【番外編】とある平日の過ごしかた
ぴん、ぽーん。
呼び鈴を指で押した姿勢のまま、黒髪で長身の女性は「おお」という口をする。どうやら実際に触れるのは初めてだったらしく、黒曜石に似た瞳をぱっと輝かせた。
「ふむう! 竹を割ったように心地よいのう。もう一度くらい押しても怒られまい」
「やめてちょうだい。恥ずかしいし、変な勧誘と誤解されるかもしれないのよ?」
そう言ってたしなめるのは頭ひとつぶん小さな少女で、白い髪を陽光に輝かせている。眉をほんのすこし逆立たせ、黒髪女性のタンクトップをグイと引っ張った。そうなると豊満な乳房はより強調されてしまうが、ウリドラなる女性は気にもしない。
黒い布地には竜の模様、そしてぴっちりとしたジーンズを履いており同性ながらも格好よく見える。とはいえ子供のような行動をする時もあるので、マリアーベルのほうが恥じらいを覚えてしまう。
ほどなくして玄関の向こうから足音は聞こえ、がちゃりと戸は開かれた。
黒髪を肩のあたりで切りそろえ、眼鏡をかけた女性……一条 薫子は、図書館勤めの際とあまり変わらない清潔なブラウス姿で出迎えてくれる。
戸を開き、2人の姿を見ると大人しく真面目そうな彼女は顔をほころばせた。
「いらっしゃい、お2人とも。どうぞあがってください」
「お邪魔します、薫子さん」
すっかり日本住まいに慣れた2人は、ぺこぺこと頭を下げて玄関をくぐる。こうして遊びに行くことは初めてで、同じマンションの住人ではあるものの、多少のぎこちなさを感じさせる。
「うむ、お邪魔しよう。そうだ、これを渡すよう一廣から頼まれていたな」
カラフルな菓子折りを手渡され、「あら」と薫子が目を丸くさせる。
艶のある腰までの黒髪、めりはりの強い身体つき、そして濡れた黒曜石に似た瞳と印象的な女性だ。そのせいで日本人的な応対をされて驚いたらしく、ぱちぱちと瞬きをしてから優しく微笑みかけた。
「あら、気を使わせてしまって。……んっ? これはグリムランドの……」
「ええ、薫子さんにアドバイスを貰ったおかげで、とても楽しめたんですよ」
そう少女マリアーベルから笑いかけられ、思わず薫子は頬を熱くさせてしまう。最初のうちは警戒心も感じさせたのに、図書館へ通ってくれるうち日に日に態度は柔らかくなり、いまでは妖精のような愛らしさを味わえるようになった。というよりも江東区の図書館勤めをして、これほど嬉しい目に合ったことが無い。
(まさに役得……、しかも2人を家に招けるだなんて……)
じーん、と感動するような表情に、2人は不思議そうに小首をかしげた。
さて、この部屋は上の階にある北瀬宅に比べ、より家族向けの造りをしている。
1DKから2LDKに変わり、ウォークインクローゼットなど収納量や使い勝手などを考慮されている。当然、物珍しさにエルフ、それと竜はきょろきょろと辺りを眺めてしまう。
薫子らしい落ち着いたリビングは居心地良さそうで、ソファーと大型テレビは映画を満喫できるだろう。そしてリビング脇にある戸に2人は目を向ける。
「ふわーっ、これが噂のウォークインクローゼット!」
「おおー! 服を畳まずに置いておけるとは贅沢に感じられるのう!」
戸を開くなり、マリーの頭の上へウリドラはあごを乗せ、揃って感動してしまう。眺めている薫子も、ふんわりとした笑みを浮かべてしまう愛らしさだ。
「そういえば北瀬さんの部屋には無かったですね。あれ、そういえばウリドラさんも北瀬さんの部屋へ泊まったりするのです?」
「んー、たまーにじゃなあ。料理が美味いせいでつい通ってしまうが、あやつの食費が気になってのう」
じぃ、と少女はウリドラを見つめ、「ちゃっかり猫の姿で堪能してるのに」と密かに思う。とはいえ食費を気にしている事は知らなかったらしく、くいっと黒いタンクトップを引っ張った。
「でも、気兼ねなくたくさん遊びに来て欲しいわ。その、一緒にお出かけできて楽しいの」
「ふ、ふ、そう言われると悪い気はせぬのう。ふむ、ならば近いうち3人でピクニックなどをしに出かけても良いかもしれぬな」
思わぬ提案にぴくりと薫子は反応する。
北海道からこちらへ移り、近所にそれほど友人がいないことも大きい。まるで学生へ戻ったような気分になり、期待で頬を赤らめてしまった。
