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第144話 エルフさん、天丼ですよ①

 

 ごう!


 扇風機が回りだすと、心地よい涼しさに僕は息を漏らした。

 それもそのはず、うちのエルフさんは精霊使いなのだから、風の通り道へ氷板を置くことも容易い。


「んー、エアコンとそんなに変わらないなんて、氷の気化熱も侮れないなぁ」


 これで寝苦しい熱帯夜は避けられそうだ。

 満足した僕は開けっ放しの窓を閉じるため、よいしょと立ち上がる。


 外は少しずつ暗くなりつつあり、観光づくしの1日は終わろうとしている。それへ少々の寂しさも覚えつつ、がらりと閉じればセミの声も少しだけ遠のいた。


 さて、宙を漂うクラゲこと氷の妖精は大忙しだ。

 氷柱を管理すべく、せっせと周囲を泳いで蒸し暑い部屋をどうにか快適にしようと苦闘する。とはいえ、ふわんふわんと眠くなるような動きだけどね。


「涼しくて良いけど、唯一の弱点は人に見せられない事かな」

「うん? 日本人は勤勉らしいが、エルフ語にも通じておるのか?」


 そう言われ、視線を移すと新聞を読むウリドラがいる。テーブルに広げ、スポーツ欄以外へ目を通しているのは何やら不思議な光景だ。ちなみに4コマ漫画は一番最初に読む。


 ゆったりしたシャツで鎖骨から左肩まで露にし、そこへ紫色のブラ紐が覗いている。竜の尻尾を椅子から垂らしているのを見るに、楽な服でだらんと過ごしたいのだろう。


「……いや、まさか。エルフ語を覚えてるのは僕らぐらいだよ」


 唐突な問いかけに戸惑いつつ、とりあえず首を横へ振る。

 すると彼女の瞳はちらりと扇風機を向いた。いや、正確には扇風機を覗きこむ、半透明のシャーリーを、か。

 こちらの視線に気づいたのか、彼女は青空色の丸い瞳を向けてきた。


「シャーリー、そこへクラゲらしき物は浮いておるか?」

「……?」


 くらげ?と不思議そうな顔をひとつし、辺りをきょろきょろ見回す仕草に僕は驚かされた。すぐ目の前で、ふわんふわんと彼らが泳いでいるというのに。


「え、つまりどういう事なのかな?」

「妖精の姿を見れるのは、赤子のように純真な者、それと勘の良い動物くらいじゃ。しかし彼らの言葉を十分に理解しておれば、存在くらいは感じ取れる」


 ばさりと新聞をめくりつつ、ウリドラはそう答えてくれた。つまり、エルフ語を理解する僕には見える、という事なのかな。


「ここから先は覚える必要も無いが、もう少し詳しく言うておこう。昼間、郷に入れば郷に従うものと伝えたが、シャーリーと同じように実は精霊たちも日本へ合わせておる」


 何かを思い出したのか、ウリドラは人差し指を伸ばし、話しながら工作をし始めた。黒い粒子はゆっくりと形を成してゆき、その不思議な光景へ僕の目は吸い寄せられる。


「今は万物に宿る精霊、すなわ八百万やおよろずの神々に近しい存在じゃ。故に地域の感情に流されやすく、故に日本人としての思考へ通じておる」


 八百万やおよろずと聞いて、ぱっと思い出すのは神社などの日本古来からある神道だ。いわゆる自然信仰というもので、日本だけでなく世界中に近しい教えが残されている。


「つまり、術者も言葉の本質を理解しておらねば、彼ら精霊から相手にされぬということじゃ」

「ふうん、そういうことだったのね。私も日本語を覚えたあたりで、ようやく使役できるようになったわ」


 エプロンと三角巾をつけ、野菜を洗っていたマリーは口を挟む。しかし料理に忙しいらしく、それ以上の会話をすることなく近くの包丁を手にした。


 元から料理の素養があった彼女は、もうひととおりの調理方法を覚えてしまった。ただし料理によって味付けや下ごしらえは変わるので、その都度教えてあげる必要はあるけれど。


 難しい話はさておき、必要なことだけ聞いておこうか。


「ええと、もうすぐ来る薫子さんに、この精霊は見えないのかい?」

「見えぬじゃろう、余程の素質が無ければのう。精霊語も扱えぬなら、地脈に恵まれた自然に囲まれ、水や風、土や火などを感じ続ける、それこそエルフのような生活をしておらねばならぬ」


