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第15話 はじめてのご近所さん

 

 エルフの少女は大事そうに絵本を抱え、椅子から立ち上がる。

 数ある本の中から選ばれたのは、どこか生意気そうな猫の表紙をしているものだった。


 そういえば、どことなく彼女も猫に似ているように思う。気まぐれなところや時折じっと見つめてくる、あの宝石のような瞳とかね。


 何かしら?と、こちらの視線に気がついた少女から見上げられ「やっぱり似てるなぁ」などと思う。

 小首を傾げる彼女に、ぽんと手のひらをニット帽に置く。好きなだけ撫で回すことを、彼女が許してくれれば嬉しいのだが。


「ずいぶん悩んでいたね。他に良さそうなものがあったの?」

「ええそうね、ずるいことにカエルの絵本があったのよ。あれは悩んでも仕方が無いわ」


 視線の先を追ってみると、いかにも偉そうにふんぞり返るカエルの絵本があった。

 ふむふむ、ああいう生意気そうなキャラに彼女は弱いのか、などと心の中でメモをしておく。


 そうなるとキャラクターの小物も好きかもしれない。いっそのこと東京なのか千葉なのか分からない、あの大型施設へ遊びに行ってみるか……などと予定表は順調に埋まってゆく。


 ここは区立図書館であり、貸し出しの本をようやく決めたところだ。

 壁掛けの時計を見上げると、もうすぐお昼どきという時刻。ゆっくり帰っても食事の準備は間に合いそうだ。

 まだ絵本の世界から抜けきれていないのか、どこかふわふわとしたエルフを連れて受付へと向かう。


 待っていた女性は会釈をし、マリーから差し出された本を受け取るとにっこりとした笑みを返してきた。

 黒髪を肩まで伸ばし、どことなくおっとりとした顔つきをしている女性だ。


「すみません、これを借りたいのですが」

「はい、分かりました。久しぶりですね、北瀬さん。どうしたのです、今日は可愛い子を連れて」


 僕も何度と無く足を運んでいたせいで、この受付の彼女とは顔見知りになっている。たぶん年はそれほど離れていないと思うし、薬指に指輪をしているとおり既婚女性だ。


「ええと、海外から来た親戚なんです。彼女も絵本を気に入ったようですので、これからよく遊びに来ようかと思います」

「あら、それは楽しみですね。ええと、お名前は何というのかしら?」


 清潔感のある黒髪を揺らし、カウンターから少女へと覗き込んできた。

 ああ、ついでに簡単な日本語の実践をしてみようか。

 尋ねられたことをエルフに通訳してあげ、いくつかの単語も教えてあげる。口の中で何度か繰り返し、それから彼女はたどたどしく口を開いた。


「コンニチハ、マリアーベル、デス」

「一条 薫子かおるこです。よろしくね、マリアーベルちゃん」


 夢の世界での癖なのか、マリーは握手を求めるべく手を差し出した。透き通るように白くほっそりとした少女の手に、受付の一条さんはぽやっと見とれ、それから慌てて椅子から身を起こす。


 たぶん一条さんは、彼女から幻想的なものを感じたろう。

 少女は物語の世界にいるよう美しく、例えるならば一角獣ユニコーンがそれに近い。

 声をかけることも、ましてやその芸術品を素手で触ることにためらいを覚えたのかもしれない。


 恐る恐るというぎこちなさはあるものの、2人の手は重ねられた。

 やっぱり……などと思ったのは、一条さんが「んんっ!」と堪らなそうな声を漏らしてしまったことだ。

 身悶えるのをこらえるプルプルと震える様子に、マリーは少しだけビクッとした。


 ……まあね、本当にお人形さんみたいな子だからねぇ。動いているだけで、ましてや触れることが出来るだなんてと震えてしまう気持ちはよく分かるよ。

 きょとりと少女はこちらを見上げてくる。


「ねえカズヒホ、どうして私の名前のあとに『ちゃん』がついたのかしら? 名前が間違って伝わっているの?」

「ん、ああ、そうじゃなくて、可愛い子の名前のあとにつけるものかな」


 小首を傾げるマリーへと簡単なレクチャーをしてゆく。

 僕の名前についた「さん」は同年代から上の男女につけるもの。逆に「ちゃん」は主に年下へ使うものだと教えてゆく。


 ふむふむとマリーはうなずき、それから一条さんへと顔を向け、桜のように色づいた唇を開かせる。


「ヨロシク、デス、カオルコ、チャン」


 ……あ、そうか、エルフである彼女から見れば一条さんは年下にあたるのか。

 とはいえ相手はそれを気にするどころか、たどたどしいその言葉使いにノックアウトされかかっている。


 一条さんは、ぎゅううと己の身体を抱きしめ、感情を落ち着かせてからようやく顔を持ち上げた。黒髪を頬にほつれさせているものの、なんとか受付として冷静な顔を取り戻せたらしい。