「ぜひ行きましょう。私も料理は好きですから、バスケットにサンドイッチでも入れてお持ちします」
「わ、楽しみだわ! それじゃあ休みの日が重なっている日に行ってみましょう」
わっと皆は盛り上がり、それから平日の真昼間を楽しむ会は始まった。
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おーー、と薄紫色の瞳を丸くさせたのは、ぎっしり並ぶ本棚を見たせいだ。
洋部屋の一角は完全に薫子の趣味の間となっており、漫画、パソコンなどが並んでいる。リビングにあるゲーム機を合わせるとなかなかの多趣味だろう。
「わあ、本がいっぱい!」
「図書館に置けないような本ばかりですけどね。こう見えて私、漫画が大好きなんです」
本好きなせいで目を輝かせる少女と異なり、ウリドラはぽりぽりと頬をかいてしまう。
一廣、それにマリーが本を読みだすと、テコでも動かせないほど物語へ入り込んでしまう。あれは少し退屈な時間だと感じており、黒髪をかきあげながら微妙な顔をする。
「文字を目で追うより、映画を見ておるほうが……うむ? 随分とカラフルな表紙じゃのう」
「小説などと違って娯楽用ですからね。それはボクシング漫画で、努力して強くなってゆく面白いものですよ」
ふむ、とウリドラは眉を不機嫌そうに歪め、勧められたので仕方なくページをめくる。そして黒曜石に似た瞳を少しだけ見開いた。
「ふうむ、文字よりも絵のほうが多いとは。む、む、この雲みたいな奴が、キャラクターの台詞になっておるのか」
「そうですけど……、漫画を読んだことが無いのです? まあ、日本以外ではあまり流通していないかもしれませんね」
確かに、一コマずつ絵を描いてゆくような芸当は、職人集団たる日本人でなければ無理だろう。
――ふうむ、それにしても小説と違って絵を追うだけで分かるとはのう。むう、しかしこれはまた、キャラクターが話しているようにも見える。
興味を持ち、ぺらりとページをめくる。
漫画のなかで苛められるほど弱い主人公は、ある日、ボクシングの道を選ぶ。
それは強者を目指すというよりは己への可能性を探る好奇心に近く、頼りになる先輩から手を引かれるままボクシングへとのめり込んでゆく。
「ふむうー、なんとも情けない男じゃのう。学校で苛められるくらいなら、噛み付いてやれば済むじゃろうに」
「ええ、でも努力する姿って素敵ですよね。私、応援するあまり身体が動いてしまったりするんですよ」
そう恥ずかしげな顔をするのだが、ウリドラはむっすりとした顔で漫画を読み続ける。
やがて少年は一皮剥ける。ほんの少しだけ男の表情をし、そして先輩だけが見抜いた才能をようやく発揮させてゆく光景に……。
ぺらりとめくり、そこが最後のページだと気づいた。
「はい、こちら2巻です」
「うむ、済まぬのう。ちょうど良いところで切れてしもうた」
立ったまま読んでいたウリドラは、何かに気づいたようクッションを手にし、どすんと床へ座る。そしてあぐらをかき、やや前のめりになって漫画を読みふけってゆくのだが……。
「うわ、もう完全に読む姿勢になってるじゃない」
「この様子では、しばらくテコでも動きませんね。とりあえずお茶を淹れますので、ウリドラさんの隣に置いておきましょうか」
「んー、済まぬのう」
返答もどこか億劫そうで、ちらりとさえ見もしない。
そのくせ隣に置いたアイスティー、おみやげの菓子折りだけは減ってゆくのだから不思議なものだ。
ときどき身体を8の字に揺らし、どこまでも漫画を読み進めてゆくのは、エルフにとって不思議な光景に映ったらしい。
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さて、ウリドラはページを進める機械と化してしまったので、薫子はマリーを呼び寄せた。そこにはノートパソコンがあり、見慣れぬ画面へ興味深々に少女は覗き込む。
「げー、む?」
「はい、ゲームですよ。画面にキャラクターを映し、リモコンで動かす……って、マリアーベルちゃんは知らないんですか?」
ううんと少女は首を横へ振る。