 うーん、新聞を読みながらのせいか、難しい言葉を彼女は選ぶなぁ。

 とりあえず、旅行先の相談役として彼女が来ても、まるで問題ないわけか。とはいえ、幽体のシャーリーは見えてしまうのだろうから難しい。


 そして説明をしながら創造していたウリドラの工作も終わったらしい。

 黒い粒子は黒ふちメガネに生まれ変わり、顔につけ「似合うか?」と視線で問いかけてくる。いやいや、あなたに似合わないものはそうありませんよ。


 ニッと機嫌よさそうな笑みを受け、包丁で野菜を切るマリーの隣に向かう。


 1DKなのでキッチンは壁際にあり、左手にはテーブルが、そして背後は小さな玄関だ。ざるに入っている残りの野菜を洗いつつ、少女へ茄子の切り方を教えることにした。


「天ぷらはさっと揚げたほうが美味しくてね、茄子には切れ込みを入れて、なるべく均一に火を通すようにするんだよ」


 すっすっと茄子へ隠し包丁を入れてゆくと扇状に広がる。皮は黒いけれど中身は白いので、広げるとなかなか鮮やかだ。へええと少女は感心する表情を見せた。


「こうやって、縦でも斜めでも構わないから均一の切れ目を入れると良いよ」

「ふうん、見栄えも良くて面白いのね。やってみるわ」


 手際よく切ってゆく様子に、マリーもすっかり包丁に慣れたなーと安心する。

 いや、ほんと覚えが早いね。もしも彼女みたいな弟子がいたとしたら、師匠も教えがいがあるんじゃないかな。


 ああ、そういえば魔術の師匠はウリドラか。ならば確かに猫可愛がりをするはずだ。などと考えながら下ごしらえは彼女に任せることにし、甘辛い天つゆの用意を始める。


 炊飯器からはくつくつと湯気が出始めており、そして窓の向こうはだいぶ暗くなってきた。壁掛け時計を見上げると、もうすぐ7時になろうかという時間だ。


 今夜は4人前、しかも天ぷらなのでスピード勝負だ。

 以前のように衣を用意し、それから冷蔵庫へ……しまわずに、背後へくるりと振り返る。そこにはクラゲが浮いており、ボウルをこつんと氷板の上へ乗せることにした。


 うーん、すぐに冷やせるなんて料理にも便利だなぁ。


 さて、新聞を読んでいたウリドラも、しゅわわと揚がり始めた良い香りには中断せざるを得ない。鼻をひくひくと動かし、身を起こすと黒猫のときと同じように近づいてきた。

 その肩をシャーリーは掴み、2人一緒に覗き込んでくる。そわそわした様子の彼女へ、調理しながら僕は振り向いた。


「ごめんね、今夜は急がないといけないし、人数分にぴったりだから味見は出来ないよ」

「ぐ……ッ! し、仕方ないのう、そこの茄子ひとつで我慢するとしようかのう!」


 うん、だから今夜は味見禁止。

 指でバツマークを向けると、竜は眉をみるみる落とし、今にも泣きそうな顔になった。彼女の表情は豊かすぎるし可哀想に感じるけれど、僕のバツマークは揺るがない。


 ぱっと顔を上げ、名案だとばかりに彼女は明るい顔をした。


「よ、よし、こうしようではないか。魔導竜の鱗と引き換えに……!」

「ウリドラ、あっちに行って頂戴! すぐ後で食べれるのだから、大人しく待ってなさい」


 くわりと放たれる少女からの迫力に、ウリドラ、そして何故かシャーリーまでビクンと慌てる顔をした。とはいえ僕から見ると、子猫が怒ったくらいの可愛い迫力なんだけど。


 とぼとぼ帰ってゆく様子を眺めつつ、こちらは次々と野菜をあげてゆく。

 ひととおり終われば、いよいよメインディッシュとも言える海老の出番だ。丸まらないよう下処理をした海老を、マリーの目の前で揚げることにした。


 とはいえ、これは少し緊張する。大きく見せるいわゆる花揚げをしたいけど、ほとんど経験の無いせいだ。


「えーと……、薄く溶いた衣をちょんちょんと……」


 しゅわしゅわと揚がってゆく海老へ、料理箸をつかって衣を少しずつ付けてゆく。うーん、揚げる時間も限られているので、なかなか難しいぞ。

 じいと覗き込むマリーも、その様子に瞳を輝かせた。


「わ、大きくなってくわ。お花が咲いてゆくみたいね」

「だから花揚げって言うんだよ。あんまり大きくしても美味しくなるわけじゃないから適当にね」


 キッチンに漂う天つゆの甘い匂い、ふんわりとした衣と野菜の揚がる香りに、そろそろウリドラも我慢の限界だ。うろうろと歩き回る彼女を眺め、そんなことを思う。


