまう敵が現れ始めたのだ。
すると彼らはスタコラ逃げ去り、それからもう二度と現れることは無い。
アイスティーをグラスに注ぎ、それから部屋を漂うクラゲへと差し出す。からから落ちてくるのは不純物の無い氷で、淹れたてでも熱を一気に冷ましてくれる。
うんうん、氷の精霊くんは便利だなあ。たまに、ふらーっと冷凍庫へ吸い寄せられる時もあるけれど。
テーブルに目を向けると、エルフの少女はゆったりと座り、そして「ありがと」と手を伸ばしてくる。口をつけ、ごくりと喉を鳴らす光景を見ながら僕も椅子へ腰掛けた。
「なんだか変な感じだねぇ、第三層は。残念なのは灼熱色のドラゴンと戦えなかった事かなぁ」
「あら、楽なほうが良いじゃない。私はそのぶん、あなたの料理を楽しんでいるから構わないわ」
そう言いながら、マリーは長い髪を束ね始める。
ちょうどテレビでは朝のアニメをやっており、それの髪型を真似ていることに気づく。ブラシで整え、そして頭の左右へ束ねるとツインテールに生まれ変わる。
白い髪、透き通るような肌と宝石のような瞳をしているせいで、どこか魔法が使えてしまいそうにも思えてしまう。
ああ、そういえばマリーは普通に魔法を使えるのか。なるほど、髪型のチョイスはある意味で合っているようだ。
そう考えて、よりアニメへ近づけるようリボンを取ってくると、少女を手伝うことにする。
しかしこの髪型は、魔具を使っても長耳を隠しきれないな。後ろ髪は残しておくべきか。いやそうするとツインテールは崩れてしまう、などと僕は下らない苦悩をする。
「べつに戦闘ができないわけでは無いでしょう? ウリドラたちに気づけないような、弱い相手は襲ってくるじゃない」
「そうだねぇ、ただ僕としては……分かるかな、男っていうのは限界ギリギリの戦いを求めてしまうものなんだよ」
まったく分からないわと言われ、そうですかと僕は頷く。
いやまあ、確かに分からないよね、ダンジョンへ求めている浪漫なんて。
さて、あれから幾日か迷宮を攻略しているけれど、大方の予想に反して今のところは順調だ。ただこの平穏も、たまーにで構わないから崩れてくれないかなぁ、とも思う。主に戦闘への浪漫のために。
今回の層の大きな特徴は、知性ある魔物の多いことがあげられる。
当然、敵の攻撃パターンは増し、その対処法を共有するミーティングをたびたび開いている。
弱点とも言える魔力増幅器官について、その破壊方法、倒してゆく敵の順番などなど。
「それにしてもドゥーラは頼もしいわね。私たちの協力戦線は個性派揃いなのに、打ち合わせでうまく仕切っているでしょう?」
「意外だったねぇ。彼女のレベルは低めだけど、統制力はあるみたいだ。たぶんだけど、回復役というのもあるんじゃないかな」
彼女の率いるアンダルサイト隊は、回復や障壁などのバックアップが中心だ。そうなると全体の状況を把握し、どのように援護すべきかの訓練を受けている強みを活かせる。
そういう意味で、回復役が全体をまとめるのは理想的かもしれない。
ドゥーラが皆へゴールを示し、そして能天気なゼラが肩の緊張をほぐす。夫婦漫才じゃないけれど、息ぴったりの連携だなと感心させられるよ。
「もちろんそれも強力な火力があってのものだわ。私たち、ダイヤモンド隊、そしてガストンというおじいさんも。それがうまく全体を機能させているわね」
使いかけのノートに、少女の鉛筆がすらすらと踊る。
基本的な役割は、イブ及びゼラ隊による斥候、前面を守護するプセリ隊、後方で援護するドゥーラ隊、そして遊撃をする僕らの隊に分けられる。
敵の数と特性に応じた配置転換は、持ち前の柔軟さを持つゼラ隊の役割だ。
そこへマリーの立体的な地形変動を加えると、簡易的な砦ができあがる。やはりマリーは集団戦闘でこそ威力を発揮し、特に塔の監視者による索敵の貢献度は大きい。
「うーん、たしか全員で45名と聞いたけど、これくらいの規模が一番進めやすいのかな」
「そうねぇ……私の考えでは、足を引っ張る人の少ないところが大きいと思うの。あなたの言う通り、数だけ揃えても有益になりづらいと思うわ」
働きアリの法則は有名だけど、それと同じ状況になりかねない。
自分は働かなくて大丈夫だと思う者は、いざ危機になると逃げ出しやすい。元から責任を放棄しているからこその行動だけど、それにより皆の腰まで引けてしまうだろう。
だったら最初からいないほうが良い。
「そう考えると、アジャ様が少数精鋭にこだわる理由も分かってくるな。ふうん、案外と面白いね、集団で攻略するというのも」
あとの課題は、消耗品や食料など物資の受け取りか。
第二階層の本部まで取りに戻るのは、さすがに時間のロスになる。かといって危険を考えると少人数で取りに行くことも難しいので、全員で向かわなければならない。
「もうひとつ面倒なことがあるわ。ほら、私たちは眠るときだけ別行動しているでしょう? 一緒に休むよう何度かドゥーラから交渉を受けているの」
「うーん、僕らのいないとき襲われると、厄介な状況になりかねないからねぇ」
それもあって、念のためウリドラは向こうに残り、子育てをしている。
何かあれば駆けつけてくれるし、最悪の事故にはなりづらいだろう。その代わり、日に日に彼女のストレスが溜まりつつある事は知っている。
まあ、基本的にウリドラは集団行動が苦手だからねぇ。
それと、この階層主の情報がまるで出て来ないことも課題か。
今はそれほど気にしなくて構わないが、前層のシャーリーは階層主なのに頻繁に姿を現すという特殊性があった。
もしも同じように現れた場合のため、心構えはしておかないと。
などとノートには現状、そして課題が次々と埋められてゆく。
こういうものへ熱中してしまうのは僕らの性格らしく、はっと気がつけばもう8時だ。
「あら、いけない。せっかくの週末なのに、迷宮のことばかり考えていたわ」
「ん、ウリドラのこともすっかり忘れてた。怒られないと良いけどなあ」
などと考えながら、ベッド脇にある魔具のもとへ向かう。
夏の週末といえば、もちろん夏らしいイベントをすべきだろう。そう考えた僕らは、現れた黒猫へ明るく声をかける。
「これから水着を買いに行くよ。プールにも行くけれど、もし興味があるなら途中で夢の世界へ迎えに行くかい?」
瞳をキラリと輝かせ、にゃあにゃあ!と元気いっぱいにウリドラは鳴きだした。
そういえば以前、ラーメンについて教えた事があったかな。そのせいで口元をぺろりとピンク色の猫舌は舐めた。
カーテンをじゃっと開けば、外もだいぶ晴れている。
どうやら絶好のプール日和のようだ。