考えてみれば北瀬はゲームをせず、出かけたり料理をしたり、空いた時間には小説を読むことを好む。というよりも夢の世界での冒険のほうが、ゲームよりずっと面白くて手を出す気になれない、というのが真実だ。
「夫とも休みの日には一緒に遊ぶのですけど、それ以外は埃をかぶってて……。もし良かったら一緒にやってみません?」
「え、でもやり方が全然分からないのです」
わけも分からず椅子へ座らされ、そのゲーム画面とやらを見せられる。
あっ!と大きな声をあげたのは、画面の向こうへ現実世界よりも色鮮やかな光景が広がっていたせいだ。そしてキャラクターたちは鎧や剣、杖などを持っており、夢の世界に通じる雰囲気を感じさせている。
「こうやってボタンを押すと……」
「わっ! 動いた! え、え、なんで? 少し待ってくれるかしら、いまは頭を整理できないわ」
まさかゲームも知らないなんてと薫子は目を丸くさせ、落ち着こうとするマリアーベルをじっと見守る。確かに外見はお嬢様どころか妖精じみた愛らしさをしており、ゲームなどの娯楽と縁は無さそうに見える、などと彼女は思う。
――ひょっとして、親御さんはとっても過保護なのかな……。
そうなると少女へゲームを教えて良いのか、という疑念も沸くが……とりあえずはマリアーベルに任せる事にした。興味があれば一緒に遊ぶし、そうで無ければ違うことをすれば良い。
すると少女は大きく息を吐き、ようやくこちらへ振り返った。
「なんとなく分かったけれど、これは動かせる絵ということかしら」
「えー……と、うん、だいぶ近い気も……します」
のめりこんでいるせいで少女の口調はやや砕けたものへ変わる。しかし不快どころか親密になれたようで嬉しく、薫子はそのまま応対することにした。
変わった子だなーと思いつつ、リモコンを持たせてみる。
ずしりとした重さに目を丸くさせ、とはいえ自由自在にキャラクターを動かせるのは少女の好奇心を思い切り刺激するらしい。
「職業は大きく分けて、盾役、回復役、それに攻撃役へ分かれます。どれを触ってみたいです?」
「えっ!?」
何に驚いているのか、少女は紫水晶に似た瞳を丸くさせ、薫子を見上げてくる。しかしお人形のように可愛くて、近くでみると失神しそうだな、などと薫子は思う。
これでも若いときには百合小説を読んでいたことは……黙っておこう、と固く決意した。
さて、マリーにとっては驚きだ。
夢の世界での冒険を、こうしてコントローラーで操れるのだから。そして職業を好きに選べるというのも夢がありすぎて困る。
なので頬を赤くさせながら薫子へ返答してしまう。
「回復役! 私、回復に憧れていたの! 後ろから支えられるなんて夢みたい!」
「じゃあ私のサブキャラを使ってください。もし気に入ったら、最初からキャラクターを作ることも出来ますからね」
そして薫子から教えられるままチュートリアルは進む。
とびきり頭の良いマリアーベルのこと、回復を覚え、敵の大きな攻撃にも盾役を支えられるようになり、果ては歩きながらの呪文発動、連続した呪文詠唱などの上級テクニックさえメキメキと覚えてしまう。
「ふうん、こうすると一手だけ得できるわね。そうなると攻撃も挟めるかしら」
などとブツブツ言いながら習得してゆく様子にさすがの薫子も冷や汗を流し、「恐ろしい子!」などと内心で叫んだらしい。
一時間もすると実戦へと投入され、薫子の操る騎士によりダンジョンを先導されてゆく。
「あ、もういいわ。残りは私が倒すから、あなたは先へ行ってちょうだい」
「分かりました。それでは雑魚を集めておきますね」
などと恐ろしく意思疎通のあるプレイをし、記録的な速度でダンジョンはクリアされた。
ぱちくりと薫子が目を丸くするのは、そのスコアを見たからだろう。
「……マリアーベルちゃん、夫が下手糞に見えるくらい上手ですね」
「んふっ、だいぶ掴んだもの。でも薫子さんも判断が早くて、使えない仲間をすぐ見捨てたのは爽快だったわ」
鋭い洞察力に、「恐ろしい子!」と汗は流れてしまう。
これまで出会った誰よりも頼もしく、そして夢にまで見ていた高難易度コンテンツさえクリアできそうな予感がしてしまう。
まさか、クリアできちゃう?