「……北瀬さん、名前を呼ばれたときの破壊力がすごくて困ります」

「そうなんです、そのくせ自分では分かっていないから僕も大変なんですよ」


 わかります、と同情を含めた瞳を向けられてしまったよ。ああ、この苦悩を分かち合えるときが来るなんて、と妙な嬉しさを覚えていたのだが……。

 何かに気づいたように彼女の瞳は疑わしげな瞳へと変わってしまった。


「ま、まさか手を出したりは……」

「しませんしません。それほど僕には度胸もありませんから」

「つまり、度胸があれば手を出していたと?」


 あっ、返答に失敗したかな。

 とはいえ、度胸があっても何かをしただろうか。僕の中の優先順位は、彼女との関係を壊したくないというのが一番にある。


「可愛い子なんです。幻滅されたくなくて」

「……はい、私などが言うことではありませんが、しばらくはその関係が良いと思いますよ。さて、貸し出しカードですが、住所変更などはありませんか?」


 あ、そういえば……以前に図書館を使用していたのは、引越しをする前のことか。免許証を差し出し、そして住所変更の手続きを行う。

 免許証を手渡したときに、「あら?」と一条さんが声を漏らした。


「まさか、同じ番地……? あの、ここは○△マンションですか?」

「え、一条さんもこちらに住んでいるんです?」


 彼女は目を丸くし、こくこくと頷いてきた。

 はあ、驚いたな。まさか同じ場所に住んでいただなんて。

 くいくいと袖を引かれ、見下ろすとマリーが怪訝そうな顔をしていた。


「ねえ、何を話しているの?」

「ええとね、どうやら彼女も僕らと同じマンションに住んでいるんだって。たしか結婚をしているから、ご夫婦で暮らしているんじゃないかな」

「あら、ご近所の方だったのね。マンションというのは下にも横にも家があって、だれが住んでいるのか分かりづらい気がするわ」


 忙しい現代人として、ご近所付き合いというのは薄れつつあるからね。かくいう僕もそのような付き合いをしたことはあまり無く、そしてまた興味も少ないものだ。

 マンションの管理組合というものもあるが、そちらはほとんど不参加だ。

 そう一条さんへ伝えると、同意の意味でうなずいてくれる。


「まあ、管理組合といっても掃除や防災訓練くらいですからね。交流の場に行くかは個人の判断ですし」

「そうですね。僕の場合はかなり趣味に偏ってますから……」


 僕は人付き合いというのが何となく苦手なんだ。気を使って疲れるというのもあるし、印象を悪くしないよう考えないといけない。

 あれ、そう考えるとどうしてマリーと一緒にいるのは苦にならないのだろう。


「…………?」


 目を合わせると不思議そうに見つめられたが、どうにも答えが出てこない。

 彼女と一緒にいても面倒だとは感じていないし、気苦労することさえ楽しめている。うん、僕の中によく分からない面が出てくるとは思わなかったな。

 などと考えているときに、一条さんは声をかけてきた。


「もし良ければ、どこかで私達だけでも交流しませんか? その、正直なところマリアーベルさんと仲良くなりたくて」

「え、ああ、そうですね。では連絡先を……」


 他の人との交流も日本語の勉強になるかもしれないと思い、申し出を了承することにした。とはいえすこし緊張するな、女性と連絡先を交換するなんて。

 SNSの登録を済ませるというのは、エルフにとっては不可思議なやりとりに見えただろう。


「ね、ねえ、何をしているの?」

「うん、彼女が君と仲良くなりたいんだって。だから連絡先を教えているんだ。構わないかな?」

「それはもちろん……構わないわ。でも……」


 カウンターの下で、するりと柔らかい指が僕へと絡みつく。

 きゅっと握られる感触からは彼女の感情が伝わってくるようで、なぜか胸がとくとくと鳴り始める。


「大丈夫だよ、僕もずっと一緒だから。君の初めての友達ができると思う」


 そういえば彼女はすこし引っ込みがちな性格だったのを思い出す。交流を苦手としているし、ある意味で僕と似通っているのかもしれない。

 少女は無意識に僕の手をにぎにぎとし、それからようやく顔をこちらへ向けてきた。


「うん……分かったわ。ええと、挨拶の言葉を教えてくれるかしら」


 やがて図書室の片隅で、エルフの少女はたどたどしく挨拶の言葉を発した。考えてみれば、これが彼女にとって初めてのご近所づきあいになるだろう。


 もう一度握手をしあう光景に、エルフはもう一歩だけ日本に踏み出したような気がした。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「ま、まさか手を出したりは……」 「しませんしません。それほど僕には度胸もありませんから」 「つまり、度胸があれば手を出していたと?」 うざすぎる。人のプライベートにずかずか踏み込んでくる…
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