第143話 2人の悩み
エンジンをかけ、ハンドルを握るといつものように僕は安全運転をする。
急いでも何も良いことは無いし、もし事故でもおこしたら「会社をサボって事故った奴」と指差されてしまうからね。
なので、行きと同じように明るい音楽が車内に流れていても、ご機嫌そうなエルフさんの鼻歌が聞こえても、車の速度メーターは揺ぎ無い。
しかし気になるのは、何でもポンポン生み出せるウリドラが、後部座席の窓へカーテンを取り付けたことかな。
不思議に思っていると、隣ではなく後ろから少女の声が聞こえてくる。
「んー、かき氷って甘くてシャキシャキして美味しー。シャーリーも食べるかしら?」
こくこくと半透明をした彼女は頷き、とても食べたいらしく手を握って待ち構える。だけどイチゴ色のかき氷は「あーん」という可愛らしい声と共に、彼女ではなく僕の口へ入れられてゆく。もちろん楽しめるのは冷たさだけの無味無臭だ。
その代わりシャーリーはたまらなそうに目をつむり、シャキッとする冷たさ、そして子供受けのするイチゴ味を楽しめる。
不思議だなあ。僕の肩あたりをぎゅっと握っているけれど、そこを通じて味覚も向こうへ移っているのかな。
「うむうむ、かき氷は夏にぴったりのデザートじゃなあ。この幸せを知らぬ者など、この日本におらぬじゃろう」
ええと、僕は無味無臭なので、幸せとやらを味わえていないからね?
いつの間にやらマリーも後部座席へ移っており、麦わら帽子だけ置かれた助手席になんとなく寂しい思いをしてしまう。なのでたとえ無味無臭でも、すぐ横から顔を覗かせ「食べて」とスプーンを近づけてくれるのは嬉しい。
そのマリーは、きょとりと車内を見回した。
「それにしてもレース付きのカーテンを付けるだけで、お部屋のように変わるのね」
「ふ、ふ、何もお洒落に目覚めたわけでは無いぞ。これならばシャーリーもゆっくり過ごせるじゃろう。外からはまるで見えんからな」
なるほどね、幽霊姿のシャーリーと楽しむために、ああしてカーテンで隠していたのか。
やはり幽体である彼女も、身を隠しているのは疲れるらしい。
先ほど、ぽんと車内へ姿を現したときには、うーんと気持ちよさそうな伸びをしていたものだ。いや、さすがは未来の猫型……ではなく、魔導竜ウリドラだね。
かき氷を飲み込むと、僕とシャーリーは揃って頭をキーンとさせた。
しかし片道たったの1時間という観光だったけれど、皆はすっきり明るい表情をしている。せっかく日本へ来たシャーリーのため、行きたがっていた庭園を選んだけれど、マリーやウリドラも楽しめているようで良かったなぁ。
「あ、そうだ。海への旅行も組まないといけないね。今日は月曜だから薫子さんもお休みかな」
「あら、旅行先の相談をするのね。良いじゃない、もし都合が良ければ夕飯も一緒に食べましょう」
すぐ横から嬉しげな表情を少女は見せてくれ、同時に僕も安心する。というのも以前のマリーは有名なほどの人嫌いで、おまけにこの日本で唯一のエルフだ。それがいつの間にやらご近所との触れ合いを楽しんでいることに、僕は人知れず喜んだ。
さて、旅行先はこれから相談するとして、残された問題はひとつきりか。
つい先ほどまでは大丈夫と思っていたけれど、かき氷を食べたあたりで流れは変わった。つまりは僕の膀胱がそろそろトイレへ向かいたがっているのだ。
とはいえシャーリーを困らせるのも避けたいし、コンビニのトイレなどではすぐ外で待ってもらうのも難しい。もし誰かに見られたりしたら大惨事になりかねないからね。
もうひとつ思いつく方法は、仮眠をして夢のなかでトイレに行くということだ。しかし尿意を覚えながら眠れる自信は……あまり無いね。うーん、困ったぞ。
それにしても不思議なのは、僕とシャーリーの関係だ。
今は宿主として憑依されており、食べたものの栄養や味覚を彼女へと送っている。そうしないと彼女から体力を奪われ、猛烈なだるさに襲われてしまうらしい。
「ウリドラ、どれくらい栄養を摂るとシャーリーは安定するのかな。目安とかあると僕としても助かるんだけど?」
「個人差によるのう。何度か痛い目に合えば、おぬしの事じゃから本能的に覚えるじゃろう」
うん、すごく乱暴な目安で安心するね。
ただ「個人差」という表現は少し気になるかな。いったいどういう理屈になっているのだろう。