 さて、油から取り出すと、やや不恰好ながらもどうにか形になってくれてホッとする。では次の海老を……と掴んだとき、ちょうど来訪者を告げるチャイムは部屋に響いた。


一廣かずひろ、私が残りを揚げておくから、あなたは出迎えてちょうだい」


 うーん、頼もしいね。地下迷宮ではこれ以上なく頼もしい少女だけど、調理でも同じ存在になるとは夢にも思わなかったな。

 キッチンのすぐ後ろにある玄関を開ける――前に、くるりと振り返る。


「ウリドラ、尻尾と角を……」

「つーん」


 むっすりとした顔を見せ、いつの間にやらどちらも綺麗に消えていた。すると気配なりを察していたのかな。うーん、相変わらず鋭いね。


 そのまま視線を変え、扇風機の前にいるシャーリーへ手を伸ばす。すると彼女は手を掴み返し、ふわりと宙へ浮かぶと僕のなかへ憑依した。

 おっと、少しだるさを感じるな。はやくご飯を食べないと……などと思案しながら玄関を開く。


 ――がちゃり。


 そこには肩のあたりで髪を切りそろえ、清潔感のある女性が立っていた。いつの間にやら外は真っ暗だ。


「こんばんは、薫子さん。もうすぐ用意できますのであがってください」

「ええ、こんばんわ。んーー、良い香りですね。マリーちゃん、それにウリドラさんもこんばんわ」

「うむ、よく来たのう。わしの隣に座って待つが良い」


 いつの間にやら薫子さんと交流していたらしく、2人は揃って明るい顔を向ける。

 ただし胸の奥から伝わってくるシャーリーの感情は、少しだけ怖がっているようだ。心配だけど仲の良い様子を見ているうち、きっと落ち着いてくれるんじゃないかな。


 さて、家にあがると薫子さんは、きょろきょろと部屋を見渡す。

 ふわっとしたブラウスにパンツ姿とあり、図書館に勤めているときと変わらない落ち着いた格好だ。その彼女は、視線をぴたりと一点へ向ける。


「あら、何か白いものが浮いてませんか? なんです、これは?」


 がたんっ、と大きな音が響いた。

 ウリドラの椅子から身を起こす音、そして僕がキッチンに腰をぶつけた音だ。


 ちらりと「見えないって言ったよね!?」と瞳で訴えかけると、彼女は「見えぬはずなんじゃあ!」と抗議の表情を返してきた。

 そして困ったことに、肝心のマリーは海老を揚げることへ全神経を注いでおり、この危機にまるで気づいていない。これでは精霊を消すのも難しいじゃないか。


 落ち着け、落ち着け、考えろカズヒホ。

 あれは氷の妖精だよ、なんて明るく言ったらどうなるか考えろ。最悪、ここへマスコミ関係者が来るかもしれない。もしかしたら、マリーをこの世界へ呼べなくなるかも……。


 ぎゅんと音のしそうなほど、僕の脳細胞は活性化した。

 いやほんと、これほど追いつめられた記憶は無いよ。あの勇者候補との激突だって、もうすこし楽しめる余裕があったくらいだ。


「……ああ、今は理科の実験をして遊んでいたところでね。ほら、よくテレビで見かけるドライアイスを使ったやつで……すぐ片付けますね」

「え? あ、はあ。ドライアイス……?」


 にこりと爽やかに笑いかけ、自然と氷妖精への視界を断つ。

 まだ彼女はしっかりと氷の精霊であるクラゲを目にしていないはずだ。でなければ悲鳴を上げていただろう。


 そして「よくテレビで見かける」「実験」などの単語を組み合わせることで、頭のなかの映像は、ゆっくりとドライアイスの煙に変わってゆくはずだ。きっとそうに違いない。そうなってください、お願いします。


 そして慌てず騒がず氷の精霊をムンズと掴むと、冷たさも気にせず風呂場へ向かうことにした。がろりと戸を開き、ぽいとお風呂場へ放る。


「ごめんね、しばらくしたら迎えに来るから、のんびりしてくれるかな?」


 まるで「いいよ」と返事をするよう、彼はふんわりと泳ぎだした。仕事を邪魔されたせいか、はたまた掴まれたせいか、少し怒っているように見えるから後でちゃんと謝らないといけないな。


 さて、そーっと居間を覗き込む。


 するとテーブルに座り、ウリドラと談笑をする薫子さんが見えた。おかげでようやく、ほおっと安堵の息を漏らすことが許されたよ。


 いやほんと、心臓に悪いったらないね!

 うーん、しかしどうして彼女には精霊が見えたのだろう。

 そんな疑問を浮かべつつ、僕は部屋へ戻ることにした。


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