初めて2時間足らずで、最高難易度にチャレンジしちゃう?
そう試しに提案してみると、少女は薄紫色の瞳を輝かせた。
+ + + + + + + +
「させない! ダメージを消してやるわ!」
「うっそお! HP減少が見えないほどのタイミングで……!」
「ほらしっかりしてちょうだい、次の仕掛けを敵はしてくるわよ」
「ひゃっ、ひゃいっ!」
画面には「回復さんヤバいw」などのチャットが流れており、あろうことか仲間のミスさえも帳消しにしてしまうプレイを見せている。
目をぐるぐると回し、敵ボスのHPゲージはやがて0へと限りなく近づいてゆき……。
「喰らいなさい、光の矢、二連っっ!!」
どおっ!
唐突に暗転する画面、そしてアニメーション演出に薫子はぽかんとした。
「へっ? へっ? だってまだ実装されたばかりのコンテンツ……」
しかし画面には敵の崩壊する姿、そしてチャット欄には「だあああああああ!」「やったあああああ!」などの文字が流れており、放心へ拍車をかけてしまう。
ぽんと肩を叩かれ、眼鏡をズリ落としたまま薫子は振り返る。
そこには頼もしい笑みをしたマリーがおり、小さな手はハイタッチを求めていた。ぺちん、と互いの手は重なり、ようやくの達成感に思わず頬は緩んでしまう。
「やりましたーーっ!」
「んふふっ、お疲れさまーーっ!」
きゃいきゃいと抱き合い、苦節半日もの戦いは終わった。
このときばかりはウリドラも漫画から目を離して2人を見上げる。ただし、うるさくて迷惑そうな表情だったが。
さて、陽が沈む頃になると、ようやくウリドラも漫画を読み終えたらしい。
すっくと立ち上がる黒髪美女に、2人は目を丸くした。
「え、あれ、ウリドラの顔が凛々しくなってる!」
「なんですか、その一戦やり終えたような表情は!」
長いボクシング漫画は、彼女をどう変えてしまったのだろう。
精悍な表情をし、光源のせいか妙にスポ根的な画調に変わっていた。
「……何故かシャドーボクシングしたくて堪らぬわ。むう、そこの蛍光灯の紐などちょうど良いのう」
ぶはっ!と2人はお腹をかかえ、そして「あっははは!」と大きな声で笑う。恐らく彼女であれば世界を制することもできるのだが……。
そして2人のパソコン画面には伝説級の装備品を得たというログは流れ、同時にフレンド登録も殺到している。
こうして別に何も成し遂げていないけれど、とても達成感に満ち溢れた平日は終わった。
一日の労働を終え、マンションにたどり着いた男性はふと見上げる。
上の階から華やかな笑い声が響き、その聞き覚えある声に反応したのかもしれない。
「やあ、そういえば遊びに行くと言っていたかな。良い梨を買ったから届けに行こうか」
美味しそうに食べてくれる表情を思い浮かべ、その男性は頬を緩ませた。
真夏の暑さも、彼女らの表情を見ればきっと和らぐだろう。
まさか劇画調のウリドラが待ち構えているとは夢にも思わず、北瀬はエレベーターのスイッチを押した。