そう尋ねてみると、彼女の黒い瞳はこちらを向いた。
「うむ、宿主と幽体、その間に溝があると、より強く身体に障るとわしは考えておる。いわば精神的ストレスじゃな。幸いなことに、おぬしは彼女から好かれておるようじゃから溝を気にする必要はない」
あわっ、とシャーリーは驚いた顔をし、それから「違います」と言いたげに両手を振る。バックミラーには彼女の弁明する顔がアップで映り、パタパタ手を振る可愛らしさに、思わず吹き出してしまいそうだ。
……けど、いま両手を離してなかったかな? あれぇ、憑依中だから僕の肩を握っていると思っていたのに。
なぜかエルフさんは薄紫色の瞳をじーっと彼女へ注ぎ、シャーリーは透明の肩をビクンと震わせる。そして恐る恐る振り返ると、今後は彼女へパタパタと手を振り弁明をし始めた。
その様子を眺めていた黒髪の女性は、端正な顔をくしゃりと歪める。
「くはっ! ははは! 第二階層主がエルフにペコペコしておるぞっ! ほれ一廣、車を停めて写真を撮らぬか」
「~~~……っ!」
おお、温厚なシャーリーが珍しく「むっすぅー」と眉間へ皺を寄せたぞ。そして本格的に僕から離れると、半透明な身体をゆっくりウリドラへと重ねてゆくけれど……。
「こらこら、やめぬか! せっかく食べた栄養が……んはは! こそばゆい!」
なるほど、これが身体に障るということか。
あ、ちょうどいい。せっかく身体から離れてくれたなら、この隙にトイレへ行こうかな。
ウインカーを出し、ゆっくり車をコンビニの駐車場へと向けることにした。
「じゃあウリドラ、しばらくよろしく」
「なぬっ、待たぬか! これ、マリアーベルまで行くでない!」
「ウリドラはたくさん食べたでしょう? 羨ましいわ、ダイエットを手軽にできるなんて」
にこりと笑いかけ、エルフさんは扉をばたんと閉じる。
そして炎天下の下に出てから、はたと気づいて彼女と見つめ合う。
「あ、ダイエット……」
「出来ちゃうかも! んふっ、私の切実な悩みのダイエット、それとあなたのトイレもこれで解消ね」
うん、まさかコンビニへ停めるだけで、お互いの悩みをひとつずつ解決できるとは思わなかったな。そうだ、ついでに薫子さんにも電話しておこうか。もし夕飯を一緒に食べるなら、早いうち連絡したほうが良いだろうし。
夕方も近いというのに、まだまだ日差しは強いものだ。
しかし、かき氷ですっかり冷えたのか、ぺたりと腕に絡みつく肌はひんやりとして気持ち良い。
何やら得をした思いで入口へ歩いていると、マリーはこちらを見上げてきた。
「あ、せっかくだから、後でウリドラの憑かれた写真を撮りましょう?」
「はは、マリーもなかなかの悪だねぇ」
「いいえ、あなたのほうこそ隠れ悪なの。私はちゃんと知っているわ」
そう言い、ぽすんと少女はお尻を当ててくる。
なぜか普段よりもずっと明るい気持ちで、僕らはコンビニへ入った。
ちなみにウリドラは、意外にも元気そうなピース姿で写真に収まってくれたよ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どさりと買い物袋を玄関へ置く。
あれからスーパーでお買い物を済ませた僕らだけど、その前にやるべき事があるようだ。
「あっつう! うあっ、こんなに室温が上がってるなんて……!」
「うん、夏だから仕方ないね。先に窓を開けるから、マリーはいつものやつをお願いして平気かな?」
了解の声も、どことなく暑さに負けそうな弱々しい響きだ。
とすとすとフローリングを歩き、そしてカーテンのかかった窓を開く。温められた空気はゆっくり出てゆくけれど、しばらく扇風機を窓に向けておいたほうが良いだろう。
「んーー、たまらぬ暑さじゃのう。ええと、スイッチはこれじゃったかな」
などと考えていたら、ブーツを脱ぎ終えたウリドラに扇風機を占領されてしまった。どすんと床へあぐらをかき、風に煽られながら蒸れた靴下を脱いでゆく。
うーん、身長は僕とあまり変わらないのに、足の長さは彼女のほうが上というのは少し悲しいね。
「ウリドラ、そこで回しても熱い空気が循環するだけだよ?」
「仕方なかろう、竜人とはいえ暑いものは暑いのじゃ。それよりも、おぬしはマリアーベルを手伝ってこぬか」
振り返る彼女の額には、竜人らしい角が見える。そして汗でぴったり張り付いたシャツを指でつまむと、背骨から尾てい骨にかけて黒い硬質なもので覆われてゆく。
どうやら部屋で伸び伸び過ごす準備を始めているようだ。
そしていつの間にやらシャーリーは僕から抜け出ていたらしく、ふよふよと漂い扇風機に近づいてゆく。半透明の指先でちょんちょんと突ついているのは、家電に興味を持っているのかな。
なので扇風機は早々に諦め、僕はマリアーベルの手伝いへ向かうことにした。
ベッド脇の戸をくぐり、洗面所の右手はお風呂場になっている。その縁へ少女は腰かけ、湯船に張った水へと指を向けていた。
こちらに気づき、長耳を露にしたマリーは振り返る。
「あら、まだ作り始めたばかりよ」
「せっかくだから、どう氷を作っているか見ようと思ってね。触って平気?」
どうぞと身振りで示される。
彼女の隣へ腰かけ、お風呂を覗き込むとクラゲに似たものが水中に見えた。これはいわゆる氷の妖精というものらしく、ふわんふわんと漂い、部屋を冷やすための氷を作ってくれている。
指で触れると、透明で分からなかったけど既に氷があったようだ。こつんと硬質な感触と共に水面は揺れ、意外に大きなものだと気づく。
「氷板はだいたい扇風機の高さまで、1メートルくらいかしら。これを2つ作って完成よ」
「うん、冷たくて気持ちいいね。どういう風に作っているのかな?」
「そうね、普通に凍らせるのとは異なるわ。妖精へ『この形に凍らせて』とお願いをして、それから眠らないようにこうして突ついてあげるの」
ふうん、と呟きながら少女へ視線へ向ける。
水面を覗き込む彼女は微笑を浮かべており、すいすいと指先を動かす。そして淡く色づいた唇を開いた。
「気温が暑いとすぐ寝ちゃうのよ。だから起きて、起きて、ってお願いするの。んふ、あなたの眠そうな顔も、私が起こしてあげましょうか?」
そう言い、濡れた手を持ち上げると、僕の頬へと触れてくる。
ひんやりと雪どけ水のように冷たく、眠気はきれいに吹き飛んでしまいそうだ。けれどまあ、別に眠いわけじゃないんだけどね。
ただ、気持ち良いなと思う。
薄暗いお風呂場だというのに、マリーのすべすべな手に触れられていると何故か安心する。
紫水晶に似た瞳はもう少しだけ近づき、覗き込んできた。
「あら、まだ覚めないのかしら。起きて、一廣さん」
唐突に、ふかりと柔らかな感触を唇へ押し当てられた。
濡れた手は頬から首筋へ移り、そして背中へと回される。
下から上へと差し出された唇、そして少女の甘い匂いに溺れてしまいそうだ。のしりと身体は密着され、息継ぎに離れた唇からは、ふうと熱い吐息がくすぐってくる。
ゆっくりこちらも華奢な背中へ腕を回すと、もう少しだけ彼女の身体を感じ取れるようになった。幾分か主張をする胸の感触と、そして小鳥のようにとくとく鳴る心臓。
小さな舌にぺろりと唇を舐められ、そして彼女は髪をかきあげながら僕のひざの上に座りなおした。どうやら、もう少しだけ触れ合いたいらしい。いや、たぶん僕も同じで、少女の肩と太ももを押さえてしまう。
どきどきする。
胸の奥から期待するような何かが出てきて、少女とより触れ合いたがるのを感じている。
とっくに魅了されているけれど、同じ時間を過ごすうち、より深くマリアーベルに近づいてゆく気がする。ぬるんと唇を舐められ、少女の甘い味に胸はもうすこし高鳴った。
そして互いの肩に顎を乗せあい、抱き合ったまま小刻みな息を吐きあう。
どくどく鳴る心臓は、たぶんマリーにも伝わっている。それと同じくらいの鼓動が、彼女からも聞こえてくるからだ。
エルフ族を表す長耳は、ぼんやりとした視界のなかで垂れ、小さく震えていた。
ぽそりと耳元で、少女の声が聞こえる。
「私のほうこそ目が覚めてしまったわ」
「いやあ、僕もすっかりエルフさんに起こしてもらえたよ」
くすりと笑われ、そしてもう一度、ぎゅうと強く抱きつかれた。
いつの間にやら氷を完成させていた妖精は、ふわんと大きく身を漂わせる。ひんやりとした空気に冷ましてもらえるのは、今の僕らにとってありがたい。
それくらい2人きりの時間は貴重だと、互いに感じていたのかもしれない。光沢のある真っ白い髪ごと抱きしめながら、そのような事を思う。
ジイジイと響いてくる蝉の音が、ぼんやりと耳に聞こえていた。




